怪奇短編集

木村 忠司

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とある廃墟ビルディングにて 〜天国と地獄編〜

第八話

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「レイカ君は先ほど私の質問に、幸せだと答えた。そしてヨウコくんもそれなりに幸せなのだろう。幸せと感じることはそれぞれの人の内面の自由だ。その人が幸せだと思えれば、命を金で買われる奴隷の身分にある者も幸せなのだろう。だがしかし、その幸せが何者かの思惑によってそう思わせられたとしたら、それは偽物の幸せじゃないかい? だとしたならば、それは潜在的に最悪な不幸ではなかろうか? ねぇ、レイカくん。私の言っている意味が分かるかい?」

「よくわかりません」とレイカが答える。

「とりあえず分からないと答える、もしかすると君のようなタイプが一番幸せかしれないね」

「それってもしかして私のこと凄い馬鹿にしてます?」レイカがちょっとむっとした様子で言った。

「いや、まさかそんなつもりはないよ。誤解を与えたのならば、私としても遺憾だ。気を悪くしてくれるな」

老人は優しく言葉を選びながら続ける。

「だが一方のヨウコくんは、敏い子だ。ここが普通の場所でないともう確信しているようだね」

老人は顎ひげを撫でながら、余裕の微笑を浮かべてヨウコの方を向く。

「それを説明してくれるの?」ヨウコが静かに尋ねた。

「まぁ、そうだね。だが話すよりも見たほうが早いだろう。ほら、後ろを見てみなさい」

ビルのオーナーを名乗る老人の言葉に促されて、ヨウコとレイカは振り返った。

そこにはさっき入ってきたアーチ型の出入り口はなく、一面が白一色の壁になっていた。

「はっ!?」レイカが思わず声を上げる。

「あなたがやったの?」ヨウコは冷静に尋ねた。意識的に感情を抑えているようだ

「ああそのとおりだよ。私には特別な力がある。それは本のページを一気に多数ペラペラとめくるように、幾重にも連なる時空であっても軽々と乗り超えることを可能にする偉大な力だ」

老人はほくそ笑みながら言葉を続ける。

「さっきの子たちも、その力のおかげってことなのね?」

「あの子たちとは、私の娘たちのことかな? 君は本当に賢い子だねぇ。察しが良すぎると短命に終わるとも言うが、私は君の事が気に入ったよ。私が言う必要はないかもしれないな・・・。それではヨウコくん、私の力の正体は何だと思う?」

「悪魔と取引をした、とか?」ヨウコが提案する。

「悪魔かい?フフフ・・・若かりし頃にゲーテのファーストを読んで悪魔と言う存在に興味を持ったこともあったが、残念ながら私もメフィストフェレスに会う方法は知らないよ。にしても君は想像力も豊かなようだね。他にも何か思いつくかな?」

「その手に持っている杖が魔導師の杖・・・とか?」

「ほう・・・これが魔導師の杖に見えるかい? それじゃ自分の手に持って、近くでよく見たまえ」

老人は言いながら腰を上げ、自分の持っていた杖をヨウコの目の前に差し出した。

ヨウコは老人の意外な反応に少しぎょっとした様子だったが、気を立て直し、杖を受け取ると、それをぐるぐる回しながらじっくりと調べ始めた。

ぱっと見た感じ、自然の造形ではなく、木製でもないようだ。それは人工的で美しい直線的な長い円柱の杖で、取っ手部分は持ち手に合わせて膨らんでいて、角度を変えながらの複数の多角形の面で構成された幾何学的な形状をしていた。

手に持った感触は重すぎるわけでもなく、手によく馴染む感じの、ごく普通の杖といった印象だ。材質はわからないが、全体的に象牙のような乳白色をしていた。


「特注して作った高級ぽい杖だけど、特別変なところはないかなぁ・・・」とヨウコが呟く。

「ああ、そのとおり。見た目は普通の杖だ。でもねぇ・・・それは地球に残された唯一無二の存在、知れば誰もが驚天動地、紛れもない魔法の杖なのだよ」

「え?」とヨウコが目を丸くする。

「ハハハ・・・まぁ、そう言われて信じられないよね? 当然だ。それじゃ、杖は返してくれたまえ」

老人は手を伸ばすが、ヨウコは動じることなく杖を握り締める。

「そう言われたら、簡単には返せないんですけど」

ヨウコの冷静な口調に、レイカが強く訴える。

「ようだよ! 返しちゃダメだってヨウコ!!」

「フフフフ・・・君たちがこの杖を持っていても意味がないのだよ。閉じた扉は開かいないし、無論帰ることもかなわない」

老人は、伸ばした腕の先の手のひらを二三度、呼び寄せるような仕草をする。

「確かにそうかも」

そう言って、ヨウコはあっさりと杖を老人に返した。

「なんで返すの? 返しちゃダメだって!」

レイカが必死に訴えるが、もう取り返しのつかない事態となっていた。

「ありがとう。この杖は以前から随分古い時代のものだとはわかっていたが、普段使いでちょうど良いと思って長いあいだ普通に使っていたのだよ。しかしそんな中で、私が偶然この杖の真の力に気づいたのは、まったく私の気まぐれ偶然の成り行きだったのだ。

まさかそんなやり方で、神話の時代のとてつもない偉大な存在が施した封印が解けるなどとは、誰も思わないのだから」

「なにそれ? 鍵ってなに?」とレイカが問いかける。

「それは簡単には教えられないよ。もし君が私の家族になり、いずれこの力の後継者になる、というならやぶさかではないがね」

「後継者なんて絶対無理だし・・・」レイカがあからさまに嫌な顔をして答えた。

「で、その力でここにあなたがこの城を作ったわけなの?」ヨウコが尋ねる。

「城ではなくビルディングだが、私はここでもビルのオーナーなのだよ。このビルは大小169室あり、地下3階地上10階で構成されている。設計図は自分の頭の中ではなく、この杖を創造した偉大な文明の叡智が螺旋を描くように自動創世されるのだ。全く信じられない脅威の力だ。この空間自体、我々が元いた地球、つまり東京とは違う別の概念世界なのだ」

「なんか狂気の沙汰にしか聞こえないんだけど、たしかにそうとしか思えない。あなたのいう別の世界っていう意味はつまり異次元てこと?」とヨウコはさらに老人に問いかけた。

「ああ、異次元という言葉で片付けるならそのとおりだ。しかし、異次元の概念をそもそも君は理解しているのかな?」

「数学的になら縦横奥行きで三次元、時間で四次元、そして異空間を表す五次元。ならわかるけど、概念はわからない」

「素晴らしい! 君は何か特別な教育を受けているのかい?」

「いやちょっと前に興味あって、科学系YouTuberの動画見ただけだけど」

「確かに数学的には君の言うとおりだ。しかし科学の世界で異次元と呼ぶものは想像のモデルに過ぎない。この世界は私が理解していた物理学の法則や地球上の現代文明の常識をはるかに超えている。この杖に宿る魔術的な力は真に神秘の力なのだ。この杖の封印をたまたま私が解いてしまった時に、強烈なショックと共に情報の津波が私を襲ってきたのだ。この杖に内在していた無機質的な遺伝子のようなきめ細やかな煌めく螺旋状の波が、止めどなく私の魂に入ってきたのだ。それが何なのかをいちいち今とうとうと君たちに説明するのは無粋だし無理な話だ。ただ君のような理知的な女性に言えるのは、この杖を創った者達の文明は、今ある人間の始祖に当たる生命だと言うことだ。彼らは人間ではない。それだけは言える」

ヨウコとレイカは老人の言葉に戸惑いの表情を浮かべる。

「なんかめちゃくちゃ長いし、よくわけわかんないけど、それってよく月刊誌ムー的な地球外生命体とかそういうこと?」さすがにヨウコもまゆをひそめて少々疑わしそうにも尋ねた。

「その通りだ。私が持つこの杖は、まさに地球外文明の遺産なのだ。人類の起源そのものにかかわる、驚くべき存在なのだよ」

老人は言葉を重ね、ヨウコとレイカの目を真剣に見つめる。

「しかし、この杖の力を使いこなすことは容易ではない。私自身、その危険性を身をもって知った。だからこそ、後継者を見つけたいのだ。君たちの中から、この杖の力に相応しい者を見出したいのだ」

二人の少女は互いの視線を交わし、戸惑いと不安の色を浮かべる。

「地球外生命体か・・・たしかにそうなのかもしれないね。しかし残念ながら始祖の起源までは記録されていなかった。それは私に情報クリアランスが足りないか、そもそも私たち人間にはあずかり知れないことなのだろう。ところで君はヒトゲノム、つまり人間の保有する遺伝子解析は終わったとかいう話もあるが、それでもまだ不明または誤解されたまま放置された遺伝子があることを知っているかな?」

「いや知らない」ヨウコはあっさり答えた。

レイカは二人の会話にきょとんとするばかりだ。

「人類が猿から進化したというのは、猿と符合する遺伝子を持っているからだ。しかし猿から人間なるには大きなる飛躍があるとは思わないか?」

「猿と人間の違い・・・」ヨウコがつぶやく。

「確かに似てるけど・・・言われてみれば」レイカの口からそんな言葉が漏れた。

二人の少女は、老人の言葉に込められた意味を理解しようと必死に考え込む。

地球外文明の遺産、人類の起源、そして謎に包まれた遺伝子・・・。


「そうさ、猿に人間性を植えつけた存在が居るのだよ。そして実はその存在は人類が誕生した紀元前100万年前後まではこの地球に存在していたのだ。しかしながらアダムイヴが生まれた後、しばらくして彼らは一人残らずこの地球上から消えてしまった。だから考古学でどれだけ地面をほっても彼らの残骸は出てこないし、不明の遺伝子は永久に未解明のままだろう」

「それでつまりあんたの杖は、その人間の始祖の存在が作ったもので100万年前に地球に忘れていった杖だってわけ?」ヨウコが推察する。

「君は本当に素晴らしい! ますます気に入ったよ。そのとおりだ。人類を産んだというか、猿に知性をもたらした彼らはその後、間もなく文明ごと地球から消えた。他の異空間へと幽霊のように消えてしまったのだ。理由は私もよくわからない。ただ彼らの残した杖がたまたま私の元にやって来て、蓋然性を秘めた偶然が重なって封印を解いてしまった私は、彼らの尋常ならざる時空をも操る力を得たのだ」

「なるほどね。それで私たちを一体どうするつもりってわけ?」レイカが尋ねる。

「まぁここにいて、我々の家族になってもらいたい。私たちが元いた世界はもはや人が多すぎる。野心と欲望は右肩上がり、空気は汚れ、異常気象による熱波に各大陸には甚大な森林火災、世界規模の人の移動によって新型の疫病が生み出され流行し、複合的なフラストレーションによる紛争と戦争がこれからさらに増えるに決まっている。もしかすると始祖たちはあらかじめ、こうなる事態を予期して去っていったのかもしれない。しかしながらこの世界に居る限り、君たちには充足した生活を保証しよう。無限のパーソナルスペースと、地球にいた頃のような、いつも何かに追われるような生活をする必要はない。いずれ必ずここに来てよかったと思うようになるだろう」

「嫌だよ! 私は絶対に帰りたいよ」しばらく黙っていたレイカが怒気にも似たつよめの声で言った。

「最初は皆同じくそう言うんだ。しかしだんだんと気持ちが変わってくる。以前の世界で自分が感じていた常識や感情は押し付けられたものだったと気づくようになる」

老人はレイカの激しい反応に少し驚いた表情を浮かべる。

「そう簡単には諦められないと思うわ。この世界に来て、自由と安らぎを感じられるまでには時間がかかるかもしれない。でも、私たちはあなたたちのことを家族として大切にするつもりだ。ここでは何不自由なく、思い通りの生活を送れるはずよ」

ヨウコは老人の言葉に少し同情的な面持ちだった。

「でも、私たちには家族がいるし、大切な人がいるの。そこに帰りたいの」

「ああ、そうか。故郷や大切な人々への思いは強いものがあるのだな。しかし、この世界には想像を絶する素晴らしい可能性が秘められている。私がこの杖の力を使いこなせば、私たちはいつでも好きな時に故郷を訪れられるかもしれない」

老人は二人の少女に優しく語りかける。

「もし私の提案に興味があるなら、ぜひ一緒に旅立ってみないか。きっと素晴らしい体験ができるはずだ」

ヨウコとレイカは互いの視線を交わし、複雑な表情を浮かべる。この異世界への誘いに、若い二人の心は揺れ動いていた。


「ヨウコ、この人の話に乗っちゃダメだよ!やっぱり絶対頭おかしいって!」レイカは興奮気味にまくしたてた。

ヨウコは返事をせず、黙ったまま何かを考えているようだ。

「どうやらレイカくんは不都合な真実をつきつけられて少しヒステリーを起こしたようだね。まぁ落ち着き給え。時間はたっぷりあるんだ。ゆっくりと考えればいい・・・フフフッ」老人は顎鬚をさすりながら、ニヤリと嘲笑うように笑った。

レイカはさらに怒りを露わにする。「絶対に帰りたい!この異常な世界なんか嫌だよ!」

一方のヨウコは、老人の提案に対して複雑な表情を浮かべていた。この異世界への誘いは、確かに魅力的だった。災害、疫病、戦争、そして地球沸騰化と度重なる混乱から逃れられる可能性。そして彼女の内面でのこの杖が秘める驚くべき力に対する好奇心も募っていく。

しかし同時に、両親や学校の友人たちへの想いも強かった。この二つの世界の狭間で、ヨウコの心は揺れ動いていた。

しばらくそのまま沈黙の時間が流れるのだった。二人の少女の運命は、いったいどのような方向に向かうのだろうか。

つづく













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