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キズは自分にしか分からないこと
一ー3
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保健室へは、校舎に入らず外から向かった。
レースカーテンが閉められている窓を興がノックする。
少しして、カーテンの向こうに人影が見えると、めくられたレースから男が姿を現した。
「…………」
どこかで、保健室にいる先生は女性だと思っていた純は、内心がっかりしてしまった。けど同時に、ここは男子校なのだからそうなのかという思いも生まれている。
「どうしたんだ?」
窓を開けた男は手前にいる興に尋ねた。
保健室にいるということは、彼が興の親戚であり養護教諭なのだろう。興と近い親戚なのか、どことなく興と似ている。あまり目立たない程度に髪が染められており、女子がいれば、それは人気者になるだろう容姿をしている。
「彼は?」
養護教諭は興の後ろにいる純に瞳を動かして示した。
「転校生」
興の説明は実に簡素だった。逆に虚しさを感じるほどの説明のなさだ。
「ああ、お前が」
だが、それで十分な説明だったらしく、全てを理解したような反応がなされる。転校してきたのは純だけだし、分かる事といえば分かることなのだろう。
「今朝の事は聞いたぞ」
しかし、理解の訳は、転校してきた一人の生徒だからだけではなく、食堂の一件によるものが大きかったようだった。
あの出来事のせいで、クラスメイトにからかわれただけでなく、転校生がいることを広く知られることにもなっていた。しかも、学校関係者二人の親戚であり、不良に目を付けられている生徒とのアクシデントだ。話題に出す生徒に対して教師は誰一人なにも言ってこなかったが、確実に知っているだろう。
「同じ男の股間に顔を埋めるなんて、災難だったな」
「あ、いや、その……あー……」
なんとも言えない。〝男の〟と大きく区切られてはいるが、本人を前にして同意もしにくいというものだ。
「じゃあ、俺は、同じ男に股間に顔を埋められて最悪ってところか」
一方、興に気に留めた様子はなく、そちら側としての、対になる発言をさらりとする。本人にすれば自分の股間とも取れるものだが、興にとっては気分を害すほどのことでもないらしい。
「それで、どうしたんだ?」
なにか可笑しく感じるとこでもあったのか、養護教諭はくすりと笑むと話を戻すように目的を聞いてきた。
「じょうろ貸して」
興の言い方は端的なものだった。けど、それで興がここに来たのが分かったのだが、何故それを求める先が保健室なのかが不明だ。
「じょうろ?」
当然というか、養護教諭は怪訝にした。
「こいつが手伝ってくれるっていうから」
またしても興の言い方は端的だ。しかも、疑問に答えていない。いや、答えているといえば答えているのか。
「手伝わせるんじゃなく?」
含まれているのを読み取ったのか、こちらもこちらで確認することもなく聞き返す。いまいち要領を得ないやり取りだが、会話として成立しているようだから問題はないのだろう。
「違う。こいつから言ってきたんだ」
ただ、入部や顧問に見つかることを快く思っていないながらここに来たということは、彼は顧問ではないということだ。
「本当か?」
「はい。一人じゃ大変そうだったんで」
養護教諭の確認に純は肯定した。
「そうか。手伝うのはいいが、程々にしとけよ。手伝うだけが入部ってことにもなるからな」
あっさりと信じてくれた養護教諭だったが、忠告も与えられる。
「そんなに無理矢理なんですか?」
興の入部の仕方と忠告に加え、さらに教師からもそんなことを言われては、さすがに純も不安になってしまうというもの。
「不良が入ってることで人気がないからな。興の他にもちゃんとやってくれる生徒を欲しがってるんだよ」
「よく来る奴が何人かいるけど、やっぱ毎日くるわけじゃねえからな」
養護教諭の発言からいくと、興以外に一般生徒はいないということになる。すると、興の言う〝よく来る奴〟というのは不良ということになるのではないか。不良らしく毎日ではないが、よく来ると言えるくらいには真面目な不良もいるらしい。どんな不良だと思うが、不良が花をいじっている姿は想像しにくい。
「興は毎日出てるのか?」
想像できそうでできない花と不良という不似合いな組み合わせからは意識を逸らし、純は聞いた。
「まあ、さぼるなって言われたし」
そういえば、花壇の所でも言っていた。
「不良がいて嫌じゃないのか?」
いくらさぼるなと言われているとしても、自分に目を付けている奴らと同じ部に入っているのは落ち着かないのではないか。
「嫌に決まってんだろ」
当たり前だとでも言いたげに興は言った。よほど嫌なのか、不愉快そうな面持ちにまでなっている。
「部活変えようとか思わないのか?」
いくら強制だったにしろ、自分の身というのを考えれば、そこにいる必要はないのではないか。
「思った」
興はすんなり同意した。けど、辞められない事情も持っていた。
「でも、顧問に辞めないでくれって懇願されたんで、仕方がなくいる」
きっと、不良がいることで入部がないため、顧問もちゃんと活動してくれる生徒が手放せないのだろう。だが、活動と生徒の身の危険では、秤にかけるまでもなく優先は決まっているような気がするのだが。
「でも……」
「さっきも言ったけど、真面目にやってる生徒を欲しがってるからな、あの人は」
自分の意見を言おうとした純だったが、それは遮られることになってしまった。
「興は言いつけ守ってちゃんと出てるし、手放したくないんだろ」
養護教諭だ。二人が言葉を交わしている時に窓辺を離れ、戻ってきたのだ。その手には、所望の物が持たれている。
「不良ばっかりで嫌だって言ってたな」
「だろうな。俺だってやだし」
大きめのじょうろの受け取りをしながら交わす二人は、問題にしていない軽い口調をしていた。
「でも、興だって危ないだろ」
そのことに、純は反論するように口を挟んだ。
興が絡まれていることを知らないのだとしても、注意しなければならない状況なはずだ。
「そこんところは、顧問がいっから大丈夫だ」
それに興が返したのは、対策済みであることだった。
「どうしてだ?」
けれど、純は納得しかねることだった。
顧問=教師がいることが、なにも不良の行動を抑制することにはならないだろうという思いがあったからだ。なっていれば、興だって絡まれ続けることになっていないはずだ。
けど、純のその思いは考えは過ぎでもあった。
「俺たち教師は抑制剤にもなってるんだよ」
状況を養護教諭が述べる。
「教師としての影響力は、まだまだあるってことだな」
「そうなんですか」
それなら、問題にしていないようであったのも頷ける。でも、ならば何故、興は目を付けられ続けているのか。
それも、答えは簡単だった。
「ま。だから陰で、なんてのが多いんだけどな」
養護教諭がそんな現状を付け足したのだ。というかだ。それは効果を果たしているとはいえないのではないか。
「そろそろ行くぞ」
と、そこで、興が入ってきた。
けどそれで、純もここへ来た目的を思い出した。こんな話をしにきたのではなく、手伝うための道具を借りにきたのだ。
「でも、興……」
しかし、重要と言えるようなことを話していた最中でもある。
「早くしないと終わんねえだろうが」
「あ、そうか」
指摘され、純は気付いた。
いくら手伝うとはいえ、作業開始が遅れれば、結局、終わるのは遅くなってしまう。
「行くぞ」
「あ、うん」
促した早々、歩き出した興に、純は頷いた。
「くれぐれも顧問に見つかるなよ」
「はい」
続けてなされた忠告に返事をし、純は興を追って駆けだした。
すぐに追いついた興の後ろに続いて歩いて行く。
「…………」
その背を見、純は本当にいいのか疑問に思った。
興は絡まれ続け、教師は抑制剤になりきれていないうえに自覚もしている。
教師は興の状況をちゃんと知っているのか。
でも、自覚もしていて、顧問がいることが不良への対策としているということは、口で言う以上に策が講じられているのかもしれない。
けど、クラスメイトとはいえ、会っても日も浅い相手に深く詮索をしてもいいものなのか。そんな懸念も出、気になりはしたものの、純は内心に留めておくことにした。
興に連れられて来たのは、寮だった。
寮の敷地内に入った純は周囲を見回した。
どこかに花壇があるのかと思ったからだ。興が受け取ったじょうろは純が使う物であったらしく、今は純が持っている。興は、先ほど花壇で使っていたホースを抱えている。
見回してすぐ、玄関の左右、窓の下辺りに花が咲いているのを見つけた。
「顧問に見つかんないようにすんなら寮が一番だろうから、ここにするぞ」
玄関先まで歩んで行きながら興は言った。
教師には、寮を担当する者以外、入寮する規則がない。そのため、それ以外の教師が寮に来ることはまずないという。つまり、園芸部の顧問は担当者ではないということだ。
「ここなら、終わったらお前はそのまま帰れるしな」
そこまで考えていたなんて。なんだか、手伝って楽させるはずが、逆に気を遣わせてしまっているようだ。
「んじゃ、まずは花壇から始めるぞ」
玄関前にある屋根がかかったその前で立ち止まると、興はさっそく作業のことに入った。
「終わったら、中に飾られてる花瓶と鉢。花瓶は水の交換で、鉢はただの水やり」
「花瓶や鉢なんて飾ってあったんだ」
作業の手順を説明する興に、純は感心してしまった。そんな身近な場所に花が飾られていたとは。
初めて知った反応を示す純に、興は呆れた眼差しになった。
「お前、なに見て歩いてんだよ。廊下とか、あちこちに飾ってあるだろ」
「え? うそ? そうだっけ?」
廊下とかなんて。そんな分かりやすい所にあっただろうか。
「階段の踊り場には必ずあるし、廊下にもちょこまか台が置いてあって飾ってある。玄関のそこにも、ほら、あるだろ」
「あ。ほんとだ」
玄関に視線を送ると小さく顎をしゃっくった興に純も見てみれば、確かに飾ってあるのが目に入った。
壁ぎわの棚の上、外からでも見て取れるくらいの大きな花瓶に、男子校の寮という場には不釣り合いなまでの盛大さで花が飾られている。
今、初めて気づいた。あれだけの大きさの物を、よく自分も気づかずにいたものだ。
「あれに気付かなかったってのも、どうかと思うけどな」
「はははは……」
気まずさで笑うしかない。
「じゃあ、始めるぞ」
だが、それ以上そのことに何かを言うことはなく、しかし、与えられた呆れは大きかったようで、呆れの吐息混じりに興は作業へと戻した。
「ホースとそれでやるのどっちがいい?」
「俺に使わせるためによこしたんじゃないのか?」
それとはじょうろのことだ。聞かれ、純は聞き返した。
「中での作業に、って思ってで、花壇のことまでは考えてなかったんだよ」
だから渡してきておいて選択させようとしたのか。でも、作業内容と用具からして、純は鉢への水やりだろう。
「これでいいよ」
純は選んだ。水を出してしまえば移動するだけでいいホースよりは効率は悪いが、じょうろも大きいし、それなりの広さにかけることができる。
「そうか。じゃあ、蛇口はそことそこにあるから。お前はそっちな」
興が指さしたのは玄関の横――左右にある水場だ。それから純の立っている位置に近い右側を指さして担当を指示する。
「分かった」
言葉で純は頷いた。
「じゃ、よろしく」
言って、興は左側の蛇口に歩き出した。
純も逆側へと動き出し、作業を始めることにした。
□□□
花だけなく根からも水を吸わせるため、土にも水をかける。
花壇が終わり、寮内のあちこちにあるという花瓶と鉢の作業に移っていた。
作業は二手に分かれ、純は予想通り鉢への水やりで、興は花瓶の水替えだ。その興は違う所にいる。
こうして意識してみれば、確かにあちこちに花は飾られていた。
玄関に始まり、廊下、食堂、談話室。普段から鍵が掛かっていって使うことも少ない部屋にはさすがに飾っていないというが、人の行き来があるところには必ず置いてあった。意外にあった数多さにも気づかずにいたなんて、自分がどれだけ気にしていなかったかが分かるほどだ。しかも、こんな感じで校舎にも飾られているという。案内をしてもらった時に一通り巡っていたはずだが、自分は何を見ていたのだろうか。
「純?」
怪訝そうにする声が聞こえたのは、次の鉢に移動し、言われた通りの目安で水をかけている時だった。
自分の名であることに視線を巡らせてみれば、良智と景一がいた。部活終わりなのか、制服ではなくスポーツウエアを着ている。首にタオルをかけている良智は、どこか驚いた表情をしていた。
「お前、何してんだ?」
景一も見慣れぬものを見たような面持ちでいる。
「何って、花に水やってんだけど」
二人して、何をそんな顔をすることがあるのか。歩み寄ってくる二人に、純は見た通りのことを答えた。
もしかして、園芸部にでも入ったと思ったのだろうか。二人は一年の時からいるし、園芸部の活動も分かっているはずだ。
「もしかして、園芸部入ったの?」
予想通り、良智はそう勘違いした。
「俺、園芸部はやめた方がいいって言ったはずだけど」
「違うって。手伝ってるだけだよ」
純は言った。
「手伝い?」
だけど、それでも問題があるような、信じられないことを聞いたような反応をした。まあ、手伝いも要注意というのだから、そうなっても仕方がないだろう。
「あ」
だがそこで、良智は何かを思い出した声を発した。
「阿部先生のこというの忘れてた」
きっと、その人が園芸部の顧問だろう。でも、ここでも顧問のことが出てくるなんて、生徒にも広く知れ渡っているようである。
「興から聞いたからいいよ」
興だけでなく養護教諭からも聞いた。
「聞いておいて手伝ってるのかよ」
「だって、一人で大変そうだったし」
端から見れば、純の行動は浅はかにも思えるかもしれない。
「それに、見つからないようにここで手伝ってるから、大丈夫だよ」
「……それなら、大丈夫かな」
「そうだな」
対策が取られていることを述べると、二人はいまいち得心しきれないように行動を認めた。
にしても、生徒にもこんな反応をさせるなんて、園芸部の顧問はどれだけ無理矢理なのか。
「そこまで無理矢理入れさせる人なのか? 園芸部の顧問って」
二人にも純は聞いてみることにした。生徒の立場からまた違うことが出るかもしれない。
「結構な」
「どっかに入ってるならまだしも、どこにも入ってないと入れようとしてくるらしいんだ。俺は初めから入るとこ決めてから何もなかったけど」
「手伝うのも要注意。俺はそれで危うく入れさせられるところだった」
手伝いは共通の危険行為らしい。それでは、手伝いと聞いた時の二人の反応が大袈裟なものになったのも納得がいく。しかも、経験者である景一はよほど苦い記憶でもあるのか、顔がしかめられまでする。
「さすがに、不良しかいないとこなんて絶対ヤだしな」
むしろ、好んで入る者などいない気がする。にしても、二人が入学してきた時から園芸部には不良しかいなくなっていたとは。
だったようだ。それも、入部前に知っているということは、早い段階で広まっていたことも分かる。
「ま。今日は仕方がないとして、次からは気をつけろよ」
「そうする」
というか、自分も部活を決めなければならないのだから、次はないような気もする。
と、良智が何かに気づいたような反応をした。
「それじゃあ、俺たち、先に戻ってるね」
そう言ってくる。
「ああ」
何を見たのか。了承するものの、純は内心で怪訝に思った。
だが、見たのがなんであるか。見送るというわけではないが、去って行く二人を視線で追ったことで、それを知ることになった。
純からすれば後ろを向くことになるその先に、興がいたのだ。二人は興に声をかけて通り過ぎていくが、他に誰もいないことから、彼に気づいたから去ることにしたのであることを察することができた。
良智と景一が去って行くと、バケツを持っている興が歩み寄ってくる。
「お前も戻るか?」
「俺から言い出したんだから、最後までやるよ」
友人といたということでそう聞いたのだろう興に、純は言った。じゃないと申し訳ない。
「そうか」
興の返答はそれだけだった。安堵も拒絶も、純が抱いた申し訳なさもない。
「それじゃあ、頼むな」
それでもそれは言い、興は純の横を通り過ぎて去って行った。
興は、二人が去って行った理由を察せているのだろうか。
そんなことを思ったが、聞く躊躇いもあり、純は遠ざかっていく背からじょうろの中を覗いて水の量を確認すると、作業に戻った。
レースカーテンが閉められている窓を興がノックする。
少しして、カーテンの向こうに人影が見えると、めくられたレースから男が姿を現した。
「…………」
どこかで、保健室にいる先生は女性だと思っていた純は、内心がっかりしてしまった。けど同時に、ここは男子校なのだからそうなのかという思いも生まれている。
「どうしたんだ?」
窓を開けた男は手前にいる興に尋ねた。
保健室にいるということは、彼が興の親戚であり養護教諭なのだろう。興と近い親戚なのか、どことなく興と似ている。あまり目立たない程度に髪が染められており、女子がいれば、それは人気者になるだろう容姿をしている。
「彼は?」
養護教諭は興の後ろにいる純に瞳を動かして示した。
「転校生」
興の説明は実に簡素だった。逆に虚しさを感じるほどの説明のなさだ。
「ああ、お前が」
だが、それで十分な説明だったらしく、全てを理解したような反応がなされる。転校してきたのは純だけだし、分かる事といえば分かることなのだろう。
「今朝の事は聞いたぞ」
しかし、理解の訳は、転校してきた一人の生徒だからだけではなく、食堂の一件によるものが大きかったようだった。
あの出来事のせいで、クラスメイトにからかわれただけでなく、転校生がいることを広く知られることにもなっていた。しかも、学校関係者二人の親戚であり、不良に目を付けられている生徒とのアクシデントだ。話題に出す生徒に対して教師は誰一人なにも言ってこなかったが、確実に知っているだろう。
「同じ男の股間に顔を埋めるなんて、災難だったな」
「あ、いや、その……あー……」
なんとも言えない。〝男の〟と大きく区切られてはいるが、本人を前にして同意もしにくいというものだ。
「じゃあ、俺は、同じ男に股間に顔を埋められて最悪ってところか」
一方、興に気に留めた様子はなく、そちら側としての、対になる発言をさらりとする。本人にすれば自分の股間とも取れるものだが、興にとっては気分を害すほどのことでもないらしい。
「それで、どうしたんだ?」
なにか可笑しく感じるとこでもあったのか、養護教諭はくすりと笑むと話を戻すように目的を聞いてきた。
「じょうろ貸して」
興の言い方は端的なものだった。けど、それで興がここに来たのが分かったのだが、何故それを求める先が保健室なのかが不明だ。
「じょうろ?」
当然というか、養護教諭は怪訝にした。
「こいつが手伝ってくれるっていうから」
またしても興の言い方は端的だ。しかも、疑問に答えていない。いや、答えているといえば答えているのか。
「手伝わせるんじゃなく?」
含まれているのを読み取ったのか、こちらもこちらで確認することもなく聞き返す。いまいち要領を得ないやり取りだが、会話として成立しているようだから問題はないのだろう。
「違う。こいつから言ってきたんだ」
ただ、入部や顧問に見つかることを快く思っていないながらここに来たということは、彼は顧問ではないということだ。
「本当か?」
「はい。一人じゃ大変そうだったんで」
養護教諭の確認に純は肯定した。
「そうか。手伝うのはいいが、程々にしとけよ。手伝うだけが入部ってことにもなるからな」
あっさりと信じてくれた養護教諭だったが、忠告も与えられる。
「そんなに無理矢理なんですか?」
興の入部の仕方と忠告に加え、さらに教師からもそんなことを言われては、さすがに純も不安になってしまうというもの。
「不良が入ってることで人気がないからな。興の他にもちゃんとやってくれる生徒を欲しがってるんだよ」
「よく来る奴が何人かいるけど、やっぱ毎日くるわけじゃねえからな」
養護教諭の発言からいくと、興以外に一般生徒はいないということになる。すると、興の言う〝よく来る奴〟というのは不良ということになるのではないか。不良らしく毎日ではないが、よく来ると言えるくらいには真面目な不良もいるらしい。どんな不良だと思うが、不良が花をいじっている姿は想像しにくい。
「興は毎日出てるのか?」
想像できそうでできない花と不良という不似合いな組み合わせからは意識を逸らし、純は聞いた。
「まあ、さぼるなって言われたし」
そういえば、花壇の所でも言っていた。
「不良がいて嫌じゃないのか?」
いくらさぼるなと言われているとしても、自分に目を付けている奴らと同じ部に入っているのは落ち着かないのではないか。
「嫌に決まってんだろ」
当たり前だとでも言いたげに興は言った。よほど嫌なのか、不愉快そうな面持ちにまでなっている。
「部活変えようとか思わないのか?」
いくら強制だったにしろ、自分の身というのを考えれば、そこにいる必要はないのではないか。
「思った」
興はすんなり同意した。けど、辞められない事情も持っていた。
「でも、顧問に辞めないでくれって懇願されたんで、仕方がなくいる」
きっと、不良がいることで入部がないため、顧問もちゃんと活動してくれる生徒が手放せないのだろう。だが、活動と生徒の身の危険では、秤にかけるまでもなく優先は決まっているような気がするのだが。
「でも……」
「さっきも言ったけど、真面目にやってる生徒を欲しがってるからな、あの人は」
自分の意見を言おうとした純だったが、それは遮られることになってしまった。
「興は言いつけ守ってちゃんと出てるし、手放したくないんだろ」
養護教諭だ。二人が言葉を交わしている時に窓辺を離れ、戻ってきたのだ。その手には、所望の物が持たれている。
「不良ばっかりで嫌だって言ってたな」
「だろうな。俺だってやだし」
大きめのじょうろの受け取りをしながら交わす二人は、問題にしていない軽い口調をしていた。
「でも、興だって危ないだろ」
そのことに、純は反論するように口を挟んだ。
興が絡まれていることを知らないのだとしても、注意しなければならない状況なはずだ。
「そこんところは、顧問がいっから大丈夫だ」
それに興が返したのは、対策済みであることだった。
「どうしてだ?」
けれど、純は納得しかねることだった。
顧問=教師がいることが、なにも不良の行動を抑制することにはならないだろうという思いがあったからだ。なっていれば、興だって絡まれ続けることになっていないはずだ。
けど、純のその思いは考えは過ぎでもあった。
「俺たち教師は抑制剤にもなってるんだよ」
状況を養護教諭が述べる。
「教師としての影響力は、まだまだあるってことだな」
「そうなんですか」
それなら、問題にしていないようであったのも頷ける。でも、ならば何故、興は目を付けられ続けているのか。
それも、答えは簡単だった。
「ま。だから陰で、なんてのが多いんだけどな」
養護教諭がそんな現状を付け足したのだ。というかだ。それは効果を果たしているとはいえないのではないか。
「そろそろ行くぞ」
と、そこで、興が入ってきた。
けどそれで、純もここへ来た目的を思い出した。こんな話をしにきたのではなく、手伝うための道具を借りにきたのだ。
「でも、興……」
しかし、重要と言えるようなことを話していた最中でもある。
「早くしないと終わんねえだろうが」
「あ、そうか」
指摘され、純は気付いた。
いくら手伝うとはいえ、作業開始が遅れれば、結局、終わるのは遅くなってしまう。
「行くぞ」
「あ、うん」
促した早々、歩き出した興に、純は頷いた。
「くれぐれも顧問に見つかるなよ」
「はい」
続けてなされた忠告に返事をし、純は興を追って駆けだした。
すぐに追いついた興の後ろに続いて歩いて行く。
「…………」
その背を見、純は本当にいいのか疑問に思った。
興は絡まれ続け、教師は抑制剤になりきれていないうえに自覚もしている。
教師は興の状況をちゃんと知っているのか。
でも、自覚もしていて、顧問がいることが不良への対策としているということは、口で言う以上に策が講じられているのかもしれない。
けど、クラスメイトとはいえ、会っても日も浅い相手に深く詮索をしてもいいものなのか。そんな懸念も出、気になりはしたものの、純は内心に留めておくことにした。
興に連れられて来たのは、寮だった。
寮の敷地内に入った純は周囲を見回した。
どこかに花壇があるのかと思ったからだ。興が受け取ったじょうろは純が使う物であったらしく、今は純が持っている。興は、先ほど花壇で使っていたホースを抱えている。
見回してすぐ、玄関の左右、窓の下辺りに花が咲いているのを見つけた。
「顧問に見つかんないようにすんなら寮が一番だろうから、ここにするぞ」
玄関先まで歩んで行きながら興は言った。
教師には、寮を担当する者以外、入寮する規則がない。そのため、それ以外の教師が寮に来ることはまずないという。つまり、園芸部の顧問は担当者ではないということだ。
「ここなら、終わったらお前はそのまま帰れるしな」
そこまで考えていたなんて。なんだか、手伝って楽させるはずが、逆に気を遣わせてしまっているようだ。
「んじゃ、まずは花壇から始めるぞ」
玄関前にある屋根がかかったその前で立ち止まると、興はさっそく作業のことに入った。
「終わったら、中に飾られてる花瓶と鉢。花瓶は水の交換で、鉢はただの水やり」
「花瓶や鉢なんて飾ってあったんだ」
作業の手順を説明する興に、純は感心してしまった。そんな身近な場所に花が飾られていたとは。
初めて知った反応を示す純に、興は呆れた眼差しになった。
「お前、なに見て歩いてんだよ。廊下とか、あちこちに飾ってあるだろ」
「え? うそ? そうだっけ?」
廊下とかなんて。そんな分かりやすい所にあっただろうか。
「階段の踊り場には必ずあるし、廊下にもちょこまか台が置いてあって飾ってある。玄関のそこにも、ほら、あるだろ」
「あ。ほんとだ」
玄関に視線を送ると小さく顎をしゃっくった興に純も見てみれば、確かに飾ってあるのが目に入った。
壁ぎわの棚の上、外からでも見て取れるくらいの大きな花瓶に、男子校の寮という場には不釣り合いなまでの盛大さで花が飾られている。
今、初めて気づいた。あれだけの大きさの物を、よく自分も気づかずにいたものだ。
「あれに気付かなかったってのも、どうかと思うけどな」
「はははは……」
気まずさで笑うしかない。
「じゃあ、始めるぞ」
だが、それ以上そのことに何かを言うことはなく、しかし、与えられた呆れは大きかったようで、呆れの吐息混じりに興は作業へと戻した。
「ホースとそれでやるのどっちがいい?」
「俺に使わせるためによこしたんじゃないのか?」
それとはじょうろのことだ。聞かれ、純は聞き返した。
「中での作業に、って思ってで、花壇のことまでは考えてなかったんだよ」
だから渡してきておいて選択させようとしたのか。でも、作業内容と用具からして、純は鉢への水やりだろう。
「これでいいよ」
純は選んだ。水を出してしまえば移動するだけでいいホースよりは効率は悪いが、じょうろも大きいし、それなりの広さにかけることができる。
「そうか。じゃあ、蛇口はそことそこにあるから。お前はそっちな」
興が指さしたのは玄関の横――左右にある水場だ。それから純の立っている位置に近い右側を指さして担当を指示する。
「分かった」
言葉で純は頷いた。
「じゃ、よろしく」
言って、興は左側の蛇口に歩き出した。
純も逆側へと動き出し、作業を始めることにした。
□□□
花だけなく根からも水を吸わせるため、土にも水をかける。
花壇が終わり、寮内のあちこちにあるという花瓶と鉢の作業に移っていた。
作業は二手に分かれ、純は予想通り鉢への水やりで、興は花瓶の水替えだ。その興は違う所にいる。
こうして意識してみれば、確かにあちこちに花は飾られていた。
玄関に始まり、廊下、食堂、談話室。普段から鍵が掛かっていって使うことも少ない部屋にはさすがに飾っていないというが、人の行き来があるところには必ず置いてあった。意外にあった数多さにも気づかずにいたなんて、自分がどれだけ気にしていなかったかが分かるほどだ。しかも、こんな感じで校舎にも飾られているという。案内をしてもらった時に一通り巡っていたはずだが、自分は何を見ていたのだろうか。
「純?」
怪訝そうにする声が聞こえたのは、次の鉢に移動し、言われた通りの目安で水をかけている時だった。
自分の名であることに視線を巡らせてみれば、良智と景一がいた。部活終わりなのか、制服ではなくスポーツウエアを着ている。首にタオルをかけている良智は、どこか驚いた表情をしていた。
「お前、何してんだ?」
景一も見慣れぬものを見たような面持ちでいる。
「何って、花に水やってんだけど」
二人して、何をそんな顔をすることがあるのか。歩み寄ってくる二人に、純は見た通りのことを答えた。
もしかして、園芸部にでも入ったと思ったのだろうか。二人は一年の時からいるし、園芸部の活動も分かっているはずだ。
「もしかして、園芸部入ったの?」
予想通り、良智はそう勘違いした。
「俺、園芸部はやめた方がいいって言ったはずだけど」
「違うって。手伝ってるだけだよ」
純は言った。
「手伝い?」
だけど、それでも問題があるような、信じられないことを聞いたような反応をした。まあ、手伝いも要注意というのだから、そうなっても仕方がないだろう。
「あ」
だがそこで、良智は何かを思い出した声を発した。
「阿部先生のこというの忘れてた」
きっと、その人が園芸部の顧問だろう。でも、ここでも顧問のことが出てくるなんて、生徒にも広く知れ渡っているようである。
「興から聞いたからいいよ」
興だけでなく養護教諭からも聞いた。
「聞いておいて手伝ってるのかよ」
「だって、一人で大変そうだったし」
端から見れば、純の行動は浅はかにも思えるかもしれない。
「それに、見つからないようにここで手伝ってるから、大丈夫だよ」
「……それなら、大丈夫かな」
「そうだな」
対策が取られていることを述べると、二人はいまいち得心しきれないように行動を認めた。
にしても、生徒にもこんな反応をさせるなんて、園芸部の顧問はどれだけ無理矢理なのか。
「そこまで無理矢理入れさせる人なのか? 園芸部の顧問って」
二人にも純は聞いてみることにした。生徒の立場からまた違うことが出るかもしれない。
「結構な」
「どっかに入ってるならまだしも、どこにも入ってないと入れようとしてくるらしいんだ。俺は初めから入るとこ決めてから何もなかったけど」
「手伝うのも要注意。俺はそれで危うく入れさせられるところだった」
手伝いは共通の危険行為らしい。それでは、手伝いと聞いた時の二人の反応が大袈裟なものになったのも納得がいく。しかも、経験者である景一はよほど苦い記憶でもあるのか、顔がしかめられまでする。
「さすがに、不良しかいないとこなんて絶対ヤだしな」
むしろ、好んで入る者などいない気がする。にしても、二人が入学してきた時から園芸部には不良しかいなくなっていたとは。
だったようだ。それも、入部前に知っているということは、早い段階で広まっていたことも分かる。
「ま。今日は仕方がないとして、次からは気をつけろよ」
「そうする」
というか、自分も部活を決めなければならないのだから、次はないような気もする。
と、良智が何かに気づいたような反応をした。
「それじゃあ、俺たち、先に戻ってるね」
そう言ってくる。
「ああ」
何を見たのか。了承するものの、純は内心で怪訝に思った。
だが、見たのがなんであるか。見送るというわけではないが、去って行く二人を視線で追ったことで、それを知ることになった。
純からすれば後ろを向くことになるその先に、興がいたのだ。二人は興に声をかけて通り過ぎていくが、他に誰もいないことから、彼に気づいたから去ることにしたのであることを察することができた。
良智と景一が去って行くと、バケツを持っている興が歩み寄ってくる。
「お前も戻るか?」
「俺から言い出したんだから、最後までやるよ」
友人といたということでそう聞いたのだろう興に、純は言った。じゃないと申し訳ない。
「そうか」
興の返答はそれだけだった。安堵も拒絶も、純が抱いた申し訳なさもない。
「それじゃあ、頼むな」
それでもそれは言い、興は純の横を通り過ぎて去って行った。
興は、二人が去って行った理由を察せているのだろうか。
そんなことを思ったが、聞く躊躇いもあり、純は遠ざかっていく背からじょうろの中を覗いて水の量を確認すると、作業に戻った。
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指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
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