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武士の魂は消えず

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「そうか、南条なんじょう宗之進そうのしんが戻って来ていたのか」

 猫目の男が憎らし気に呟いた時、南条宗之進の突きが相手の一人の胸を貫いた。
 それを見ると、猫目の男はあっさりと、

「一旦退くぞ、人を呼ぶ!」

 と、怒鳴って、背後の窓を破って外に飛び出した。だが、残ったもう一人は逃げきれず、南条宗之進と三木辰之助二人に追い詰められた末に斬り倒された。

 新九郎は乱れた呼吸を整えると、自然と顔が綻んだ。

「南条さん」

 同じく嬉しそうな顔をした一馬と共に歩み寄った。

「危ないところだったが、なんとかなったな」

 南条宗之進は笑みを見せると、懐紙を取り出して刀身を拭った。
 容貌こそ薄汚れた素浪人そのものであるが、その笑顔は昔と変わらぬ優しいものであった。

「助かりました、ありがとうございます」

 新九郎がまず頭を下げると、辰之助が、

「本当に戻って来ていたのですね。しかし何故ここに?」

 と、訊いたが、宗之進は片手を挙げて制してから人差し指を口に当て、

「まずはここから出よう。あのでかい男、人を呼びに行っただろう」
「ああ、そうでした」

 宗之進を合わせた新九郎ら四人は建物を出ると、急いで鳥原山を下りた。
 だが宗之進は、

「俺は罪人で脱藩者だ。悪いが人のいないところへ行きたい」

 と、希望したので、四人は桃川村へは向かわず、その北にある太郎川を渡った先にある林に入った。

 適当な場所を見つけて腰を落ち着けると、

「まあ、みんな無事で何よりだ」

 宗之進は明るく笑った。道場での試合や、実際の斬り合いになると鬼神のような強さを見せるが、普段は面倒見の良い優しい先輩である。

「南条さんこそ、無事で良かったです」

 普段は無礼な言動の多い三木辰之助も、宗之進の前ではしおらしい。

「どうして戻って来たのですか? いや、それよりも昨年上役の方を斬ったと言うのは……?」

 今井一馬が訊くと、

「うむ、どこから話すかな」

 宗之進は腕を組んで考えたが、

「その前にまず訊いておきたいが、お前たちは誰の味方だ?」

 と、鋭い目つきで三人を見回した。
 曖昧な言い方だが、三人にはその意味がすぐわかった。
 新九郎が答えた。

「私たちは大鳥家老派です」

 宗之進が表情を緩めた。

「そうか。ならば良いか」

 と、言った後に一転、深刻な顔になって声を潜めた。

「……実は俺はな、ある重大な秘密を知ったのだ」
「秘密?」
「昨年、先の殿が病で亡くなられただろう」
「ええ」
「あれは病じゃない。毒殺されたのだ」
「えっ……」

 三人は息を飲んだ。

「先代の殿はご病気だと」

 新九郎が言うと、

「違う。俺ははっきりと聞いたのだ。ちょうど先の殿の葬儀が終わってからすぐのことだ」

 馬廻り組の重要な役目の一つに、宿直とのいがある。複数人で交代しながら夜間の城中を警備する仕事だ。

 その日、南条宗之進は宿直で城内を見回っていた。
 夜四つを過ぎて交代の時刻となり、詰所に戻るべく薄暗い廊下を歩いていると、小さな人の声がした。

 どの部屋からも明かりは漏れていない。だが、確実にどこかの部屋で、誰かと誰かが小声で話していた。普通の者であれば聞こえていなかったであろうが、南条宗之進は子供の頃から人並み外れて耳が良かったので聞き取れた。余談だが、この耳の良さが南条の剣才にも役立っている。

 ともかく、この時刻に、明かりもほとんど無い部屋で小声で話すなど、尋常ではない。

 ――あの部屋だな。

 胸騒ぎを抑えながら、宗之進は足音を立てぬように、声のする部屋へ近づいた。

 手前で立ち止まり、聞き耳を立てると、確かに二人の者が小声で密談していた。

「そう恐れるな」

 と言った声は、筆頭家老の小田内膳であった。

「しかし、殿に毒を盛るとはとんでもないことをしてしまいました。今更ながら恐ろしくなって来ました」

 もう一人が震える声で答えた。

良謙りょうけん、すでにやってしまったのだ、気持ちを切り替えろ」

 宗之進は顔色を変えた。
 良謙とは、侍医の井畑良謙いばたりょうけんであろう。

「気づかれぬよう、毎日少量のせりの毒を薬に混ぜる。よくやってくれたぞ」
「はあ、しかし……」
三中散さんちゅうさんの毒の製法がわからぬ今、怪しまれずに殿を毒殺するにはこれしかなかった」

 ーー三中散さんちゅうさん

 宗之進は眉を動かした。
 初めて聞くそれが妙に気になったが、それよりも、先代藩主城戸きど経龍つねたつは、実は小田内膳の主導で毒殺されていたのだ。
 その事実に、宗之進は慄然とした。

 宗之進は、再び足音を立てぬよう、静かに廊下を戻って行った。あの密談の部屋から遠ざかると、足を早めて別の方向から詰所へ向かった。

 ――どうする。誰かへ話すべきか。

 考え込みながら渡り廊下を歩いている時、不意に背後から静かな声をかけられた。

「南条、そんなに急いでどこへ行く?」

 びくっとして振り返ると、小頭の高橋五郎兵衛ごろうべえであった。

「交代の時刻ですから、詰所へ戻るところです」

 宗之進が内心の動揺を隠しながら答えると、高橋五郎兵衛ごろうべえは目を光らせて宗之進を上から下まで見た。

「ふむ。だが交代の時刻はだいぶ過ぎておるぞ」
「はっ。手違いで遅れてしまいました。それ故に急いでおります」
「そうか。では早く戻って休むがよい」
「はっ」

 そして宗之進は再び渡り廊下を歩いて行ったが、

 ――うん? 小頭の高橋さまが何故この時刻に城にいる?

 と、不審を感じた瞬間、殺気を乗せた風の音を聞いた。

 宗之進は振り返りざまに居合を放ち、眼前に迫って来ていた高橋五郎兵衛の鋭い袈裟斬りを跳ね返した。
 数歩飛び退いて距離を取ると、

「貴様、聞いたであろう」

 と、五郎兵衛は正眼に構えて、鋭い眼光でを送って来た。

「何のことでございますか? 高橋さま、剣をお納めください」

 宗之進は防戦の為に下段に構えを取りながら言ったが、

「ごまかすな!」

 と、高橋五郎兵衛は悪鬼のような顔で再び斬りつけて来た。
 二度、三度と刃光が乱れ飛んで激突し、青い剣花が渡り廊下の薄闇に弾けた。
 宗之進は、できれば斬りたくなかった。しかし、高橋五郎兵衛も馬廻り組小頭だけあって使い手である。
 そんな高橋が本気で斬りかかて来ている以上、こちらも本気でかからねば防げない。

「高橋さま、お納めください」

 と、宗之進は諫めながらも、いつの間にか本気で剣を振るっていた。そして十数合目だった。交錯して体勢が入れ違った瞬間、宗之進の剣が五郎兵衛の脇腹を深く斬り裂いてしまった。
 五郎兵衛は苦悶の声を漏らしながら崩れ落ちた。致命傷となる手応えであった。

 ――しまった……。

 宗之進は悔いたが、もう遅い。五郎兵衛は呻きながら血だまりの中に突っ伏して動かなくなった。

 そして南条宗之進は、そのまま城を走り出ると藩からも脱出し、江戸へと逃亡したのであった。

「なんと……そういうことでしたか」

 新九郎ら三人は、衝撃の真実に呆然とした。

「小田内膳は、先代の殿に家老に抜擢していただいたにも関わらず、その殿を毒殺したのだ。奴は天下の極悪人よ」

 宗之進は、小田内膳を呼び捨てにした上、吐き捨てるように罵った。

「しかし、南条さんは何故に今戻って来られたのですか?」

 一馬が訊くと、宗之進は即座に「俺は武士だからだ」と、答え、

「俺は元々は先の殿の小姓を務めていたことがあり、その時に色々と目をかけてもらった恩がある。小田内膳の悪行を知ってそのままでいられるか。小田内膳の悪行を白日の下に暴き、先の殿の仇を討つ為に戻って来たのよ。たった一人でも、やれるところまでやるつもりでな」

 と、宗之進はきっぱりと言い切ったが、直後に気まずそうな顔で笑った。

「と、格好つけて言ってみたが、最初はそんなつもりもなかった。俺とて人間だ。江戸に出た当初はそのようなことは考えず、国元から次々に討手が来るんじゃないかとびくびくしながらその日暮らしをしてたさ。言いにくいが、裏稼業にも手を染めたりもした」

 宗之進の顔に暗い影が差した。

「そうやって、半年ほどはやさぐれた暮らしをしてた。だがある日、偶然にも今の殿のお姿を江戸の街中で見かけてな。殿のまだ幼さが残る横顔に暗さがあるのを見た瞬間、雷に打たれたように目が覚めたのよ。俺は何者だ? 城戸家の家臣であり、武士ではないのか? 先の殿が毒殺されたことを知っておりながら何もせずに、何が城戸家の武士だ、とな」

 宗之進は腕を組み、天を見上げた。

「そして、俺は小田内膳が先の殿を毒殺した証拠を手に入れるべく各地を走った。一番良いのは侍医の井畑良謙を捕まえて吐かせることだろう。そんな時、ちょうど運良く、井畑良謙は先の殿の死後に侍医を辞め、江戸に出てきたとの噂を聞いた」

 宗之進が言うと、三木辰之助が手を叩いた。

「そうだ。井畑良謙どのは昨年、更なる医学の修行の為に江戸に出たいと申し出て、侍医をやめられたそうです」
「だろう。だがそれは、恐らく殿の死に関して疑惑の目を向けられないようにする為だ」
「なるほど」
「そこで俺は、裏の人脈も使って江戸で井畑良謙を探し、ついに本所の外れのしもた屋に隠れ住んでいた良謙を見つけた。ところが、井畑良謙はすでに死んでおったのだ。しかもそのわずか三日前だった」
「なんと……」

 三人が驚いた後、新九郎が目を鋭くした。

「もしや殺されたのでは?」
「その通りだ、新九郎」

 宗之進は険しい顔になり、その時のことを思い出した。
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