紅き龍棲の玉座

五月雨輝

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覇王の玉璽

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「ああ。そう言えばすっかり忘れてた」

 市場に買い物に行く途中で、ネイマンが思い出して、手を叩いた。

「何だよ」
「あの、アーシンとか言う喧嘩馬鹿との約束だよ」

 ネイマンが面倒くさそうに溜息をついた。
 リューシスはネイマンを見て苦笑する。

「ああ。あれか。放っておけばいいだろ」
「俺としてもそうしたいところなんだけどよ。無視してこのままこのクージンを去ったら、あいつはどこまでもしつこく追って来そうでな。それに、腹を立てて何をしでかすかわからないぜ」

 そこでリューシスも気付いて眉を上げた。

「そうだ。あの男は俺の正体に気付いてるんだったな」

 面倒臭そうに舌打ちする。

「だろ?」
「確かにそれはまずい。腹いせに、ここにいるシーザー・ラヴァンにでも報告されたら大変なことになる」
「仕方ねえな。面倒だけど、今夜の宴会前の腹ごなしのつもりで行くとするか」

 二人は道を変え、アーシンが宿泊していると言う承徳大路に向かった。
 だがその途中で、黒山の人だかりにぶつかった。何やら物騒な騒ぎ声も周囲に響き渡っている。

「何だ? ちょっと尋常じゃないな」

 リューシスが人だかりの隙間から覗こうとすると、ネイマンがかったるそうに手を振った。

「やめろよ。急ごうぜ」
「だけどな……あっ、見ろ、ネイマン」

 隙間から何かを覗き見たリューシスが、さっと顔色を変えてネイマンを手招きした。
 ネイマンは長身である。手招きに応じて寄って行き、人だかりの上から覗き見た。彼も、あっと声を上げた。

 そこには、あのイーハオが、ガルシャワ軍の甲冑を着た衛兵ら数人に寄ってたかって殴られていたのである。

「さあ、吐け!」
「ソウセンはどこに行った?」

 兵士らは形相凄まじく、イーハオを痛めつけながら問い詰める。

「知らないよ! そんなもの知らない!」

 イーハオは泣きながら必死に叫ぶ。

「嘘をつくな。この証書にそう書いてあるではないか!」
「その証書こそ知らないよ。何でそんなのが俺の腰帯に挟まれてたんだよ! そもそも俺は、その玉……何とかって物自体を知らないんだから」

 イーハオは顔を腫らしながらも、強気に抵抗していた。
 その様を、衛兵らの後ろで薄笑いを浮かべながら見ていた男がいる。
 中年の小太りの男で、目尻の下がった細い目は、いかにも強欲そうである。この男こそ、長年ローヤン帝国に仕え、クージンの城主を任されておりながら、ガルシャワ軍侵攻の際にはいち早く寝返ってクージンを開城した卑劣漢、ベン・ハーベンであった。

 ベンの後ろには、元クージン駐屯軍総司令官であったヴァレリー・チェルノフもいた。しかし、薄ら笑いを浮かべるベンとは違い、ヴァレリーは青ざめた強張った表情で、イーハオを見つめていた。

「やめよ」

 ベンは、衛兵らを止めると、イーハオに歩み寄り、上から見下ろしながら聞いた。

「あれは、お前が盗んだのだろう? 正直に吐け」
「そんなことしてないってずっと言ってるじゃないか!」
「しかし、お前は覚えが無いと言うが、この証書もあるし、お前が街外れで商人風の男にこっそり何かを渡して金を受け取っていたところを見たと言う人間もいるのだ」
「そんなの嘘だ」
「あくまでも白を切るか。早く言ってしまえ。このままだとお前はどのみち斬首だが、早く言えば、まだ子供であることに同情して、命だけは助けてやるぞ」
「そんなこと言ったって……知らない物は知らないんだよ!」
「仕方ない……続けろ」

 ベンが顎で指示すると、兵士達が再びイーハオに手を伸ばした。

「どう見ても濡れ衣じゃねえか、ふざけやがって!」

 激怒したネイマンが飛び出して行こうとした。
 だが、何かに気付いたリューシスが、慌ててネイマンの腕を押さえた。

「ちょっと待て。あれを見ろ」

 リューシスが指差した方向、タイトなガルシャワの民族服を着た一人の青年が、数人の衛兵を従えてこちらへ歩いて来た。
 青年は少し癖のある金髪で、その下の顔は神の造形物かのように整っている。見物していた若い女性たちが思わず溜息をついて見惚れてしまったほどの美形であった。しかし、その緑色の瞳は鋭く強い光を放っており、周囲の空気を圧してしまうかのようなオーラを放っていた。

「金髪緑眼。あの男、もしや……」

 リューシスは口に手を当てて呻いた。

「これは、ラヴァン様」

 ベン・ハーベンが、その美青年に向かって恭しく頭を下げた。それに倣って、ヴァレリー・チェルノフらも頭を下げる。

「やっぱりか。あれがシーザー・ラヴァンだ」

 リューシスは目を見開いた。初めて見る好敵手のシーザーを凝視した。
 シーザーは、その視線を感じ取ったらしい。リューシスに目を向けた。
 二人の間には人だかりがある。見物人たちの頭と頭の隙間からであったが、二人の目が確かに合った。
 もっと後年の話であるが、後に永遠の好敵手となる二人が、初めて視線を合わせた瞬間であった。

 だが、そんなこととは思いもせず、シーザーはすぐに視線を外した。
 そしてベン・ハーベンに訊いた。

「その子供が盗んだ犯人か」

 ベン・ハーベンは、媚びるような笑みを浮かべて頷いた。

「ええ。こいつは否定していますがね。ソウセンと言う商人が買い取ったと言う証書も持っておりましたし、商人風の男と何か取引しているのを見たと言う目撃もございます。そして、先程家を調べさせましたら、この証書に書いてある通りの二万リャンに近いまとまった金がありました。また、こいつは子供の癖に有名なスリなのですよ。こいつが盗んだに間違いありません」
「その証書を見せろ」

 シーザーが手を出して促した。

「はっ。ここに」

 ベンが証書を手渡す。
 シーザーは、ざっとその紙に目を走らすと、

「ふむ。で、このソウセンとやらはどこにいる?」
「それが、このクージンに長くいる私でも、ソウセンと言う商人は聞いたことがございません。恐らく旅商人だと思われます。こいつめ、悪知恵が働くので、証拠が掴まれにくいよう、わざわざ旅商人に売ったのでしょう」
「なるほどな」

 シーザーは、じろりとイーハオに緑色の視線を向けた。

「で、今こいつにソウセンはどこに行ったのか、吐かせようとしているのですが、子供ながら強情でして、口を割りません」

 そこで、イーハオが横合いから叫んだ。

「俺はソウセンなんて奴知らないって何度も言ってるだろう! そもそもそんなわけのわからない物なんて盗んでない! もう放してくれよ!」
「うるさいぞ」

 ベンが、喚くイーハオの頭を押さえつけた。

「こうして知らないと言い張る始末でして」
「そうか」

 シーザーは頷くと、イーハオの前に片膝をついて話しかけた。

「いいか? お前は子供だからわからないだろうが、お前が盗んだ物はただの印章ではないのだぞ」

 ――印章?

 聞いていたリューシスの眉がぴくりと動いた。
 シーザーは言葉を続ける。

「あれはな。それを手に入れた者こそが、この大陸を制覇できると言う秘宝。この大陸の絶対唯一の皇帝として君臨できると言われる、"覇王の玉璽バーワン・ユーシ"だ」

 聞いた瞬間、リューシスの全身を無音の衝撃が走った。

「何っ……」

 驚愕のあまり、思わず声が出てしまった。

 ――覇王の玉璽バーワン・ユーシだと?

 それは、かつてこの大陸を統治していた歴代のハンウェイ統一王朝に代々受け継がれた印章であり、それこそがこの大陸の覇者の証とされている。

 "覇王の玉璽バーワン・ユーシ"、別名を"ハンウェイ伝国の玉璽"と言う。

 実物は翡翠(玉)で作っただけのただの印章なのであるが、歴代の皇帝たちがおよそ一千年に渡り受け継いで来たうちに、自然と絶大な価値と権威を帯びた。それを持つ者こそが、この大陸を統べる資格があるとされ、その玉璽だけで百万の兵にも勝る、とも言われている。
 この大陸には何度か乱世が訪れているが、その度に、領土の他にその玉璽を巡って熾烈な争いが繰り広げられて来た。
 しかしおよそ二百年前、最後にこの大陸を統一支配していたトゥオーバー族のビルサ帝国が滅んだ際に紛失し、それ以来ずっと行方が知れなくなっていた。

「その覇王の玉璽バーワン・ユーシはな、我らがガルシャワの皇帝陛下の命でずっと探していたのを、我々がこの程ようやく発見できたのだ。あれは、何物にも代え難いこの大陸一の秘宝中の秘宝だ。盗んだ人間は、本来であれば即刻斬首である。だが、お前はまだ子供で、その価値もよくわかっていないだろう。今、そのソウセンと言う商人について教えてくれれば、特別に罪には問わん。さあ、教えてくれ」

 シーザーは、目つきは厳しいが、優しい口調で話しかける。
 だが、イーハオは涙目で首を横に振る。

「そんなこと言ったって盗んでないんだよ。何度も言わせないでくれよ……」
「どうしても言わない気か?」
「知らないんだから言えないよ!」

 すると、シーザーは表情を一変させた。冷たい顔となって立ち上がった。

「ならばやむをえん。もう少しだけ続けろ。子供だからと言って手加減は無用だ」
「はっ」

 再び、兵士達による拷問めいた仕置きが始まった。
 イーハオは泣きながら、なされるがままである。その様は凄惨であった。最初は面白がって見ていた見物人たちも、見ていられなくなって立ち去る者が出始める始末であった。
 しかし、それでもイーハオは何も言わない。ちょっと考えれば、とりあえずこの場を逃れる為に適当な嘘をつけばいいとわかるのだが、まだ子供であるイーハオには、この状況下では咄嗟にそこまで頭が回らなかった。

 やがて、シーザーが進み出た。

「お前たちどいていろ」

 シーザーはそう言うと、突然腰の長剣を抜き、冷たく光る切っ先をイーハオの眉間に突きつけた。

「小僧。俺はそんなに甘くない。強情を続けていると、どちらかの腕を斬り飛ばすぞ」

 アーモンド形の緑の瞳が冷たく光った。

「…………」

 散々に痛めつけられて朦朧とし始めたイーハオは、虚ろな瞳でその切っ先を見つめていた。
 だが、突如として目の光を蘇らせると、きっとシーザーを睨み上げた。

「わかった。斬るなら斬れ! その代わり、やってない俺を斬ったなら、きっとお前に天罰が当たるからな!」
「何?」
「知ってるぞ。お前、ガルシャワのシーザー・ラヴァンだろ!」
「その通りだ」
「俺の父ちゃんは、セーリン川の戦いに行って、お前の兵士たちに殺されたんだ。俺は……いつかお前に会ったら仕返ししてやろうと思ってた。でも、残念だ。折角お前に会ったってのに、俺も父ちゃんと同じようにお前に斬られてしまうんだ。でもな……それでいい気になるな! 俺は知ってるんだ。お前はリューシス様に二度も負けただろう」

 その瞬間、シーザーは顔色を変え、眦を吊り上げた。

「小僧、貴様……」
「父ちゃんがいつも言ってた。リューシス様はローヤンの英雄だ。誰と戦っても負けない名将な上に、とても部下思いの優しい人なんだって。俺がここでお前に斬られたら、きっとリューシス様が俺の仇を取ってくれる! お前に三度目の負けを味あわせてやる。もう一度言ってやる、覚えてろ、リューシス様はローヤンの英雄だ。リューシス様がきっとお前を討つからな!」
「おのれ……」

 シーザーの瞳の奥に緑色の炎が燃えた。握っていた長剣をゆっくりと上げた。

「もう我慢できねえ、止めるなリューシス!」

 先程から握り締めた拳を震わせていたネイマンが飛び出して行こうとしたが、

「止めねえよ!」

 と叫んだリューシスが、それよりも早く走っていた。

「やめろ!」

 見物人たちをかき分け、イーハオの前に飛び出したリューシス。
 イーハオを守るようにその前に立ち、シーザーを睨んだ。

「リュースさん……」

 イーハオの腫れ上がった顔に、笑みがこぼれた。
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