57 / 61
決闘
しおりを挟む
「黒須さまが我が家で目を覚ましたあの時はたまたま出かけておりました……私の妻です」
清吉が言うと、女性はぽっと顔を赤らめてその場で両手をついた後、
「あら、お茶も出してないの。すぐに淹れますので」
と、呆れ顔で台所へ立った。
清吉はその細い後ろ姿を見ながら、
「認めます。私は井畑良謙に師事して医術を学んでいた、清兵衛です」
「やはり……」
「師の良謙が先の殿に毒を盛っていたことは、当時は全く知りませんでした。ですが、井畑先生が城戸家の侍医をやめて江戸に向かう時に、全てを話してくれたのです。恥ずかしいことですが、先生は金と女に関する何らかの弱みを小田さまに握られ、それで脅されて毒殺に加担したようです」
井畑良謙が女好きでしかも浪費家だったことは有名である。
「ですが、実際に先のお殿様がお亡くなりになると、その事の重大さを改めて認識し、罪悪感に苦しんでおりました。また口封じに殺されてしまうのではないかとも恐れ、とうとう耐えられなくなって医者をやめて江戸に行ったのです」
清兵衛は下を向いたまま淡々と話す。
「その事を聞いた時に、私も毒殺に手を貸していたことを知って愕然としました。薬の調合は全て先生の指示を受けて私が行っており、その材料の中には先のお殿様に使っていたと思われる芹もあったからです」
「おお」
「そして、私も罪悪感に苛まれた末、医者を志すのをやめました。医術を悪用して人を殺めた者が、人を救う医者になっていいわけがない……」
「…………」
「それから私はずっと、いつか時が来たら先生と私の悪事を告白してその罪を償おう、と思っておりました。ですが……」
その時、台所から清兵衛の妻が茶を盆に乗せて持って来た。
「こんな田舎なもので味は良くないですがどうぞお召し上がりください」
妻女は茶碗を三人の前に置くと、にこにこと笑って、
「では、洗濯をしてきますので」
と、大きい腹をさすりながら土間から外へと出た。
「そう……償いたい、と思っておりました。ですが今は……」
清兵衛は、そこから言葉につまって無言となった。
新九郎と南条も、そんな清兵衛を見て何も言えずにいたが、南条が両ひざを叩いて、
「罰せられる可能性は確かにある。だが、ここで清兵衛どのが俺たちと一緒に来てくれて殿を救えれば、その功でお咎めはなくなるかも知れない。それに、清兵衛どのは知っていて毒殺を手伝ったわけじゃないから直接の罪は無い。もし処罰されることになっても、俺たちが宇佐美さまに掛け合って、清兵衛どのの罰が極力軽くなるようにしてみせる」
新九郎も続いて、
「そうです。先程、清兵衛どのは人を殺めた者が人を救う医者になっていいわけがない、と言われたが、本当はその逆ではございませぬか? 人を殺めた罪は人の命を救ってこそ償える。こういう考え方もあるのではないでしょうか?」
「…………」
「このままでは、今の殿が殺められてしまうのです。先の殿が毒殺されたことを知っているあなたが、今の殿も同じように毒殺されてしまうのを見過ごすのですか?」
その言葉を聞いて、清兵衛の目に光が灯った。清兵衛はふっと微笑んで、
「ああ……目が覚めた思いです。わかりました、共に参りましょう。少々お待ちいただけますか?」
清兵衛は隣の座敷に行くと、一冊の帳面を持って戻って来た。
「これは、井畑先生が江戸に行く時、先生から預かった診察や研究の記録です。実はこの中に、先の殿に毒薬を使ったことが小さく書かれているところがあります」
「え?」
新九郎と南条は息を呑んだ。
「ここです」
清兵衛は、ぱらぱらと紙をめくって、該当の箇所を見せた。
そこには小さい字だがはっきりと藩主に毒薬を使ったことが書かれていた。
「先生も、いつかはこの罪を償おうと思って書き記していたようです。そして、私にこれを預けた時に言いました。藩は今後混乱や争いが起きるかも知れん。その時にこの記録が役に立つことがあったら遠慮なく使え、と。それで私に討手が来て命を落とすことになっても恨みには思わん、報いだ、と」
清兵衛はため息をつき、
「これを差し出した上に私が証言すれば、何よりの証拠となるでしょう」
南条は、良謙の癖のある文字で書かれたその部分を見ながら、
「いいぞ。小田内膳の指示と言うことも書かれている。これを突きつければ奴らは終わりだ」
「すぐに吉野原に向かいましょう」
新九郎は勢いよく立ち上がった。
清兵衛は、身重の妻に心配させぬように上手く言い繕うと、良謙の記録を持って新九郎と南条と共に家を出た。
日が高くなって来た。
大体五つ頃(およそ八時)と思われた。鷹狩りが開始される五つ半まではあと半刻(およそ一時間)。
場所の吉野原までは、今進んでいる街道を真っすぐに行けばちょうど半刻ほどで到着できる。際どいが何とか間に合う計算だ。
だが、左右に林が迫り、道幅が少し狭くなっているところまで来た時であった。
新九郎、南条、共に空気の乱れを感じた。新九郎は咄嗟に屈み、南条も清兵衛の腕を引っ張って清兵衛の身体ごと倒すように身を伏せた。
その上を、数本の棒手裏剣が飛び交って行った。
新九郎は更に右に転がった。その脇をまた銀線が疾って行く。
「出て来い!」
新九郎は立ち上がり、素早く抜刀して左右の林を睨み回した。
南条も抜刀して、恐怖に強張っている清兵衛を背に隠すようにしてじりじりと後ずさった。
左右の林の中から、およそ七、八名の濃紺装束の者たちが姿を現した。
「ここまで来て不意打ちとはどこまでも卑劣な」
新九郎が吐き捨てると、濃紺装束の者たちは刀を並べて一斉に襲い掛かって来た。
「清兵衛どの、俺の後ろから離れるな」
南条は言うと、飛んで来た二本の剣光を同時に躱して一人を蹴飛ばし、もう一人に突きを入れて下がらせ、その背後から跳躍して来た新手を神速の斬り上げで落とした。
しかし、清兵衛を庇いながら多人数を相手に戦うのは流石の南条にも厳しかった。しかも、敵はわかっているらしく、明らかに清兵衛を狙うように動いて来るのだ。
そしてついに、南条の隙を潜って背後に回り込んだ敵の一人が、清兵衛に向かって刀を振り上げた。
だが、刀は振り下ろされることなく地面に落ち、敵は膝から崩れ落ちた。
後ろから、全身が土埃と血痕に塗れ、血走った眼で鬼のような形相をした小柄な男が姿を現した。
必死の斬り合いの真っ最中であったが、気配を察してちらと振り返った南条と新九郎は、共に驚いた。
「一馬!」
長らく行方がつかめていなかった今井一馬であった。
「生きてたのか!」
一馬は、はぁはぁと息を乱しながら、
「吉野原で鷹狩りが行われると聞いて、絶対に何かあるはずだと思って密かに向かってたらちょうど……良かった」
そして剣の血を振り払うと、
「よくわからんが、この人を守ればいいですか? 俺はもう力が残ってないけど一人を守るぐらいならできる。南条さん、新九郎、存分に戦ってくれ」
と言って、清兵衛を自分の後ろに回らせた。
「助かったぜ、一馬!」
思わぬ助太刀に南条は喜び、全身も奮い立った。
南条は半身に構えると、次々に襲い来る影虎組の者たちの攻撃をひらひらと躱しながら、旋風の如く前後左右に刃光を舞わせ、大地に鮮血を降らせて行った。
新九郎もまた、思わぬところでの一馬との再会で、力を得た思いをした。
迫って来た敵の袈裟斬りをすれすれで躱すと同時に胴を斬り裂き、右から飛んで来た敵の斬撃を撥ね返すと返す刀で神速の突きを入れた。
こうして、数では劣勢であったのが、一気に新九郎と南条が押し始めた。
しかしその時、場の空気が禍々しく変わった。
「やはり俺が来てよかったか」
新九郎が斬り伏せた敵の背後、林の奥から濃紺装束の大男が現れた。
彼らの頭領の虎、であった。
新九郎の眼前にはまだ濃紺装束の男が一人いた。男が新九郎に斬りかかって来るのと同時、虎も気合いを発して大刀を突いて来た。
新九郎は飛び退いて避け、更に一段飛び退いて次の攻撃をも躱すと、右に回り込んで虎じゃない方の男の脚を左から右へと斬り、引く刀で胴も斬り裂いた。
「…………」
新九郎と虎、一対一の形となった。
互いに睨み合って剣を構えているところへ、南条が駆けつけて来た。それを見て驚いた虎へ、南条が笑って言った。
「てめえの部下は全部片づけた。相手が悪かったな」
南条の背後には、濃紺装束の男たち六人ばかりが互いの血を混じらせながら倒れていた。
「次はてめえだ」
と、血振りして剣を構え直した南条に、新九郎が叫んだ。
「南条さん、この男は俺が斬ります。南条さんと一馬は清兵衛どのを連れて早く吉野原へ行ってください!」
「なに?」
「今のでかなり時間を食ってしまってすでに鷹狩りに間に合わない!」
「そうだけどよ、そいつはかなり使うぞ。どうせ遅れてるならここで一緒にそいつを片付けてから行く方がいい」
南条は鳥原山でも虎を見ているのでわかる。
怪力を持った巨躯ながらも敏捷性も備え、おまけに忍びの技まで使うこの虎は、南条と新九郎の二人でかからなければ無理であろう。
「いや、南条さんと二人でかかればこいつは必ず逃げる。そして鷹狩りの吉野原に行かせてしまう。そこにはきっとこいつらの仲間がいるはずです。その頭領であるこの男をここで斬っておけば、あの連中の吉野原での動きも少しは抑えられる」
「なるほど、だけどな……」
「それに、俺はこいつと一対一で戦い、俺の手で斬りたいんです。大鳥さまを斬ったこの男を!」
新九郎の瞳が爛々と燃え、全身から闘気が立ち上った。
その姿に、藤之津の船の上で鮮やかな技を見せた時の新九郎が重なった。
「わかった、必ず吉野原に来いよ」
南条は頷くと、一馬と共に清兵衛を連れて街道の先へと走った。
虎はそれを横目でちらりと見送ると、ふんっと鼻で笑った。
「なめやがって。南条ならともかく、貴様が一人で俺を斬れると思ってるのか?」
「一人じゃない」
「何?」
「斬る前に一つ訊いておきたい。お前は何故流斎さまに従い、その悪事に手を貸してるんだ?」
新九郎は、平青眼に剣を構えた。
その切っ先の向こうで、虎がにやっと笑う。
「単純な理由よ。流斎さまが俺を忍びとして使ってくれ、笹川組を復活させてくれるからだ」
清吉が言うと、女性はぽっと顔を赤らめてその場で両手をついた後、
「あら、お茶も出してないの。すぐに淹れますので」
と、呆れ顔で台所へ立った。
清吉はその細い後ろ姿を見ながら、
「認めます。私は井畑良謙に師事して医術を学んでいた、清兵衛です」
「やはり……」
「師の良謙が先の殿に毒を盛っていたことは、当時は全く知りませんでした。ですが、井畑先生が城戸家の侍医をやめて江戸に向かう時に、全てを話してくれたのです。恥ずかしいことですが、先生は金と女に関する何らかの弱みを小田さまに握られ、それで脅されて毒殺に加担したようです」
井畑良謙が女好きでしかも浪費家だったことは有名である。
「ですが、実際に先のお殿様がお亡くなりになると、その事の重大さを改めて認識し、罪悪感に苦しんでおりました。また口封じに殺されてしまうのではないかとも恐れ、とうとう耐えられなくなって医者をやめて江戸に行ったのです」
清兵衛は下を向いたまま淡々と話す。
「その事を聞いた時に、私も毒殺に手を貸していたことを知って愕然としました。薬の調合は全て先生の指示を受けて私が行っており、その材料の中には先のお殿様に使っていたと思われる芹もあったからです」
「おお」
「そして、私も罪悪感に苛まれた末、医者を志すのをやめました。医術を悪用して人を殺めた者が、人を救う医者になっていいわけがない……」
「…………」
「それから私はずっと、いつか時が来たら先生と私の悪事を告白してその罪を償おう、と思っておりました。ですが……」
その時、台所から清兵衛の妻が茶を盆に乗せて持って来た。
「こんな田舎なもので味は良くないですがどうぞお召し上がりください」
妻女は茶碗を三人の前に置くと、にこにこと笑って、
「では、洗濯をしてきますので」
と、大きい腹をさすりながら土間から外へと出た。
「そう……償いたい、と思っておりました。ですが今は……」
清兵衛は、そこから言葉につまって無言となった。
新九郎と南条も、そんな清兵衛を見て何も言えずにいたが、南条が両ひざを叩いて、
「罰せられる可能性は確かにある。だが、ここで清兵衛どのが俺たちと一緒に来てくれて殿を救えれば、その功でお咎めはなくなるかも知れない。それに、清兵衛どのは知っていて毒殺を手伝ったわけじゃないから直接の罪は無い。もし処罰されることになっても、俺たちが宇佐美さまに掛け合って、清兵衛どのの罰が極力軽くなるようにしてみせる」
新九郎も続いて、
「そうです。先程、清兵衛どのは人を殺めた者が人を救う医者になっていいわけがない、と言われたが、本当はその逆ではございませぬか? 人を殺めた罪は人の命を救ってこそ償える。こういう考え方もあるのではないでしょうか?」
「…………」
「このままでは、今の殿が殺められてしまうのです。先の殿が毒殺されたことを知っているあなたが、今の殿も同じように毒殺されてしまうのを見過ごすのですか?」
その言葉を聞いて、清兵衛の目に光が灯った。清兵衛はふっと微笑んで、
「ああ……目が覚めた思いです。わかりました、共に参りましょう。少々お待ちいただけますか?」
清兵衛は隣の座敷に行くと、一冊の帳面を持って戻って来た。
「これは、井畑先生が江戸に行く時、先生から預かった診察や研究の記録です。実はこの中に、先の殿に毒薬を使ったことが小さく書かれているところがあります」
「え?」
新九郎と南条は息を呑んだ。
「ここです」
清兵衛は、ぱらぱらと紙をめくって、該当の箇所を見せた。
そこには小さい字だがはっきりと藩主に毒薬を使ったことが書かれていた。
「先生も、いつかはこの罪を償おうと思って書き記していたようです。そして、私にこれを預けた時に言いました。藩は今後混乱や争いが起きるかも知れん。その時にこの記録が役に立つことがあったら遠慮なく使え、と。それで私に討手が来て命を落とすことになっても恨みには思わん、報いだ、と」
清兵衛はため息をつき、
「これを差し出した上に私が証言すれば、何よりの証拠となるでしょう」
南条は、良謙の癖のある文字で書かれたその部分を見ながら、
「いいぞ。小田内膳の指示と言うことも書かれている。これを突きつければ奴らは終わりだ」
「すぐに吉野原に向かいましょう」
新九郎は勢いよく立ち上がった。
清兵衛は、身重の妻に心配させぬように上手く言い繕うと、良謙の記録を持って新九郎と南条と共に家を出た。
日が高くなって来た。
大体五つ頃(およそ八時)と思われた。鷹狩りが開始される五つ半まではあと半刻(およそ一時間)。
場所の吉野原までは、今進んでいる街道を真っすぐに行けばちょうど半刻ほどで到着できる。際どいが何とか間に合う計算だ。
だが、左右に林が迫り、道幅が少し狭くなっているところまで来た時であった。
新九郎、南条、共に空気の乱れを感じた。新九郎は咄嗟に屈み、南条も清兵衛の腕を引っ張って清兵衛の身体ごと倒すように身を伏せた。
その上を、数本の棒手裏剣が飛び交って行った。
新九郎は更に右に転がった。その脇をまた銀線が疾って行く。
「出て来い!」
新九郎は立ち上がり、素早く抜刀して左右の林を睨み回した。
南条も抜刀して、恐怖に強張っている清兵衛を背に隠すようにしてじりじりと後ずさった。
左右の林の中から、およそ七、八名の濃紺装束の者たちが姿を現した。
「ここまで来て不意打ちとはどこまでも卑劣な」
新九郎が吐き捨てると、濃紺装束の者たちは刀を並べて一斉に襲い掛かって来た。
「清兵衛どの、俺の後ろから離れるな」
南条は言うと、飛んで来た二本の剣光を同時に躱して一人を蹴飛ばし、もう一人に突きを入れて下がらせ、その背後から跳躍して来た新手を神速の斬り上げで落とした。
しかし、清兵衛を庇いながら多人数を相手に戦うのは流石の南条にも厳しかった。しかも、敵はわかっているらしく、明らかに清兵衛を狙うように動いて来るのだ。
そしてついに、南条の隙を潜って背後に回り込んだ敵の一人が、清兵衛に向かって刀を振り上げた。
だが、刀は振り下ろされることなく地面に落ち、敵は膝から崩れ落ちた。
後ろから、全身が土埃と血痕に塗れ、血走った眼で鬼のような形相をした小柄な男が姿を現した。
必死の斬り合いの真っ最中であったが、気配を察してちらと振り返った南条と新九郎は、共に驚いた。
「一馬!」
長らく行方がつかめていなかった今井一馬であった。
「生きてたのか!」
一馬は、はぁはぁと息を乱しながら、
「吉野原で鷹狩りが行われると聞いて、絶対に何かあるはずだと思って密かに向かってたらちょうど……良かった」
そして剣の血を振り払うと、
「よくわからんが、この人を守ればいいですか? 俺はもう力が残ってないけど一人を守るぐらいならできる。南条さん、新九郎、存分に戦ってくれ」
と言って、清兵衛を自分の後ろに回らせた。
「助かったぜ、一馬!」
思わぬ助太刀に南条は喜び、全身も奮い立った。
南条は半身に構えると、次々に襲い来る影虎組の者たちの攻撃をひらひらと躱しながら、旋風の如く前後左右に刃光を舞わせ、大地に鮮血を降らせて行った。
新九郎もまた、思わぬところでの一馬との再会で、力を得た思いをした。
迫って来た敵の袈裟斬りをすれすれで躱すと同時に胴を斬り裂き、右から飛んで来た敵の斬撃を撥ね返すと返す刀で神速の突きを入れた。
こうして、数では劣勢であったのが、一気に新九郎と南条が押し始めた。
しかしその時、場の空気が禍々しく変わった。
「やはり俺が来てよかったか」
新九郎が斬り伏せた敵の背後、林の奥から濃紺装束の大男が現れた。
彼らの頭領の虎、であった。
新九郎の眼前にはまだ濃紺装束の男が一人いた。男が新九郎に斬りかかって来るのと同時、虎も気合いを発して大刀を突いて来た。
新九郎は飛び退いて避け、更に一段飛び退いて次の攻撃をも躱すと、右に回り込んで虎じゃない方の男の脚を左から右へと斬り、引く刀で胴も斬り裂いた。
「…………」
新九郎と虎、一対一の形となった。
互いに睨み合って剣を構えているところへ、南条が駆けつけて来た。それを見て驚いた虎へ、南条が笑って言った。
「てめえの部下は全部片づけた。相手が悪かったな」
南条の背後には、濃紺装束の男たち六人ばかりが互いの血を混じらせながら倒れていた。
「次はてめえだ」
と、血振りして剣を構え直した南条に、新九郎が叫んだ。
「南条さん、この男は俺が斬ります。南条さんと一馬は清兵衛どのを連れて早く吉野原へ行ってください!」
「なに?」
「今のでかなり時間を食ってしまってすでに鷹狩りに間に合わない!」
「そうだけどよ、そいつはかなり使うぞ。どうせ遅れてるならここで一緒にそいつを片付けてから行く方がいい」
南条は鳥原山でも虎を見ているのでわかる。
怪力を持った巨躯ながらも敏捷性も備え、おまけに忍びの技まで使うこの虎は、南条と新九郎の二人でかからなければ無理であろう。
「いや、南条さんと二人でかかればこいつは必ず逃げる。そして鷹狩りの吉野原に行かせてしまう。そこにはきっとこいつらの仲間がいるはずです。その頭領であるこの男をここで斬っておけば、あの連中の吉野原での動きも少しは抑えられる」
「なるほど、だけどな……」
「それに、俺はこいつと一対一で戦い、俺の手で斬りたいんです。大鳥さまを斬ったこの男を!」
新九郎の瞳が爛々と燃え、全身から闘気が立ち上った。
その姿に、藤之津の船の上で鮮やかな技を見せた時の新九郎が重なった。
「わかった、必ず吉野原に来いよ」
南条は頷くと、一馬と共に清兵衛を連れて街道の先へと走った。
虎はそれを横目でちらりと見送ると、ふんっと鼻で笑った。
「なめやがって。南条ならともかく、貴様が一人で俺を斬れると思ってるのか?」
「一人じゃない」
「何?」
「斬る前に一つ訊いておきたい。お前は何故流斎さまに従い、その悪事に手を貸してるんだ?」
新九郎は、平青眼に剣を構えた。
その切っ先の向こうで、虎がにやっと笑う。
「単純な理由よ。流斎さまが俺を忍びとして使ってくれ、笹川組を復活させてくれるからだ」
0
お気に入りに追加
68
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
麒麟児の夢
夢酔藤山
歴史・時代
南近江に生まれた少年の出来のよさ、一族は麒麟児と囃し将来を期待した。
その一族・蒲生氏。
六角氏のもとで過ごすなか、天下の流れを機敏に察知していた。やがて織田信長が台頭し、六角氏は逃亡、蒲生氏は信長に降伏する。人質として差し出された麒麟児こと蒲生鶴千代(のちの氏郷)のただならぬ才を見抜いた信長は、これを小姓とし元服させ娘婿とした。信長ほどの国際人はいない。その下で国際感覚を研ぎ澄ませていく氏郷。器量を磨き己の頭の中を理解する氏郷を信長は寵愛した。その壮大なる海の彼方への夢は、本能寺の謀叛で塵と消えた。
天下の後継者・豊臣秀吉は、もっとも信長に似ている氏郷の器量を恐れ、国替や無理を強いた。千利休を中心とした七哲は氏郷の味方となる。彼らは大半がキリシタンであり、氏郷も入信し世界を意識する。
やがて利休切腹、氏郷の容態も危ういものとなる。
氏郷は信長の夢を継げるのか。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
戦国征武劇 ~天正弾丸舞闘~
阿澄森羅
歴史・時代
【第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞】本能寺の変によって織田信長が討たれた後、後継者争いに勝利した羽柴秀吉は天下統一の事業を推進。
服属を拒む紀伊・四国・九州を制圧し、朝廷より豊臣の姓を賜り、関白・太政大臣に就任した秀吉は、最大の敵対者である徳川家康を臣従させ、実質的な天下人に。
そして天正18年(1590年)、秀吉は覇業の総仕上げとして関東の大部分を支配する北条氏の討伐を開始。
しかし、圧勝が約束されていた合戦は、北条方の頑強な抵抗と豊臣家内部で起きた予期せぬ事件によって失敗に終わる。
この事態に焦った秀吉が失政を重ねたことで豊臣政権は不安定化し、天下に乱世へと逆戻りする予感が広まりつつあった。
凶悪犯の横行や盗賊団の跳梁に手を焼いた政府は『探索方』と呼ばれる組織を設立、犯罪者に賞金を懸けての根絶を試みる。
時は流れて天正20年(1592年)、探索方の免許を得た少年・玄陽堂静馬は、故郷の村を滅ぼした賊の居場所を突き止める。
賞金首となった仇の浪人へと向けられる静馬の武器は、誰も見たことのない不思議な形状をした“南蛮渡来の銃”だった――
蹂躙された村人と鏖殺された家族の魂、そして心の奥底に渦巻き続ける憤怒を鎮めるべく、静馬は復讐の弾丸を撃ち放つ!
独り剣客 山辺久弥 おやこ見習い帖
笹目いく子
歴史・時代
旧題:調べ、かき鳴らせ
第8回歴史·時代小説大賞、大賞受賞作品。本所松坂町の三味線師匠である岡安久弥は、三味線名手として名を馳せる一方で、一刀流の使い手でもある謎めいた浪人だった。
文政の己丑火事の最中、とある大名家の内紛の助太刀を頼まれた久弥は、神田で焼け出された少年を拾う。
出自に秘密を抱え、孤独に生きてきた久弥は、青馬と名付けた少年を育てはじめ、やがて彼に天賦の三味線の才能があることに気付く。
青馬に三味線を教え、密かに思いを寄せる柳橋芸者の真澄や、友人の医師橋倉らと青馬の成長を見守りながら、久弥は幸福な日々を過ごすのだが……
ある日その平穏な生活は暗転する。生家に政変が生じ、久弥は青馬や真澄から引き離され、後嗣争いの渦へと巻き込まれていく。彼は愛する人々の元へ戻れるのだろうか?(性描写はありませんが、暴力場面あり)
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる