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第一章 彼女の決断

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 トントン、とノックするとすぐさま扉が薄く開かれる。

 「私です」とリリーシャが告げれば、パッと扉が開かれ、中から部屋の主が安堵したような表情で彼女を出迎えた。

「姫……、よかった。御身に、何か問題はありませんか?」
「はい。私は、大丈夫です。あなたと移動してきた場所を、反対にたどったたけですから」
「そう、ですか。よろしければ、もう一度どうぞ」

 中に招き入れられ、リリーシャは小さく返事をしてから扉をくぐる。部屋の中心ほどで振り返り、まだ硬く強張ったままの部屋の主に彼女は微笑した。

「どうしたのですか、フィルロード。顔が、ちょっと怖いです」

 リリーシャに指摘されて、フィルロードは戸惑ったように眉尻を下げた。

「すみません。あなたの帰りが少し遅い気がしたので、気が張りつめていたようです」

 小さく嘆息して、彼も少しだけ口の端を緩める。
 リリーシャは、おずおずと尋ねた。

「……そんなに心配してくれていたのですか?」
「もちろんです。……王族の方々をお守りするのは当然の責務、ですから」
「そう……、でしたね」

 答えて、リリーシャはうつむいた。
 王族の守護は、騎士の当然の義務。それは、嫌でもわかっているのに。

「……もう、こちらには戻ってはくださらないと思っていました」
「え?」

 フィルロードの自嘲めいた独白に、リリーシャは訝しげに顔を上げた。

「どうしてですか? さきほど戻ってきても良いと言ってくれたのは、あなたです。フィルロード」
「……ええ、そうですね。そう、でしたね。ありがとうございます、姫」

 深々と腰を折ってくるフィルロードに、リリーシャはどこか違和感を覚えたまま、「フィルロード」ともう一度彼の名を呼んだ。

「あなたの耳にもそのうち届くでしょうから、先に知らせておきます。……ミルスガルズとウィンスベルの国境で、大規模な戦闘が起こったそうです」
「国境で……!? それは、ウィンスベルが我が国に攻めてきたということですか?」

 弾かれたようにフィルロードが背筋を伸ばし、リリーシャに詰め寄ってくる。
 ためらいがちに、彼女は首を横に振った。

「詳しくは、私にもわかりません。どんな状況で、攻勢はどうなっているのか、どちらに有利なのか、こちらの被害の大きさも何も。ですが今、城ではその対処で大騒ぎになっています」
「それで、城内が騒々しくなっていたのですね」
「ええ、そのようです」
「――わたしにも、勅命がくださればいいのですが」

 つぶやかれた言葉に、リリーシャはビクッと身をすくませると、その言葉の主に淡黄色の目を向けた。

「謹慎中だからこそ、その分も含めてこの身をこの国のために捧げたいのです。それに――」

 何かを言いかけたフィルロードだったが、ゆっくりと首を左右に動かした。

「いえ……、なんでもありません」
「フィル、ロード」

 うつむき、何かを考えこんでいるフィルロードに、リリーシャは瞳を揺らす。
 騎士としての誇りのため、なにより犯した罪を贖うため、彼は与えられる役割を甘んじて受けるだろうことは容易に想像がついてしまった。

 詳細な状況がわからないものの、今現在争いになっているその前線。そんなところに送り込まれれば、いくら彼に武勇があったとしても、その命が保証されるとは限らない。

 彼の身に、危険が及ぶ。最悪の場合、彼がこの世界からいなくなってしまう。
 彼と二度と会えなくなるのは、わかっている。わかっている、けれど。

 そんなこと――、耐えられない。

「……私が、そんなことはさせません」
「え?」

 うまく聞き取れなかったらしい、フィルロードが怪訝そうな声を発する。
 リリーシャは小さく笑って、彼を上目遣いに見ながら頷いた。

「私が、あなたを守ってみせます」
「姫? それでは、立場が逆になってしまいます。どうして、あなたがわたしを?」
「心配は、無用です。あなたは……、あなたの望んでいる未来を、信念を貫いてくださいね? 約束、です」
「それは……、どういうご命令でしょうか」

 意味がわからないとばかりに当惑するフィルロードに、リリーシャはかぶりを振った。

「いえ。命令ではありませんから、それほど気にしないでください。私が勝手に、そう思っただけですから」

 私が、あなたにできる最後で唯一のこと。
 もともとそのつもりだったのだから、特にそれ以上思うことはないけれど。

「姫、先ほどからどうされたのですか? わたしに、何か至らない点でも?」
「そんなことは、ありません。あなたはいつでも、この国のことを、私たち王族のことを真っ先に考えてくれていますから。……では、私はそろそろ失礼させてもらいますね」
「そう……、ですか。あなたのお時間を頂けて、身に余る光栄でした。ありがとうございます」

 規律正しく礼をするフィルロードに、無言で笑みを浮かべるリリーシャ。
 それにどこかぎこちなさを感じて、フィルロードは両の眉を寄せた。

「姫?」

 訝しげに呼ぶ声に、リリーシャは拳を作った手を強く握った。

 早く、しないと。
 早く、早くこの場を離れないと。

 彼に、私の決意が知られてしまう前に。彼が、勅命を受けて前線に行かされてしまう前に。
 この必死に保っている笑顔が、崩れてしまう前に。

 顔を伏せながら、リリーシャは部屋を足早に出て行こうとする。

 それでも――、最後に一つだけ。

 後ろ手に扉の取っ手をつかみながら、リリーシャはフィルロードに向き直った。

「フィル……、いろいろとありがとうございました。あなたと過ごせて楽しかった、です」
「え?」

 彼女が口にした呼び名、そしてそのあとにかすかに聞こえてきた別れの言葉に、フィルロードの表情が硬直する。
 ガチャ。扉を開く音に我に返った彼が、彼女に慌てて手を伸ばした。

「ちょ、ちょっと待ってくれ……! 姫――、リリ」

 扉が閉まっていくのと同時にフィルロードの声が薄れていき、そして。
 パタン、と彼女の耳からすべての音がかき消されていった。



 それから。
 城にいるすべての者たちが慌ただしく、忙しく走り回ったり動き回ったり、隣国に向けての対処に追われている間に――

 一人の姫と名だけのその国の宰相の姿が、どこにもいなくなっていた。そのことに気づく者は、しばらくの間、誰もいなかったのだった。
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