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三章

ロイドの調査 side Aクラス2

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 エレナは真っ青になって、震えていた。
 皇太子であるシルヴァを怒鳴りつけたのだ。不敬どころの話ではない。

 しかし、エレナを止めたサラの心は穏やかだった。

(……何か既視感がーーいえ、そうじゃないわね。身に覚えがあるんだわ)

 サラは目を細め、ドゥークとのいざこざを思い出す。

(あの時、『悪女』呼ばわりされた私は激昂した。そして、淑女らしからぬとイヤミを受けて真っ赤になったけれど……今のエレナも多分、同じなんでしょうね)

 感情のままに声を張り上げるなど、貴族としては無能も良い所。サラとて十二分に理解していた。だが、あの時はそれがどうしても出来なかった。

 何故か? シルヴァに婚約破棄を言い渡され、サラには余裕がなくなっていたからだ。普段ならたったアレだけの事で感情を露わになどしなかった。

 なら、何故今のエレナに怒りを感じないのか。数か月前の自分なら、シルヴァを侮辱されて怒り心頭だったろう。その理由も簡単だ。今は余裕があるからだ。

 では、何故余裕があるのだろうか。
 未だシルヴァとの婚約は解消されたまま。その上、血の滲む努力で槍術を身につけたというのに、サラは魔人とは戦えないことが判明してしまった。
 その結果、依然としてシルヴァの婚約者筆頭候補はクレアだ。サラも「シルヴァを振り向かせる」と口では言っているが、周囲から認められなければ、シルヴァの妻となるなど夢のまた夢だ。

(だというのにーーどうして私はこんなにも平静でいられるのかしらね。クレアへの嫉妬や、夢への焦りだってあるはずなのに、ね)

 正直、今の自分は大抵の事なら、冷静に受け止められる自信があった。それこそ、先日のようにシルヴァが大けがを負ったとしてもだ。
 そこまで考えた所でサラはクスリと笑った。

(ーー考えるまでもないわよね)

 これまで、ずっと自分の側にいてくれたのは? 自分に降りかかる悲劇を共に悲しみ、怒ってくれたのは? 魔人召喚の前に背中を押してくれたのは?

 ドゥークの冤罪から自分を救ってくれたのは? あまりの惨状に泣き出した自分を支えてくれたのは? 自分が課してしまった運命を笑って受け止めてくれたのは?

(私には……フローラと玉木がいるものね)

 あの二人は自分のどんな姿だって認めてくれる。どんな甘えだって受け入れてくれる。
 その上、信頼出来る人間は今となっては彼女らだけではない。

(ここ数か月で、私はかけがえのないものを沢山手に入れられた)

 サラは確信していた。だからこそ自分は強くなれたのだと。

(なら、今のエレナに私が出来ることはーー)

 エレナは俯き、シルヴァとクレアは様子を見守っている。
 サラは姿勢を正してエレナを見据えた。
 
「エレナ? 貴方も分かっているんでしょう? 私と殿下の婚約破棄は仕方のない事だと」

「は、はい……」

 エレナはか細い声を上げるが、サラは話を続ける。

「だけど、殿下だって私を拒絶したわけじゃないわ。勿論、今はただの幼馴染。
 でも、私もそれでいいと思っている。私は自分の力で彼を振り向かせて、いずれ殿下から婚約を迫らせてみせるわ」

「う……」

「サラ……」

「それに、クレアが神鏡に選ばれたのは偶然じゃない。彼女は多くの素質を持ってる。努力もしてるし覚悟だってしてる。
 それに何より……彼女は私の大切な友達よ? 殿下は勿論、彼女の事だって、侮辱するなら許さないわ」

「サラ様……」

「……」

 サラの言葉を黙って聞くエレナは涙目になっていた。彼女の胸には多くの後悔が渦巻いているのかもしれない。

「も、申し訳ありませんでした……!」

 涙を堪えるような、けれど、半分やけになったような声色の謝罪。
 そんなエレナに、サラは自分を重ねた。自分だって、これまで何度も同じことをした。公爵令嬢である自分は、何もかも背負わなければならないと、無理やりに自分を納得させようとした。
 だが、自分にはそれらを一緒に背負ってくれる人たちがいた。

『国の為? 民の為? 知ったことではありません。
 私の全てはお嬢様の為にあります』

 自分の我儘すら受け入れてくれたフローラ。

『前にも話したように、感情を持つ事は悪い事じゃない。ゴースト化してたら周囲には認識されない。オレも背中の君の顔は見れない。移動時間もある』

 自分の決意を尊重してくれた上で、甘えさせてくれた玉木。

 そうして支えられてきたサラだからこそ、自分がすべきことに確信が持てた。

「えぇ。よろしい」

「……え?」

 それはエレナの気持ちを素直に受け入れる事だ。
 まさかこれほどあっさり許されるとは思わなかったのだろう。エレナは顔をあげ、大きく目を開いている。
 サラはそんなエレナに優しく言葉を投げかける。

「貴方はただ、追い詰められて間違いを犯しただけよ。謝罪も受けたし、反省しているなら私もそれ以上言う気はないわ」

「で、ですがーー」

「勿論、もうこんな迂闊な事をしちゃ駄目よ? 他に人の気配がないから私の独断で許すけどね? 二人も私の判断で許しましたけど、問題なかったですか?」

「あ、あぁ……無論だ」

「わ、私もです」

 シルヴァとクレアは一触即発な空気が一転した事に戸惑っているが、それでもサラの問いかけにこくこくと頷いた。

「そう。じゃ、この話はお終い。エレナ? もうそこまで言っちゃったんだから愚痴を言ってみなさいな。これ以上、恥のかきようがないでしょ?」

 目を白黒とさせていたエレナは、サラのその言葉にスッと目を細める。

「サラ様……貴方は……」

 エレナの瞳には、安堵の色も見える。しかしその奥には、何やら嫉妬にも似た感情が感ぜられた。

(まぁ、そうでしょうね。余裕が無いと、些細な言葉が癇に障るもの)

 例えば、婚約破棄された直後にクレアから同じような事を言われていたらどうだったろうか。自分も同じ目をクレアに向けたのではないか。驚嘆と嫉妬の入り混じった目を。
 自分がしたであろう姿を脳裏に浮かべながら、サラはエレナに微笑んだ。

「エレナ、私はね? こんな偉そうな事を言っているけど、貴方と同じよ?」

「え?」

「他人を憎むし嫉妬はするし、恵まれた境遇にいるというのに、その事にすら不満を言う。そして、そんな自分が嫌いだった」

「サラ様が……?」

 クレアが神鏡に選ばれた時、サラもクレアを憎む気持ちが無かったわけではない。国の為には仕方のない事、神鏡に選ばれなかった自分のせい、などと言い聞かせていたが、それでもクレアを羨んだし、なによりもそんな自分自身を嫌悪した。だからこそ大声で泣き叫んだし、次の日になっても気持ちが晴れる事はなかった。
 だが、それはクレアの事を知らなかったからだ。今ならば、クレアが何故神鏡に選ばれたのか理解出来る。
 そしてエレナも同様に、自分の事を特別な人間だと思っていたのだろう。サラの言葉に、エレナは雷に打たれたかのように驚愕していた。

 これほど驚かれるとは、彼女は自分を何だと思っていたのだろうか、とサラはクスクスと愉快そうに笑う。

「それはそうよ。私だって人間だもの。でもね? ここ最近、私は自分の姉と……兄のような人物に甘えさせてもらってるの。だから、そんな自分と向き合って、前を向けるようになったわ」

「……」

「別に貴方にとって、そんな存在になりたいと自惚れている訳じゃないわ。でも、不満を溜めて苦しんでる姿は少し、昔の自分と被るの。
 だからまぁ、私のそんな我儘に付き合うと思って……不満を話してみて?」

 聞くだけしか出来ないけれど、とサラは苦笑する。その言葉に、エレナは泣き出すのをグッとこらえ、観念したように自分の境遇を話しはじめた。
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