紅き龍棲の玉座

五月雨輝

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元皇宮侍医の闇医者

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 リューシスは背筋を正して微笑んだ。

「久しぶりだな。元気にしていたか」
「まあ、この通りでございますよ」

 チャオリーは顔を上げると、小さい酒壺を取り出して笑った。
 そのまま、口をつけてぐいぐいと飲んだ。

「ここで医者をやっているのか?」
「ええ、病人や怪我人の治療をしながら、あちこちを旅しておりますが、"今は"ここに落ち着いておりますね」
「人口が多いだけに、患者も多いか?」
「そうでもないですね。ここは貧しい人間も多いですから、病や怪我をしても医者にかからない者も多いのですよ。診てくれ、と来たとしても、金を持っていないから、治療代もあまり取れない。だから、罪人や盗賊なども診察したりしておりますよ」

 と言って、チャオリーは笑った。

「盗賊までもかよ」

 リューシスは眉をひそめた。

「はは。盗賊は金だけは持ってますからな。いい商売になるのですよ。それより殿下は……ああ、病人ですから、元気なはずはありませんな。しかし身体に残るいくつかの傷跡と、その行商人のような格好。やはり噂は本当でしたか」
「知ってたか」
「ええ、もうすでにこの辺りには広まっておりますよ。殿下が帝位を狙って謀反を起こし、帝を暗殺しようとしたと」
「そんなことしてねえよ。全てマクシムの奸計だ」
「ははは、やはりそのようなところでございましたか」
「わかっていたのか」
「何となく。医者は身体だけではなく、心までも診ることができるのですよ。私は殿下の心をよく知っております。殿下はそのようなことをするお方ではございませんからな。大方、丞相とかあの辺りの何者かに嵌められたのだろう、そう思っておりましたよ。その上で、これは大変なことになったな、と思い、また殿下の身をずっと案じてもおりました」
「本当かよ」

 リューシスは、チャオリーの片手にある酒壺を見て苦笑した。

白酒バイジュですが、お飲みになりますか?」

 チャオリーが酒壺を差し出した。

「病人が飲めるか。いらねえよ」
「では、そこの。どうかな?」

 チャオリーはネイマンに酒壺を向けた。
 ネイマンの顔が輝く。

「お、いいのか? のどが渇いちまってな。遠慮なくいただくぜ」

 ネイマンは喜んで受け取ると、水を飲むかの如くぐびぐびと飲みだした。
 チャオリーはその様子を見て愉快そうに笑うと、再びリューシスに向き直り、

「それで、殿下、これからどうなさるおつもりですか?」
「とりあえずはこの病を治して、その後はランファンに向かうつもりだ」
「ランファンですか。ランファン王でもある殿下のご領地ですな。ではその後はどうなさいますか? 丞相に対して叛旗を掲げるのですか?」

 すると、リューシスは口を閉じて沈黙した。

「おい、違うのか?」

 ネイマンが酒壺を置き、怪訝そうな顔で聞いた。
 ランファンに行った後は、各地に檄を飛ばしてマクシム打倒の兵を挙げる。ネイマンは、てっきりそうするものだと思い込んでいた。ネイマンだけではない、バーレンやイェダー、その他親衛隊の者たちも皆、そのつもりでいるだろう。

「まあ、俺も最初はそのつもりだったんだがな……」

 そこまで言うと、リューシスは目を伏せて口ごもった。
 表情に、複雑そうな色が見え隠れする。
 それを見て、チャオリーは何となくリューシスの心境を悟ったらしい。

「まあ、殿下はご幼少の頃から皇宮にあって様々なものを見て来られた。色々な思いがございましょう」
「…………」
「しかし、私はずっと、いずれはこうなるのではないかと思っておりました。いつかどこかで、リューシス殿下は朝廷と対立し、アンラードを出て行くことになる、と」

 チャオリーが酒壺を取り、再び一口飲んだ。

「この状況を予想していたってのか?」
「ええ。ローヤン帝国は大樹であります。しかし元々の根っこが腐っているのですから、いずれ真っ二つに折れるのは必定」

 謎かけのような、意味深な言葉である。
 それを聞いて、リューシスは褐色の瞳でじっとチャオリーを見つめた。

「一つ聞きたい。お前……アンラードの皇宮から出奔したのは何でだ? ローヤン皇家に関する重大な秘密を知ってしまい、その為に命を狙われることになったからだと言う噂があるが、本当か?」
「…………」

 今度はチャオリーが口をつぐんだ。酒壺を右手に持ったまま、沈黙していた。
 壁の丸い小窓から差し込む光が、その半面に浮いた闇を照らし出している。
 リューシスが膝を進めた。

「お前、一体何を知ったんだ? ローヤン皇家に関することなら、俺にも関係がある。教えてくれないか?」

 だが、チャオリーはふふっと笑うと、酒壺を口に運んだ。

「ただの噂ですよ。私は何も知りません。宮中を出て行ったのは、宮中勤めに嫌気がさしたからです」
「嘘をつくな。お前のその目、何かとんでもない秘密を隠している目だ」

 リューシスの瞳が鋭い光を放った。

「はは、殿下の慧眼は相変わらずですかな? しかし、私は本当に何も知りませんので」
「教えてくれ。誰にも言わないから」
「いやいや、何も知らないんですから教えるも何もありませんよ」
「本当か?」
「ええ、本当です」

 チャオリーは、それきり、酒を飲み続けたまま何も言わなかった。

「そうか……」

 知らないと言い張る以上、もう何も言えない。
 リューシスも、それ以上は聞かなかった。

 しばらくして、イーハオが買い物を終えて帰って来た。
 チャオリーは早速、もう一種類の薬を調合し、リューシスに処方した。

 その後、外に出て料理を始めた。手慣れた手つきでジマン鶏を捌くと、骨と肉に分けた。その骨を洗い、ニンニク、ショウガ、クコの実、クミンなどと共に大鍋に放り込む。
 そして、その鍋の上で、チャオリーは両手をかざして天精ティエンジンを集中させた。すると、鍋の上に透明で清らかな水が降り注いだ。彼は、水の天法術の使い手であった。

 こうして、ジマン鶏の鶏ガラを煮込む。
 そして出汁が出て来て、更にしばらく煮込むと、やがて鍋は白濁してくる。そうなると、基本となるスープはほぼ完成だ。後は酒と塩と砂糖、醤油などで味付けをし、そこに、一口大に切ったジマン鶏の腿肉を入れ、ニンジン、ネギ、白菜なども入れて更に煮込む。
 やがて食欲をそそる芳香が漂い始めると、ジマン鶏の鍋の完成である。

 大鍋ごとボロ小屋に運び込んだ。チャオリーも同席し、皆で食べた。
 麦酒ピージュと安い葡萄酒プータージュも買って来て、皆で談笑しながら鍋をつつく。
 リューシスにとって、アンラード以来、久々に寛げる楽しい食卓となった。イーハオ、アルハオの兄弟にとっても、こういう賑やかで美味しい食事は久しぶりらしい。食べることはそっちのけで、半分もわからない大人同士の会話に加わる。

 やがて食べ終わると、チャオリーは薬を置いて帰って行った。

 その後しばらくの間、リューシスはイーハオ兄弟のボロ小屋に寝泊まりすることになった。
 チャオリーに言われた通りに薬を飲み、養生に努めた。
 イーハオはスリをやめた。リューシスから貰ったお金のおかげでもあるのだが、心を改めた。外での仕事を増やして真面目に働き始めた。

 リューシスらは、イーハオ、アルハオとすっかり打ち解け、仲良くなった。
 イーハオとアルハオもリューシスによく懐き、

「このままこのクージンで暮らしたらいいよ」

 とまで言う。
 だが、時々、リューシスを本人とは知らず、悪口を言った。

「リューシスパール様はやっぱり悪い人だよ。今日、街で聞いたんだ。アンラードで皇帝陛下を暗殺しようとしたんだけど失敗して、アンラードから逃げたんだって。どこが英雄なんだ。やっぱり大悪党だ」

 これには、リューシスもただ苦笑いしているしかなかった。

 そして、三日目。リューシスの体調は劇的に回復した。
 仲良くなったイーハオ、アルハオと別れるのは少し寂しいが、 もう行かなければならない。

 今もバーレンやイェダー、親衛隊の者たちはランファンを目指しているであろう。もしかしたら、もう到着している者もいるかも知れないのだ。
 朝、そのことをイーハオに伝えると、イーハオ、アルハオ、共にとても残念がった。アルハオに至っては泣き出してしまった。
 だが、イーハオはすぐに納得し、アルハオを慰めながら、笑顔を作って言った。

「じゃあ、せめて今日一日だけは泊まって行ってよ。そして、今夜はご馳走にしようよ。美味しい肉を買って来るよ。お酒も」
「それはいいな。でもお前は仕事に行くんだろう? 買い物なら俺達がしておこう」
「そう? じゃあお金渡すから買って来て。他に何でも好きな物買っていいよ」

 イーハオは金を持って来てリューシスに渡した。
 リューシスは苦笑した。元はと言えば、この金はリューシスがイーハオにあげたものである。
 だが、リューシスはこの子供らしい天真さが好きだった。

「よし、色々買って来て、俺達が料理も作っておこう」
「わかった。じゃあ行って来るよ。アルハオも見ててよ」

 イーハオは言うと同時に、ボロ家を出た。

 彼が今働いているのは、あのリューシスらとの逃走劇の際に逃げ込んだ旅館である。
 そこで、真面目に一生懸命、掃除や皿洗いなどをしていた。

「ああ、遅くなっちゃった。急がないと」

 イーハオは走り始めた。そしてもうあと二百メイリも行けば着くと言う時であった。
 どんっ、と後ろから誰かにぶつかられた。
 つんのめりそうになったが、踏ん張って体勢を戻した。

 前を見れば、一人の男が走り去って行くのが見えた。男は、頭に黄色い頭巾を被っていた。

「いってえなあ。何するんだよ」

 イーハオは腹を立てたが、はっと気づいた。
 今のは、自分がかつてスリをしていた時によく使っていた手と似ている。
 慌てて荷物を探った。しかし、財布は無事であった。
 イーハオは安堵し、再び歩き始めた。

 だが、またおよそ百メイリほど歩いた時である。
 今度は突然、数人の兵士に取り囲まれた。兵士らが着ているのはガルシャワ軍の甲冑である。

「な、なに?」

 イーハオは、びっくりして後ずさった。
 だが、兵士の一人がその胸倉をつかんで凄んだ。

「小僧、お前がイーハオか?」
「そうだけど……離してよ。仕事に行くんだから」
「ガキの癖に名の知れたスリだそうだな」
「そんなこと……」

 イーハオは狼狽え、誤魔化そうとした。

「ごまかそうとするな。調べはついているんだ」
「証拠はあるの? 俺は今何もしてないよ?」

 イーハオは、兵士の手を振り払った。
 スリは現行犯か、家に証拠がなければ捕縛することができない。
 主に旅人の金銭ばかりを狙っていたので、家に証拠もないイーハオは強気に出る。

「ふん。まあ、お前が過去にやったことはどうでもいい。問題は今、お前に重大な窃盗容疑がかかっていると言うことだ」
「窃盗?」
「我らが総司令官、シーザー・ラヴァン様が近頃ようやく手に入れた宝物が盗まれたのだ。そして、盗んだのはお前だと言う報告があってな」
「はあ? そんなの盗んでないよ」
「黙れ! さあ、このガキの身体を検めるんだ」

 兵士らが、全員でイーハオの荷物から衣服までをくまなく探った。
 すると、あるはずのないものが出て来た。

「ありました」

 兵士の一人が、イーハオの腰帯の間から一枚の紙切れを取り上げた。
 イーハオは驚いた。当然、そんな紙切れに覚えはない。
 兵士はその紙切れの中身を見ると、顔色を変えた。

「うむ。やはりだ。このガキが"あれ"を売った証書だ。ソウセンと言う商人が、二万リャンで買い取ったと言うことが書いてある」

 兵士は凄まじい形相でイーハオを睨んだ。

「たった二万リャン……あれほどの物をたった二万リャンで売り払うとは、価値がわからんとは言え、何と愚かな。あれはただの印章ではないのだぞ? 場合によってはお前は斬首だ。しかし小僧、とんでもないことをしでかしてくれたな。このソウセンと言う商人はどこにいる?」
「し、知らないよ。そんな人。そもそもそんな物盗んでないのに」
「しらばっくれる気か。縛り上げて誰に売ったか吐かせるんだ!」

 兵士らが、イーハオの身体を取り押さえた。
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