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第五章
護られしもの --最終話--
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暫くしてから、僕は峰子さんと出会うと母の日記を見てもらった。
ページをめくる度、峰子さんの瞳に光るものは止めどなく溢れて、頬を伝い流れる涙に誘われると、僕もまた想いに耽った。再度、母の愛を噛みしめ峰子さんのアパートを後にする。
美乃利さんに伝えるべく、したためた手紙を投函してから暫く経つ。
返事が来なくてもいいと思った。きっとショックを与えてしまった。母の辿った人生を美乃利さんも同じように送るとは思えないが、それでも事実を知っているのと知らないのとでは大きく違う。
美乃利さんには傷付いてほしくない。明るく聡明なまま、女性としての人生を歩んで欲しいと願っている。
「奥村くん、その資料作成終わったらこっちのもお願いね。」
「はい、分りました。」
デスクに積み上げられたファイルは今にも崩れそう。それを気にするでもなく、水野さんはもう一段積み上げるとニコリと笑みを落とす。相変わらずの鬼っぷり。
それでも、あんな事が分かったのに僕には変わらずに接してくれている。そこは有難いと思う。
年の瀬となり、街ゆく人もコートの襟を立てて足早に舗道を行き交う。
僕は金曜日の残業を終えると、凍える手を擦りながらマンションのポストから郵便物を取り出した。
明日は休日。心なしか気持ちは踊っている。とはいえ出掛ける予定はないが。
片手に下げた弁当の入ったコンビニ袋を持ち替えて、DMハガキやチラシを避けていくと一通の封筒が。
それは、すずらんの花のイラストが描かれていて、裏を返せば差出人の所に〔真壁美乃利〕とあった。
視線が定まると名前を再確認する。が、やはり美乃利さんからの物で。
複雑な気持ちのまま、手紙をしっかりと握りしめて部屋に戻ると、静かにテーブルの上に置いた。
暖房のスイッチを入れてから、暫しテーブルの上の封筒を眺めてみる。コートを脱いで椅子の背に掛けると腰を降ろしたが、なんとなく直ぐには開ける事が出来なかった。
取り敢えず腹ごしらえをしよう、とひとり呟いて弁当とお茶を用意する。
いつもの事だったが、今日は目の前に美乃利さんからの手紙があるというだけで、ほんの少し背中に緊張が走る。
箸を伸ばして弁当の肉を頬張りながら、視線の端にある手紙を避ける様にして食事をとった。
多分、いつもよりは早く食べていた気がする。お茶を飲んでホッと息をついて壁に掛かった時計を見たら15分しか経っていない。気乗りはしなくても、手紙を無視する事も出来ずに気が急いていたのかも。
弁当の容器を流しに置くと、いよいよ気持ちを固めて椅子に座り封筒を手に取る。
胸がドキドキと高鳴っているのが分かる。変な緊張だ。責める言葉がつづられていたらどうしよう。
恐るおそる封を開けて中の手紙を取り出した。
美乃利さんの字は、少し丸い字体でかわいい感じだ。最近はプリントされた文字ばかり見ているから新鮮に感じるが、この手紙はそんな癒される様な物でない事は分かっている。
[ 背景 如何お過ごしでしょうか。お手紙をありがとうございました。お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。]
この前文からは、彼女の緊張が伺える。
[ おばさんの部屋で、あの原稿用紙を読んだ時よりも衝撃的な事実に、正直私の頭がついて行けなくて、今までペンをとる事も出来ずにいました。それとは別に、行方の分からなかった祖父のお姉さんが近くに居るという事に驚きました。そして、少しだけ安心しました。そこは父にも知らせようと思っています。
私は、祐二さんのお手紙にあった事を全て父や母に伝えようとは思っていません。
祖父母の事やあの原稿用紙の事は、知らせなくてもいいものだと思いました。だから、今度実家に行った時に原稿用紙はまとめて祐二さん宛に送ろうかと思います。
おばさんの想いを知って、私も心を強くもって生きていこうと思いました。今度、祐二さんと会える時を楽しみにしています。どうかお体を大切に、また会える日まで。 美乃利 ]
長い文面ではなかったが、読んでみて僕の中でホッとする部分があった。
祖父母の事故は偶然と思いたい。それは僕も同感。美乃利さんが知っていてくれればそれでいい。
正直、どんな文章が書かれているのか不安もあったが、読み終わった僕は身体の力が抜ける。安心した。
丁寧に手紙を封筒にしまい、母の写真の前にそっと置く。
なにか声を掛けようかと思ったが、言葉は見つからなかった。でも、気持ちは澄んでいた。僕の中に陰りは無く、今はただ母が安らかに微笑んでくれていると思いたい。
僕を護って生きてきた母をこれからも尊敬していきたいと思った。
清々しい気持ちで母の部屋を後にすると、テーブルの上でスマホが鳴る。
「はい、.....どうしました?」と電話の主の水野さんに訊ねた。こんな夜に電話があるのは大体想像出来たが、そう訊いてみる。
「あーっ、奥村くん、.....悪いけど、明日急ぎの仕事が入った。」
いつもの声のトーンで云われる。
「.......またですか?.......」
「ごめーん、クライアントが月曜に持って来いっていうからさ。部長にも間に合う様にって釘刺されて。」
「.........ひとりで出来ないんですか?」
「冷たい事云わないの!ご飯は奢るから、ね?お願い。」
「..........分かりました。ひとつ貸しという事で。」
「ありがと~~~っ!じゃあね、おやすみ。」
「はい、おやすみなさい」
通信が切れると僕は大きな溜め息をつく。せっかくの清々しい気持ちが何処かに行ってしまった様で。
肩を落とすと風呂の準備をする為に浴室へと向かう。
美乃利さんからの手紙で、それ迄抱いていた不安や恐怖からは逃れられたし、仕事以外では、漸く僕も平和な日々が送れると思っていた。
そう、この時は...........。
** 最後までお読みいただき有難うございました。スケープゴートはここまで。
奥村祐二と水野さんの物語は、また別のお話で続きます。
よろしくお願い致します。
ページをめくる度、峰子さんの瞳に光るものは止めどなく溢れて、頬を伝い流れる涙に誘われると、僕もまた想いに耽った。再度、母の愛を噛みしめ峰子さんのアパートを後にする。
美乃利さんに伝えるべく、したためた手紙を投函してから暫く経つ。
返事が来なくてもいいと思った。きっとショックを与えてしまった。母の辿った人生を美乃利さんも同じように送るとは思えないが、それでも事実を知っているのと知らないのとでは大きく違う。
美乃利さんには傷付いてほしくない。明るく聡明なまま、女性としての人生を歩んで欲しいと願っている。
「奥村くん、その資料作成終わったらこっちのもお願いね。」
「はい、分りました。」
デスクに積み上げられたファイルは今にも崩れそう。それを気にするでもなく、水野さんはもう一段積み上げるとニコリと笑みを落とす。相変わらずの鬼っぷり。
それでも、あんな事が分かったのに僕には変わらずに接してくれている。そこは有難いと思う。
年の瀬となり、街ゆく人もコートの襟を立てて足早に舗道を行き交う。
僕は金曜日の残業を終えると、凍える手を擦りながらマンションのポストから郵便物を取り出した。
明日は休日。心なしか気持ちは踊っている。とはいえ出掛ける予定はないが。
片手に下げた弁当の入ったコンビニ袋を持ち替えて、DMハガキやチラシを避けていくと一通の封筒が。
それは、すずらんの花のイラストが描かれていて、裏を返せば差出人の所に〔真壁美乃利〕とあった。
視線が定まると名前を再確認する。が、やはり美乃利さんからの物で。
複雑な気持ちのまま、手紙をしっかりと握りしめて部屋に戻ると、静かにテーブルの上に置いた。
暖房のスイッチを入れてから、暫しテーブルの上の封筒を眺めてみる。コートを脱いで椅子の背に掛けると腰を降ろしたが、なんとなく直ぐには開ける事が出来なかった。
取り敢えず腹ごしらえをしよう、とひとり呟いて弁当とお茶を用意する。
いつもの事だったが、今日は目の前に美乃利さんからの手紙があるというだけで、ほんの少し背中に緊張が走る。
箸を伸ばして弁当の肉を頬張りながら、視線の端にある手紙を避ける様にして食事をとった。
多分、いつもよりは早く食べていた気がする。お茶を飲んでホッと息をついて壁に掛かった時計を見たら15分しか経っていない。気乗りはしなくても、手紙を無視する事も出来ずに気が急いていたのかも。
弁当の容器を流しに置くと、いよいよ気持ちを固めて椅子に座り封筒を手に取る。
胸がドキドキと高鳴っているのが分かる。変な緊張だ。責める言葉がつづられていたらどうしよう。
恐るおそる封を開けて中の手紙を取り出した。
美乃利さんの字は、少し丸い字体でかわいい感じだ。最近はプリントされた文字ばかり見ているから新鮮に感じるが、この手紙はそんな癒される様な物でない事は分かっている。
[ 背景 如何お過ごしでしょうか。お手紙をありがとうございました。お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。]
この前文からは、彼女の緊張が伺える。
[ おばさんの部屋で、あの原稿用紙を読んだ時よりも衝撃的な事実に、正直私の頭がついて行けなくて、今までペンをとる事も出来ずにいました。それとは別に、行方の分からなかった祖父のお姉さんが近くに居るという事に驚きました。そして、少しだけ安心しました。そこは父にも知らせようと思っています。
私は、祐二さんのお手紙にあった事を全て父や母に伝えようとは思っていません。
祖父母の事やあの原稿用紙の事は、知らせなくてもいいものだと思いました。だから、今度実家に行った時に原稿用紙はまとめて祐二さん宛に送ろうかと思います。
おばさんの想いを知って、私も心を強くもって生きていこうと思いました。今度、祐二さんと会える時を楽しみにしています。どうかお体を大切に、また会える日まで。 美乃利 ]
長い文面ではなかったが、読んでみて僕の中でホッとする部分があった。
祖父母の事故は偶然と思いたい。それは僕も同感。美乃利さんが知っていてくれればそれでいい。
正直、どんな文章が書かれているのか不安もあったが、読み終わった僕は身体の力が抜ける。安心した。
丁寧に手紙を封筒にしまい、母の写真の前にそっと置く。
なにか声を掛けようかと思ったが、言葉は見つからなかった。でも、気持ちは澄んでいた。僕の中に陰りは無く、今はただ母が安らかに微笑んでくれていると思いたい。
僕を護って生きてきた母をこれからも尊敬していきたいと思った。
清々しい気持ちで母の部屋を後にすると、テーブルの上でスマホが鳴る。
「はい、.....どうしました?」と電話の主の水野さんに訊ねた。こんな夜に電話があるのは大体想像出来たが、そう訊いてみる。
「あーっ、奥村くん、.....悪いけど、明日急ぎの仕事が入った。」
いつもの声のトーンで云われる。
「.......またですか?.......」
「ごめーん、クライアントが月曜に持って来いっていうからさ。部長にも間に合う様にって釘刺されて。」
「.........ひとりで出来ないんですか?」
「冷たい事云わないの!ご飯は奢るから、ね?お願い。」
「..........分かりました。ひとつ貸しという事で。」
「ありがと~~~っ!じゃあね、おやすみ。」
「はい、おやすみなさい」
通信が切れると僕は大きな溜め息をつく。せっかくの清々しい気持ちが何処かに行ってしまった様で。
肩を落とすと風呂の準備をする為に浴室へと向かう。
美乃利さんからの手紙で、それ迄抱いていた不安や恐怖からは逃れられたし、仕事以外では、漸く僕も平和な日々が送れると思っていた。
そう、この時は...........。
** 最後までお読みいただき有難うございました。スケープゴートはここまで。
奥村祐二と水野さんの物語は、また別のお話で続きます。
よろしくお願い致します。
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