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繋がる疑惑

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 少女の後について店の奥から裏庭に向かった新九郎は、「あちらでございます」と厠を案内されると、

「仕事の邪魔をしてすまない。あとは一人で戻るのでもうよい」

 と、少女を戻らせた。
 そこは裏庭とは言うが、ほとんど商売道具の置き場所のような所であり、布を上からかけた小舟や櫂、投網などが置かれ、小さな土蔵も一棟あり、その隣に厠があった。
 高めな板塀で囲まれているが、左手の隅に勝手口のような引き戸があった。

 新九郎は周囲を見回し、奉公人など他に誰もいないのを確かめると、静かにその引き戸を開けた。
 外に出るとちょうど岸辺であり、大小多くの船が停泊している間を漁師や人足たちが忙しく動き回っている。
 新九郎は笠を目深に被ると、小走りに岸辺を走って迂回し、表通りに出た。

 ーーさて、どうしたものかな。

 運良く一人逃れられたものの、ここから一人だけでどう動けば良いのか。
 何か良い方法はないか思案してみたが、良案は浮かばない。

 ーー他にも船問屋や船宿はある。とりあえずどこか一軒行って、怪しまれぬように探ったり聞きこんでみるか。

 新九郎は、別の船問屋を探して歩き始めた。

 ーーしかし賑やかなものだ。

 新九郎は密かに感心していた。
 大路地は茶屋や居酒屋なども並んでいることもあり、商売に関わる人間だけでなく、老若男女問わず多くの人が行き交っている。
 日焼けした若い男が大八車を引き、その隣を風呂敷包みを抱えた年配の婦人がすれ違う。流行りの柄の着物を来た娘たちが笑い合いながら歩き、その間を風車を持った子供たちが歓声を上げながら走り抜ける。
 城下と同じぐらい、いや、もしかするとそれ以上の賑わいである。藩が重視してわざわざ奉行を置くだけのことはあった。

 ーーりよがここにいたと言うのは本当のことなんだろうか?

 つい、新九郎はりよのことを考えてしまったが、

「いかんいかん、こんな時に」

 と、すぐに忘れようと努め、足を速めた。
 だがその時、雑踏の向こう側から、陣笠をかぶった役人らしき三人が周囲を見回しながら歩いて来るのが見えた。
 新九郎は咄嗟に、すぐ脇にあった店の中に入った。

 先程の鹿島屋には遠く及ばないが、そこそこの奥行きがある中規模の商店であった。
 左手を見れば茶色い玄米が入れられた桶がいくつも並べられ、右手を見れば米つき臼があって半裸の男が足踏みをして杵を上下させている。
 米を精米して販売する、舂米屋であった。

 新九郎が武家であるのを見たからか、奥から羽織を着た番頭らしき男が出て来て愛想よく声をかけて来た。

「お侍さま、初めてでございますね。お米でしょうか?」
「ああ……」

 新九郎は言葉に詰まりながら、顔を横にしてちらりと背後の戸外を見た。
 ちょうど役人らしき三人が通り過ぎて行くのが見えた。
 だが、すぐに店を出ては見つかってしまう可能性が高い。彼らがもう少しここから離れたのを確認してから出る方が良い。
 そんなことを考えていると、番頭らしき男が不審そうな顔で、

「お侍さま、いかがなさいましたか?」
「あ、ああ。そうだな……」

 新九郎は表情を取り繕って店内を見回した。
 左手に並べられている米を積んだ桶の中の一つに、「庄内」と書かれた木札が差されているのが見えたので、

「あの庄内の米を買いたいーー」

 と、言おうとしたが、あいにくそれだけの金は持ち合わせていないし、今それを買っても邪魔になるだけである。
 そこで咄嗟に、

「す、すまぬが、握り飯などもらえないだろうか? 金は払うので」

 と、言ってしまった。

「え? 握り飯でございますか?」

 番頭は口をあんぐりと開けた。
 当然である。この町には一膳飯屋から煮売り屋、居酒屋まで、食べる店は沢山ある。それなのにわざわざ米屋に来て握り飯を売ってくれ、と言うなどまるで変人である。
 新九郎自身でもおかしな話だと思い、恥ずかしくなって顔を赤くした。

「あ、いや……無理ならば良い。邪魔をしてすまなかった」

 と、そそくさと出て行こうとしたが、奥の方から声がかかった。

「お侍さま、さすがの目の付け所でございますな」

 振り返ると、立派な身なりをした初老の男がにこにこしながらやって来た。店主と見えた。

「私ども米屋は商売で毎日米を扱っているだけに、実は飯の炊き方はそこらの飯屋よりもはるかに上手いのですよ」
「おお……」
「そこで、昔からの得意様には、買っていただいた際に握り飯を振る舞うことがございましてね。皆様、美味い美味いと喜んでくださいます。少し冷めてはおりますが、ちょうど一個分の飯は残っております。うちの飯は冷めても美味いですので、気になさらなければお出しいたしましょう」
「そうか、では頼もう」

 思わぬ成り行きだが、新九郎は面目を保てた気がしてほっとした。

「お待ちくださいませ」

 店主は奥へ向かって握り飯を持って来るよう言いつけた。ほどなくして、一人の丁稚が握り飯を皿に乗せて持って来た。

「かたじけない。頂戴しよう」

 青菜を混ぜ込んだ飯を握っただけの、単純な握り飯であった。
 だが、一口食べてみて、店主の言ったことがわかった。米一粒一粒の弾力からしてもう違うのである。更に、噛み締めるほどに口中に米の旨味が広がる。

「これは確かに美味い」
「そうでございましょう」

 店主は、得意げに胸を張った。

「うん、美味い。驚いた」

 と、新九郎はむさぼりながらその味を堪能していたが、ついつい、またりよのことを思い出してしまった。
 握り飯と言えば、りよの作る握り飯も絶品で、新九郎の好物だったのだ。

 ーー藤之津の出身と言うのが関係あるのか? いや、藤之津の生まれと言うこと自体が嘘の可能性もまだあるしな。

 と、新九郎は食べながらぼんやりと考えていたが、そこでふと思い出したことがあった。

 ――りよの親が営んでいた商家は確か白田屋……と言っていたな。

 そこで、恐る恐る店主に訊いてみた。

「ご主人、少し尋ねたいのだが、この藤之津に昔、白田屋と言う商家はあったかな?」

 だが、店主は首を傾げた。

「白田屋? はて……」
「なんでもそこの親父はかなりの偏屈者だったとか」
「偏屈者の商家……う~ん……」
「十年と少し前ぐらいに流行り病で奥方と一緒に亡くなり、そのまま潰れたと聞いた」
「ううむ……記憶にはないですなあ」
「そうか」

 りよの藤之津生まれと言うのはやはり嘘か? と、新九郎が複雑な気持ちになった時だった。
 奥から、はきはきとした快活な女の声が響いた。

「あんた、それは喜兵衛さんのことじゃないかえ?」

 暖簾をかきわけて、店主の妻らしい中年の女が顔をのぞかせた。

「ああ~、白田屋の喜兵衛さんか」

 店主は、ぽんっと手を叩いた。

「いました、確かにいました。白田屋の喜兵衛さん。確かに偏屈者で周りとはほとんど付き合いがありませんでした」
「おお、ではそれだな」

 新九郎は背筋を伸ばした。

「亡くなった原因は流行り病だったかな? その辺はあまり覚えておりませんが、店もそのまま潰れたのは本当ですね。ただ、亡くなったのはその喜兵衛さんだけで、奥様と娘さんはその後も健在でいらっしゃいましたよ」
「なに……いや待て、白田屋には娘がいたのか?」

 新九郎の心臓が急激に高鳴って行く。

「ええ。娘さんが一人いましたね。しかし奥様は喜兵衛さんと違って愛想の良い方だったので、女将となって店を続ければ良いのに、と思いましたが、何故か店は続けず、その娘さんと共にどこかに行ってしまったんですよ」
「どこへ行ったとかは?」
「さあ……そこまでは誰も知らないと思います。とにかく、突然この藤之津からいなくなってしまいました」

 すると、そこでまた、店主の妻が出て来て言った。

「その後の噂ですが、あの奥様はどこかのお武家様に見初められてその後添えになったと聞きました」
「何……? 武家の」
「ええ。どなたかまでは伝わっておりませんが、かなりの身分の方だとは聞いて、わたしどもは羨んだものです」
「そうか……で、その時に娘はどうしたのかな?」
「奥様と一緒にそのお武家様のところに行ったはずです」
「ほう……ちなみに、その娘の名前は何か、知っておられるか?」
「なんでしたかねえ……ああ、そうそう、おりよちゃん、と言いました」

 新九郎の目の色が変わる。

「目元がちょっときつめでしたけど、子供ながらきれいな子でしたね。奥様の方に似て愛想も良くて」

 心臓を貫かれたような感覚で、新九郎の身体がぶるっと震えた。

 ――りよに間違いない。

「そうだ、おりよちゃんだ。それはわたしも覚えているな」

 店主が相槌を打ったところ、はっと思い出したように、

「ああ、お侍さま。ですが白田屋は商家ではありませんよ」
「うん? どういうことだ?」
「まあ、大雑把に言えば商家かも知れませんが……白田屋は舟宿ですよ」
「なんだと?」

 新九郎は瞠目した。

「それと、白田屋自体は今でも残っております。どう言う経緯でそうなったのかは知りませんが、喜兵衛さんが亡くなり、奥様とおりよちゃんが藤之津から去った後、いつの間にか別の人が白田屋に入って舟宿を細々と続けております」

 再び、新九郎の全身を衝撃が貫いた。
 これまでばらばらであった数々の疑惑が、急速に一つに繋がって行くのを感じた。

「しかも、そこの今の主人がまた、喜兵衛さんと似たような偏屈でしてね。一部の客しか相手にせず、他の客は全て断っているんですよ。当然我々ともつきあいはしたがりません。あれでよく商売がやっていけるものだと不思議です」
「なるほどな……ご主人、その白田屋の場所を教えてもらえぬか」

 新九郎は、刀を差し直した。
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