放課後はファンタジー

リエ馨

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第33話 裏切り・後編

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 長い一本道の通路の突き当たりは厚い石の扉が行く先を塞いでいたが、簡単な施錠だったのでインティスがすぐに解除した。
 扉を開けると、そこは墓の地下に作られているとは思えないほどがらんとした広い空間で、天井も大人三人分程あり、足を踏み入れると壁の数カ所に控えめな明かりが灯る。
 部屋の真ん中に、小さな木箱がぽつんと置かれていた。

「あれかな……」

 王子がフェレナードを見上げると、彼は口元を引き締めて頷いた。
 恐らく、あの中に記章が入っている。
 手にして試されるのは、王位継承者としてこの国を治めていくための心構え。
 王子は何度か静かに深呼吸して気持ちを落ち着けると、ゆっくりと小箱に歩み寄った。
 その後ろ姿を見つめながら、優貴は目を細める。
 王子は元々自分たちと同じ歳のはずだ。初めて会った時でさえ中学生くらいだったのが、呪いのせいでどんどん若返ってしまい、今はもう小学生にも満たない。

「……あかりが保育園に通い始めた時、あんなんだった」

 考えることは誰でも一緒だったようだ。普段口数の少ない暁がぼそっと言った。それほど小さくなってしまったのだ。
 箱の中に入っている記章とやらで呪いを何とかしないと、このままでは若返りが限界を超えて本当に死んでしまう。
 辿り着いた王子が箱の前に膝をつくと、恐る恐る蓋に手をかけた。
 鍵はかかっておらず、難なく開いた箱の中には高級そうな手触りの布が敷かれ、手のひらと同じくらいの銀色に光るメダルが置かれていた。
 王子がそのメダルを手に取ると、肌でわかるほど室内の空気が重くなった。
 見えない空気の塊に上から押し潰されそうな感覚と、天井からじわじわといくつも下りてくる黒い吐息のような塊。
 呪詛神の呪いを思い出してインティスが身構えたが、フェレナードが片腕で制した。

「大丈夫、これはトリが作った仕掛けだ」

 王位継承者にとってはこれは試練だ。本来記章を手にした者しか体験し得ないものをこの場の全員が感じているのは、単身で来ることを想定して作られていたのかもしれない。

「ふ、普通にきっつ……!」

 王子を見守る中、始めに膝を折ったのは優貴だった。体に重力がかかるというのは絶対このことだ、と思うくらい立っていられない。
 周りを見ても平然と立っている者はいなかった。やはり圧力は相当なもののようだ。
 その負荷は当然王子にもかかっていたが、彼は必死に耐え、手にした記章を離さなかった。手元に集まる黒い吐息に最初は怯えていたものの、意を決してそれらを払い除けた。

「……っ、ぼくにさわるなっ!」

 払われて散った黒い塊は、それでもなお王子のところへ集まり、その体を取り込むようにまとわりついていく。

「っ……!」

 ことみとローザが思わず駆け寄りそうになったが、彼の試練であること思い出して何とか自制した。
 黒いもやは王子の体の至るところを覆い、貼り付き、次第に面積を増していく。それはまるで命を狙っているかのようにも見え、フェレナードは嫌な予感がした。
 優貴たち高校生がはらはらしながら見守る中、王子の声がまっすぐに響く。

「はなして! ぼくには約束がたくさんあるんだ!」

 やりたいことが沢山ある。
 果たしたい約束だってある。
 そして、守ってくれる人たちのためにも、
 今死ぬことはできないのだ。
 ぎゅうっと両手で記章を握りしめ、黒い吐息に塗り潰されそうになりながら、王子はありったけの声で叫んだ。

「ーーっ、生きたいの!!」

 目を瞑り、思いを込めて願った。
 すると、あれだけのしかかっていた空気の塊が徐々に薄れていくのがわかった。
 体を侵していた黒い気配が退いていく。
 王子はそっと目を開けた。
 記章を握っていた手も、石畳を踏む足も、また体のどこを見ても、まとわりついていた黒い吐息は消えていた。
 それなのに、手のひらは未だに小さい。
 優貴は立ち上がれるようになったが、王子の姿は子供のままだった。

「呪いが……解けてない……?」

 思わず呟いた優貴の言葉の通りに見えた。

「……どうして……?」

 記章を握りしめた手に、弱々しい声と共に大粒の涙が落ちる。
 フェレナードの嫌な予感は当たってしまっていた。

「王子――」
「っ……うそつき!!」

 状況を説明しようとフェレナードが声をかけたが、王子はそれを遮るように拒絶した。

 呪いは解けなかった。死ぬしかないんだ。

 朝が来る度に少しずつ小さくなっていく体。
 ベッドは呪いの防護壁ではない。マントを使うような突然表れる変化が少なくなっただけで、確実に体は幼くなっているのだ。そうでなければ、ろくに外出もできないままベッドの上にいるだけなのに、これほど小さくはならない。子供の歳に詳しい暁が、四歳くらいだと言っていた。

 呪いが解ければ、やりたいこと、いっぱいできたはずなのに。

 しゃがみ込んで泣きじゃくる王子の肩を駆け寄ったことみが宥めるのを見て、フェレナードはそれ以上声をかけるのをやめた。
 すぐ近くにいたインティスと目が合ったが、彼は気付いたようだ。難しい顔をしている。
 答え合わせをするなら、ネルロスの仕掛けはあくまでもただの仕掛けで、大きな感情の動きによって退く作りなのだろう。
 本来はそこで後継者としての自覚を促し、この国を治める者として目覚めるはずが、彼はただ生きたいという思いだけで仕掛けを跳ね除けてしまった。
 それをどう説明したものか。そして呪いを解くための最後の手段が失敗した今、これからどうするか。フェレナードが思案する横で、インティスが部屋の入り口の方を向いた。
 黒い吐息のような、嫌な予感。

「……誰か来る」

 インティスの声は緊張感に満ちていて、フェレナードは思わず身構えた。
 高校生たちがその声に反応し、部屋の入り口に視線が集中する。
 石畳の通路に反響する、重い金属が重なり、ぶつかる音。
 それは次第に大きくなり、とうとう部屋に入ってきた。

「こりゃとんでもねぇな、墓の下にこんな場所があったとは」
「ダグラス!」

 高校生たちの声に、王子が顔を上げた。

「ダグラス……」

 王子はほっとした顔で涙を拭いて立ち上がると、自分を守る頼もしい近衛師団長へ駆け寄った。
 その光景に、フェレナードも胸を撫で下ろす。

「今日、記章を探しに行くと伺ったものですから。お探しの物は見つかりましたかな?」
「うん……あのね」

 小さい体ではなかなかダグラスの元へ辿り着けない。インティスがその後を追ったので、フェレナードは彼が代わりに説明してやるのかと思った。
 だが彼は無言のまま、王子が一生懸命喋っている。
 その光景に、フェレナードは違和感を覚えた。
 それに、ダグラスは何故自分たちを追って来たのだろう。
 ここに来ること自体はインティスから聞いているはずだ。こちらから護衛は依頼していないが、自ら様子を見に来たのだろうか。
 ダグラスと王子の会話は続いている。

「フェレナードが、きしょうをとれば呪いはとけるっていってたんだけど……ぜんぜんかわんなくて」
「その記章とやらは?」
「これっ」

 王子はそう言って、握りしめていたメダルをダグラスへ掲げて見せた。
 銀色に光る記章には、王家の紋が彫られていた。
 ダグラスが目を細める。
 からくりは自分にはよくわからないが、少なくとも手にしてすぐに呪いが解ける仕組みではないようだ。

 ならば逆に好都合と言える。

「……っ! 王子!」

 インティスが叫び、王子の方へ飛び込んだ。

 ギリギリの所をダグラスの閃光が走る。

 閃光は刃だ。彼の大振りの両手剣の。

 全員が目を疑った。


「王子! 後ろへ!」

 インティスはすぐに体勢を立て直し、剣を抜いた。

「……っ!」

 未だ状況が飲み込めないながらも、王子が四つん這いでインティスの背後に隠れる。
 無言のまま、ダグラスの二撃目が振り下ろされると、咄嗟に剣を抜いたインティスがそれを頭上で受け止めた。

「っ……、くそ……!」

 子供の胴ほどもありそうなダグラスの刀身は、両手で持ちこたえようとするインティスの剣を折らんとするほどの重さだ。
 だが、その時新たな閃光が見えた。かわしようがない。

「後ろへ行け!」

 インティスの必死の指示と、ダグラスの三撃目は同時だった。
 薬屋で稽古している時から、彼は両手剣と小剣を携えていた。
 彼は両手剣を片手で操り、もう片方で小剣を抜いたのだ。
 それは両手剣の刃を受け止めたまま、身動きの取れないインティスの腹を容赦なく切り裂き、抉り、衝撃で彼の細身の体が後方へ吹っ飛ばされた。

「王子! こちらへ!」

 フェレナードが前に出て、走って来た王子を後ろに匿う。

「ダ、ダグラス! どういうこと!?」

 優貴がようやく声を上げた。恐らく全員の疑問だ。
 ローザがインティスの方へ行こうとしたが、彼は自ら立ち上がってそれを制した。

「……やっぱりな、怪しいと思ってたんだ」

 怪我のせいか、打ち付けられた衝撃か、インティスが血反吐と共に吐き捨てた。

「ったく、お前に護衛業を教えたのは俺だが、よくぞここまで優秀に育っちまったな」

 ダグラスはその様子に満足そうに目を細めると、小剣を収めた。
 片手で軽々と構える両手剣にはいたる所に拳大の石が埋め込まれていて、切っ先はフェレナードの後ろの王子に向けられている。

「……王子、お気を付け下さい」

 ゆっくりと、ダグラスは小さな王子に忠告した。

「え……?」

 恐る恐る王子が顔を上げ、フェレナードの陰からダグラスを見上げる。


 ダグラスの剣の切っ先が、フェレナードに向けられた。


「そいつは、裏切り者だ」
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