怪奇短編集

木村 忠司

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のっぺら|

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むかしむかし、ある山里に与平という男がいた。与平は炭焼きの仕事をしていた。

ある日、山で仕事を終えた与平は麓の村へ帰る途中だった。日が暮れかけ、山道はだんだん暗くなってきた。木々の間から風がそよそよと吹いてきた。

与平が歩いていると、ふと耳に聞こえてきた。

「たすけて...たすけて...」

どこからともなく聞こえてくる声に、与平は驚いた。立ち止まってよく耳を澄ますと、確かに誰かが助けを求めていた。

「ん?どこかで女性が助けを?」

与平は声のする方へ向かって歩き出した。いつもなら通るはずのない見知らぬ道を進み藪をかき分けていった。

与平は声の方へ急いだ。それが普通でない声だ直感的に思えた彼は心のどこかで引き返せ、という心の声に気づいていたが、助けなければという大きな気持ちに押され、どんどん森の奥へ入っていった。

やがて木々の隙間から月明かりが差し込み、だだっ広い原っぱが現れた。藪から抜け出た与平は息を呑んだ。

原っぱの中央に立つ大木に、一人の女性が縛り付けられていた。朱色の着物は月光に照らされ、なまめかしい輝きを放って見えた。顔は布で覆われていて素顔は分からない。女性の髪は乱れ、首には流れ落ちた血の川、その姿は痛々しかった。

「大丈夫か!」

与平は駆け寄った。女性の体は冷たく、震えていた。縄はきつく、解こうとしても指が滑る。女性の呼吸は荒く、苦しそうだった。

突然、女性の体が痙攣し始めた。与平はぎょっとしながら払い落とすように顔の布を取り払った。

与平が布を取り払った瞬間、時が止まったかのように世界が静まり返った。

月光に照らされた女性の顔は、まるで白い絹のように滑らかで、どこまでも平らだった。目があるべき場所には窪みすらなく、鼻筋も唇も存在しない。ただ、無限に広がる白い平坦な顔が、与平を見つめていた。

その瞬間、女性の体から低い唸り声が漏れ出た。口もないのに奇妙な声は何処から聞こえるのか、何もない頭部がゆっくりと与平の方へ向き直る。

与平の喉から声にならない悲鳴が漏れた。彼の全身から血の気が引き、足がすくんだ。

与平の喉から絞り出すような悲鳴が漏れた。その声は、夜の静寂を引き裂くように響き渡った。

彼は後ずさりしようとしたが、足が震えて思うように動かない。尻餅をつくように倒れ込んだ与平の目に、女性の体が大きく震える様子が映った。

縄が解け、のっぺらぼうとなった女性がゆっくりと立ち上がる。その姿は月明かりに照らされ、長い影を引きずっていた。

与平の頭の中で、理性が恐怖に飲み込まれていく。彼は狂った獣のように逃げ出した。

藪をかき分け枝が顔を引っかくのも気にせず、文字通り一目散に与平は山を駆け下りた。

息も絶え絶えに里に辿り着いた与平の姿は、顔は擦り傷だらけで髪は乱れまくっていた。その尋常でない彼の様子に村人たちは何事かと周りに集まってきた。

「の、のっぺら...ぼうだ...」与平の言葉は途切れ途切れで、全身が震えていた。「山に...あの女が...顔が...」

村人たちは与平の話を半信半疑で聞いていた。誰も彼の話を信じようとせず、山で何か悪いことでもしたのではないかと疑う者もいた。

落胆した与平は家に帰り、恐ろしい光景が頭から離れず、その日眠れぬ夜を過ごした。

数日後、村の狩人が森で女性の遺体を発見した。与平が話したようにそこに木に括られた女性があった。朱色の着物はズタズタであちこち獣に引き裂かれ、顔の元型すら失われていた。

助けを求められた村人たち一行はその惨劇の場所へと向かった。

見分し皆で話し合ったが、結局その女は村人ではなく誰なのか分からなかった。しかしながらおそらく女は旅の途中に山賊に襲われ、木に縛り付けられた挙句に、運悪くやって来た狼に襲われたのだろうと推測した。

亡くなった女性は無縁仏として弔われ、死んだ木の横に小さな鎮魂の石碑が建てられた。


それから数十年経ち年老いた与平は、ことあるごとにその時の事を若い衆たちに話をするようになった。

「山奥の石碑のある大きな原には、のっぺらぼうがおったのじゃ」

その場所は「のっぺら原」と呼ばれるようになったそうな。今もその村に伝承されているという。
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