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「……? 風?」
特に変わり映えのしない光景と頬を撫でていく優しい風に首をかしげたリリーシャは、再び歩き始めた。ぼんやりとしながら、足の向くまま移動していく。
縁談。会ったことも、どんな人物かもよくわからないウィンスベルの王と。
少しだけ、耳にしたことはある。
温厚だった先王をその手にかけ、王位を強引に奪い取った野心あふれる人物。
既に、何人もの妃や妾がいるはずなのに、まだ私を欲しがるなんて――
「それがこの国の、私の価値……」
ポツリ、と口から滑り落ちていく。
先ほどの叔父とのやり取りを、リリーシャが思い出していると。
「リリー、こんなところにいたのですね」
叔父とは違うやわらかな声に呼び止められた彼女は、ハッとなってそちらに顔を向ける。
そこにいたのは、純白のウェディングドレスに身を包んだ一人の少女。小走りに駆け寄ってくる彼女を、リリーシャは慌てて制止した。
「……お姉さま? あっ、そんなに走られたら危ないです」
「こんなもの平気です。こうしたら、いいのだから」
笑顔で、姉はドレスをたくし上げる。
リリーシャは苦笑しながら、「もう」と嘆息した。
「お姉さまったら。最後の試着は終わったのですか? 明日の本番で着るウェディングドレスなのですから、大事に扱ってくださらないと困ります」
「まあ。リリーは、相変わらず心配性ね」
「お姉さまの晴れ舞台ですから、当然です。それに、準備をしてくれた城の者たちのここ数日の頑張りを無駄にするわけにもいきません」
「あなたも、いろいろと手伝ってくれたのでしょう?」
姉の問いかけに、リリーシャは小さく頷いた。
「はい、もちろんです。お姉さまの、大事な結婚式ですから」
「ありがとう、リリー」
お互いに微笑みあってから、リリーシャは「それで、お姉さま」と話題を変えた。
「お急ぎになっていたようですけど、どうかされたのですか?」
「ええ。私の可愛い妹に、今すぐにどうしても会っておきたかったのです」
「私に? ふふ、嬉しいです。私も、お姉さまに――」
ききたいことが、と続けようとしたリリーシャはそれを飲みこんだ。
叔父の言葉が、よみがえってくる。
『なぜ、毎回うやむやにされていたのかを。それは、我らが第一王女殿下が、まだ年若いそなたを慮って今まで話を流してきたのですよ』
もしその話をして、大事な姉さまをさらに悩ませてしまうことになったら?
最近は次期女王としての責務も増えて、日々を忙しく過ごしている姿を何度も見かけている。
自分のことくらい、自分で決めて自分でやらないと。
キュ、と唇をかんだリリーシャを、不思議そうな顔で姉がのぞきこんだ。
「どうかしましたか? リリー」
「……いえ、何でもないです。私も、お姉さまにお会いしたかったです」
姉は、リリーシャと同じ青みがかった紫の髪を嬉しそうにかきあげた。
「ふふ、そう言ってもらえると私も嬉しいです。あなたに会いたかったことはもちろんですが、もう一つ用件があります。あなたに、これを一晩預けようと思って」
「え? ……っ」
姉がつま先立ちになりながら、リリーシャの頭上から何かをかける。フワリ、とリリーシャの顔が白いレース生地に覆われた。
「お姉さま、これって……!」
淡黄色の瞳を驚愕に揺らすリリーシャを見つめる同じ色の瞳が、やわらかく細められた。
「言葉にしなくてもわかります。あなたのこのベールを見る目は、すごくキラキラと輝いていましたから」
「そ、そんなこと……」
心当たりがいくつかあって口ごもってしまう、リリーシャ。次の言葉を探すものの、どう答えてよいかわからずに、彼女はそのまま無言でうつむいた。
純白のベールを目にするたび、それを無意識に追っていたことはあった。少女らしい、羨望や憧れの気持ち、そしていつか自分も――という淡い期待を持って。
恥ずかしそうに縮こまってしまった妹の前で、姉は「ふふ」と楽しげに肩を揺らした。
「未来の花嫁さんに。きれいよ、リリーシャ。あなたにも――、どうか素敵な相手が現れますように」
「お姉さま……。ありがとうございます」
素敵な、相手……
どこか困った風に微笑してから、リリーシャは今の自分の顔を見られたくなくて、礼と一緒に頭を下げた。
ベールに包まれたリリーシャの髪を優しく撫でながら、姉は満足そうに笑う。
「それじゃあ、私は先に休ませてもらうわね。あなたも疲れたでしょう、早く休むのですよ?」
「はい、そうします。あ、ベールは……」
答えながら顔を上げると、リリーシャはベールにそっと触れた。
「一晩、あなたが預かっていてくれますか? その間に、ベールにあなたの想いをこめてもらえると、さらに嬉しいのだけれど」
姉の提案に、リリーシャの表情が華やいでいく。
「はい……! 大切にお預かりします。ゆっくりお休みください、お姉さま。お義兄さまにも、よろしくね」
「伝えておきます。おやすみなさい、リリー」
「おやすみなさい、お姉さま」
コツン、と二人は額を合わせる。
まるで祈りを捧げるようにしばらく目を閉じてから、二人は違う方向へと立ち去って行った。
特に変わり映えのしない光景と頬を撫でていく優しい風に首をかしげたリリーシャは、再び歩き始めた。ぼんやりとしながら、足の向くまま移動していく。
縁談。会ったことも、どんな人物かもよくわからないウィンスベルの王と。
少しだけ、耳にしたことはある。
温厚だった先王をその手にかけ、王位を強引に奪い取った野心あふれる人物。
既に、何人もの妃や妾がいるはずなのに、まだ私を欲しがるなんて――
「それがこの国の、私の価値……」
ポツリ、と口から滑り落ちていく。
先ほどの叔父とのやり取りを、リリーシャが思い出していると。
「リリー、こんなところにいたのですね」
叔父とは違うやわらかな声に呼び止められた彼女は、ハッとなってそちらに顔を向ける。
そこにいたのは、純白のウェディングドレスに身を包んだ一人の少女。小走りに駆け寄ってくる彼女を、リリーシャは慌てて制止した。
「……お姉さま? あっ、そんなに走られたら危ないです」
「こんなもの平気です。こうしたら、いいのだから」
笑顔で、姉はドレスをたくし上げる。
リリーシャは苦笑しながら、「もう」と嘆息した。
「お姉さまったら。最後の試着は終わったのですか? 明日の本番で着るウェディングドレスなのですから、大事に扱ってくださらないと困ります」
「まあ。リリーは、相変わらず心配性ね」
「お姉さまの晴れ舞台ですから、当然です。それに、準備をしてくれた城の者たちのここ数日の頑張りを無駄にするわけにもいきません」
「あなたも、いろいろと手伝ってくれたのでしょう?」
姉の問いかけに、リリーシャは小さく頷いた。
「はい、もちろんです。お姉さまの、大事な結婚式ですから」
「ありがとう、リリー」
お互いに微笑みあってから、リリーシャは「それで、お姉さま」と話題を変えた。
「お急ぎになっていたようですけど、どうかされたのですか?」
「ええ。私の可愛い妹に、今すぐにどうしても会っておきたかったのです」
「私に? ふふ、嬉しいです。私も、お姉さまに――」
ききたいことが、と続けようとしたリリーシャはそれを飲みこんだ。
叔父の言葉が、よみがえってくる。
『なぜ、毎回うやむやにされていたのかを。それは、我らが第一王女殿下が、まだ年若いそなたを慮って今まで話を流してきたのですよ』
もしその話をして、大事な姉さまをさらに悩ませてしまうことになったら?
最近は次期女王としての責務も増えて、日々を忙しく過ごしている姿を何度も見かけている。
自分のことくらい、自分で決めて自分でやらないと。
キュ、と唇をかんだリリーシャを、不思議そうな顔で姉がのぞきこんだ。
「どうかしましたか? リリー」
「……いえ、何でもないです。私も、お姉さまにお会いしたかったです」
姉は、リリーシャと同じ青みがかった紫の髪を嬉しそうにかきあげた。
「ふふ、そう言ってもらえると私も嬉しいです。あなたに会いたかったことはもちろんですが、もう一つ用件があります。あなたに、これを一晩預けようと思って」
「え? ……っ」
姉がつま先立ちになりながら、リリーシャの頭上から何かをかける。フワリ、とリリーシャの顔が白いレース生地に覆われた。
「お姉さま、これって……!」
淡黄色の瞳を驚愕に揺らすリリーシャを見つめる同じ色の瞳が、やわらかく細められた。
「言葉にしなくてもわかります。あなたのこのベールを見る目は、すごくキラキラと輝いていましたから」
「そ、そんなこと……」
心当たりがいくつかあって口ごもってしまう、リリーシャ。次の言葉を探すものの、どう答えてよいかわからずに、彼女はそのまま無言でうつむいた。
純白のベールを目にするたび、それを無意識に追っていたことはあった。少女らしい、羨望や憧れの気持ち、そしていつか自分も――という淡い期待を持って。
恥ずかしそうに縮こまってしまった妹の前で、姉は「ふふ」と楽しげに肩を揺らした。
「未来の花嫁さんに。きれいよ、リリーシャ。あなたにも――、どうか素敵な相手が現れますように」
「お姉さま……。ありがとうございます」
素敵な、相手……
どこか困った風に微笑してから、リリーシャは今の自分の顔を見られたくなくて、礼と一緒に頭を下げた。
ベールに包まれたリリーシャの髪を優しく撫でながら、姉は満足そうに笑う。
「それじゃあ、私は先に休ませてもらうわね。あなたも疲れたでしょう、早く休むのですよ?」
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「はい……! 大切にお預かりします。ゆっくりお休みください、お姉さま。お義兄さまにも、よろしくね」
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