59 / 63
第六章 互いの傷痕
(9)
しおりを挟む
階段を上って道なりに進み、最初の角を曲がった先で金色の髪の見慣れたうしろ姿が映り、リリーシャは安堵の息を漏らした。
「フィルロード?」
リリーシャの呼ぶ声に、フィルロードが首だけを巡らせてくる。
「……姫。どうかされましたか?」
小さく口元を緩める彼に歩み寄りながら、リリーシャは「いえ」とかぶりを振った。
「あなたを探していました。見つかって、よかったです」
「わたしを? それは、申し訳ありません。ここで少し……、ぼうっとしていたようです」
天井の方を一瞥してから、フィルロードはリリーシャに身体を向けた。
「それで、わたしになにか?」
「あ、その……、たいした用ではないのですが……」
リリーシャは淡黄色の瞳をさまよわせながら、うつむく。
「近くにいても……、いいですか?」
「……もちろんです。あなたさえよろしければ」
微笑したフィルロードの隣に、リリーシャは移動していく。彼の外套に触れるか触れないかの位置で止まり、彼女はそのまま彼の横顔を見あげた。
どこか遠くを見つめた紅の瞳がやはりいつもとは違うような気がして、彼女は自分の胸元に手を当てる。
ゆっくりと視線を下げていったリリーシャの目に、外套から少しだけ出たフィルロードの右手が留まった。
「フィルロード、指先が……」
リリーシャの指摘に、はっとなったフィルロードが自身の手を持ち上げる。
「ああ……、本当ですね。少し気が緩んだくらいで、この有様か……」
おのずと自嘲めいた笑みが、彼の口元に浮かんだ。
「こんなに震えて……。寒いのですか? それとも、どこか体の具合でも悪いのですか?」
心配そうに尋ねてくるリリーシャに、フィルロードはおもむろに首を振った。
「いえ、大丈夫です。……すみません。情けないところを、見せてしまって」
グッと握られた右手が、外套の中へと引き入れられていく。
「いいえ、気にすることはありませんから。ちょっと……、失礼しますね」
「……っ」
リリーシャの両手が、フィルロードの外套の中で彼の手を包みこむ。
小さく息を飲む彼の前で、リリーシャの両眉が寄せられた。
「すごく、冷たくなって……」
「姫、あなたまで冷えてしまいます、から」
「平気です」
短く答えて、リリーシャは手に力をこめた。
「どうしたのですか、フィルロード。何か、あったのですか?」
リリーシャは、辺りを見わたしてみる。
見渡す限り、特に変わったところはなさそうだった。誰かがいるわけでも、何か目立つものがあるわけでもない。
が、その光景にリリーシャは見覚えがあった。
「ここは確か、私とあなたが――」
「……! はい」
フィルロードの表情が一瞬強張り、赤い瞳が逃げるように横へ流される。
リリーシャは目を閉じると、あのときのことを思い出し始めた。
急に城が騒がしくなって、静まり返ったのを見計らって部屋を抜け出して、それから――?
記憶が曖昧で詳しい内容は抜け落ちてしまっているようで、彼女はかぶりを振った。
「すみません、あのときは何が起きたのかあまりよく覚えていなくて。気づいたら、あなたから逃げ出してしまっていた。ですが……、あなたが助けてくれたのですよね?」
「……はい」
「やはり、そうでしたか。遅くなってしまいましたが、あのときはありがとうございました、フィルロード」
「いえ……。あなたを助けられて、本当によかった……」
ほほえむリリーシャに、フィルロードもつられるように口元を緩めるが、その表情が見る間に引きつったものに変わる。ガク、と彼の片膝が力を失って折れ曲がった。
つながれた手が外套から飛び出し、リリーシャも慌ててしゃがみこむ。
「フィルロード……!?」
「……すみません。まだ少し、あのときの感触が残っていた、みたいで……」
力なく笑ってから、フィルロードは床に視線を落とした。
「騎士として当然のことだと、割り切らなければいけないのはわかっています。この醜態を兄が知れば、きっと怒られることでしょう。いろいろなことがあって、忘れられたと思っていたのですが……」
フィルロードの手に、グッと強く力が入る。
「あなたがあの場面を覚えていないのが、せめてもの救いかもしれません」
「え……?」
「いえ、何でもありません」
そう口にしてから、フィルロードはリリーシャに真摯な眼差しを向ける。
彼らしくないどこかすがりつくようなそれに引き寄せられ、彼女は瞳を揺らした。
「もう少しだけ……、このままでいさせてください」
「……はい」
困惑しながらも頷いたリリーシャは、フィルロードの手をそっと握りなおした。
力なく項垂れたままの彼をしばらく無言で見守っていたリリーシャは、床に座りなおすと、揃えた両ひざの上に彼の手を置いた。
「――この手に、私は守られたのですね?」
「え……」
フィルロードの視線が、上向く。
彼の瞳を真っすぐにとらえて、リリーシャが頷いた。改めて彼の手を左手で持ちあげると、右手で上から包みこむ。
「フィルロード?」
リリーシャの呼ぶ声に、フィルロードが首だけを巡らせてくる。
「……姫。どうかされましたか?」
小さく口元を緩める彼に歩み寄りながら、リリーシャは「いえ」とかぶりを振った。
「あなたを探していました。見つかって、よかったです」
「わたしを? それは、申し訳ありません。ここで少し……、ぼうっとしていたようです」
天井の方を一瞥してから、フィルロードはリリーシャに身体を向けた。
「それで、わたしになにか?」
「あ、その……、たいした用ではないのですが……」
リリーシャは淡黄色の瞳をさまよわせながら、うつむく。
「近くにいても……、いいですか?」
「……もちろんです。あなたさえよろしければ」
微笑したフィルロードの隣に、リリーシャは移動していく。彼の外套に触れるか触れないかの位置で止まり、彼女はそのまま彼の横顔を見あげた。
どこか遠くを見つめた紅の瞳がやはりいつもとは違うような気がして、彼女は自分の胸元に手を当てる。
ゆっくりと視線を下げていったリリーシャの目に、外套から少しだけ出たフィルロードの右手が留まった。
「フィルロード、指先が……」
リリーシャの指摘に、はっとなったフィルロードが自身の手を持ち上げる。
「ああ……、本当ですね。少し気が緩んだくらいで、この有様か……」
おのずと自嘲めいた笑みが、彼の口元に浮かんだ。
「こんなに震えて……。寒いのですか? それとも、どこか体の具合でも悪いのですか?」
心配そうに尋ねてくるリリーシャに、フィルロードはおもむろに首を振った。
「いえ、大丈夫です。……すみません。情けないところを、見せてしまって」
グッと握られた右手が、外套の中へと引き入れられていく。
「いいえ、気にすることはありませんから。ちょっと……、失礼しますね」
「……っ」
リリーシャの両手が、フィルロードの外套の中で彼の手を包みこむ。
小さく息を飲む彼の前で、リリーシャの両眉が寄せられた。
「すごく、冷たくなって……」
「姫、あなたまで冷えてしまいます、から」
「平気です」
短く答えて、リリーシャは手に力をこめた。
「どうしたのですか、フィルロード。何か、あったのですか?」
リリーシャは、辺りを見わたしてみる。
見渡す限り、特に変わったところはなさそうだった。誰かがいるわけでも、何か目立つものがあるわけでもない。
が、その光景にリリーシャは見覚えがあった。
「ここは確か、私とあなたが――」
「……! はい」
フィルロードの表情が一瞬強張り、赤い瞳が逃げるように横へ流される。
リリーシャは目を閉じると、あのときのことを思い出し始めた。
急に城が騒がしくなって、静まり返ったのを見計らって部屋を抜け出して、それから――?
記憶が曖昧で詳しい内容は抜け落ちてしまっているようで、彼女はかぶりを振った。
「すみません、あのときは何が起きたのかあまりよく覚えていなくて。気づいたら、あなたから逃げ出してしまっていた。ですが……、あなたが助けてくれたのですよね?」
「……はい」
「やはり、そうでしたか。遅くなってしまいましたが、あのときはありがとうございました、フィルロード」
「いえ……。あなたを助けられて、本当によかった……」
ほほえむリリーシャに、フィルロードもつられるように口元を緩めるが、その表情が見る間に引きつったものに変わる。ガク、と彼の片膝が力を失って折れ曲がった。
つながれた手が外套から飛び出し、リリーシャも慌ててしゃがみこむ。
「フィルロード……!?」
「……すみません。まだ少し、あのときの感触が残っていた、みたいで……」
力なく笑ってから、フィルロードは床に視線を落とした。
「騎士として当然のことだと、割り切らなければいけないのはわかっています。この醜態を兄が知れば、きっと怒られることでしょう。いろいろなことがあって、忘れられたと思っていたのですが……」
フィルロードの手に、グッと強く力が入る。
「あなたがあの場面を覚えていないのが、せめてもの救いかもしれません」
「え……?」
「いえ、何でもありません」
そう口にしてから、フィルロードはリリーシャに真摯な眼差しを向ける。
彼らしくないどこかすがりつくようなそれに引き寄せられ、彼女は瞳を揺らした。
「もう少しだけ……、このままでいさせてください」
「……はい」
困惑しながらも頷いたリリーシャは、フィルロードの手をそっと握りなおした。
力なく項垂れたままの彼をしばらく無言で見守っていたリリーシャは、床に座りなおすと、揃えた両ひざの上に彼の手を置いた。
「――この手に、私は守られたのですね?」
「え……」
フィルロードの視線が、上向く。
彼の瞳を真っすぐにとらえて、リリーシャが頷いた。改めて彼の手を左手で持ちあげると、右手で上から包みこむ。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
最後の恋って、なに?~Happy wedding?~
氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた―――
ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。
それは同棲の話が出ていた矢先だった。
凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。
ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。
実は彼、厄介な事に大の女嫌いで――
元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
魔法使いと彼女を慕う3匹の黒竜~魔法は最強だけど溺愛してくる竜には勝てる気がしません~
村雨 妖
恋愛
森で1人のんびり自由気ままな生活をしながら、たまに王都の冒険者のギルドで依頼を受け、魔物討伐をして過ごしていた”最強の魔法使い”の女の子、リーシャ。
ある依頼の際に彼女は3匹の小さな黒竜と出会い、一緒に生活するようになった。黒竜の名前は、ノア、ルシア、エリアル。毎日可愛がっていたのに、ある日突然黒竜たちは姿を消してしまった。代わりに3人の人間の男が家に現れ、彼らは自分たちがその黒竜だと言い張り、リーシャに自分たちの”番”にするとか言ってきて。
半信半疑で彼らを受け入れたリーシャだが、一緒に過ごすうちにそれが本当の事だと思い始めた。彼らはリーシャの気持ちなど関係なく自分たちの好きにふるまってくる。リーシャは彼らの好意に鈍感ではあるけど、ちょっとした言動にドキッとしたり、モヤモヤしてみたりて……お互いに振り回し、振り回されの毎日に。のんびり自由気ままな生活をしていたはずなのに、急に慌ただしい生活になってしまって⁉ 3人との出会いを境にいろんな竜とも出会うことになり、関わりたくない竜と人間のいざこざにも巻き込まれていくことに!※”小説家になろう”でも公開しています。※表紙絵自作の作品です。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
二人の甘い夜は終わらない
藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい*
年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。
俺はこの幼なじみが嫌いだ
ゆざめ
恋愛
ある日、神月柚は思った。
嫌いになれば、恋心を抱くことは無くなるんじゃないかと。
大きな決断を下した柚は、幼なじみである天乃川あゆはに対し、冷たい態度を取るようになる。
しかし、いざ嫌ってみると、今まで以上に彼女の底知れぬ魅力を感じるようになってしまい一一。
これは2人の高校生が結ばれるまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる