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歯痒い気持ち

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 俺が夕食を食べ終える頃、父さんが会社から戻ってきた。

 一瞬目が合ったが、どちらともなく視線は外されてしまい、無言のまま立ち去ろうとする俺に母さんの声が掛かる。

「トンちゃんの転勤、10月に決まったって。今のうちに大学の事とか相談しておきなさいよ。」

 
 振り返った俺は、母さんの身体越しに父さんの顔を見た。
トンちゃんが転勤すると聞いてどんな顔をしているんだろうかと確かめたかった気持ちもある。

「分かってる。聞いておくよ。」

 ひと言だけ云うとその場を離れたが、父さんの表情には何の変化もなかった。いつも通りの穏やかな顔だ。

 そう云えば、俺は父さんに叱られた記憶がない。その分母さんには叱られっぱなしだけど。
前はそんな事を気にもしなかったが、今思えば父さんの中にも秘密にしている心苦しさがあったのだろう。だから面と向かって俺を𠮟れなかった。

 でも、あの顔がトンちゃんを苦しめるんだ。
穏やかで優しくて、トンちゃんの気持ちを受け入れてしまった。ちゃんと拒絶すればこんな事にはなっていなかっただろうに。..............でも、俺も人の事は云えない。俺もトンちゃんを好きになってしまって、苦しめてしまったから。


 
 風呂に入った後で部屋に戻ると、トンちゃんが帰宅していた。
部屋の扉が開いたままだったので廊下を通る時に覗いてみると、ベッドの上に服を広げている。

「おかえり。どうしたの、服なんか広げて。」

 部屋の入口から声を掛けてみれば、トンちゃんはこちらを振り返った。

「ああ、ただいま。......明日大阪に出張だから、その用意をね。」

「そう、............10月から転勤なんだってね。母さんに訊いた。」

「うん、..........ハルキはこの離れにひとりで住むの?あっちの母屋に移ってもいいんじゃない?」

「.........んー、そうだけど。なんかめんどくさいし、俺はいいよ、ひとりでも。」

「そう?.......まあ、祐斗くんも遊びに来るし、こっちにいる方がいいか。」

「それは、.........」

 祐斗の事を云われると少し気が重くなる。
トンちゃんには祐斗に告白された事を云ったし、多分付き合っていると思ってるかもしれない。

「俺、ちゃんと勉強して大学行くよ。だからトンちゃんも頑張って。」

「うん、ありがとう。ハルキもね。」

 それだけを云うと俺は自分の部屋に戻って行った。

 どんどん別れの時期が迫ってくるが、今の自分にはどうしようもない。
学生であるという事が歯痒くてならなかった。


 
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