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第16話 再会と落とし物

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「カリン様、陛下はわかりませんが旦那様は怒っていらしましたから慎重にお願いいたしますわね」

 お父様の執務室に来るとユリアは私に何回も同じことを言った。

「ええ、分かっているわよ。さ、入りましょう?」

 私が扉に手を掛けるとそこには――男の人のような大きくて、きれいな白い手があった。

「あっ」

「あ、貴方は――。――先程は失礼いたしました!」

 先程見つけたきれいな藍色の目をした男の人――アルテンブルク家の令息はまた手に書類を抱えて私の事を見ていた。その横顔は確かに私が知っている顔で。でも、ラファエルは社交界に顔を出していないと言っていたし。たしかに私もきちんと挨拶をした覚えはない。でも、どこかで――。

「いいえ、私の不注意でしたし、お互いさまでしょう?私もごめんなさい」

「いいえ、――では書類を拾うのを手伝ってくださってありがとうございました。ところで、こちらに何のようですか?」

「いえ、父――いえ、王妃様の言伝を頼まれていまして、こちらに用があったのですわ」

 姉の婚約者とはいえ、その妹だと知られるのに何故か後ろめたさがあって、そのまま言わないほうが幸せなような気がして。私は名乗れなかった。

「そうでしたか、いえ、引き止めてしまって申し訳ありませんでした」

「いいえ、こちらこそごめんなさい。それに、そんなに急いでもいませんし、お先にどうぞ」

「こちらも私事でしたし、大丈夫です。後でにします」

 その人――アルテンブルク令息は身を振替して立ち去ろうとしてしまった。その時、私の体は勝手に動いていた。

「まって、待ってください!私貴方のこと――」

「――えっ?あの――」

 気づいた時私はアルテンブルク令息手を掴んでいた。目の前に呆然として驚いたような、そのきれいな藍色の瞳がいっぱいに開かれた顔があった。その顔はやっぱり何処かで見たことがあって、懐かしくてその手を離す事がためらわれた。
 
「ごめんなさい!あの、その……」

 慌てて私はその手を離した。私は赤面していて顔を上げられなかったけれど、しばらく彼が沈黙していたので慌てて顔を上げると、――彼も顔を真っ赤にして私のことを見つめていた。

「あっと、えっと、その……。だ、大丈夫ですか?」

「えっと、ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 私は再びうつむいてしまった。

「ふふっ、大丈夫だよ。そんなに心配しなくても。では、もう行くね」

 いきなり笑いだした彼はあの人によく似ていた。

「まって、本当にごめんなさい!あの、やっぱり貴方は――」

 私が言葉を切ると彼はふと寂しそうな表情をした。

「なに?私は本当に大丈夫ですよ。なにか、気になることでも?」

 私は息を吸うと思いっきり吐き出してから顔を上げて真っ直ぐ彼のきれいな瞳を見た。

「ねぇ、小さい頃、何処にいた?」

 その時、一瞬で彼の表情が変わった。目に剣呑な光を浮かべた彼は――それはとても怖くて、やっぱり人違いなのではと私を不安にさせたが。

「人違いじゃないかな。僕達は初対面だよね。じゃあ、今度は気をつけてね。それじゃあ、どうもありがとう。用件は急ではないので貴女からどうぞ。僕は後で来ることにするよ」

 彼は本格的に身を翻してここを去っていこうとした。その背中に私は声をかけた。


「まってくださいませ、アルテンブルク様。……いいえ、ヴォルター君……?」


「人違いじゃないのかな。僕は――私はヴォルターではありませんよ」

 そう言ってから寂しそうな笑みを残して去っていった。


「でも、そうは言っても貴方んでしょうアルテンブルク令息様……。貴女がヴォルター君でしょ…?でも、ならどうして……?」 


 私はその背中にその言葉をぶつけた。でも、彼が振り会えることは無かった。
 だって、あの時もう会えないと思った。それは、その後お母さまから聞いた話で分かったのに……。もし王都に本当に帰っていたのならお母さまのネットワークで割り出せたはずだし……。


「カリン様、今の方って知り合いですか?誰かに、――確かにヴォルター君でしたよね。でも、何故こんなところにいたのでしょうか。人違いなはずありませんよ。たしかにそうでした。このわたくしも見ましたもの」

 不意に後ろからユリアの声がした。そうだ、いたんだ、ユリア。すっかり忘れていたわ。
 私は振り返ると小さく笑った。

「ユリア、人違いかもしれないのよ。私の妄想が働いてしまっただけかもしれないから」

 もう、いっその事そっちの方がいいのかなぁ。私は小さく呟いた。

「そんな事ないでしょう。まぁ、だいぶ美少年になっていましたね。でも、あんな美少年でしたから人違いなんてありえませんよ。――それとも、いえ、何故ヴォルターと名乗れないのかしら。……本名ではない可能性もありますけれど、それでもカリン様の質問に答えることくらいはできるはず――」

「でも、様子が変だったわよね。それに、お姉さまの婚約者でしょう?いずれきちんとお話できる機会もあるとは思うのだけれど……」

「そうですね。でも、それでは分からないでしょう?あの人が誰か」

「誰って、アルテンブルク家の子息よ。お姉さまの婚約者の。――それとも、あの人はヴォルター君でアルテンブルク家とは何の関係もありませんでした!って、そんな事もないでしょう?」

 私がそう言うとユリアは笑いだした。それは私が睨むまでやめなかった。

「ふふっ、カリン様がここまで純粋でしたとはね。ふふっ、わたくしが言っているのはそういうことではありませんよ。そういうことじゃなくて……、ふふっ」

「じゃあ一体何なのよ!」

「だから、わたくしが言っているのはそんなことじゃございません。アルテンブルク家の子息であり、ヴォルター君と名乗っていたあの人はアルテンブルク家の令息でもあって、ヴォルターでもあるんです。そうすると、ヴォルターと名乗っていた理由が必要ですよね」

「そうだけど、それならそれでいいじゃない」

「いつから、そんな事を考えるようになったんですか?理由があるってことは名乗れなかった――アルテンブルク家の令息と名乗れなかったのですよ。だから、その間にヴォルターと名乗っていたあの方はなにかありそうじゃないですか?」

「それは――、そうだね。なにか裏がありそうだね。じゃあさ、ユリア、調べてみない?どうせ、今回の事は――」

「今回のことが何だって?二人とも、どうしてここにいるのかな?」 

「わっ!」

 いきなり肩に手をかけられ、部屋の中に引き込まれた私は大声を上げると、口を塞がれた。

「しー!さて、何でこんなところにいたのかな?ここは宰相の執務室だよ?なんで、こんな前でおしゃべりなんかしていたのだろうね」

 恐る恐る後ろを振り向くと――カテール兄様の顔があった。笑ってこそいるものの、青筋が浮かび上がっているところを見ると相当怒っていることが伺えた。
 う~ん、珍しいかな?兄さまがそこまで怒るなんて。確かに、廊下でしゃべっていたことに関しては悪いとは思っていたけど。

「モメハ、オウミママガ、ムググ……。(それは、王妃様が……)プハァ、ハァ、ハァハァ」

「で、何故ここにいるんだい?」

「だから言ったじゃないの。兄様が口を塞いでいるから……」

「塞ぐ前に悲鳴を上げて、その前は廊下で喋っていたのは何処の誰だろか」

 ニッコリ追い打ちをかけるように私のことをジッと見ていた。

「それは……、王妃様の……使いをしてきて……えっと、その……」

「じゃあ、王妃様の使いを言ってくれるかな?宰相殿に」

「兄様――?どういうつもり?」

「ですから、王妃殿下から言付けを頼まれているのでしょう?宰相殿がお待ちでですよ」

 急に口調を変えた兄様を不審に思って兄様の顔見ると、私の後ろを見つめていた。後ろを振り返ると怖い顔をした父が机の後ろで座っていた。

「さて、王妃殿下からの伝言を伝えてくれますか?、カトリーナ。宰相殿がお待ちですよ。先程から」

「ええ、わかりました、ローゼンハイン様。宰相様、おまたせしてしまって申し訳ありませんでした。――王妃様が四時に陛下と宰相殿で王妃様のところにいらしてください、との仰せです」

 私は王妃様の使者として、一つの顔を被った。

 ――王妃様はきっと、怒っているに違いないだろうな、そう私は確信して心のなかでそれを思い浮かべて、心のなかで小さく笑った。




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