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第一章 彼女の決断
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「――私は、ウィンスベル自体を信用していません。父たちの時代は交流も盛んで、友好的な関係を築いていたとは聞いています。けれど、そのような下劣な悪漢と知っていて可愛い妹を差し出すなんて、絶対に受け入れられるわけがありません。それでもし、ウィンスベルに我が国へ攻め入ってくる口実を作ってしまうとしても」
凛とした表情で、彼女は右手を握りしめながら告げる。小さく息を吐き、緩々とベッドに両ひざを立てると、彼女はそれをそっと抱えこんだ。
「本当はあの子を先に嫁がせてから私もと願っていたのですが、私の立場がそれを許してはくれませんでした。その立場のせいで、あの子を優先的に守ってあげることも難しくなってしまった。だから――」
ギュ、と彼女の両手に力がこめられた。
「だからせめて、あの子を心から慈しんで守ってくれる相手にあの子を託そうとしたのですが……。余計なことをしてしまったかもしれません。あのとき、私が……」
額を撫でられて、グイと横を向かせられる。突然のことに言葉を飲みこんだ彼女は、目の前の人物に不思議そうな眼差しを注いだ。
「どう、しました?」
彼女の問いかけに、フッと男の口元が緩められる。
「あなたの憂いに満ちた顔ももちろん美しいが、そろそろ違う顔を目にさせて貰いたいのだが。今宵は、我らにとっても大事な夜だ」
「それは、どういう……っ!」
ドサッ、と倒れこむ音が続く。
ベッドの上に青紫の長い髪が広がり、背中を包んでくるやわらかな感触。押し倒されたことに気がついた彼女は、馬乗りになってくる男に困惑の表情を浮かべた。
「テュ、テューラー卿……!」
「フフフッ! このような状況でも、その呼び名とは。あなたも、私のことをとやかく言えないではないか。なあ? 我が、麗しの姫。いや、『女王陛下』?」
「……まだ、『代理』です。でも、そうでしたね。つい、癖で」
見下ろしてくる燃えるような赤の瞳に、彼女は口元に指先を当てながら優雅に笑う。その白い指たちを一つ一つ絡めとった男は、爪の先からそっと唇を這わせていく。
「親書の返事は? どうしたんだ」
「……今までは曖昧に流してきましたが、次に使者が来た時には何かしらの返事を出さないといけないでしょう。私があなたと結婚したことによって、あちらもそろそろ動きを見せる頃でしょうから」
「そうか。ならば、国境辺りの警備をさらに厳重にするよう通達を出しておく。元々俺も、今のウィンスベルは危険視していたところだ、ちょうどいい」
「……はい」
一気に憂いを帯びた彼女の手を離しながら、男はフッと短く息を吐いた。
「なぜ、そんな顔をする? 我が騎士団は、女王陛下の名のもとに集った精鋭ぞろい。そう簡単に、ミルスガルズの国土を穢させはしないさ」
「ですが私は……、女王どころか女王代行も失格です。私事を持ちこんで、大事なこの国を戦乱に巻きこむやもしれないのですから」
「ハハハッ! 私事を持ちこんで、何が悪い? 誰だって自分の私利私欲のために行動するのは、当然のことだ。それがあなたの場合、普通の凡人よりもスケールが大きかった、ただそれだけの話だろう?」
「……」
無言で見つめてくる淡黄色の瞳を真っすぐに受けとめてから、男は彼女の両肩に手を置いた。コツン、と二人の額がぶつかりあう。
「しばらくは心休まらない日々が続くだろうが、あなたはあなたの信じる道を進めばいい。血生臭いことは、俺がすべて請け負う」
「……すみません。あなたには、これからも多大な迷惑や面倒なことを――んっ」
男の唇が、彼女の言葉を封じる。ついばむような口づけが交わされ、困惑する淡黄色の瞳を赤い双眸がジッと見おろした。
「それ以上は、必要ないだろう? 我らはもう、夫婦となったのだから。あなたが抱えている重圧を、俺にも背負わせて欲しい」
伸ばされた指先が、彼女の前髪をそっと払いのけた。
「――俺が、あなたとこの国を守る。天地神明と我が剣にかけて」
額、目元、鼻、口元、そして顔の輪郭に添えられた男の大きな掌に、彼女も自分の手を重ねる。彼の熱を持った掌を心地よく感じながら、彼女は淡黄色の瞳を細めた。その端から、音もなく流れ落ちていく透明な滴。
「私だけ、こんなに幸せでいいのでしょうか? 私には、まだやらねばならないことがたくさんあるというのに……」
「無論。俺にとっては、あなたは『女王代行殿下』の前に一人の少女――いや、今はもう一人の女か。ククッ、あんなに乳臭かった子供がな。今では、生意気に俺を誘うような色香を放つようになるとは」
「……あなたの前だから、です」
「そんな台詞すらも、口にするようになった。一人前にな」
クイ、と彼女のあごが持ち上げられ、二人の視線が宙で絡まる。
唇の端をつりあげた男は、彼女を熱っぽく見おろした。
「言っただろう? 人は、私利私欲のために生きていると」
「ええ」
「――惚れた女を幸せにして、何が悪い?」
「!」
「それが罪になると言うのなら、喜んでこの身に請け負ってやるさ」
小刻みに揺れる淡黄色の瞳に男は不敵に笑ってから、前かがみになっていた上半身を戻す。芝居がかった仕草で自分のあご先に指を当てると、彼はスッと目を細めた。
「ついては、せっかくの蜜夜だ。あなたの心からの笑顔を見せて頂けると、俺の情欲もさらに高まって熱い夜を過ごせるというものなのだが?」
「ジュシルス……」
男の名前をつぶやきながら彼女――リリセニーナが、ようやく微笑んだ。
「フフッ、いい笑顔だ。それでこそ、俺を魅了してやまない女。リリセニーナ……、あなたを愛している」
「私もです。私も長い間、あなたに恋い焦がれていました。この時が来ることを、どれだけ待ちわびたことか。来て……、ジュシルス」
二つの影がようやく触れあい、そしていつしか一つに溶けていった。
凛とした表情で、彼女は右手を握りしめながら告げる。小さく息を吐き、緩々とベッドに両ひざを立てると、彼女はそれをそっと抱えこんだ。
「本当はあの子を先に嫁がせてから私もと願っていたのですが、私の立場がそれを許してはくれませんでした。その立場のせいで、あの子を優先的に守ってあげることも難しくなってしまった。だから――」
ギュ、と彼女の両手に力がこめられた。
「だからせめて、あの子を心から慈しんで守ってくれる相手にあの子を託そうとしたのですが……。余計なことをしてしまったかもしれません。あのとき、私が……」
額を撫でられて、グイと横を向かせられる。突然のことに言葉を飲みこんだ彼女は、目の前の人物に不思議そうな眼差しを注いだ。
「どう、しました?」
彼女の問いかけに、フッと男の口元が緩められる。
「あなたの憂いに満ちた顔ももちろん美しいが、そろそろ違う顔を目にさせて貰いたいのだが。今宵は、我らにとっても大事な夜だ」
「それは、どういう……っ!」
ドサッ、と倒れこむ音が続く。
ベッドの上に青紫の長い髪が広がり、背中を包んでくるやわらかな感触。押し倒されたことに気がついた彼女は、馬乗りになってくる男に困惑の表情を浮かべた。
「テュ、テューラー卿……!」
「フフフッ! このような状況でも、その呼び名とは。あなたも、私のことをとやかく言えないではないか。なあ? 我が、麗しの姫。いや、『女王陛下』?」
「……まだ、『代理』です。でも、そうでしたね。つい、癖で」
見下ろしてくる燃えるような赤の瞳に、彼女は口元に指先を当てながら優雅に笑う。その白い指たちを一つ一つ絡めとった男は、爪の先からそっと唇を這わせていく。
「親書の返事は? どうしたんだ」
「……今までは曖昧に流してきましたが、次に使者が来た時には何かしらの返事を出さないといけないでしょう。私があなたと結婚したことによって、あちらもそろそろ動きを見せる頃でしょうから」
「そうか。ならば、国境辺りの警備をさらに厳重にするよう通達を出しておく。元々俺も、今のウィンスベルは危険視していたところだ、ちょうどいい」
「……はい」
一気に憂いを帯びた彼女の手を離しながら、男はフッと短く息を吐いた。
「なぜ、そんな顔をする? 我が騎士団は、女王陛下の名のもとに集った精鋭ぞろい。そう簡単に、ミルスガルズの国土を穢させはしないさ」
「ですが私は……、女王どころか女王代行も失格です。私事を持ちこんで、大事なこの国を戦乱に巻きこむやもしれないのですから」
「ハハハッ! 私事を持ちこんで、何が悪い? 誰だって自分の私利私欲のために行動するのは、当然のことだ。それがあなたの場合、普通の凡人よりもスケールが大きかった、ただそれだけの話だろう?」
「……」
無言で見つめてくる淡黄色の瞳を真っすぐに受けとめてから、男は彼女の両肩に手を置いた。コツン、と二人の額がぶつかりあう。
「しばらくは心休まらない日々が続くだろうが、あなたはあなたの信じる道を進めばいい。血生臭いことは、俺がすべて請け負う」
「……すみません。あなたには、これからも多大な迷惑や面倒なことを――んっ」
男の唇が、彼女の言葉を封じる。ついばむような口づけが交わされ、困惑する淡黄色の瞳を赤い双眸がジッと見おろした。
「それ以上は、必要ないだろう? 我らはもう、夫婦となったのだから。あなたが抱えている重圧を、俺にも背負わせて欲しい」
伸ばされた指先が、彼女の前髪をそっと払いのけた。
「――俺が、あなたとこの国を守る。天地神明と我が剣にかけて」
額、目元、鼻、口元、そして顔の輪郭に添えられた男の大きな掌に、彼女も自分の手を重ねる。彼の熱を持った掌を心地よく感じながら、彼女は淡黄色の瞳を細めた。その端から、音もなく流れ落ちていく透明な滴。
「私だけ、こんなに幸せでいいのでしょうか? 私には、まだやらねばならないことがたくさんあるというのに……」
「無論。俺にとっては、あなたは『女王代行殿下』の前に一人の少女――いや、今はもう一人の女か。ククッ、あんなに乳臭かった子供がな。今では、生意気に俺を誘うような色香を放つようになるとは」
「……あなたの前だから、です」
「そんな台詞すらも、口にするようになった。一人前にな」
クイ、と彼女のあごが持ち上げられ、二人の視線が宙で絡まる。
唇の端をつりあげた男は、彼女を熱っぽく見おろした。
「言っただろう? 人は、私利私欲のために生きていると」
「ええ」
「――惚れた女を幸せにして、何が悪い?」
「!」
「それが罪になると言うのなら、喜んでこの身に請け負ってやるさ」
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男の名前をつぶやきながら彼女――リリセニーナが、ようやく微笑んだ。
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「私もです。私も長い間、あなたに恋い焦がれていました。この時が来ることを、どれだけ待ちわびたことか。来て……、ジュシルス」
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