紅き龍棲の玉座

五月雨輝

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覚醒

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「ナターシア様の薬湯は、毎日ご自身で調合され、陛下に差し上げられておりました。それ故、毒見もされておりません。ドーヤオ草の毒を毎日先帝陛下に飲ませられる方法があるとすれば、その薬湯に密かに混ぜるしか方法はございませぬ。そして、それができるのはナターシア様のみ……」
継母はは上の薬湯は、お前も滋養強壮に効果があると言って勧めていたんじゃなかったのか?」

「はい。最初に、ナターシア様より材料と調合法を見せていただき、問題があるどころか治療に効果があったので、毎日差し上げることを勧めました。しかし、材料と調合法を確かめたのはその最初だけです。ナターシア様ご自身で作られる薬湯を、毎回確認したり毒見をしたりするなど非礼の極みですし、まさかナターシア様が毒を入れるなど思いもしませんでしたから」
「では、継母はは上が一人ではかったと言うことか?」

 リューシスが震える唇で言うと、リョウエンは首を横に振った。

「いえ」
「何? マクシムでもなければ継母はは上でもない。どういうことだ?」
「その二人が共にやったのです」
「…………」
「実は昨年、ナターシア様が時折、深夜に宰相宮を訪れていると言う噂が立ちました。私も、とある日の深夜、ナターシア様らしき女性が、侍女に変装して、忍ぶように宰相宮へ入って行ったのを見たことがあります。当時は、一部の間で、丞相とナターシア様の間に不義密通があるのでは? と噂されておりました」
「なんだと……」

「しかし、私がイジャスラフ様のご遺体を確認した時のことです。もしや毒殺されたのでは、と疑問を抱いた時、立ち会っていた丞相の眼がやけに鋭く、観察するように私を凝視していたのに気付きました。その時に直感したのです。ナターシア様が時折宰相宮を訪れていたと言うのは、密通していたのではなく、イジャスラフ様の毒殺について謀議をしていたのだ、と……」
「…………」

「そしてその時、私は、このままでは丞相たちに殺されるだろうと思いました。だが、私自身は死んでも構わないが、この真実だけは誰かに知らせなければならない。それはルード・シェン山にいるリューシス殿下だ。そう考え、この一ヵ月を必死に逃げ延び、ようやく今ここで殿下に話すことができたのです」

 そこまで言うと、リョウエンは胸のつかえが取れたかのような、重い悩みが解消されたかのような、ほっとした顔となり、ようやく表情から緊張の色が消えた。

「そうだったのか……よく知らせてくれた。ありがとう」
「いえ、当然のことです。……しかし、迂闊うかつでした。丞相たちのドーヤオ草の毒に気付かなかったと言う意味では、確かに私の治療の失敗と言えるでしょう」

 リョウエンは、目を潤ませて俯いた。
 冷たい床に、涙がぽとりぽとりと落ちた。

 リューシスは、そんなリョウエンを見つめながら立ちすくみ、イェダーとエレーナは、衝撃の事実に言葉を失ったまま青白い顔でいた。

 だが、やがてリューシスは、泣き続けるリョウエンの前に片膝をついて言った。

「違う。お前は何も悪くない。皇后が絡んだ奸計など、どんな智者でも見抜くのは難しいだろう。特にそれがドーヤオ草の毒ならば」
「そんな……」

 リョウエンは、下を向いたまま袖で涙を拭う。

「礼を言うぞ、リョウエン」
「え? 礼?」

 リョウエンは、意外な言葉に驚き、痩せこけた顔を上げた。
 そこには、リューシスの笑顔があった。

「父上の病は悪くなる一方だったんだ。しかし、お前の新しい治療法のお陰で、父上はこの半年間、劇的に回復し、政務に復帰できた。父上にとっては、楽しく充実した半年間を過ごせただろう。頻繁に来る手紙からも、その様子が伝わって来た」

 それを聞いたリョウエンは、呆然とリューシスの顔を見た。

「それは全部お前のお陰なんだ。礼を言う。本当にありがとう、リョウエン」

 リューシスは穏やかな声で言うと、リョウエンの両肩に手を置いた。

「殿下……」

 リョウエンは、大粒の涙を流し、せきを切ったように号泣した。

 イェダーは目を潤ませていた。
 エレーナも、口に手を当てたまま涙を流していた。

「そう。父上は、この半年間楽しい日々を過ごせていたんだ、本当に……」

 リューシスはそう言うと下を向き、リョウエンの両肩に置いた手を小刻みに震えさせた。
 その両手に天精ティエンジンが集まり始め、やがて雷気がパチパチと音を立てて集まった。

「奴らが父上を毒殺するまではな……!」

 リューシスは、怒気を抑え込むような口調で言うと同時に立ち上がった。

 そのリューシスの顔を見たリョウエン、イェダー、エレーナが、皆一様に戦慄して背筋を寒くした。

 リューシスの顔が、それまで一度も見た事のない、憤怒に満ちた悪鬼の如き表情になっていたからである。
 そして、その両手には、驚く程に巨大な雷気の塊が集まっていた。

 夜は、光の天法術ティエンファーは極度に弱くなるが、雷が鳴る夜だけは別であった。雷には強力な光の天精ティエンジンを集める作用があり、夜でも光の天法術ティエンファーを強くさせる。
 だがそれにしても、リューシスの両手に集まっている雷気の塊は、異常とも言えるほどに大きかった。

「マクシム、ナターシア……」

 リューシスは呟いた後、カッと眼を見開いて咆哮し、両手を前方に突き出した。
 巨大な雷気の塊が風を巻き起こしながら大広間をはしり抜け、重い鉄の正門を破壊して吹き飛ばした。
 信じがたい程の凄まじい威力であった。

 それ故に、リューシスも体力を消耗したらしい。
 肩で息をするようにハアハア言うと、リューシスは怒りに燃える目で吹き飛ばした正門の先の闇を睨んだ。

「マクシム、ナターシア!! この罪は百倍にして償わせてやる!! 己の犯した非道な大罪を、そして俺と同じ時代に生まれたことを後悔するがいい!!」

 リューシスは鬼神の如く狂ったように怒号すると、再び両手を振り、巨大な雷気の塊を破壊した正門の外に飛ばした。



 翌日の午前十一時頃、リューシスは、イェダー以外の各隊長を含む幹部全員をリョウエンと共に大広間に集め、昨夜にリョウエンが語ったイジャスラフ毒殺の事実を皆に話した。

 聞いた皆の間に、どよめきと共に衝撃が走り抜けた。

 皇帝エンディー暗殺――

 これまでの歴史上、無かったことはないが、その例は多くはなく、この百年間ほどは一度も無い。

 それを、こともあろうに皇后と丞相が共謀して手を下したのだ。

 その衝撃どころではない真実に、誰もが皆、青い顔で絶句していた。

 しばしの沈黙の後、まず口を開いたのはヴァレリーだった。

「それが事実であるならば、丞相と皇太后は大逆臣だ」

 その言葉で我に返ったかのように、ネイマンが声を荒げた。

「そうだ。俺はローヤン朝廷に忠誠心なんぞないが、これは許せねえ!」

 そしてネイマンは、リューシスの前まで詰め寄った。

「あの卑怯な勅書の上に、この事が明らかになったんだ。リューシス、これでもまだ黙っているつもりか?」

 今日のリューシスは、甲冑姿であった。
 かぶとかぶっていないが、白銀の鎧をまとい、絹の紅い戦袍マントを身に着けている。

 リューシスはネイマンを見返すと、しばし無言になった後、深い吐息をついてから静かに言った。

「俺の腹はすでに決まっている」

 そしてリューシスは、ゆっくりと後ろを振り向いた。

 背後の壁には、ローヤン帝国の紋章、ローヤン双龍紋をイメージした。二頭の飛龍が絡み合いながら天へ翔け上がって行く絵が描かれている。
 リューシスはその絵を見ながら、自分自身に語りかけるように言った。

「俺は今まで、自分の出生に葛藤していた。俺がいなければ、東南騒動で多くの人間が死ぬことはなく、大将軍ダーサージュンだったミハイルも、優しかった母上も死ぬことはなかった。多くのローヤン将兵を死なせてしまった、半年前までのマクシムたちとの無益な戦も起きなかっただろう。俺はローヤン帝国にとって災いの種、ローヤンの皇子として生まれて来るべきではなかったと思っていた。それ故に、いつ死んでも構わないと思っていた」

 リューシスの褐色の瞳に、勇壮に天へ昇る二頭の飛龍が力強く映る。

「だが……自ら死ぬ勇気など当然なく、それどころか、常に心の片隅で、自分が生まれて来たことに何か意味があるのだろうか? と考え続けていた。しかし、その答えは出ぬままにここまで来た」

 リューシスは言うと、再び背を返して、大広間につどっている皆を見回した。

「だが、ようやくわかった。俺はローヤンの災いの種なんかではない。天は、ローヤン帝国を救わせる為に俺を生まれさせたのだ」

 そしてリューシスは、昨晩自らが吹き飛ばした正門の先を睨み、静かに、かつ力強く言った。

「先帝を己の野心のままに毒殺し、ローヤンの国政を壟断ろうだんする大逆臣、マクシムとナターシアを討つべく兵を挙げる」

 その瞬間、おおっ、と皆の間から声が上がった。
 ヴァレリーは瞳を輝かせて力強く頷き、ネイマンは大声で吼えた。

 だが、バーレンが横合いから冷静に言った。

「しかし殿下。昨日は、自分が兵を挙げればローヤン国内は乱れ、ガルシャワやマンジュなどの内外の敵の侵入を招いてしまう恐れがあると言っておられましたが」

 すると、リューシスは目を剥いて叫んだ。

「そんなもの、俺が片っ端から始末してやる!」

 それを聞いたバーレンはにやりと笑った。

 そしてリューシスは、「皆、ついて来い」と言いながら、中央を真っ直ぐに歩き、正門から外に出た。
 すると、遠くの方から、多くの人間たちの騒ぐ声が聞こえて来た。

 そのまま歩いて行くと、その騒ぐ声は次第に大きくなり、怒号混じりの喚声となった。
 やがて小高い丘に出た。その下は開けた草地になっている。
 リューシスらがその丘に着いて立った時、丘の下の草地には、全兵士たちが甲冑姿で集まっていた。

 彼らは口々に大声で何か喚いていたが、リューシスの姿を見ると、徐々に喚くのを止め、やがて誰もしゃべらずに静かになった。

 リューシスの側に、イェダーが歩み寄って来て言った。

「彼らにはすでに伝えました。そして、準備もできております」

 リューシスは無言で頷いた。リューシスは、イェダーに、あらかじめ全兵士らをここに集め、イジャスラフ毒殺の件を伝えておくように命じていたのだ。

 そして、兵士らに伴われて、昨日アンラードから勅書を持って来た文官がやって来た。
 リューシスは、昨日、彼に天気が悪くなるから一晩泊まってから帰るように勧めていたのだ。

「殿下、これは一体どういうことですか?」

 いきなり連れて来られた彼は、物々しい武装姿の全兵士らを見ると、青くなってリューシスに訊いた。

 しかしリューシスはそれには答えず、丘の下の全兵士らに静かに語りかけた。

「皆、すでにイェダーから聞いたな? 宰相マクシムと先帝の皇后ナターシアは、共謀して先帝を毒殺した」

 リューシスは、兵士らの顔を一人一人見るように見回しながら、次第に声を大きくして行った。

「皇帝を毒殺するなど、不義非道の極み。宰相マクシムと皇后ナターシアは、天下の極悪人にして大逆臣だ! 先帝陛下の第一皇子として、俺はこれを許すことなど断じてできない!」

 リューシスは長剣を抜き払い、光る切先を兵士らに向けた。

「それ故に俺は、マクシムとナターシア、この二人を討つべく挙兵する! 皆、力を貸してくれるか!」

 すると、兵士らが一斉に「おおっ!!」と大歓声を上げて応えた。

 彼らは皆、マクシムに反感を持っているか、リューシスを慕っているが故に、この山に集まって来た者たちばかりである。
 マクシムら二人がイジャスラフを毒殺したとイェダーから聞かされて、皆すでに怒りを沸騰させていた。

「丞相を討つ!」
「皇后は許せん!」

 皆、口々に怒鳴った。
 しばらくして、リューシスは「ちょっと静まってくれ!」と、静まるように手で合図を出した。

 兵士らがそれで再び静まると、リューシスは、すっかり色を失っている使者の方を向いて、

「勅書に対する返答を伝えよう」

 と言い、勅書を懐から出すや、前方に放り投げた。
 そして長剣一閃、勅書を早業で斬り裂くと、左手から雷光を放って空中で焼き尽くした。

「これが答えだ」

 リューシスはにやりと笑うと、

「だが、命令通りにこの山は出てやろう。但し、兵士を引き連れてだがな。マクシムに伝えろ。俺達が山に籠ってたら、百万の兵をもってしても俺達を討つことはできない。それ故に、下に降りて対等に戦ってやる。ユエン河の南で待っててやるから、集められるだけの軍勢を引き連れてやって来い、とな」

 リューシスは瞳をぎらぎらと光らせながら、不敵に言い放った。
 使者は青ざめた顔で震えたまま何も言えずにいたが、

「さっさと行け!」

 と、リューシスが怒鳴ると、使者は逃げるように走って行った。
 その背へ、更にリューシスは叫んだ。

「追加だ! マクシム、ナターシア、貴様らの首は必ず取る! 地の果てに逃げようとも必ず追い詰めてその首を取り、父上の墓前に供えてやる、とな!」

 そしてリューシスは、兵士らを見回した後、長剣を天に掲げて咆哮した。

「丞相討つべし!」

 ヴァレリーが怒鳴るように叫んだ。
 それに呼応して、兵士らが次々と吼えた。

「丞相討つべし!」
「皇后を討て!」
「丞相の首を取るんだ!」

 兵士らが上げる気焔と怒号はバラバラであったが、やがて大きな一つの大合唱となり、ルード・シェン山から天地を揺るがした。

「丞相討つべし! 皇后討つべし!」
「丞相討つべし! 皇后討つべし!」

 リューシスは、昨夜の雨雲が消え去った青々とした天空を見上げた。

 その瞳には、かつて時々見せていた虚無的な色はすっかり消え失せ、強い覇気に満ちていた。
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