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清兵衛の家

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 夕餉を食べた後、南条と新九郎は最後の望みをかけて再び良兼の弟子清兵衛の捜索に出ようとしたが、宇佐美三之丞に止められた。

「あとは笹川組に任せよう。お主らは丸二日間走ったのだ。今晩は休め」
「しかし、明日はもう鷹狩り」
「わしはずっと殿のお側にいることになっている。流斎さまが出して来た物は一切殿のお口には入れさせん、その為の策や理由も考えた。何としても止めて見せる。だが、流斎さまはいざとなった時には、なりふり構わず部下たちを使って殿を亡き者にしようとするかも知れん」
「そのような大胆なことまでするでしょうか」
「ありえる。場所は藩士たちがいる城の中ではなく、流斎さまの家士と小田派の連中ばかりしかいない野外だ。その場で強引に殿を斬っても露見せぬであろうからな」
「…………」

 新九郎と南条は顔を見合わせた。

「それを防ぐ為に、お主らには鷹狩りの場でどこかに潜んでいてもらいたい。そして、もし流斎さまが殿を手にかけようとした時には、全力で殿を守れ。流斎さま、内膳を斬っても構わぬ」

 宇佐美は覚悟を固めた表情になっていた
 その覚悟がひしひしと伝わって来て、新九郎と南条の顔も自然と引き締まる。

「承知仕りました」
「うむ、では私は城に戻る。明日の早暁、また来てお主らに具体的な指示をするから、それまでゆっくりと休め」

 そう言って、宇佐美は道全寺を出た。

 残った新九郎と南条宗之進は、それから二人で雑談をした。
 二人は仲の良い兄弟弟子であったが、何せこの状況なので再会してからもまともに会話していなかった。二人は、これまでのことや明日のこと、剣のことなどまで話は尽きず、夜四つ半(23時頃)近くになってからようやく布団に潜った。

 だが、新九郎は疲れからすぐに眠りに落ちたものの、緊張からかわずか二刻(約四時間)ほどで目覚めてしまった。
 それから再度寝ようと布団の中で何度も寝返りを打ったが、落ち着かないうちに完全に目が冴えてしまった。
 ふと横を見てみれば、南条の姿も布団にない。

 新九郎は剣を取り、部屋を出て本堂へ向かった。
 本堂は薄暗いまま、誰もいない。しかし、外の方から何か音が聞こえる。

 境内に出てみると、まだ真っ暗な中で、上半身裸の南条宗之進が剣を振っていた。
 キラッ、キラリと刃が鋭く月光を裂くその太刀捌きに、新九郎はついつい見惚れてしまった。
 寸分の隙も無い構えと、身体の軸を使う一切の無駄が無い動き、風までも斬るような神速の振り。まさに天才としか言えない姿を月下げっかに見た。

 と、そこで南条は新九郎に気がついて手を止めた。

「あ、すみません、お邪魔してしまいました」

 新九郎は慌てて謝る。

「はは、構わねえよ。ちょうどやめようとしていたところだ。お前も目が覚めちまったか」

 南条は笑いながら納刀した。

「はい、少しは寝たのですが、どうにも落ち着かず」
「仕方ない。まあ、ここまで来たなら明日は肝を据えてしっかりやろう」

 南条は歩いて来ると縁台に腰を下ろし、手拭いで汗を拭いた。

「しかし、この道全寺はこんな山奥なのに立派な寺ですね」

 新九郎は、巨大な阿弥陀如来像が鎮座する本堂の奥を見回して、改めて感心した。

「道全さまの寺だからな」

 城戸藩初代城戸頼龍の重臣の一人に、軍司道隆と言う元僧侶であった猛将がいたが、彼は戦の無い世になると再び出家して僧に戻り、道全と名乗った。
 そんな道全のそれまでの多大な武功に報いる為に、頼龍が建立したのがこの寺であった。
 道全のことは、城戸藩士ならば誰でも知っている。

「道全さまは、大鳥さまの先祖と並ぶ重臣の両翼だったのに、よくあっさりとその地位を捨てて僧になりましたね」
「ああ、そのままいれば家老になるのは確実。良い暮らしもできただろうに武士すらやめてしまうんだからな。すごい人の頭の中はよくわからんよ」

 南条の返答に、新九郎は、はっとした。

 ――武士をやめる……。清兵衛はそのまま医者をやっているものだと思い込んでいたが、医者をやめている可能性もあるわけだ。

 そこに気付いた時、何かに引っかかった。だが、それが何なのかわからない。

 その時、境内の向こうの夜闇の奥から、供回りを従えた宇佐美三之丞がやって来た。

「お主ら、早いな」

 宇佐美は切れ長の目を見開いた。

「ええ……宇佐美さまこそこんな時間にもう来られて、ちゃんと寝ておられますか?」

 南条が逆に問い返すと、

「まあ、ぼちぼちな」

 宇佐美は苦笑したが、目の下にはうっすらと隈があった。
 新九郎は宇佐美に近寄って、

「宇佐美さま、一つ思ったのですが、清兵衛は医者をやめている可能性もあるのでは?」
「もちろんだ。笹川組にはその線でも探させている……が、そちらの方が難しいからな、当然見つかってはいない」
「そうですか」

 新九郎は、何か心のざわつきを感じた。
 何かが引っかかる。何かが思い当たる気がする。

 ――医者をやめている可能性……もうやめているが、医術の知識はある者……何か、どこかで……なんだ?

 新九郎は頭を押さえ、記憶の奥を探った。

「あっ」

 暗い記憶の底でーー
 薬の匂いを感じ、煤けた木の天井が見え、書物が並べられた棚が後ろに見えた。

 ――あそこは確か……白霧山の崖から落ちた後に……。

 布団をかけられて寝かされていた百姓の家。
 三十前後と見られる総髪の若い男が、新九郎の怪我を手当てしてくれた。その手当の仕方が実に慣れた手つきで、とても素人とは思えなかった。
 百姓だが、昔医術をかじったことがあると言っていた。そして、虎たちに踏み込まれた際、不思議なことを口走っていた。

「ここで死ぬのも自業自得かも知れませぬ。」

 ――自業自得? あの言葉の意味にはもしや? あの者の名前は確か……。

 新九郎の胸が急激に鼓動を速めた。

 ――清吉どのだ! 同じ清の字……もしや清兵衛から名前を変えたのでは?

「どうした新九郎?」

 南条が、あっと声を上げたまま考え込んでいる新九郎を不審がっていた。
 宇佐美もじっと新九郎を見ている。新九郎は宇佐美を見て、

「宇佐美さま。笹川組の方々は、白霧山付近に一人で住んでいる清吉と言う百姓は見つけられておりませんか?」
「白霧山で、清吉? そう言う報告は来ていないな」
「そうですか。実は……」

 新九郎は、白霧山の崖から落ちた後、清吉と言う名の百姓に助けられた時の一件を話した。
 聞き終えるや、宇佐美三之丞の顔が一変した。

「黒須、すぐに向かえ。南条もだ」


 その頃、甲法山の城戸流斎の屋敷。

 龍虎の間と呼ばれる大広間に、流斎の家士たちと濃紺装束の影虎組一同が集っていた。その中には、頭巾覆面をしたりよも顔を並べている。
 皆の顔がいつもより引き締まっているのは、流れ込んで来る夜明けの寒気のせいだけではないだろう。
 上段の中央に座る城戸流斎が、少し咳き込んだ後に口を開いた。

「皆、早くから大儀である。今日はいよいよ政龍との鷹狩りの日。つまり儂の大志がいよいよ成る日じゃ」

 流斎は、皆の顔をゆっくりと見回して、

「準備は周到で抜かりはない。"薬"を政龍に使う段取りも何度も確認してある通りじゃ。だが、くれぐれも油断はするな。大鳥派は壊滅したとは言え、黒須新九郎を始めとする数人がまだ生き残っている。奴らが現れて何をしてくるやもわからん」

 新九郎の名を聞いて、りよの目がぴくりと動いた。

「そしてもし、奴らの邪魔が入ったり、不測の事態が起きて薬を使うことに失敗した場合は、政龍を斬れ。臆することなく確実に斬れ。側用人の宇佐美三之丞もな。吉野原には我らの味方しかおらん。どうとでも揉み消せる。よいな? 絶対に政龍を斬るのだ。"たとえその時に儂が斬られていたとしてもだ"」

 流斎の重々しい言葉に、一同皆「ははっ」と頭を下げた。

「よし、では出発の準備をせい」

 皆が立ち上がり、ぞろぞろと龍虎の間を出て行った。
 それと逆行して影虎組の男が一人入って来た。男は虎を見つけると近寄り、耳元で何か囁いた。
 聞いた虎は瞠目し、まだ上段にいた流斎の下に駆け寄って小声でそれを報告した。
 流斎もまた目を見張って驚いたが、すぐに虎に命を下した。

「それはまずい。急ぎ数人を率いてそこへ向かえ」
「はっ」


 あの日、新九郎が気が付いた時には清吉の家で寝かされており、その後は乱入して来た虎たちに甲法山まで連行されたので、清吉の家の場所がどこなのかは正確に把握していない。知っているのは、村落内ではなく、離れたところでぽつんと一軒だけ建っていた、と言うことのみである。
 なので、新九郎と南条は白霧山の麓まで行き、付近の村で尋ねて回ってようやく清吉の家の場所を知り得た。

 清吉の家に着いた時には、明け六つ半(7時頃)近くになっていた
 五つ半(9時)には吉野原で鷹狩りが行われる。正に一刻の猶予も無かった。

 訪いを入れると、以前と変わらぬ姿の清吉が現れた。

「これは黒須さま。如何なさいましたか? いや、あの後ずっと案じていたのですが、ご無事でしたか。何よりでございます」

 清吉は驚きつつも、新九郎に再会できたことを喜んだ。

「いや、無事と言っていいものかな。実は清吉どの、いや、清兵衛どのに急ぎの話があって参りました」

 玄関先に立ったまま新九郎が言うと、清吉の顔から笑みが消えたが、清吉はすぐに表情を取り繕って、

「私は清吉です、人違いではございませぬか」

 しかし、一瞬の表情の変化を見逃さなかった新九郎は戸の縁に手をかけ、

「いや、以前助けられた時、あなたは昔医術をかじっていたと言っていた。私にしてくれた手当てはその通りの手際の良さでした。そして清吉と言う名。あなたは、井畑良謙どのの弟子であった清兵衛どのではないのですか?」

 清吉から再び笑顔が消えた。
 新九郎と南条の目が血走った真剣な顔を見て、

「違う、と言いたいところですが、信じてくれないでしょうね。何か事情がおありの様子」
「やはりそうでしたか」
「とりあえず、中へお入りください」

 清吉は、二人を家の中へ招き入れ、居間に座らせた。

「今、茶を持って参りますのでお待ちください」

 そのまま台所へ行こうとした清吉を、新九郎は呼び止めた。

「結構です。時間が無いので」

 そして、新九郎は清吉を訪ねて来た事情を説明した。
 聞き終えた清吉は非常に驚いたが、

「そうですか、それで私を……」

 と、暗い顔になった。

「清兵衛どのは、井畑良謙が小田内膳に命令されて先の殿に毒を盛っていたことは知っておられたか?」

 南条宗之進が単刀直入に訊いたが、清吉は下を向いたまま口をつぐんでいた。

「何かその証拠になるような物は持っておられないか? あれば、それを持って俺たちと共に鷹狩りの場に来てもらいたい。時間がないのだ」

 南条は続けて訊いたが、清吉はやはり何も答えず無言であった。

「清吉どの……!」

 新九郎も膝を進めると、清吉はそこで初めて口を開いた。

「もし、私がそれを持って行って証言すれば、私は罰せられるのでしょうね」
「…………」
「それは……」

 二人が言葉に詰まったところで、突然土間の戸が開いて一人の若い女性が入って来た。

「あれま、お客さんが来てたの?」

 女性は新九郎と南条を見て甲高い声を上げた。
 清吉は女性を見て、無言で微笑んで頷いた。
 新九郎と南条、共に女性を見てはっとした顔になった。
 女性のお腹がふっくらとしていたからだ。明らかに身ごもっている。
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