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第35話 王家の呪い・前編
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すぐさま血の海からフェレナードを抱き起こしたのはことみで、インティスがその胸に手をやった。
「……まだ生きてる」
安堵が広がったのも束の間、ことみが異変に気付いてローザを見上げた。
「血が……頭から血が出てるのに傷口がないわ」
「まさか、そんなこと……」
あるわけない、と言いかけて、ローザははっとした。
昔、彼と魔法学院でやりとりした時の会話が記憶に蘇る。
考えて撃つまでになるべく早い方がいいから、魔法は頭で撃つと言っていた。撃つと言っても内部だから、傷口がないのも何となく理解できた。
てっきり冗談だと思っていたのに。
彼の頭部のどこを見ても外傷は見られないが、いつまでも怪我を負った直後のようにことみの旅装束を赤く濡らす。
生きているとは言え、これでは。
「……そのまま頭を押さえておいて」
ローザの張り詰めた声に、ことみは黙って頷いた。
体からどれくらいの血が流れたら人間は死ぬのか、前に授業で習った気がする。けれど、この血溜まりがそれに当たるのかは見当が付かない。
その時、頭上で地響きがした。
天井に大きく空いた穴で、墓を支える地下部分のバランスが失われたのだ。
「やばい! 崩れる!」
ここは地下六階で、徒歩で来ているから移動用の魔法陣もない。
「こっちへ来て! 早く!」
倒れたままのフェレナードを介抱することみを中心に、ローザが声をかけた。
轟音を響かせながら、これまで歩いて来た道が、部屋が上から崩れてくる。ローザは両手を掲げ、精神を集中させた。
インティスが大きな岩を爆発で割ろうかとローザに提案したが、彼女は首を横に振り「私が倒れないように支えてて」とだけ言った。
迫り来る瓦礫は、どんな映画のスクリーンでも、立体映像でも体験できない恐怖だった。
インティスの片腕に支えられながら、ローザは水の膜に風と土の精霊の力を加え、大小様々に降り注ぐ瓦礫から、見事に皆を守ってみせた。
同時に三つの精霊を操った代償は腰に括りつけてあった源石を全て破壊し、彼女の心臓を握り潰そうとした。
「……っ!」
息が詰まり、思わず胸を押さえ、足がふらつく。
「ローザ!」
「……大丈夫、大丈夫よ」
インティスの声に真っ青な顔で答えたローザは、ゆっくりと地面に膝をついた。
遠い地上の青空が見え、瓦礫はもう降って来ないとわかると、全員がほっと息を吐く。
インティスはローザからそっと腕を放すと地面を蹴った。遠くの瓦礫にダグラスの四肢の一部が見えたのだ。
「……皆行って。フェレは私が見るわ」
ローザは力ない声でことみに囁くと、フェレナードを抱き寄せた。
出血が止まったかどうかはわからない。依然頭部全体が赤く濡れたまま、目や鼻、口元にも出血の跡があり、それらを一心に受けた上半身は胸あたりまで真っ赤だ。その様子を、王子はローザの隣で見つめていた。
インティスが駆け上がった瓦礫の足下に、確かにダグラスは埋もれていた。
近寄ろうとする高校生を片手で制し、万が一に備えてインティスが剣を抜く。まだ戦いが終わったわけではないという空気が、ぴんと張り詰めた。
むしろここで終わってくれていないと先がない。フェレナードが倒れた今、ダグラスに魔法で勝てる人間はいないのだ。
祈るような気持ちで、彼が絶命していることを願った。実際、瓦礫は部屋の半分の高さまで積み上がっていて、人間であれば間違いなく命はない。
インティスは構えを解かないまま、顔を顰めて大きく息を吐いた。よく見ると、ダグラスから受けた腹の刀傷はまだ血が止まり切っていない。
その時、瓦礫の一部が持ち上がり、乾いた音を立てた。
「──っ!」
全員が身構える中、真っ黒に変色した四肢がゆっくりと起き上がる。
その長い手足は、王子の目にもはっきり映った。
小さな頃から、王子の世界は城の中の塔にある自分の部屋がほとんどだった。城内を出歩くくらいしかできなかったから、自分が守られているという実感が全く持てなかった。近衛師団がいても、フェレナードが魔法で出入りする人間を制限しても、どこか他人事のような気がしていた。
だが、薬屋で過ごすようになり、文献調査のために同い年の高校生たちが戦いに勝つために日々努力しているところを目の当たりにした。
彼らはこうして自分を、フェレナードまでも守ろうと自ずから立ち、剣を、魔法を、拳を構えてダグラスを睨む。
決して無傷ではなかった。庭に生い茂る草で手を切っただけでも痛いのに、それらの何倍もの傷を彼らは負い、それでも戦う姿勢を崩さない。
そして、自分の教育係に視線を移す。記章の説明を受けたのは昨日のことなのに、それすら遠い日のように感じるほど、あの時の真摯な青い目も、銀の髪も、今は赤黒く染まって見る影もない。護衛のインティスですら深く傷ついて、時々吐く息が重い。
これが、これが守られるということなのだと、王子はようやく身をもって思い知らされた。他人の命や生活を犠牲に、自分が生かされているということを。
こうなった元凶は何だ。自分には今、何ができるのか。
王子はゆっくりと立ち上がると、小さな体で瓦礫をよじ登った。高校生たちの制止の声は聞こえない。
インティスと目が合ったが、彼は様子を見るように表情を引き締めただけで、追い返そうとはしなかった。
今まで自分の側にいた、変わり果てた姿の近衛師団長の顔面に埋め込まれた茶色の目玉を見上げる。
すると、目玉は苛立ったように瞼で視界を狭めた。
”……計画は失敗か。哀れに思うなら、いっそ殺せ”
絞り出すような声が全員の頭の中に響く。
やせ細った枯れ枝のような四肢が虚ろに蠢く。瓦礫から這い出したものの、彼もどうやら瀕死のようだ。
王子の目には、哀れみのような、悲しみのような、だからといってそれらに支配されない真っ直ぐな碧色が湛えられていた。
それが今まで一度も見たことのない表情であることに、インティスは目を見張った。
王子が首を横に振って言った。
「お前は殺さない。この国が、お前に裁きを下す」
凛とした声は、未来のこの国を統べる者の証として、部屋中に響き渡った。
途端に王子から溢れ出る真っ白い光。その中で、確かに王子の体が変化するのが見えた。呪いが解けた瞬間だった。
”っ……! させるかぁっ!”
抗うように、ダグラスが最後の力を振り絞って王子のまだ細い首を掴んだ。
「……まだ生きてる」
安堵が広がったのも束の間、ことみが異変に気付いてローザを見上げた。
「血が……頭から血が出てるのに傷口がないわ」
「まさか、そんなこと……」
あるわけない、と言いかけて、ローザははっとした。
昔、彼と魔法学院でやりとりした時の会話が記憶に蘇る。
考えて撃つまでになるべく早い方がいいから、魔法は頭で撃つと言っていた。撃つと言っても内部だから、傷口がないのも何となく理解できた。
てっきり冗談だと思っていたのに。
彼の頭部のどこを見ても外傷は見られないが、いつまでも怪我を負った直後のようにことみの旅装束を赤く濡らす。
生きているとは言え、これでは。
「……そのまま頭を押さえておいて」
ローザの張り詰めた声に、ことみは黙って頷いた。
体からどれくらいの血が流れたら人間は死ぬのか、前に授業で習った気がする。けれど、この血溜まりがそれに当たるのかは見当が付かない。
その時、頭上で地響きがした。
天井に大きく空いた穴で、墓を支える地下部分のバランスが失われたのだ。
「やばい! 崩れる!」
ここは地下六階で、徒歩で来ているから移動用の魔法陣もない。
「こっちへ来て! 早く!」
倒れたままのフェレナードを介抱することみを中心に、ローザが声をかけた。
轟音を響かせながら、これまで歩いて来た道が、部屋が上から崩れてくる。ローザは両手を掲げ、精神を集中させた。
インティスが大きな岩を爆発で割ろうかとローザに提案したが、彼女は首を横に振り「私が倒れないように支えてて」とだけ言った。
迫り来る瓦礫は、どんな映画のスクリーンでも、立体映像でも体験できない恐怖だった。
インティスの片腕に支えられながら、ローザは水の膜に風と土の精霊の力を加え、大小様々に降り注ぐ瓦礫から、見事に皆を守ってみせた。
同時に三つの精霊を操った代償は腰に括りつけてあった源石を全て破壊し、彼女の心臓を握り潰そうとした。
「……っ!」
息が詰まり、思わず胸を押さえ、足がふらつく。
「ローザ!」
「……大丈夫、大丈夫よ」
インティスの声に真っ青な顔で答えたローザは、ゆっくりと地面に膝をついた。
遠い地上の青空が見え、瓦礫はもう降って来ないとわかると、全員がほっと息を吐く。
インティスはローザからそっと腕を放すと地面を蹴った。遠くの瓦礫にダグラスの四肢の一部が見えたのだ。
「……皆行って。フェレは私が見るわ」
ローザは力ない声でことみに囁くと、フェレナードを抱き寄せた。
出血が止まったかどうかはわからない。依然頭部全体が赤く濡れたまま、目や鼻、口元にも出血の跡があり、それらを一心に受けた上半身は胸あたりまで真っ赤だ。その様子を、王子はローザの隣で見つめていた。
インティスが駆け上がった瓦礫の足下に、確かにダグラスは埋もれていた。
近寄ろうとする高校生を片手で制し、万が一に備えてインティスが剣を抜く。まだ戦いが終わったわけではないという空気が、ぴんと張り詰めた。
むしろここで終わってくれていないと先がない。フェレナードが倒れた今、ダグラスに魔法で勝てる人間はいないのだ。
祈るような気持ちで、彼が絶命していることを願った。実際、瓦礫は部屋の半分の高さまで積み上がっていて、人間であれば間違いなく命はない。
インティスは構えを解かないまま、顔を顰めて大きく息を吐いた。よく見ると、ダグラスから受けた腹の刀傷はまだ血が止まり切っていない。
その時、瓦礫の一部が持ち上がり、乾いた音を立てた。
「──っ!」
全員が身構える中、真っ黒に変色した四肢がゆっくりと起き上がる。
その長い手足は、王子の目にもはっきり映った。
小さな頃から、王子の世界は城の中の塔にある自分の部屋がほとんどだった。城内を出歩くくらいしかできなかったから、自分が守られているという実感が全く持てなかった。近衛師団がいても、フェレナードが魔法で出入りする人間を制限しても、どこか他人事のような気がしていた。
だが、薬屋で過ごすようになり、文献調査のために同い年の高校生たちが戦いに勝つために日々努力しているところを目の当たりにした。
彼らはこうして自分を、フェレナードまでも守ろうと自ずから立ち、剣を、魔法を、拳を構えてダグラスを睨む。
決して無傷ではなかった。庭に生い茂る草で手を切っただけでも痛いのに、それらの何倍もの傷を彼らは負い、それでも戦う姿勢を崩さない。
そして、自分の教育係に視線を移す。記章の説明を受けたのは昨日のことなのに、それすら遠い日のように感じるほど、あの時の真摯な青い目も、銀の髪も、今は赤黒く染まって見る影もない。護衛のインティスですら深く傷ついて、時々吐く息が重い。
これが、これが守られるということなのだと、王子はようやく身をもって思い知らされた。他人の命や生活を犠牲に、自分が生かされているということを。
こうなった元凶は何だ。自分には今、何ができるのか。
王子はゆっくりと立ち上がると、小さな体で瓦礫をよじ登った。高校生たちの制止の声は聞こえない。
インティスと目が合ったが、彼は様子を見るように表情を引き締めただけで、追い返そうとはしなかった。
今まで自分の側にいた、変わり果てた姿の近衛師団長の顔面に埋め込まれた茶色の目玉を見上げる。
すると、目玉は苛立ったように瞼で視界を狭めた。
”……計画は失敗か。哀れに思うなら、いっそ殺せ”
絞り出すような声が全員の頭の中に響く。
やせ細った枯れ枝のような四肢が虚ろに蠢く。瓦礫から這い出したものの、彼もどうやら瀕死のようだ。
王子の目には、哀れみのような、悲しみのような、だからといってそれらに支配されない真っ直ぐな碧色が湛えられていた。
それが今まで一度も見たことのない表情であることに、インティスは目を見張った。
王子が首を横に振って言った。
「お前は殺さない。この国が、お前に裁きを下す」
凛とした声は、未来のこの国を統べる者の証として、部屋中に響き渡った。
途端に王子から溢れ出る真っ白い光。その中で、確かに王子の体が変化するのが見えた。呪いが解けた瞬間だった。
”っ……! させるかぁっ!”
抗うように、ダグラスが最後の力を振り絞って王子のまだ細い首を掴んだ。
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