怪奇短編集

木村 忠司

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ノック音|

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エリカは深夜、仕事を終えて疲れた体を引きずるようにマンションに帰ってきた。玄関のドアを開け、リビングに入ると、ひとり「ただいま」とつぶやいた。少し間をおいて小さなノック音が聞こえた。リビングの方からだ。

襟かは息を潜め様子を窺った。そして一言「誰?」と声をかけたが返事はなかった。恐る恐る廊下を奥へ歩き、ゆっくりとドアを開けて中を窺ったが、誰もいない。

エリカは首を傾げながら部屋の電気を点けて、着替えを始めた。すると、また同じ様なノック音が...。

リビングと寝室をつなぐドア方から聞こえた気がした。

彼女の心臓が早鐘を打ち始める。5年前、彼女が一人暮らしを始めたばかりの頃の忘れようとした記憶が蘇る。あの時も、こんな不気味なノック音から始まったのだ。

怖くなったエリカは電話に手を伸ばす。しかし、受話器からはツーツーという音だけ。線が切られているのだ。

「だれか...いる?」

返事はない。確かに誰かがいるような気がして恐ろしくなてきたエリカは、何気なくトイレに入った。

便座に座りながら外の様子をうかがう。彼女の呼吸だけが聞こえる。そして、また何かの物音が聞こえて来る。

それはだんだん近づいて来て、トイレのドアを軽くたたき始めた。

襟かは、立ち上がり勇気を振り絞ってドアを開けた。するとそこには愛犬のチョコが立っていた。チョコは茶色の毛並みが美しいトイプードル。普段通りの可愛さでつぶらな瞳で彼女を見上げながら、尻尾を振っている。

安堵のため息が漏れる。チョコは普段は静かな犬だが、今日は珍しくペットホテルに預けられず、一日中留守番をしていたのだ。

エリカがチョコを抱き上げると、その小さな体から温もりが伝わってきた。チョコの鼻先が彼女の頬をそっと撫でる。するとチョコの首輪以外のなにかの感触があった。よく見るとそれは首輪に挟められた小さな紙切れにだった。震える手でそれを取り出すと、どこかで見覚えのある筆跡で何かが書かれていた。



「チョコ可愛いね。仲良くなれたみたいだ」



エリカは一気に血の気が引いて行くがわかった。走馬灯のようにあの恐ろしい日々が蘇る。チョコは普段、初対面の人なら誰でも吠える犬なのに、無邪気にしっぽを振って上機嫌な様子で見上げてくる。

部屋を見回してみると、テーブルの上に置いていたはずの親友との記念写真立てが消えていることに気づいた。そして、何気なく部屋の奥へ眼をやると、クローゼットの扉がほんのわずか開いている。

エリカはチョコを抱き上げ、恐怖に震える自分を押し殺す...。
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