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黒幕の貌

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「清吉どの、申し訳ござらん。なるべくご迷惑はかけぬようにする」

 新九郎が横目でちらりと清吉を見て言った。

「ははは、迷惑などかからん。今は貴様を殺す為に来たわけではない」

 虎は覆面の隙間から低く笑った。

「どういうことだ?」
「貴様がここにいると言う報告を受けてな。我が殿が貴様に会ってみたいと仰せなのよ」
「殿……? そう呼んでいいのは我が主君、城戸備後守さまだけであるが、我が殿が私を呼ぶならば、お主らを使わすことはないと思うがな」

 新九郎は皮肉を込めて言いながら、虎を含めた三人を見回した。

 ――死ぬ気で戦えば切り抜けられぬことはない。だが、清吉どのが……。

 新九郎は静かに右手で柄を握った。

「城戸備後は偽の藩主だ。我が殿こそ、本来正当の藩主なのだ」

 虎は冷笑した。

「甲法山の流斎さまのことを言っているのか?」
「さあて、どうだかな。我らと共に来ればわかる」
「私が行くと思うか」
「殿のご命令だ。どんなことをしても連れて行く」

 虎は言うと同時に抜刀し、他二人も続いて鞘走らせた。

「清吉どの、外へお逃げくだされ」

 新九郎は叫ぶと同時、足を擦って逆袈裟の居合を放った。
 狭い屋内で相手の方が人数が多い。新九郎は奇襲に出た。
 新九郎の高速の斬撃が虎を襲い、不意を突かれた虎は寸前で受け止めたものの、体勢を崩しかけながら右へ動いた。
 視界の左で、もう一人の男が動いたのが見えた。すかさずそれへ目掛け、新九郎は珍しく気合を発しながら返す刀を左へ疾らせた。切っ先が男の脇から腰を抉り、男は転倒した。
 新九郎は虎に注意しながら男に飛び掛かると、胸に一突き入れて止めを刺した。瞬間、背後から虎の巨大な気配が迫る。新九郎は振り返りざまに渾身の力で剣を振り上げた。虎も剣を振り下ろしており、二本の刃光が上下から激突、青い剣花が熱く飛び散った中、二人は弾けるように離れた。

 ――逆落天ぎゃくらくてん

 新九郎は、右手だけで柄を握り、剣を背に隠すような右の脇構えを取った。
 新九郎の祖先、黒須作十郎が初代藩主城戸頼龍より伝授され、以来黒須家に代々伝えられて来た秘技である。

 だがその時であった。

「止まれ、こいつを殺すぞ!」

 と、別の声が響いた。新九郎の動きがぴたりと止まる。

 見れば、隣の居間で、もう一人の男が清吉の身体を羽交い絞めにしてその喉首に刃を当てていた。

「ここまでだな、黒須」

 虎が覆面の隙間でにやりとした。

「あの百姓に助けられたのであろう? 恩を受けた男を殺されたくなければ、我らと共に参れ」

 新九郎は、ぎりぎりと歯を噛んだ。

「卑怯者め」
「卑怯? 戦術と言ってくれ」
「…………」

 新九郎は、虎を睨んだまま動きを止めていた。

「黒須、剣を捨てろ」
「…………」

 新九郎は、羽交い絞めにされている清吉を見た。
 清吉は、青い顔で震えていた。

「早くしろ、あの男を殺すぞ。まあ、殺しても俺一人でお前を捕らえられるから構わんのだがな。であればこそ、無駄にあの男を殺すのは忍びないだろう?」

 虎は冷笑した。新九郎の額から汗が一筋流れた。
 だがその時であった。

「黒須さま。私のことはお気になさらず」

 羽交い絞めにされている清吉が、声を震わせながら言った。
 新九郎は驚いた顔で清吉を見た。

「私は殺されても構いませぬ。ここで死ぬのも自業自得かも知れませぬ。ならば、黒須さまの正義を貫いてくださいませ」

 ――自業自得? どういうことだ?

 新九郎はその言葉に引っかかった。清吉の顔をよく見てみると、青いながらもどこか覚悟している風がある。
 だが、羽交い絞めにしている男の大喝がそれを吹き飛ばした。

「黙れ。正義は我々にあるのだ」

 男は更に刃を清吉の首に押し当てた。
 しかし、清吉は顔をますます震えながらも必死に声を絞り出した。

「わ、私のような百姓には、国のことなどわかりませぬ……ですが、善悪の道は心得てございます。私のような者を人質に取るような卑怯な方々が正義を持っているはずはございませぬ」

 新九郎は、はっとして目を瞠った。

「私のことは気になさらず……!」

 清吉が精一杯の声を上げた。

「貴様! 殺すぞ!」

 羽交い絞めにしている男の目に憤怒の色が走った。
 すかさず新九郎は、

「やめろ!」

 と、叫ぶと同時に納刀した。

「共に参る。だから清吉どのを放せ」
「ふむ、良いだろう」

 虎はにやりとした。

「早く清吉どのを解放しろ。それと、絶対に清吉どのには手を出すな。それを約束するならば、共に参る」
「ふん、いいだろう。俺たちは武士じゃねえが、外道でもねえ。それぐらいは約束しよう」
「よし」

 新九郎は、鞘ごと二刀を床板の上に置いた。

 虎は剣の切っ先を新九郎に向けたままそれを拾い上げると、清吉を捕らえている男に向かってあごをしゃくった。
 男は清吉の身体を放し、背を手で押した。

「黒須どの……よ、よろしいのですか」

 清吉は震えながら訊いた。

「構いませぬ、全ては私がここに来たせいです。まあ、この機会に流斎さまにお会いしておくのもよいでしょう」

 新九郎は、清吉に向かって穏やかな笑みを見せた。

「清吉どの、世話になりました。城下に戻りましたら、必ず礼をしにまた来ますので」

 そして一転、虎を睨んだ。

「さあ、連れて行くがいい」
「城下にか……帰れるといいな」

 虎は、ふっと冷笑した。


 二刀を奪われた新九郎が連れて行かれた先は、言うまでもなく甲法山の城戸流斎邸であった。
 まるで戦国期の平城のように、周囲に空堀を巡らせた屋敷の大きな鉄門を潜ると、中には広大な庭が広がっていた。その中央、白い砂利が敷き詰められた幅広の道を通って行くと、また大きく立派な屋敷があり、白い玄関があったが、新九郎はそこには通されず、壁沿いに左手の方へ連れて行かれた。
 そこにはまた広大な庭、と言うより庭園があった。白砂利を敷き詰めた上を、唐風の不思議な形の岩や樹木で飾っており、獅子の石像まである。隅の方には幅三間ほどの池もあり、鯉がのんびりと泳いで静かな水音を立てていた。

 右手に縁側があり、その先の障子と襖は開け放たれていたが、そこは東向きな為に、奥の座敷には光が無く、暗かった。

「ここで待て」

 虎は、新九郎を縁側の手前に正座させると、もう一人の男を走らせた。程なくして男は戻って来て伝言を虎に伝えた。

「黒須新九郎を龍虎の間に連れて来るように、とのことです」

 虎は頷くと、新九郎を立たせて更に庭を歩かせ、右に回らせた。するとそこにはまた、同じような造りの広い庭があった。

「ここから上がって、あの奥へ入れ」

 虎が言う通りに、新九郎は履物を脱いで縁側に上がった。その先には広い座敷の部屋があった。南向きである為、陽光がいっぱいに入り込んで広間を明るくしていた。

 だがその部屋に一歩踏み入ってみて、新九郎は驚いた。
 そこは広間であった。しかも、城の広間より広い。左手には一段高い上段の間があり、中央には金糸を使った豪奢な敷物が敷かれ、その脇には朱色の天鵞絨の脇息がある。更に背後には金鞘の太刀と朱塗りの槍が掛けられ、壁には墨絵で勇壮な龍虎が描かれている。

 ――まるで城の……いや、天正期の城の広間だ。

 新九郎は思わず寒気を感じた。この広間の造りに、城戸流斎の心底と野心が現れているように思えたのだ。

 自分こそが真のこの国の主である、この国を取る――

 まるでそう主張しているような広間の造りである。

「そこに座って待て」

 虎は指差して促した。
 新九郎は言われるままに、指示された場所に腰を下ろして正座した。

 虎は、上段の左脇に背筋を伸ばして座った。そして、家士と見られる裃姿の武士数人と、例の濃紺装束の男たち数人が続々と入って来て、新九郎の背後と左右の壁際、三つに分かれて立った。

 やがて、廊下の木版を踏む音と共に、家士二人を引き連れた中年の男が入って来た。
 屋敷の主、城戸流斎である。

 一応、新九郎は頭を下げて平伏した。

「この者が黒須新九郎か」

 流斎は、上段の敷物の上に腰を下ろしながら、虎に向かって訊いた。

「はっ。仰せの通り、連れて参りました」
「ふむ、大儀」

 流斎は頷くと、ごほっと咳き込んだ。供をして来た家士の一人が立ち上がりかけたが、流斎はそれを手で制してから、

「黒須、苦しゅうない、面を上げよ」
「はっ」

 新九郎は、ゆっくりと顔を上げ、上段にいる流斎の顔を見た。
 
 やや角ばっている白い顔に、薄い唇と高い鼻。目は一重瞼の切れ長で、藩主城戸政龍は二重瞼であるが、それと形がよく似ていた。
 ぱっと見た限りでは優し気な中年男性である。だが、その目の奥には爛々と光るものがあり、隙の無さを窺わせた。
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