怪奇短編集

木村 忠司

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洋館の手記〜前編

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「ねえ、今から迎えに行ってもいい?」

「え?今?どこに行くの?」

「秘密だよ。すぐいくから着替えておいて」

 彼はいつもこうだ。突然、思いつきで誘ってくる。でも彼女はそれが嫌いじゃない。今までも何度か気持ちが躍るようなサプライズがあった。

 彼女は急いでシャワーを浴びて、夏に合わせて涼しげなワンピースに着替えた。バッグに財布とスマホを入れて、玄関に向かう。すると外からクラクションの音が聞こえた。

 彼女がアパートから外に出ると、もう彼の運転する車が目の前に停まっていた。彼は窓を開けて笑顔で手を振った。

「もう来たの?」

「美咲もしかして寝てた?」

「いや起きてたよ。でもこんな時間にどこに行くのよ?」

「それは乗ってからのお楽しみだよ」

彼は助手席のドアを開けて私を招いた。私は車に乗り込むと、シートベルトを締めた。

「じゃあ、出発しようか」

 彼は力強くアクセルを踏むと、ブレーキをあまり踏むこともなく大きな交差点までスムースに進んだ。その信号を右折して国道に出ると、夜の道路は空いていてクルマはスイスイと走った。彼のクルマはダイハツミラという軽乗用車で、彼の父親が仕事用に使っていたものを譲り受けたものだった。

「ねえ、悠くん」

「ん?何?」

「どこに行くの?教えてよ」

「まだ教えないよ」

 彼はそう言ってニヤリとした。彼女は不思議に思ったがいつもの事かと黙って彼の運転を見守った。

 やがて、クルマは山沿いに入り国道から山道に入った。道はカーブが多くて狭くなり、周りは木々で暗かった。ところどころ落石が点在していてあまり整備がされていない印象だった。彼女は少し怖くなった。

「悠くん、ここ本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ。心配しないで」

 悠はそう言ってラジオをつけた。流れてきたのは美咲の好きなバンドの曲だった。

「あ、この曲好き」

 その曲のメロディをくちずさむ美咲は、進行方向から現れた案内の看板に目が言った。それはさらに山深い山道に入る分岐点にあった。あちこち凹んだり痛んでいるその看板には『カモシカ温泉』と書かれていた。

 悠はその看板の前あたりでクルマを停車させると降車した。

 古くて小さくてパワーもない車で、この先の山道を走るのはどうかとすこし不安に思った彼はクルマを一周して足回りを点検してみた。しかし特に異常はなさそうだ。

「この温泉が目的地?」点検している彼に美咲が尋ねた。

「いや違うんだけどさ‥‥でも天然温泉があるならそっちもいってみようか?」

「違うって、どこにいくつもりだったの?」

「まあまあ、とにかく行ってみようよ」

 美咲は一瞬「やめた方がいい」と言いかけたが言っても効かないだろうと押し黙った。そして看板の温泉という看板の二文字も気になって本当にあるのかという気持ちもあった。

 その後再び発進させたダイハツミラは、その分岐点を右に曲がり小さな林道に入った。

 運転する悠は道が狭くてカーブが多くて実は少し緊張していた。それでもその先にあるとされる謎を確かめたい好奇心が勝ってとにかく先を急いだ。

 しばらく進みながら「本当にどこに行くの?」と美咲が聞いた。

「実はね‥‥すごいところがあるらしいんだよ」と悠が言った。

「すごいところ?それって一体どんなところ?」

「それはまだ内緒だよ。着いたらわかるから」

「もったいぶるなぁ…」

「うん…でも、ちょっと遠いから時間かかるけど、間違いなくびっくりすると思うよ」

 途中に杉木が傾いていたり道は荒れていたが、立ち往生したり走行不能なほどではなく、更に奥へと山道を走り続けた。

 どれくらいはしっただろうか、悠は息を止めると唐突にクルマを止めた。

「なに?どうしたの?」と美咲が聞いた。

「あれ、見て。あそこ」と悠が言った。

 徐行したクルマは転回しながらハイビームの光は遠くを照らしていた。美咲はその光の照らす先をみた。

 そこには森の中にぽつんと建っている大きな建造物があった。それは大正時代の華族を想起すような白い壁に赤い屋根をした大きな建物だった。

 その姿は明らかに古くてところどころ朽ち果てていて、どこか不気味が印象を受けた。壁にはひびが入っていたり色が剥げていたりしているし、屋根の瓦は欠けている個所があってそこには苔むしていたりしていた。

 窓のガラスは割れてはいないが、そこに見えるカーテンは朽ちているか破れていたりしていた。立派なつくり建造物だがそこには全く灯りはなく人の気配もなかった。長い間放置されている空き家のようだ。

「あれなんだろう?洋館?」と美咲が言った。

「うん!想像以上にすごいね!本当にあると思わなかったよ」と悠が言った。

「ここを探してたの?」

「うん…廃墟マニアの動画で見たんだよ。こんな近くにあるとは知らなかった」

「マジか‥‥また悠の病気が出たんだね」

「うん、でさ、ちょっと中へ行ってみようよ」

「え!?行くの?」

「うん。気になるでしょ?」

「でも、危ないかもしれないよ」

「大丈夫だよ。僕が一緒だから」

 悠は美咲を誘って車から降りた。

 二人は手をつないで洋館に向かって歩き始めた。近づいていくにつれて、二人はその洋館の不思議な雰囲気に引き込まれていった。現実感が失われていき、時間の感覚もいまではなくまるで過去の時代に入っていくような錯覚にとらわれた。

つづく


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