86 / 98
高鳴る鼓動と裏切り
しおりを挟むいざ仕事が始まれば怒濤の忙しさで。
第一この日までバイトなんかして来なかった俺にいきなりの客商売。酒のつまみを作るだけって軽く考えていたのに、中条さんは楽しい方にすぐなびく。常連客に呼ばれればすぐに持ち場を離れ楽しげに酒を酌み交わす始末。結果、厨房は俺が一人で担うしかない。まるっきりの料理初心者の俺がだ。
必死こいて注文された料理を作っていたら、中条さんは申し訳程度の厨房と店を遮る暖簾からひょっこりと顔を出した。
「ちょっと~、まだ出来ひんの?手伝おうか?」
その言葉を聞いて俺は苛立った。何を言ってんだって。持ち場を離れて俺一人に調理押し付けて。酒を飲んでるのか頬を赤らめて呑気に聞いてくる。
「飲んでるんすか?ちょっと、俺に任せっきりで酷くないですか?この味付け俺分かんないですけど。醤油?ポン酢?」
「…… なんで怒ってるねん。味見してみて美味いかどうか自分で確かめて。」
「は?….そんなっ….」
そこまで言って俺は言葉を呑み込んだ。この人に何を言っても報われない気がしたからだ。
「なんやねん、しゃーないな、オレが作るし」
そう言いながら俺からフライパンを取り上げると中の料理を摘んでみる。
「ポン酢のほうがええな。」というとさっとひと掛けして皿に盛り付けた。そしてそれを手にすると暖簾の向こうへと消えていく。
その後も中条さんは厨房と店を行ったり来たり。10時を回ると俺にあがっていいよと声をかけてくる。
それを少し苦い顔で受け取ると「お先です」と言ってエプロンを外す。
「お疲れー」
その声を背中で聞きながら俺は扉を開けて出て行った。初日からこんなんじゃ先が思いやられそう。
肩を落としながら帰り道を歩いていると、ジャケットのポケットで着信音が鳴った。
画面に表示された名前に一瞬胸が熱くなりながら、ゆっくりと返事をすると、声の主は思いがけず明るい声で名前を呼んでくれる。
「ハルキ、バイトはどうだった?」
「…あ、今終わって帰るとこ。……思ったより大変だったよ。料理頑張んないといけないなって思った。」
「はは、急に料理って、そりゃあ大変だろうな。でも、続けられそうなら良かった、頑張れよ。」
「うん、……トンちゃんはまだ東京?」
「ああ、でも明後日には帰る。仕事が終わったら店に寄ってみようかな。」
「俺、10時までならいるけど。」
「多分間に合うよ。ハルキが終わる頃一緒に帰ろう。」
「え、…うん、楽しみにしてる。」
トンちゃんとの電話を終えると、俺は小走りで帰途を急いだ。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる