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第19話 その鳥である理由・後編
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ラウンジに戻ると、いつものように王子が自室からやってきたが、優貴たちの疲弊した様子に驚いていた。ちょっと見に行くだけと言われていたからだ。
王子の本音を知っている優貴だけは、その表情がこちらに対してすまなさそうに思っているように見えた。彼からすれば、自分の呪いのせいでこうなっているのだから無理もない。
ただ、今は彼に優しい言葉をかけてやる余裕もないほど、優貴も疲れていた。
大した距離を歩いたわけでも、激しい戦いがあったわけでもないのに、心が疲れてしまっただけで体まで重い。
「……あたし、十一日まで色々あるから、少しこっちに来るの休む」
ことみはそう言って、ラウンジの席につくことなく自室に戻ってしまった。元々は日本に居づらかったからここに来ていたのだが、こうなっては日本の方がまだマシかもしれない。
今日は七日、恐らく亡くなったばかりの祖母の葬儀などがあるのだろう。
インティスはそれを聞いて、ラウンジの壁に掛けられている黒板にネラス語で日付を書いておいた。少なくともこの期間は文献調査へ向かえないことになる。
優貴と暁にとってそれは異世界の文字なので、読むことも意味を理解することもできなかった。普段耳につけている翻訳機は風の精霊の作用で、聴覚にしか働かないのだ。
「じゃあその間、少し休みにしようか」
インティスの言葉には全員が頷くしかなかった。
逃げ帰って来た鏡の部屋の対策を立てなければいけないが、三人が受けた精神面の影響は大きく、優貴も暁も明日からまたいつも通りに特訓する気分にはなれなかった。
◇
ことみの事情と、鏡の部屋の話をインティスから聞いて、フェレナードは難しそうに眉根を寄せた。
彼が使うテーブルはいつも散らかっているが、文献の解読が一段落しているせいか、今日はそうでもない。
「コトミについては仕方ないな。身内を亡くすのは、多かれ少なかれ心に穴が空くものだから」
「……うん」
インティスは頷きながら、向かい合って座る彼から視線を外した。
「鏡の部屋とやらも、それはそれで解決が難しそうだな」
「そう、ちょっとまずいかも」
インティスは先ほどまでの三人の疲れた様子を思い出し、溜息をついた。鏡に囲まれた中で個々の精神を追い詰める仕組みなら、これから対処したところで付け焼き刃に過ぎないように思えた。
「お前は大丈夫だったの?」
フェレナードがインティスへ向けて首を傾げた。まとめずにいた銀の髪がさら、と流れる。
「大丈夫も何も……目的は文献と遺産なんだし」
そう思って鏡に映った顔色の悪いやつを斬ったら、そこから鏡が割れた、と言うのを聞いて、フェレナードは少し考え込んだ。
「……他の三人は?」
「出てくる様子がなかったから、俺が外側から割った」
「部屋自体はどうだった?」
「暗くなる前と変わらなかったな。その後また鏡に囲われることもなかった」
「……なるほどね」
「どういうこと?」
今度はインティスが首を傾げる。それを見て、フェレナードは力を抜いたように笑った。
「多分お前が正解だよ。相手に耳を傾けてはいけないんだ」
「なら、もう一度行けば……」
「答えがわかったからといって、体が言うことを聞くかはわからないよ。一度痛手を受けたなら尚更だ」
「……だろうなぁ……。何でよりによって鏡なんか……」
お手上げ、と言わんばかりに伸びをするインティスとは対照的に、フェレナードはまだ思案している様子だ。
「……何?」
「いや……」
声をかけられ、フェレナードは一度言葉を切ったが、記憶を確かめるようにゆっくりと話し出す。
「……これまで解読してきた文献の中で、歴代の王位継承者に試みた解呪の方法として、鏡を使ったものがあった」
「本当に?」
だから鏡が出てきたのだろうか。フェレナードは続ける。
「あの墓はネルロス家のものだけど、確か王家の教育係以外に医者も兼任してたんだ。その知識を応用して色々な方法を試してたんだろうな……結局呪いを解くことはできなかったけどね」
成功していれば、この時代に王家の呪いはなくなっているはずだ。
「そういえば……ユウキが言ってたけど、ああいうのは合わせ鏡って言って、ニホンでは良くないやつらしいよ」
「日本でも鏡を?」
フェレナードは驚いたように顔を上げた。今回の守護獣の鏡は、ネルロス家で使われた治療という意味よりも、どちらかというと日本での鏡の使われ方に近い気がした。
初手で良くないものを見せれば、精神を追い詰めるのもより容易になる。
朱鷺といい、今回の鏡といい、要所要所で日本との繋がりが明るみになっていく。
まだ他にもあるかもしれないが、焦っても見つけることはできない。様子を見るしかなさそうだ。
溜息混じりのフェレナードを横目に、インティスは現状をどうにかしようと必死に頭を捻った。
何かあるはずだ。気分が落ち込んだ時の対策が。
◇
急に何もしない日ができてしまい、やることもないので、暁はまた薬屋の外へ散歩にでも出ようと思い立った。
先日会った少女が気がかりだったというのも、理由にはなる。
インティスへ断りを入れようと声をかけると、許可は出たが注意事項が一つ増えた。
「ダグラスとの特訓がしばらく続いたおかげで、みんな短期間で格段に強くなってる。今まで見えなかったものが見えるようになってるかもしれないから、何か変なものを見かけたら教えて」
「……変なものって何だ」
「うーん……例えば、何か黒いもの……とか」
「…………」
黒いものなどいくらでもある。とりあえず頷いたものの、暁にはそれがどういうものかは良くわからなかった。
しばらく薬屋の外には出ていなかったが、道順は覚えていた。
歩いて行くと、やはり前と同じ屋敷の花壇に、少女は座っていた。
王子の本音を知っている優貴だけは、その表情がこちらに対してすまなさそうに思っているように見えた。彼からすれば、自分の呪いのせいでこうなっているのだから無理もない。
ただ、今は彼に優しい言葉をかけてやる余裕もないほど、優貴も疲れていた。
大した距離を歩いたわけでも、激しい戦いがあったわけでもないのに、心が疲れてしまっただけで体まで重い。
「……あたし、十一日まで色々あるから、少しこっちに来るの休む」
ことみはそう言って、ラウンジの席につくことなく自室に戻ってしまった。元々は日本に居づらかったからここに来ていたのだが、こうなっては日本の方がまだマシかもしれない。
今日は七日、恐らく亡くなったばかりの祖母の葬儀などがあるのだろう。
インティスはそれを聞いて、ラウンジの壁に掛けられている黒板にネラス語で日付を書いておいた。少なくともこの期間は文献調査へ向かえないことになる。
優貴と暁にとってそれは異世界の文字なので、読むことも意味を理解することもできなかった。普段耳につけている翻訳機は風の精霊の作用で、聴覚にしか働かないのだ。
「じゃあその間、少し休みにしようか」
インティスの言葉には全員が頷くしかなかった。
逃げ帰って来た鏡の部屋の対策を立てなければいけないが、三人が受けた精神面の影響は大きく、優貴も暁も明日からまたいつも通りに特訓する気分にはなれなかった。
◇
ことみの事情と、鏡の部屋の話をインティスから聞いて、フェレナードは難しそうに眉根を寄せた。
彼が使うテーブルはいつも散らかっているが、文献の解読が一段落しているせいか、今日はそうでもない。
「コトミについては仕方ないな。身内を亡くすのは、多かれ少なかれ心に穴が空くものだから」
「……うん」
インティスは頷きながら、向かい合って座る彼から視線を外した。
「鏡の部屋とやらも、それはそれで解決が難しそうだな」
「そう、ちょっとまずいかも」
インティスは先ほどまでの三人の疲れた様子を思い出し、溜息をついた。鏡に囲まれた中で個々の精神を追い詰める仕組みなら、これから対処したところで付け焼き刃に過ぎないように思えた。
「お前は大丈夫だったの?」
フェレナードがインティスへ向けて首を傾げた。まとめずにいた銀の髪がさら、と流れる。
「大丈夫も何も……目的は文献と遺産なんだし」
そう思って鏡に映った顔色の悪いやつを斬ったら、そこから鏡が割れた、と言うのを聞いて、フェレナードは少し考え込んだ。
「……他の三人は?」
「出てくる様子がなかったから、俺が外側から割った」
「部屋自体はどうだった?」
「暗くなる前と変わらなかったな。その後また鏡に囲われることもなかった」
「……なるほどね」
「どういうこと?」
今度はインティスが首を傾げる。それを見て、フェレナードは力を抜いたように笑った。
「多分お前が正解だよ。相手に耳を傾けてはいけないんだ」
「なら、もう一度行けば……」
「答えがわかったからといって、体が言うことを聞くかはわからないよ。一度痛手を受けたなら尚更だ」
「……だろうなぁ……。何でよりによって鏡なんか……」
お手上げ、と言わんばかりに伸びをするインティスとは対照的に、フェレナードはまだ思案している様子だ。
「……何?」
「いや……」
声をかけられ、フェレナードは一度言葉を切ったが、記憶を確かめるようにゆっくりと話し出す。
「……これまで解読してきた文献の中で、歴代の王位継承者に試みた解呪の方法として、鏡を使ったものがあった」
「本当に?」
だから鏡が出てきたのだろうか。フェレナードは続ける。
「あの墓はネルロス家のものだけど、確か王家の教育係以外に医者も兼任してたんだ。その知識を応用して色々な方法を試してたんだろうな……結局呪いを解くことはできなかったけどね」
成功していれば、この時代に王家の呪いはなくなっているはずだ。
「そういえば……ユウキが言ってたけど、ああいうのは合わせ鏡って言って、ニホンでは良くないやつらしいよ」
「日本でも鏡を?」
フェレナードは驚いたように顔を上げた。今回の守護獣の鏡は、ネルロス家で使われた治療という意味よりも、どちらかというと日本での鏡の使われ方に近い気がした。
初手で良くないものを見せれば、精神を追い詰めるのもより容易になる。
朱鷺といい、今回の鏡といい、要所要所で日本との繋がりが明るみになっていく。
まだ他にもあるかもしれないが、焦っても見つけることはできない。様子を見るしかなさそうだ。
溜息混じりのフェレナードを横目に、インティスは現状をどうにかしようと必死に頭を捻った。
何かあるはずだ。気分が落ち込んだ時の対策が。
◇
急に何もしない日ができてしまい、やることもないので、暁はまた薬屋の外へ散歩にでも出ようと思い立った。
先日会った少女が気がかりだったというのも、理由にはなる。
インティスへ断りを入れようと声をかけると、許可は出たが注意事項が一つ増えた。
「ダグラスとの特訓がしばらく続いたおかげで、みんな短期間で格段に強くなってる。今まで見えなかったものが見えるようになってるかもしれないから、何か変なものを見かけたら教えて」
「……変なものって何だ」
「うーん……例えば、何か黒いもの……とか」
「…………」
黒いものなどいくらでもある。とりあえず頷いたものの、暁にはそれがどういうものかは良くわからなかった。
しばらく薬屋の外には出ていなかったが、道順は覚えていた。
歩いて行くと、やはり前と同じ屋敷の花壇に、少女は座っていた。
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