葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝

文字の大きさ
上 下
55 / 61

すれ違う想い

しおりを挟む
 黒須家で虎と共に三木辰之助と対峙していたあの時、帰って来た新九郎に見られてしまった。
 大鳥派を壊滅させたあの日、大手門の前で、脱出しようとしていた新九郎に出くわしてしまった。
 影虎組の"燕"として。
 そのどちらの時も、何も説明できず、何か言うことさえできなかった。

 養父城戸流斎は、彼の志が成ったあかつきには、りよを影虎組からも外して自由にする、と約束した。
 だが、まだ大鳥派を壊滅させただけで、彼自身が藩主になると言う、志と言う名を借りた野心はまだ達成されていない。
 自由になれるのはまだもう少し先である。

 ――だけど、その時には私も新九郎さまもどうなっているか……。

 新九郎の土に汚れた背を見ながら、りよの心は悶え苦しんでいた。
 声をかけたい。話しかけたい。色々と説明したい。
 だが、一歩が踏み出せない。
 
 新九郎は自分のことをどう思っているであろう。ずっと自分を裏切っていた卑怯な女だと思っているだろうか。身体を交えたのも、あの時にささやいた言葉も、全て嘘だと思って自分を憎んでいるのではないだろうか。

 だが、りよは新九郎に敵対するつもりなどない。
 最初は、影虎組の燕として、黒須家に偶然入れた幸運を上手く利用するつもりであったのは間違いない。
 しかし、日々を同じ屋根の下で過ごすうちに、どんどん新九郎に惹かれて行った。
 そして、今やりよの胸の中には、新九郎と初めて結ばれたあの夜の想いしかないのだ。
 思い切ってここから飛び出し、新九郎の胸に飛び込んで全てを説明し、想いの全てを伝えたい。
 だが、脚は固まったまま、ただ新九郎の屈んだ背を見ていることしかできない。

 しかし、新九郎が採り終えたふきの束を掴んで立ち上がった時であった。

 ――出よう……!

 りよは、思い切って足を踏み出した。



「あの……」

 新九郎は、聞き慣れぬ女子おなごの声を背に聞いて、振り返った。
 そこには、見たことのない若い美貌の女性が、下女を連れて立っていた。

「黒須新九郎さまでいらっしゃいますか?」

 薄い紅色の着物を来た女性は、おずおずと訊いた。

「いかにも、黒須新九郎ですが、あなたは……」

 新九郎は裾の土を払いながら問い返す。

「わたしは韮沢万次の娘です。加奈かな、と申します」

 頬を染めながら答えると、加奈は頭を下げてから新九郎を見て微笑んだ。

「え? 韮沢さまの……加奈どの?」
「ええ、お初にお目にかかります」
「あ、いえ、こちらこそ。しかし誠に……いや、いえいえ、申し訳ない」

 新九郎は狼狽した。
 大鳥順三郎が仲立ちして、新九郎と娶せようとしていた韮沢万次の娘、加奈。
 会ったことはなかったが、まさかここへ現れて初めて顔を合わすことになるとは。
 それに、美人だとは妹の奈美からも聞いていたが、本当に美人であった。
 弓なりの綺麗な眉毛、大きくきらきらと輝く美しい瞳、通った鼻筋、薄いが艶やかな唇、それら全てが絶妙に整っていて目が覚めるような美人である。眉太く逆立ち、えらが張って角ばった武骨な顔の韮沢万次の血が流れているとはとても信じられなかった。
 そこにも、新九郎は驚いたのであった。

「一昨日、宇佐美さまが来られて、黒須さまが見つかったとお聞きしまして……いても経ってもいられずに来てしまいました、迷惑でしたでしょうか、申し訳ござりません」

 加奈は頭を下げた。

「宇佐美さまが……」

 新九郎が南条によってこの道全寺に連れて来られたあの日、新九郎は、黒須家や今井家、三木家、韮沢家など、同志たちの家にどういう処分が下されたのかを訊いてみた。
 宇佐美は、あの重職会議の後に密かに藩主備後守政龍にかけあい、大鳥派の者たちの家の処分を極力軽くするように懇願したと言う。
 宇佐美はその際の詳細は明かさなかったが、もしかしたら自分も大鳥派であることを打ち明け、本当の不正は流斎、小田内膳であることを政龍に言ったのかも知れない。
 そのおかげなのか、大鳥派は本人たちだけの処分に留めて、残された家や家族には何の咎めも無しとする、と言う政龍の沙汰が下った。
 大きな理由としては「家臣たちの間での更なる争いを避ける為」と言う少々微妙なものであったが、元より不正は自分たちがやっていた小田内膳、流斎らは、残された大鳥派の家族たちが恨みを募らせて真相究明に動かれたりすることを恐れ、それを受け入れた。

「黒須家はそのままじゃ。妹はわしが手配してお主の姉のところに行かせておいた、安心せよ」

 宇佐美の言葉に、新九郎は安堵して平伏し、額を床につけた。

 ちなみに、今井一馬はどういうわけか未だに見つかっていない。
 宇佐美三之丞も、今井一馬は大きな力になると考えて捜索させているのだが、どこに潜伏しているのか全くわからないままであった。

「ともかく、今井家、韮沢家など、皆の家や家族には何も影響が無いようにしておいた」

 と言うことで韮沢家も無事なのであるが、あの宇佐美三之丞がわざわざ新九郎の無事を加奈に伝えていたとは意外であった。
 新九郎と加奈の縁談のことを知っていてのことであろうが、そもそも縁談の話は大鳥順三郎が思いついて言い出しただけであり、事は始まってもいないのである。
 だが、加奈は新九郎の無事を知ってわざわざここまで訪ねて来たと言う。

「いやいや、迷惑だなんてとんでもございませぬ。私なんぞを気にかけてくださりありがとうございます。それよりも、お父上の韮沢さまをお守りできずに……私の方こそ加奈どのに何とお詫びしてよいことか」

 新九郎は目を伏せた。
 だが、加奈は一瞬だけ悲しそうな顔をした後に笑顔を見せ、

「いえ、黒須さまがこうして生き延びられて、父は満足していると思います」
「え? それはまた何故」
「父は近頃、よく言っておりました。『黒須どのは誠に良い男。将来、必ず城戸家になくてはならない男になる。何かあったらわしは命と引き換えにしてでも黒須どのを守る。もし、わしに何かあったら黒須どのを頼れ』と」

 新九郎はこそばゆい心地がした。
 韮沢万次がそこまで自分を高く評価してくれていたのは嬉しかったが、

 ――あまりに過大評価だ。

「もったいないお言葉でございます。わたしにはそのような才覚はございませぬ」

 新九郎は顔を赤くして頭をかいた。

「いえ、今初めてお会いしたばかりですが、私にはわかる気がします。父の言葉はきっと正しいです」
「……そんな」
「そして、私には家中のことはよくわかりませぬが……私は信じます。父と黒須さまを。父と黒須さまたちが行動を共にされた大鳥さまたちを」

 加奈は大きな目に力強い光を発して言った。この辺り、韮沢万次に似ているようである。
 だが、大それた発言である。誰かに聞かれていないかと、新九郎は慌てて周囲を見回した。

「いつか、黒須さまが城下にお戻りになれる日を、お待ちしております」

 加奈は頬をぱっと赤くして言うと、照れを隠すような微笑と共に頭を下げてから、下女と一緒に勝手口の方へ向かった。

 その背を見送りながら、新九郎は、ぼうっとした。
 悪い気はしなかった。気恥ずかしさと共に、なんとなく嬉しさも感じた。

 しかし――

 ―ーりよはどうしているだろうか?

 未だ胸のうちに残るりよへの想いが、新九郎の胸をしめつけた。
 十日間の逃亡の間にも、何度も思ったことである。

 ――りよは、あの連中の仲間だった……だが、あの夜のりよは……。

 りよの体温から感じられたりよの想いは、嘘も偽りも無い本物であった。

 ふと、思い出した。
 その翌朝、りよが藤之津に帰ってもまた五日間のうちに戻って来る、と言った時の言葉である。


「私は全てを清算し、誠の私になって戻って参ります」
「誠のおりよ?」
「はい。他の何者でもない、旦那さまだけをお慕いしている一人の女子になって戻って参ります」


 あの時は、りよと結ばれた高揚感からか、あまりその意味を気にせずにいたが、今はわかるような気がした。

 ――全てを清算し誠の自分になる……あれは、あの連中から抜け、流斎、内膳の一派とも完全に縁を断ち切って戻って来る、と言う意味なのではないだろうか?

 そうとしか、考えられなかった。

 新九郎は、持っていた蕗の束を落とし、右手で胸を押さえた。

 ――ああ、俺はこんなにもりよを想っていたのか……。

 涙が、一粒落ちた。

 ――りよに会いたい。

 新九郎は西の空を見た。すでに残照もなく、紺色の夜の中に星々が煌めている。

 その同じ夜空の下で、りよもまた涙を流していた。
 先程、思い切って新九郎の前に出ようとしたら、先に加奈が現れて新九郎に話しかけた。
 足は固まったままそこから動けず、りよは木陰から二人の会話を全て聞いてしまった。

 りよは手で口を押さえ、溢れる涙を零したまま、夜の山を駆け下りて行った。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

出雲屋の客

笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。 店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。 夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

処理中です...