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陰謀の黒幕
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新九郎が春木町の屋敷にると、りよと奈美が出迎えに出て来たが、奈美はりよの後ろに隠れるよう立っていた。
奈美は、顔色が青白く、何かに怯えるような表情をしていた。
一目見て尋常ではない様子に、新九郎はすぐに尋ねた。
「どうした奈美。何かあったか?」
だが、奈美は唇を震わせて、
「あ、兄上が出かけられた後……」
と、言いかけたが、その後が続かなかった。
りよが助けて、言葉を繋げた。
「実は、旦那さまが出かけられた後、奈美さまが怪しい連中にさらわれそうになったのです」
「何だと?」
新九郎は顔色を変えて、思わず大刀の鞘を左手で握った。
奈美は少し落ち着いたのか、再び自ら話し始めた。
「部屋で一人でお琴の稽古をしておりましたら、突然どこからか、頭巾と覆面をした男たちが入り込んで来まして……」
「奴らか……!」
新九郎は驚きながらも、怒りを覚えた。
りよが、震える奈美の肩をさすりながら言った。
「私も青物町に忘れて来た物を取りに行っていた間のことです。ですが、ちょうど屋敷に戻って来たところで、運良く奈美さまが縛られそうになっているところに出くわしまして……」
「うん? で、どうしたのだ?」
新九郎は眉を動かした。
「私も驚いて足がすくみましたが、奈美さまがさらわれようとしているのを見過ごすわけには参りませぬ。奥の間にかけてある薙刀を取って、遮二無二振るいました」
「なに、薙刀を?」
新九郎は、これもまた驚いた。
「ええ、私も恐ろしくてたまりませんでしたが、必死に振り回しました。相手はたった二人、しかも、あれは何と言うのでしょうか? 短い刀しか持っていなかったので、なんとか逃げてくれて助かりました」
「ほう、それはよくやってくれた。しかし、よく薙刀を使おうと思いついたな」
新九郎は安堵しながらも、頭の中のあの疑惑を思い出していた。
すると、りよは顔を赤らめて、
「実は、藤之津にいた頃、私のような身分の者には過ぎた話なのですが、お武家さまとの縁談の話が進んだことがありまして、その関係で少しの間ですが薙刀を習っていたことがございました。もちろんその後、その縁談は無くなってしまいましたが」
「ふむ。初めて聞いた」
新九郎は、頬を染めたりよの顔をじっと見つめた。
「申し訳ございませぬ」
「いや、構わぬ。驚いたが、そのおかげで奈美は助かったのだ。礼を言う」
ともかく、奈美はりよのおかげで助かったのは間違いない。
奈美が涙を流してりよの肩に顔を乗せた。
「おりよ、ありがとう」
「当然のことです。奈美さまがご無事で何よりでした」
りよもまた、涙ぐんでりよの肩をさすった。
それを見て、新九郎は奈美が無事であったのには安堵したが、頭の中には混乱が渦巻いていた。
初めて聞いた、りよが薙刀を使えると言う事実。しかも、口では遮二無二とは言ったが、あのような連中を二人も撃退させられたならば、そこそこの腕は持っているのであろう。
これで、りよがもしかしたらあの連中の仲間であるかも知れないと言う、昼に抱いた疑念が深まった。
だが、りよは、奈美をさらおうとしたあの連中を追い払ったのだ。
奈美をさらう目的が何なのかはわからないが、新九郎の不在を知って狙ったのは間違いないだろう。だが、りよがあの連中の仲間ならば、その邪魔はせずに手を貸していたはずだ。
――怪しまれぬように一芝居か? それともりよが奴らの仲間と言うのは思い違いか?
新九郎は疑心暗鬼にかられた。
――思い違いであってくれ……。
翌日の夜、新九郎は、奈美とりよの三人で夜食を食べた後、
「少し出かけて来る。戸締りは厳重にな」
と言って、出かける支度をした。
向かう先は、昨日、今井一馬、三木辰之助と約束した家老大鳥順三郎の屋敷である。
だが、りよと奈美が、
「このような時刻に、どちらへ参られるのですか?」
と、訊いて来ても、
「うむ。ええっと……うん、大したことではない。昨日も奈美を襲ったあの連中、近頃ますます城下を騒がせている。もうすぐ殿もお帰りになられるゆえ、今井や三木らと共に、散歩でもしながら見回ろう、と言う話になってな」
と、下手すぎる嘘をついてごまかした。
りよには疑惑がある。無駄かも知れないが、一応行先は隠しておきたかった。
複雑な気持ちのまま、新九郎は屋敷から夜の町へ出た。
大鳥邸の警備は非常に厳重であった。
実際に、新九郎らが到着する前に、一人の家士が、屋敷の様子を窺っていた怪しい者を斬り捨てていた。が、三人は一応それぞれ変装した上で、ばらばらに裏口から大鳥邸に入った。
大鳥順三郎は、複数の家士たちを隣室だけでなく床下、天井上にも配置して見張らせると言う厳重な警備体制の下に、三人を最奥の客間に通した。
大鳥は、まず三人の今回の働きに労いの言葉をかけてから、
「実は、儂の方でもいくつか不審なところを調べておってな。お主たちには伝えようと思っておる。が、まずはお主たちの報告から聞こう」
と、言い渡し、三人からの報告を聞いた。
「なるほど、南条がのう」
大鳥順三郎はあごを撫でながら唸った。
「やはり藩に戻って来ておったのか」
順三郎は目つきを鋭くした。
それを見て、すかさず新九郎は両手をついた。
「ご家老、しかし南条さんが高橋さまを斬った経緯と、此度我らを助けてくれたことを鑑み、どうか見逃してあげてはくれませぬか」
新九郎が言い、今井一馬、三木辰之助の二人も同意して訴えると、大鳥順三郎は、しばし黙考した後に笑みを見せた。
「うむ。わかっておる。むしろ、罪を赦して助けてやりたいぐらいよ。だが、今の状況では当然無理じゃ。悪いが南条にはもう少し潜伏していてもらおう。それもいざと言う時の何らかの力になるかも知れん」
「ありがとうございまする」
三人は、ほっとして礼を述べた。
「しかし、南条の話が誠ならばこれは貴重、と言うよりも一大事ぞ。小田内膳が、まさか先の殿を毒殺しておったとは思わなんだ。奴は我が藩始まって以来の極悪人、獅子身中の虫じゃ! しかも今の殿の毒殺までも企んでおるとは。これで何としてでも奴の悪事の全てを暴き、追い落とすだけではなく誅殺せねばならなくなったわ……!」
順三郎は義憤の怒りをにじませて声を荒げた。その身体からは闘気が立ち上り、その顔は猛将と謳われた祖先はかくの如しかと思えるような鬼のような形相になっていた。
だが、そこで順三郎は、突然口を閉じた。厳しい顔のまま、扇子を弄びながら何事か考え始めた。
薄明かりに静寂が続く中、三木辰之助が、また突然に咳き込んだ。
「ご無礼を。申し訳ございませぬ」
辰之助が慌てて詫びたが、
「構わぬ。しかし長い風邪じゃな。無理せずに家で休んでおっても良いのじゃぞ。むしろ、休め。お主の忠勤は知っておる。風邪の時ぐらいは休むと良い」
順三郎が苦笑しながら言うと、辰之助は頭を下げた。
それを機に、新九郎が疑問に思っていたことを口に出した。
「しかし、小田家老が今の殿の暗殺をも企んでいるのが事実だとすれば、今の殿を暗殺した後はどうするつもりなのでしょうか? 今の殿にはまだお世継ぎがおりませぬ。男子のご兄弟もおりませぬ。もし暗殺などすれば藩主家の血筋は途絶え、藩は改易されてしまうのでは?」
すると、横から今井一馬が言った。
「どこかから、もっと小田家老の言いなりになる者を連れて来て養子にするつもりなのでは?」
「うむ。ありえるな。例えば、過去に他藩の重臣の家に養子に入った殿の血筋に繋がる者を連れ戻すとかも考えているかもしれん」
辰之助も同意して言うと、順三郎が手にしていた扇子をぱちりと閉じて、
「いや……養子と言うのはあるかも知れんが、あるとすれば、もっと大きな者であろう」
「大きな?」
三人は意味がわからず、怪訝そうな顔をした。
すると、順三郎が重々しく言った。
「甲法山の城戸流斎さまだ」
「えっ……」
三人は衝撃に絶句した。
「先ほどから考えておったのじゃが……あの濃紺装束の連中、誠に自分たちが小田内膳を使っていると言ったのじゃな?」
順三郎が確かめるように訊くと、新九郎が「はい、はっきりと」と答えた。
「うむ。ならば、殿の後釜を考えているのは流斎さまの可能性が高い……むしろ、そう考えると、全てが繋がったような気がするわ」
順三郎は顔を青白くしながらも、ふふっと、薄笑いを浮かべた。
城戸流斎は、先代藩主の異母兄であり、現藩主政龍の叔父に当たる人物である。
本名は斉龍であるが、異母弟に当たる正室の子である先代藩主が世継ぎとなった後、流斎と名乗り、甲法村一帯に知行地をもらってそこに隠棲している。
「どういうことでございましょう」
三人が訊くと、
「我らは皆、これまでの不正から先の殿の毒殺まで、全ては小田内膳の悪逆非道だと思い込んでおった。だが違ったのだ。真の黒幕は流斎さま。全ては流斎さまが仕組んだことであったのであろう」
「なんと……」
「流斎さまが、藩主の座を狙っているのだ」
「…………」
「或いは、流斎さまご自身ではなく、まだ甲法山の屋敷にいる次男を藩主に据えて、裏で権力を一手に握るつもりかも知れん。それで、小田内膳を裏で操って様々な工作を行い、先の殿の毒殺までさせた。そして次は、今の殿を毒殺してしまえば、最も血縁の近い自分か、その子が藩主になれる」
「確かにそうですが……」
新九郎ら三人は、信じられないと言うような表情で呆然としていた。
「実は、小田内膳は、流斎さまがまだ城におられた時に、一時そのお側に仕えていたことがある。内膳が中老に抜擢された時、それをいいことに内膳と接触し、その計画を考え始めたのかも知れん」
順三郎が扇子を畳に突きながら言うと、
「しかし、昔そのような縁があったにしても、先の殿に抜擢していただいた小田家老が、その恩を裏切ってまで流斎さまの計画に加担しようと思うでしょうか? 露見して失敗すればそれまでの地位を失うだけでなく死罪は確実です。あまりに危険では?」
新九郎が率直に疑問を口にすると、
「内膳は、流斎さまにもまた様々な恩を受けておる。そして、実に美味しい餌を見せたのじゃろう。あるとすれば、永代家老格への取り立てじゃ」
順三郎は目を光らせた。
小田内膳は、優秀であったが故に、身分の差を超えて先代藩主に中老に抜擢され、その後家老にまで昇進した。
しかし、藩では基本的に家老職につけるのは永代家老四家と呼ばれる、大鳥家、斎藤家、美濃島家、宇佐美家の者だけと決められていた。
例外として小田内膳のように抜擢されて家老となる者もいるが、その者たちは一代家老と呼ばれ、その子孫が跡を継いで家老職につけるようなことはなかった。
「内膳は隠そうとしておるが権力欲、名誉欲が強い。流斎さまはそこにつけこみ、自分或いはその子が藩主となれば小田家を永代家老家に取り立ててやる、とでも約束したのかも知れん」
「なるほど……」
新九郎ら三人は、衝撃を受けながらも納得した。
「しかし、信じられませぬな。流斎さまは何度かお姿を見ておりますが、実に穏やかなお方に見えました。しかも噂では芸事や学問に熱心なだけで、藩のことや政には全く関心を持っていないと聞きます」
三木辰之助が小首を傾げたが、大鳥順三郎は皮肉そうな笑みを口元に浮かべた。
「噂であろう。三木よ、人の誠の心などそう簡単にはわからぬものぞ。本心を何十年と隠し続ける強かな者もおる。流斎さまが世子から外されたのは確か十かそこそこの時。世情のことはおろか、藩や政のことなど何もわからぬ歳じゃ。長じてから密かに、自分の方が先に生まれたのに何故藩主を継げぬのだ、と思うようになってもおかしくはあるまい。しかも、流斎さまは運悪く、他家の養子入りや旗本の立家もできなんだ。それを屈辱に感じていたかも知れん。もしかすると、芸事や学問に熱心なのは本当だとしても、それは藩主の座を狙うと言う本心を隠す為であるかも知れぬ」
順三郎が静かに淡々と言うと、一馬がまた疑問を口にした。
「しかし、今の殿にお世継ぎがないまま毒殺して、そううまく行くものでしょうか。すぐに幕府に知れて、改易されてしまうと思うのですが」
「その為の金集めよ」
大鳥順三郎が即座に答えると、三人ともに気付いて、あっと言った。
奈美は、顔色が青白く、何かに怯えるような表情をしていた。
一目見て尋常ではない様子に、新九郎はすぐに尋ねた。
「どうした奈美。何かあったか?」
だが、奈美は唇を震わせて、
「あ、兄上が出かけられた後……」
と、言いかけたが、その後が続かなかった。
りよが助けて、言葉を繋げた。
「実は、旦那さまが出かけられた後、奈美さまが怪しい連中にさらわれそうになったのです」
「何だと?」
新九郎は顔色を変えて、思わず大刀の鞘を左手で握った。
奈美は少し落ち着いたのか、再び自ら話し始めた。
「部屋で一人でお琴の稽古をしておりましたら、突然どこからか、頭巾と覆面をした男たちが入り込んで来まして……」
「奴らか……!」
新九郎は驚きながらも、怒りを覚えた。
りよが、震える奈美の肩をさすりながら言った。
「私も青物町に忘れて来た物を取りに行っていた間のことです。ですが、ちょうど屋敷に戻って来たところで、運良く奈美さまが縛られそうになっているところに出くわしまして……」
「うん? で、どうしたのだ?」
新九郎は眉を動かした。
「私も驚いて足がすくみましたが、奈美さまがさらわれようとしているのを見過ごすわけには参りませぬ。奥の間にかけてある薙刀を取って、遮二無二振るいました」
「なに、薙刀を?」
新九郎は、これもまた驚いた。
「ええ、私も恐ろしくてたまりませんでしたが、必死に振り回しました。相手はたった二人、しかも、あれは何と言うのでしょうか? 短い刀しか持っていなかったので、なんとか逃げてくれて助かりました」
「ほう、それはよくやってくれた。しかし、よく薙刀を使おうと思いついたな」
新九郎は安堵しながらも、頭の中のあの疑惑を思い出していた。
すると、りよは顔を赤らめて、
「実は、藤之津にいた頃、私のような身分の者には過ぎた話なのですが、お武家さまとの縁談の話が進んだことがありまして、その関係で少しの間ですが薙刀を習っていたことがございました。もちろんその後、その縁談は無くなってしまいましたが」
「ふむ。初めて聞いた」
新九郎は、頬を染めたりよの顔をじっと見つめた。
「申し訳ございませぬ」
「いや、構わぬ。驚いたが、そのおかげで奈美は助かったのだ。礼を言う」
ともかく、奈美はりよのおかげで助かったのは間違いない。
奈美が涙を流してりよの肩に顔を乗せた。
「おりよ、ありがとう」
「当然のことです。奈美さまがご無事で何よりでした」
りよもまた、涙ぐんでりよの肩をさすった。
それを見て、新九郎は奈美が無事であったのには安堵したが、頭の中には混乱が渦巻いていた。
初めて聞いた、りよが薙刀を使えると言う事実。しかも、口では遮二無二とは言ったが、あのような連中を二人も撃退させられたならば、そこそこの腕は持っているのであろう。
これで、りよがもしかしたらあの連中の仲間であるかも知れないと言う、昼に抱いた疑念が深まった。
だが、りよは、奈美をさらおうとしたあの連中を追い払ったのだ。
奈美をさらう目的が何なのかはわからないが、新九郎の不在を知って狙ったのは間違いないだろう。だが、りよがあの連中の仲間ならば、その邪魔はせずに手を貸していたはずだ。
――怪しまれぬように一芝居か? それともりよが奴らの仲間と言うのは思い違いか?
新九郎は疑心暗鬼にかられた。
――思い違いであってくれ……。
翌日の夜、新九郎は、奈美とりよの三人で夜食を食べた後、
「少し出かけて来る。戸締りは厳重にな」
と言って、出かける支度をした。
向かう先は、昨日、今井一馬、三木辰之助と約束した家老大鳥順三郎の屋敷である。
だが、りよと奈美が、
「このような時刻に、どちらへ参られるのですか?」
と、訊いて来ても、
「うむ。ええっと……うん、大したことではない。昨日も奈美を襲ったあの連中、近頃ますます城下を騒がせている。もうすぐ殿もお帰りになられるゆえ、今井や三木らと共に、散歩でもしながら見回ろう、と言う話になってな」
と、下手すぎる嘘をついてごまかした。
りよには疑惑がある。無駄かも知れないが、一応行先は隠しておきたかった。
複雑な気持ちのまま、新九郎は屋敷から夜の町へ出た。
大鳥邸の警備は非常に厳重であった。
実際に、新九郎らが到着する前に、一人の家士が、屋敷の様子を窺っていた怪しい者を斬り捨てていた。が、三人は一応それぞれ変装した上で、ばらばらに裏口から大鳥邸に入った。
大鳥順三郎は、複数の家士たちを隣室だけでなく床下、天井上にも配置して見張らせると言う厳重な警備体制の下に、三人を最奥の客間に通した。
大鳥は、まず三人の今回の働きに労いの言葉をかけてから、
「実は、儂の方でもいくつか不審なところを調べておってな。お主たちには伝えようと思っておる。が、まずはお主たちの報告から聞こう」
と、言い渡し、三人からの報告を聞いた。
「なるほど、南条がのう」
大鳥順三郎はあごを撫でながら唸った。
「やはり藩に戻って来ておったのか」
順三郎は目つきを鋭くした。
それを見て、すかさず新九郎は両手をついた。
「ご家老、しかし南条さんが高橋さまを斬った経緯と、此度我らを助けてくれたことを鑑み、どうか見逃してあげてはくれませぬか」
新九郎が言い、今井一馬、三木辰之助の二人も同意して訴えると、大鳥順三郎は、しばし黙考した後に笑みを見せた。
「うむ。わかっておる。むしろ、罪を赦して助けてやりたいぐらいよ。だが、今の状況では当然無理じゃ。悪いが南条にはもう少し潜伏していてもらおう。それもいざと言う時の何らかの力になるかも知れん」
「ありがとうございまする」
三人は、ほっとして礼を述べた。
「しかし、南条の話が誠ならばこれは貴重、と言うよりも一大事ぞ。小田内膳が、まさか先の殿を毒殺しておったとは思わなんだ。奴は我が藩始まって以来の極悪人、獅子身中の虫じゃ! しかも今の殿の毒殺までも企んでおるとは。これで何としてでも奴の悪事の全てを暴き、追い落とすだけではなく誅殺せねばならなくなったわ……!」
順三郎は義憤の怒りをにじませて声を荒げた。その身体からは闘気が立ち上り、その顔は猛将と謳われた祖先はかくの如しかと思えるような鬼のような形相になっていた。
だが、そこで順三郎は、突然口を閉じた。厳しい顔のまま、扇子を弄びながら何事か考え始めた。
薄明かりに静寂が続く中、三木辰之助が、また突然に咳き込んだ。
「ご無礼を。申し訳ございませぬ」
辰之助が慌てて詫びたが、
「構わぬ。しかし長い風邪じゃな。無理せずに家で休んでおっても良いのじゃぞ。むしろ、休め。お主の忠勤は知っておる。風邪の時ぐらいは休むと良い」
順三郎が苦笑しながら言うと、辰之助は頭を下げた。
それを機に、新九郎が疑問に思っていたことを口に出した。
「しかし、小田家老が今の殿の暗殺をも企んでいるのが事実だとすれば、今の殿を暗殺した後はどうするつもりなのでしょうか? 今の殿にはまだお世継ぎがおりませぬ。男子のご兄弟もおりませぬ。もし暗殺などすれば藩主家の血筋は途絶え、藩は改易されてしまうのでは?」
すると、横から今井一馬が言った。
「どこかから、もっと小田家老の言いなりになる者を連れて来て養子にするつもりなのでは?」
「うむ。ありえるな。例えば、過去に他藩の重臣の家に養子に入った殿の血筋に繋がる者を連れ戻すとかも考えているかもしれん」
辰之助も同意して言うと、順三郎が手にしていた扇子をぱちりと閉じて、
「いや……養子と言うのはあるかも知れんが、あるとすれば、もっと大きな者であろう」
「大きな?」
三人は意味がわからず、怪訝そうな顔をした。
すると、順三郎が重々しく言った。
「甲法山の城戸流斎さまだ」
「えっ……」
三人は衝撃に絶句した。
「先ほどから考えておったのじゃが……あの濃紺装束の連中、誠に自分たちが小田内膳を使っていると言ったのじゃな?」
順三郎が確かめるように訊くと、新九郎が「はい、はっきりと」と答えた。
「うむ。ならば、殿の後釜を考えているのは流斎さまの可能性が高い……むしろ、そう考えると、全てが繋がったような気がするわ」
順三郎は顔を青白くしながらも、ふふっと、薄笑いを浮かべた。
城戸流斎は、先代藩主の異母兄であり、現藩主政龍の叔父に当たる人物である。
本名は斉龍であるが、異母弟に当たる正室の子である先代藩主が世継ぎとなった後、流斎と名乗り、甲法村一帯に知行地をもらってそこに隠棲している。
「どういうことでございましょう」
三人が訊くと、
「我らは皆、これまでの不正から先の殿の毒殺まで、全ては小田内膳の悪逆非道だと思い込んでおった。だが違ったのだ。真の黒幕は流斎さま。全ては流斎さまが仕組んだことであったのであろう」
「なんと……」
「流斎さまが、藩主の座を狙っているのだ」
「…………」
「或いは、流斎さまご自身ではなく、まだ甲法山の屋敷にいる次男を藩主に据えて、裏で権力を一手に握るつもりかも知れん。それで、小田内膳を裏で操って様々な工作を行い、先の殿の毒殺までさせた。そして次は、今の殿を毒殺してしまえば、最も血縁の近い自分か、その子が藩主になれる」
「確かにそうですが……」
新九郎ら三人は、信じられないと言うような表情で呆然としていた。
「実は、小田内膳は、流斎さまがまだ城におられた時に、一時そのお側に仕えていたことがある。内膳が中老に抜擢された時、それをいいことに内膳と接触し、その計画を考え始めたのかも知れん」
順三郎が扇子を畳に突きながら言うと、
「しかし、昔そのような縁があったにしても、先の殿に抜擢していただいた小田家老が、その恩を裏切ってまで流斎さまの計画に加担しようと思うでしょうか? 露見して失敗すればそれまでの地位を失うだけでなく死罪は確実です。あまりに危険では?」
新九郎が率直に疑問を口にすると、
「内膳は、流斎さまにもまた様々な恩を受けておる。そして、実に美味しい餌を見せたのじゃろう。あるとすれば、永代家老格への取り立てじゃ」
順三郎は目を光らせた。
小田内膳は、優秀であったが故に、身分の差を超えて先代藩主に中老に抜擢され、その後家老にまで昇進した。
しかし、藩では基本的に家老職につけるのは永代家老四家と呼ばれる、大鳥家、斎藤家、美濃島家、宇佐美家の者だけと決められていた。
例外として小田内膳のように抜擢されて家老となる者もいるが、その者たちは一代家老と呼ばれ、その子孫が跡を継いで家老職につけるようなことはなかった。
「内膳は隠そうとしておるが権力欲、名誉欲が強い。流斎さまはそこにつけこみ、自分或いはその子が藩主となれば小田家を永代家老家に取り立ててやる、とでも約束したのかも知れん」
「なるほど……」
新九郎ら三人は、衝撃を受けながらも納得した。
「しかし、信じられませぬな。流斎さまは何度かお姿を見ておりますが、実に穏やかなお方に見えました。しかも噂では芸事や学問に熱心なだけで、藩のことや政には全く関心を持っていないと聞きます」
三木辰之助が小首を傾げたが、大鳥順三郎は皮肉そうな笑みを口元に浮かべた。
「噂であろう。三木よ、人の誠の心などそう簡単にはわからぬものぞ。本心を何十年と隠し続ける強かな者もおる。流斎さまが世子から外されたのは確か十かそこそこの時。世情のことはおろか、藩や政のことなど何もわからぬ歳じゃ。長じてから密かに、自分の方が先に生まれたのに何故藩主を継げぬのだ、と思うようになってもおかしくはあるまい。しかも、流斎さまは運悪く、他家の養子入りや旗本の立家もできなんだ。それを屈辱に感じていたかも知れん。もしかすると、芸事や学問に熱心なのは本当だとしても、それは藩主の座を狙うと言う本心を隠す為であるかも知れぬ」
順三郎が静かに淡々と言うと、一馬がまた疑問を口にした。
「しかし、今の殿にお世継ぎがないまま毒殺して、そううまく行くものでしょうか。すぐに幕府に知れて、改易されてしまうと思うのですが」
「その為の金集めよ」
大鳥順三郎が即座に答えると、三人ともに気付いて、あっと言った。
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