葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝

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剣風吉野原

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 陣幕の外では、あちこちで乱戦が起きていた。

 政龍の供をして来た藩士たち約三十人のほとんどは、小田内膳が選んだ小田派の人間たちである。その中に、宇佐美と同じく大鳥派であることを隠していた小姓組の神田三十郎と、どちらの派にも属していない藩士三人を、宇佐美が強引に入れた。
 彼らは、城戸流斎の家士たち十数人と共に陣幕の外で休憩しながら待機していたのだが、南条と清兵衛が陣幕内に飛び込んだのに続いて宇佐美三之丞と今井一馬も血相を変えて駆け込んだのを見て、一体何事が起きたのかとざわついていた。
 すると、陣幕内で刃のぶつかる音が響き始めたところで、刀を握っている宇佐美三之丞が政龍を守りながら陣幕から出て来た。
 宇佐美三之丞は、藩士たちに向かって言い渡した。

「城戸流斎、小田内膳の二人が先の殿を毒殺したことが明らかとなった。上意により城戸流斎と小田内膳を討つ! また、城戸流斎の家来衆も連座である。皆、城戸流斎の家来どもを討て!」

 流斎の家士たちは顔を険しくし、供の藩士たちは突然のことに呆然としている。
 藩士たちのほとんどは小田派である。だが、小田内膳が上意討ちと決まった今、どうするべきかと判断に困って顔を見合わせたりしていると、

「聞こえぬのか!」

 と、政龍が進み出て、大声で一喝した。
 これまでに見せたことの無い政龍の姿に宇佐美が驚いていると、政龍は更に続けた。

「叔父上と小田内膳は我が父を毒殺した大罪人じゃ! 上意である、奴らに加担する者は全て討て!」

 少年らしからぬ凄まじい気魄を見せた。
 宇佐美は微笑むと、すぐに厳しい表情になり、付け加えて叫んだ。

「これまで内膳に味方していた者どもも、今動けばこれまでの事は赦すぞ!」

 すると、これで迷いが吹き飛んだのか、藩士たちが一斉に抜刀して、流斎の家士たちに斬りかかった。
 流斎の家士たちには、影虎組の人間たちが加勢に駆けつけ、たちまち血煙の舞う乱戦となった。

 今井一馬はそんな中に出て来たのだが、乱戦の渦中を見回して舌打ちした。

「いない、どこへ行った」

 目的の男はいなかった。
 吉野原は緩やかな傾斜になっている。
 一馬は乱戦から離れて少し高い所へ走り、周囲を見回した。
 すると、見つけた。
 小田内膳が中間ちゅうげん一人と共に下の方へ走っている。その先には馬が一頭、木に繋がれているのが見えた。

「逃がさんぞ」

 血走った目を更に怒らせた今井一馬は、吉野原の黒い疾風となった。
 そして、ちょうど中間の者が馬の準備をしようとしているところに追いつき、一馬は背後から飛び蹴りを食らわせた。
 中間が吹っ飛んだところへ、一馬は素早く抜刀して一気に斬り捨てると、小田内膳をぎろりと睨んだ。
 青ざめた顔をしていた小田内膳は、返り血塗れの上に狂気じみた眼光をぎらつかせている一馬を見て震え上がった。

「あ、あ……ま、待て、待ってくれ」

 小田内膳は手を上げながら後ずさりした。

「待つ? そうだな、冥土で大鳥さまたちが貴様を待っているぞ」
「頼む、見逃してくれ!」
「恥を知れ!」

 一馬は内膳に飛び掛かると、

「報いを受けろ!」

 と、大上段から剣を振り下ろした。
 真っ赤な血がパッと噴き上がり、内膳は悲鳴を上げながら倒れた。

「う、う……」

 広がって行く血だまりの中、激しい苦痛にもがく内膳を見下ろし、一馬は吐き捨てた。

「とどめは刺さねえ、精々苦しめ。貴様はそれでも償い足りないぐらいだ」



 ――皆、やられて行く……こちらの不利だ。

 りよは、焦りを感じていた。

 宇佐美が配置していた大鳥派の生き残りの藩士と旧笹川組の者たちは、合計して十五人。対して流斎側は家士たちと影虎組全員を合わせて四十人近くおり、当初の人数においては圧倒的に有利であった。
 だが、政龍に供をして来ていた小田派の藩士たち約三十人のほとんどが寝返ったことで、形勢は一気に変わった。
 それでも人数上ではほぼ互角だったのだが、旧笹川組の者たちが皆、元幹部級の達人揃いであったことが響いた。旧笹川組の者たちが使う本物の術に影虎組は太刀打ちできず、あちこちで野に鮮血を散らして倒れて行く。
 こうして流斎側はじわじわと劣勢になって行き、壊滅するのはもはや時間の問題と見えた。

 各所で組の者たちを指揮しながら自らも剣を振るうりよの耳に、今朝流斎が言った言葉が響いた。

「よいな? 絶対に政龍を斬るのだ。"たとえその時に儂が斬られていたとしてもだ"」

 ーー義父ちち上は、己が死ぬのならば備後守さまも道連れにしてやる、と言うほどの執念……それは正しいとは言えない。だけど、だけど……。

 りよは迷いに苦悩した。
 だが、傾斜の下の方で三番隊がほぼ壊滅したのを見て、更にその奥で豆粒ほどにも見える二人が走っているのを見つけて、反射的にその場を離れて駆け出していた。

 その豆粒ほどの二人は宇佐美三之丞と藩主備後守政龍である。二人は馬のある場所を目指して走っていた。
 政龍は当然、輿に乗って来ているのだが、宇佐美や他数名が乗って来ている馬がある。
 だが、乱戦の中を縫ってその馬を繋いでいた場所に辿り着いた時、二人は愕然とした。
 馬は三頭あったのだが、その三頭全てが殺されていたのだ。見張り番の者も側で絶命していた。

「奴ら、誰も逃がさぬように最初のうちに手を回していたか」

 宇佐美が悔し気に歯噛みした。瞬間、宇佐美は咄嗟に気配を感じて「殿!」と、政龍の背中を隠すようにして背後に回り、身を伏せようとした。
 しかし伏せきる前に、宇佐美の背中に棒手裏剣が三本、次々と刺さった。

「うっ……」

 激痛に呻きながらも、宇佐美は政龍を地面に伏せさせ、背後を振り返った。
 二十間ほど向こうに、城戸流斎が家来五人を連れて立っていた。
 流斎は、乱戦の中を潜りながら、執拗に政龍を探して走り回っていたのだった。

「見つけたぞ、政龍!」

 城戸流斎は鬼の形相で叫ぶと、自ら剣を握り先頭を切って走って来た。その後に家来たちもそれぞれ剣を取って続いて来る。

「殿、お逃げくだされ!」

 宇佐美が立ち上がりながら政龍を促した。

「そなたを残して一人だけ逃げるわけにはいかん」

 政龍は顔を青くしながらも気丈に言った。

「甘いことを! 殿が死んでしまったら……それこそあの男の企み通りになってしまうではございませぬか! あの男の野心を防ぐ為にこれまで大鳥さまたちは戦い、死んで行った。皆の死を無駄するおつもりか!」

 宇佐美が一喝すると、政龍は目が覚めたような顔となり、

「わかった、宇佐美、すまぬ」

 と、反対側へと走り出したのだが、その近くにある木の上から一人の濃紺装束の男がスッと飛び降りて来るや、政龍に向かって駆けて来た。
 政龍も剣術の修行はしている。咄嗟に抜刀して構えたが、政龍は少年で向こうは忍びの訓練をしている大人である。動きを見ても力の差は一目瞭然で、政龍は迫って来た男が振りかぶった剣の下に倒れるかと思われた、がーー
 そこへ、何者かが矢の如く飛び込んで来てその剣を打ち払った。飛び込んで来た者はそのまま素早い連撃を繰り出して濃紺装束の男を血に沈めると、息を切らしながら政龍を見た。

「殿、お怪我はございませぬか?」
「黒須!」

 政龍の顔がぱっと輝いた。
 脚の痛みを必死に堪えながら走りに走り、ようやく吉野原に着いた新九郎であった。

「なに、黒須?」

 宇佐美が振り返った。
 だが、宇佐美の前に城戸流斎たちが迫って来ているのを見て、

「宇佐美さま、ここは私が食い止めます、殿を!」

 と、新九郎は走って宇佐美の前に出た。

「すまぬな」

 代わって宇佐美が下がる。

「黒須新九郎か、どこまで儂の邪魔をするのだ!」

 流斎は更に怒りに狂った顔で突進して来た。

 ――六人か……だが何としてもでも殿は守る。俺は城戸の武士だ。

 新九郎は正眼に構えた。
 すでに命は捨てる気でいた。
 一対六など、到底生きて逃れられる状況ではない。それでも、少しでも政龍と宇佐美が逃げる時間を稼ぐつもりであった。
 しかし、そこへ聞き覚えのある声が響いた。

「やるぞ、新九郎!」

 全身あけに染まった南条宗之進が右手から駆けつけて来たのだ。
 更にその向こうからは今井一馬も走って来ている。

「南条さん、一馬!」
「後手に回るな、こっちから攻めろ!」

 南条が跳躍して横合いから斬りかかって行った。
 新九郎の全身に力がたぎるように沸いた。新九郎は敵中に飛び込み、剣を縦横に閃かせた。
 だが、その斬り合いの中から抜けて走り出した者を見つけて、新九郎はそちらへ走った。
 それは、政龍を追いかけて行こうとしている城戸流斎であった。

「奸賊、待てっ!」

 新九郎は追い付くと咆哮して、流斎の背に斬りかかった。
 流斎は咄嗟に振り返って斬撃を受け止め、とんとんと飛び退いて構えた。
 元々病で頬がこけている流斎の顔は、計画の失敗による無念と、それでも政龍を殺して取って代わると言う執念で、悪鬼羅刹と化していた。

「黒須……邪魔をするなら叩き斬るぞ!」

 流斎は怒号して右から左へと水平の薙ぎを放って来た。
 新九郎がそれを撥ね返すと、流斎は角度を少し変えて同じ薙ぎを打つ。新九郎は再び打ち返すと、一歩下がって正眼に構えた。
 流斎もまた肩で息をしながら正眼に構える。流斎も若い頃には直心影流じきしんかげりゅうを修行しているそれなりの達人である。構えには乱れが無く、刃先もぴたりと止まっている。

 だが、焦りからなのか、流斎は呼吸を整え終える前に斬りかかって来た。
 新九郎も剣を振りながら前に出て、二人は飛び散った剣花の中で交錯して離れた。
 息をつかず、流斎は更に剣を上段に振りかぶった。
 新九郎は一歩引いて剣を背の後ろに隠す脇構えにした。その奇怪な構えを見て、流斎の動きが一瞬鈍った。その隙に、新九郎の背から白銀の刃光がしなるように駆けのぼった。
 流斎は一歩飛び退き、その斬撃を叩き落そうと剣を振り下ろした。
 だが、新九郎の剣は更に大きく伸びて、流斎の剣が落ちる前に流斎の腹を斬り裂いていた。

「うっ……」

 苦悶によろめいて剣を下げた流斎に、新九郎は前に出て返す刀を袈裟に斬った。
 流斎は自身の血を撒いた地面の上に崩れ落ちた。

「城戸家初代、頼龍公より授けられ、代々受け継がれて来たわざだ。頼龍公に叱られたと思うんだな」

 新九郎は、広がって行く血だまりの中でもがく流斎を見下ろした。
 流斎は未だ憎悪に満ちた目で新九郎を睨み上げていたが、すぐに瞼も落ちて、激しい呼吸を繰り返した末にそれも止まって完全に動かなくなった。

「終わった……」

 新九郎は血振りをしながら大きく息を吐いた。
 そして政龍と宇佐美が走って行った方を見やったのだが、その瞬間に新九郎は顔色を変えた。

 政龍を守りながら走っていた宇佐美三之丞が、突然倒れて両ひざと両手をついたのだ。
 宇佐美の背には、三本の棒手裏剣が刺さったままである。
 政龍は腰を屈めて、宇佐美に何か声をかけていたが、その政龍を目掛けて、一人の濃紺装束の男が飛ぶように駆けて来ていたのである。

「殿っ……!」

 新九郎は剣を握ったまま走り出した。
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