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第1話 自宅 → VS 守護獣 @墓
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新品のスニーカーは、通学路ではなくカビ臭い石畳を踏んだ。
石でできた大きな蛇が、石でできているくせに自分を睨んでいた。
頭が現実に追いつかない。
ので、五分前の出来事から振り返ってみようと思う。
◇
中間テストが終わったにも関わらず、牧野優貴(まきの・ゆうき)は学校が終わると早々に帰宅していた。
「……はー……、やっと読み終わった」
達成感と共に、机の上の大きくて分厚い本をばたんと閉じた。帰宅の理由はこれだ。
読破に一週間もかかったこの本は、先週見知らぬ男から渡されたものだ。
学校の帰り道に気分転換に寄る、スーパーの一階のフードコートで。
知らない人から物をもらってはいけませんという忠告がごっそり頭から抜けてしまうほど、珍しい本だった。
美術で使うようなスケッチブックくらいの大きさで、分厚い表紙と裏表紙。乳白色の装飾も彫刻刀で彫った模様のように凝っていて、『ネラス・ハール記』と書かれていた。
そのタイトルの意味は全くわからなかったが、男はすっとその本を出して、「これを君に読んでほしい」と言って渡してきた。
君に、と言われて思わず受け取ってしまい、顔を上げると男の姿は消えていた。
青みがかった長い銀髪と青い目が印象的で、見るからに端正な顔をした外国人なのに、言葉はしっかり日本語だった。だから受け取ってしまったのかもしれない。日本語で話しかけられ、警戒心はゼロだった。
そうしてそれを持ち帰って読むこと一週間、本日は夕食も挟んでようやく読み終わった次第である。
「優貴、スニーカー買ってきたの? 学校に履いてく準備はした?」
「あっ」
変わり映えしない玄関の靴を見た母親が、階下から声をかけてきた。
ついでに、明日の時間割通りの教科書を鞄に押し込んで、ベッドに置いたままだった新品のスニーカーの箱を開ける。
普段はこんな買い物なんかしない。理由はあの本だ。
今までライトノベルと呼ばれる小説は何冊も読んできたが、これはそのどれとも違った。
何もかもが新しい情報で溢れていたことと、現実とは全く別世界なのに、自分のすぐ隣で起こっているような臨場感。読み始めた時は鳥肌が立ったくらいだ。
自然と影響されて、自分の身の回りにも新しいものが欲しくなり、今すぐ買い換えられそうなものがスニーカーだったというわけだ。去年からずっと履いていたから。
ベッドに座り、靴ひもの調節を始める。
時計は夜の十九時を過ぎていた。
蛍光灯の明かりの下でもわかるほど、机の上が光っていることに優貴は気付いた。
「え?」
思わずメガネの位置をきゅっと正す。光っているのは『ネラス・ハール記』だ。
手を止めて机に目をやると、光る本の上に魔法陣が浮かんだ。
色とりどりの光の線が複雑に絡み合いながら、両手を広げた程もある魔法陣は優貴の正面に直立する。
その魔法陣越しに、石畳と、石でできた大きな蛇と、そいつと戦っているらしい人影が見えた。なかなか迫力のある立体映像だ。
なんだ、アナログに見えて、ちゃんと今時の3Dコンテンツじゃん。
ということは、これは新しいアプリゲームの宣伝かな。わざわざ本を渡すなんてずいぶん手の込んだやり方だ。その癖、SNSで拡散してくれとも言われなかった。
多分これはオープニングムービーで、どこかに触れればメニューが現れるはず。
そう思って魔法陣に手を伸ばし、
吸い込まれ、
石畳を踏んだ。
そして今、石でできた大きな蛇に睨まれている。
「ようやくお出ましだ。待ってたよ」
戦っていた人影が振り向いて、優貴に声をかけてきた。
あのでかい本を渡してきた銀の髪の男だ。
「早速だけどこれを試してもらえないかな」
そう言って持たせてきたのは剣だ。普通の剣。当然金属でできている。持った瞬間腕力が負けて、先端が石畳を直撃した。
「お、重い! 重いんだけど!」
「ああ悪い、こっちが先だった」
男がすぐに出してきたのは、細いワイヤーに小さな石が沢山くっついた……えーっと、これは何?
優貴が口に出して聞く前に、そのワイヤーは勝手に両手首に絡みついてきた。両足首にも。それぞれトレーナーとジーンズの上から、痛くない程度にきゅっと締まる。サイズの自動調節は初めてだ。同じようなのは古い映画でしか見たことがない。
石が巻きついた腕で剣を持ち直すと、それまで激重のダンベルだった感触が一気に木の枝のように軽くなった。
「何だこれ! すごい!」
「これで準備はできた。じゃああの守護獣を倒すのを手伝ってくれ。指示は出すから」
「えぇ!?」
指示があればできるというものではない。
「核を壊せば倒せる。切った断面から赤い光が漏れていれば、核は近い」
「いやいやいや」
だって睨んでるし。
「大丈夫、戦力は他にもいる。君はあの蛇の気を逸らしてくれればいい」
「え?」
男に聞き返したと同時に、蛇と完全に目が合った。
「飛んで! 右!」
「は、はいっ! わーっ!」
言われた通りに地面を蹴ると、巻きついている石のせいで体が大きく右側へ浮いた。感覚は小学校の頃に飛んだことのあるトランポリンに似ている。それまで立っていたところに、蛇の頭が突っ込んで来ていた。
「着地は地面を見ろ!」
「……!!」
男の言うことに返事をする余裕はなかった。迫る石畳のタイミングに合わせて足を踏ん張ると、辛うじて足が少しぴりぴりする程度で済んだ。スニーカーも頑張っている。
「後ろの壁まで飛んで!」
「ええっ……!」
もう言われるがままに動くしかない。壁まで飛ぶと、蛇がまた向かって来た。銀の髪の男が言う通りに剣を抜いて、垂直に飛んで、突っ込んできた頭にその剣を突き立てる。石だと思ったのに、刃はすんなり貫通した。
「いいぞ、後は頼む!」
銀の髪の男が部屋の向こうへ声をかけると、そこから人影がもう一つ飛んできた。今度は赤い髪の男だ。
その男は空中で剣を抜き、着地と同時に蛇を真っ二つにした。大人二人が手を繋いで円を作ったくらいの太さはある。
胴体側の断面から赤い光が漏れたのが見え、恐らく一瞬で場所を特定したのだろう、断面から一メートルほどのところを剣で刺し貫いた。
堅い物が割れた音が聞こえたかと思うと、足下の蛇は砂に変わり、さらさらと崩れていった。
討伐完了と言ったところか。赤い髪の男が、持っていた剣を鞘に戻した。なびいていた髪がすっと落ち着くと、背中まであることがわかる。
額に巻かれた黄緑色の布、マントは着けていないが、軽装ながらも重ね着をしている。腰に並んだいくつもの革ポケットには何が入っているんだろう。
何だかめちゃくちゃファンタジーだ。
すると、赤い髪が銀の髪に大きい声で何か言い始めた。怒っているようだが、優貴には何を言っているかわからない。
おかしいな、さっきまで日本語だったのに。
きょとんとしていると、それに気付いた銀の髪が懐から一対の耳飾りを出した。
「君はこれをつけておいてくれ」
手首のワイヤーと同じ石がいくつもついた耳飾りは耳の縁に沿ったもので、着けると赤い髪の男の言葉も日本語で聞こえるようになった。
「いきなり戦わせるのは無理だって言っただろ!」
「悪かったよ。けど、彼が戦力になるって証明もできたし」
「そういう問題じゃない!」
ここで言う彼とは自分のことだろうか。戦力?
銀の髪は謝っていたが、時間を気にするようにはっとすると、部屋の奥にある扉に目をやった。
「今日は次の部屋で終わりにしようか。ユウキ、君もおいで」
「えっ?」
不意に名前を呼ばれ、優貴は驚いた。名乗った覚えはないのに。
赤い髪が黙って扉を開けると、教室の半分くらいの部屋の真ん中に、よくある宝箱のような木箱が置かれていた。
彼はそのまま、木箱の台座を下から覗き込んだり、近くの床に触れたりしている。多分罠がないか調べているのだ。小説で読んだことがある。
銀の髪がその様子を眺めながら、優貴に話しかけた。
「今のうちに自己紹介をしておこう。私はフェレナード、彼はインティスというんだ。名前に聞き覚えがあるかもしれないけど」
「あっ……」
彼から渡された『ネラス・ハール記』に、確かに二人の名前があった。
ということは、彼らは王子にかけられている王家の呪いの調査をしている人物だ。本にはそう書かれていた。
「あの本は何?」
「君をこの世界に呼ぶのに、予備知識があった方がいいと思って作ったんだ。さっき戦ったのが、この墓の遺産を守っている守護獣さ」
遺産とは王家の呪いに関する文献や資料のことだ(と、本に書いてあった)。
わかる。わかってしまう。
「フェレ、魔法で鍵がかかってる」
「わかった。開けるよ」
赤い髪のインティスはもう怒っていないようだった。
フェレナードが応じて前に出ると、木箱の上に片手をかざした。
下から風が吹き上げるように、彼の赤い上着の裾や銀髪が上へ向かってなびく。
するとすぐにカシャンと軽い音がして、彼は何なくふたを開けた。
中には黄ばんだ書物が一冊入っていた。
◇
優貴が本で読んだ通り、三人は紙に描かれた転移用の魔法陣を敷いて、森の国の城にあるフェレナードの部屋に戻ってきた。
上に乗るだけで移動できるなんて便利すぎる。転移の瞬間の、わずかな空気の違いで勝手に肌がぞわっとする感覚を除いては。
そこは深海のような青い調度品でまとめられた部屋で、金色のふわふわの髪をした少年が、振り返るなりフェレナードの方へ駆け寄ってきた。
彼も『ネラス・ハール記』に出てきた気がする。確か王子様だったはずだ。
「おかえりなさい、どうだった?」
「無事に文献の続きが見つかりましたよ。早速解読に取りかかります」
そう言って部屋の奥に消えるフェレナードを、少年が興味津々で追いかける。
だが、インティスが腰の剣をほどき、その先端を床に当ててどんと音を立てた。
思わずぎくっとなった少年がそーっと振り向く。
「……王子は寝る時間です」
「……はーい」
やっぱり王子だった。
肩を落とし、彼が魔法陣で自室に戻るのを見届けると、インティスはやれやれと溜息をついた。
自分たちが転移してきた魔法陣の方へ向かったから、どこへ行くのかと優貴は不安になったが、行き先ごとに魔法陣があって、都度自分で行きたい場所の魔法陣を敷いて乗るらしい。インティスが教えてくれた。
ほどいた剣を今度は軽く腰に巻き直す。
「さて、お前の部屋の割り当てもあるし、薬屋に行く」
「は、はい」
これも聞き覚えがあった。薬屋とは街にある彼らの拠点のことだ。
また魔法陣で移動し、その三階に案内された。これ、何とかドアみたいで便利だな……。
ふと、テーブルと椅子がいくつか置かれたラウンジの、壁の伝言板が目についた。
・コトミ → 5/29
・アカツキ
一行目は明日の日付で、二行目には日付がない。どちらも日本語で書かれている。
「ねえ、これは何?」
指をさしてインティスに尋ねる。
「ああ、手伝ってくれてるのが他に二人いるんだ。コトミはそこのメモの通り、明日来るかも」
「へぇ……」
返事はしたものの、見たことあるようなないような名前でピンと来なかった。
それから個室へ連れて行かれた。旅人の宿の一室のような、木製のベッドと机、クローゼットが用意されたシンプルな部屋だ。時計は夜の九時を指していて、もうすっかり夜である。え? 九時?
「帰らなきゃ!」
明日も学校なんだって! とインティスに訴え、諸々の手続きの後、また魔法陣で戻された。
ここに来た時は強制的に吸い込まれたのに、帰りは直立の魔法陣を自分でくぐって帰った。
魔法陣を境界にして、通り抜けるとすぐに見慣れた自分の部屋。
「うわ……」
やっぱりちょっと頭の切り替えがうまくいかない。こっちが現実。いや、あっちに行ったらあっちが現実なのか。
こっちの時計も九時を指している。どうやら向こうでも同じ時間が流れているようだ。
「優貴、スニーカーは?」
玄関を見た母親が、呆れたように尋ねてきた。
「で、できてる! 後で玄関に置いとく!」
「忘れないでよ。あと、今週の土曜はおじいちゃんの遺品の整理手伝ってって、おばあちゃんが」
「……う、うん」
母親は居間に戻ったようだが、気乗りしない気持ちがつい返事に出てしまった。
けど、今日はまだ水曜日だし、明日の放課後にまた来るようインティスに言われているので、それまでがんばって乗り切ろうと思った。
明日は何をするんだろう。探索の続きかな。
明日が楽しみなんて久しぶりだ。ものすごく。
そう思って向こうに行ったのに。
◇
「……やっぱりあんたなの」
「えっと……その……」
名前にピンとこなかった隣のクラスの女子に睨まれるなんて、思っても見なかった。
石でできた大きな蛇が、石でできているくせに自分を睨んでいた。
頭が現実に追いつかない。
ので、五分前の出来事から振り返ってみようと思う。
◇
中間テストが終わったにも関わらず、牧野優貴(まきの・ゆうき)は学校が終わると早々に帰宅していた。
「……はー……、やっと読み終わった」
達成感と共に、机の上の大きくて分厚い本をばたんと閉じた。帰宅の理由はこれだ。
読破に一週間もかかったこの本は、先週見知らぬ男から渡されたものだ。
学校の帰り道に気分転換に寄る、スーパーの一階のフードコートで。
知らない人から物をもらってはいけませんという忠告がごっそり頭から抜けてしまうほど、珍しい本だった。
美術で使うようなスケッチブックくらいの大きさで、分厚い表紙と裏表紙。乳白色の装飾も彫刻刀で彫った模様のように凝っていて、『ネラス・ハール記』と書かれていた。
そのタイトルの意味は全くわからなかったが、男はすっとその本を出して、「これを君に読んでほしい」と言って渡してきた。
君に、と言われて思わず受け取ってしまい、顔を上げると男の姿は消えていた。
青みがかった長い銀髪と青い目が印象的で、見るからに端正な顔をした外国人なのに、言葉はしっかり日本語だった。だから受け取ってしまったのかもしれない。日本語で話しかけられ、警戒心はゼロだった。
そうしてそれを持ち帰って読むこと一週間、本日は夕食も挟んでようやく読み終わった次第である。
「優貴、スニーカー買ってきたの? 学校に履いてく準備はした?」
「あっ」
変わり映えしない玄関の靴を見た母親が、階下から声をかけてきた。
ついでに、明日の時間割通りの教科書を鞄に押し込んで、ベッドに置いたままだった新品のスニーカーの箱を開ける。
普段はこんな買い物なんかしない。理由はあの本だ。
今までライトノベルと呼ばれる小説は何冊も読んできたが、これはそのどれとも違った。
何もかもが新しい情報で溢れていたことと、現実とは全く別世界なのに、自分のすぐ隣で起こっているような臨場感。読み始めた時は鳥肌が立ったくらいだ。
自然と影響されて、自分の身の回りにも新しいものが欲しくなり、今すぐ買い換えられそうなものがスニーカーだったというわけだ。去年からずっと履いていたから。
ベッドに座り、靴ひもの調節を始める。
時計は夜の十九時を過ぎていた。
蛍光灯の明かりの下でもわかるほど、机の上が光っていることに優貴は気付いた。
「え?」
思わずメガネの位置をきゅっと正す。光っているのは『ネラス・ハール記』だ。
手を止めて机に目をやると、光る本の上に魔法陣が浮かんだ。
色とりどりの光の線が複雑に絡み合いながら、両手を広げた程もある魔法陣は優貴の正面に直立する。
その魔法陣越しに、石畳と、石でできた大きな蛇と、そいつと戦っているらしい人影が見えた。なかなか迫力のある立体映像だ。
なんだ、アナログに見えて、ちゃんと今時の3Dコンテンツじゃん。
ということは、これは新しいアプリゲームの宣伝かな。わざわざ本を渡すなんてずいぶん手の込んだやり方だ。その癖、SNSで拡散してくれとも言われなかった。
多分これはオープニングムービーで、どこかに触れればメニューが現れるはず。
そう思って魔法陣に手を伸ばし、
吸い込まれ、
石畳を踏んだ。
そして今、石でできた大きな蛇に睨まれている。
「ようやくお出ましだ。待ってたよ」
戦っていた人影が振り向いて、優貴に声をかけてきた。
あのでかい本を渡してきた銀の髪の男だ。
「早速だけどこれを試してもらえないかな」
そう言って持たせてきたのは剣だ。普通の剣。当然金属でできている。持った瞬間腕力が負けて、先端が石畳を直撃した。
「お、重い! 重いんだけど!」
「ああ悪い、こっちが先だった」
男がすぐに出してきたのは、細いワイヤーに小さな石が沢山くっついた……えーっと、これは何?
優貴が口に出して聞く前に、そのワイヤーは勝手に両手首に絡みついてきた。両足首にも。それぞれトレーナーとジーンズの上から、痛くない程度にきゅっと締まる。サイズの自動調節は初めてだ。同じようなのは古い映画でしか見たことがない。
石が巻きついた腕で剣を持ち直すと、それまで激重のダンベルだった感触が一気に木の枝のように軽くなった。
「何だこれ! すごい!」
「これで準備はできた。じゃああの守護獣を倒すのを手伝ってくれ。指示は出すから」
「えぇ!?」
指示があればできるというものではない。
「核を壊せば倒せる。切った断面から赤い光が漏れていれば、核は近い」
「いやいやいや」
だって睨んでるし。
「大丈夫、戦力は他にもいる。君はあの蛇の気を逸らしてくれればいい」
「え?」
男に聞き返したと同時に、蛇と完全に目が合った。
「飛んで! 右!」
「は、はいっ! わーっ!」
言われた通りに地面を蹴ると、巻きついている石のせいで体が大きく右側へ浮いた。感覚は小学校の頃に飛んだことのあるトランポリンに似ている。それまで立っていたところに、蛇の頭が突っ込んで来ていた。
「着地は地面を見ろ!」
「……!!」
男の言うことに返事をする余裕はなかった。迫る石畳のタイミングに合わせて足を踏ん張ると、辛うじて足が少しぴりぴりする程度で済んだ。スニーカーも頑張っている。
「後ろの壁まで飛んで!」
「ええっ……!」
もう言われるがままに動くしかない。壁まで飛ぶと、蛇がまた向かって来た。銀の髪の男が言う通りに剣を抜いて、垂直に飛んで、突っ込んできた頭にその剣を突き立てる。石だと思ったのに、刃はすんなり貫通した。
「いいぞ、後は頼む!」
銀の髪の男が部屋の向こうへ声をかけると、そこから人影がもう一つ飛んできた。今度は赤い髪の男だ。
その男は空中で剣を抜き、着地と同時に蛇を真っ二つにした。大人二人が手を繋いで円を作ったくらいの太さはある。
胴体側の断面から赤い光が漏れたのが見え、恐らく一瞬で場所を特定したのだろう、断面から一メートルほどのところを剣で刺し貫いた。
堅い物が割れた音が聞こえたかと思うと、足下の蛇は砂に変わり、さらさらと崩れていった。
討伐完了と言ったところか。赤い髪の男が、持っていた剣を鞘に戻した。なびいていた髪がすっと落ち着くと、背中まであることがわかる。
額に巻かれた黄緑色の布、マントは着けていないが、軽装ながらも重ね着をしている。腰に並んだいくつもの革ポケットには何が入っているんだろう。
何だかめちゃくちゃファンタジーだ。
すると、赤い髪が銀の髪に大きい声で何か言い始めた。怒っているようだが、優貴には何を言っているかわからない。
おかしいな、さっきまで日本語だったのに。
きょとんとしていると、それに気付いた銀の髪が懐から一対の耳飾りを出した。
「君はこれをつけておいてくれ」
手首のワイヤーと同じ石がいくつもついた耳飾りは耳の縁に沿ったもので、着けると赤い髪の男の言葉も日本語で聞こえるようになった。
「いきなり戦わせるのは無理だって言っただろ!」
「悪かったよ。けど、彼が戦力になるって証明もできたし」
「そういう問題じゃない!」
ここで言う彼とは自分のことだろうか。戦力?
銀の髪は謝っていたが、時間を気にするようにはっとすると、部屋の奥にある扉に目をやった。
「今日は次の部屋で終わりにしようか。ユウキ、君もおいで」
「えっ?」
不意に名前を呼ばれ、優貴は驚いた。名乗った覚えはないのに。
赤い髪が黙って扉を開けると、教室の半分くらいの部屋の真ん中に、よくある宝箱のような木箱が置かれていた。
彼はそのまま、木箱の台座を下から覗き込んだり、近くの床に触れたりしている。多分罠がないか調べているのだ。小説で読んだことがある。
銀の髪がその様子を眺めながら、優貴に話しかけた。
「今のうちに自己紹介をしておこう。私はフェレナード、彼はインティスというんだ。名前に聞き覚えがあるかもしれないけど」
「あっ……」
彼から渡された『ネラス・ハール記』に、確かに二人の名前があった。
ということは、彼らは王子にかけられている王家の呪いの調査をしている人物だ。本にはそう書かれていた。
「あの本は何?」
「君をこの世界に呼ぶのに、予備知識があった方がいいと思って作ったんだ。さっき戦ったのが、この墓の遺産を守っている守護獣さ」
遺産とは王家の呪いに関する文献や資料のことだ(と、本に書いてあった)。
わかる。わかってしまう。
「フェレ、魔法で鍵がかかってる」
「わかった。開けるよ」
赤い髪のインティスはもう怒っていないようだった。
フェレナードが応じて前に出ると、木箱の上に片手をかざした。
下から風が吹き上げるように、彼の赤い上着の裾や銀髪が上へ向かってなびく。
するとすぐにカシャンと軽い音がして、彼は何なくふたを開けた。
中には黄ばんだ書物が一冊入っていた。
◇
優貴が本で読んだ通り、三人は紙に描かれた転移用の魔法陣を敷いて、森の国の城にあるフェレナードの部屋に戻ってきた。
上に乗るだけで移動できるなんて便利すぎる。転移の瞬間の、わずかな空気の違いで勝手に肌がぞわっとする感覚を除いては。
そこは深海のような青い調度品でまとめられた部屋で、金色のふわふわの髪をした少年が、振り返るなりフェレナードの方へ駆け寄ってきた。
彼も『ネラス・ハール記』に出てきた気がする。確か王子様だったはずだ。
「おかえりなさい、どうだった?」
「無事に文献の続きが見つかりましたよ。早速解読に取りかかります」
そう言って部屋の奥に消えるフェレナードを、少年が興味津々で追いかける。
だが、インティスが腰の剣をほどき、その先端を床に当ててどんと音を立てた。
思わずぎくっとなった少年がそーっと振り向く。
「……王子は寝る時間です」
「……はーい」
やっぱり王子だった。
肩を落とし、彼が魔法陣で自室に戻るのを見届けると、インティスはやれやれと溜息をついた。
自分たちが転移してきた魔法陣の方へ向かったから、どこへ行くのかと優貴は不安になったが、行き先ごとに魔法陣があって、都度自分で行きたい場所の魔法陣を敷いて乗るらしい。インティスが教えてくれた。
ほどいた剣を今度は軽く腰に巻き直す。
「さて、お前の部屋の割り当てもあるし、薬屋に行く」
「は、はい」
これも聞き覚えがあった。薬屋とは街にある彼らの拠点のことだ。
また魔法陣で移動し、その三階に案内された。これ、何とかドアみたいで便利だな……。
ふと、テーブルと椅子がいくつか置かれたラウンジの、壁の伝言板が目についた。
・コトミ → 5/29
・アカツキ
一行目は明日の日付で、二行目には日付がない。どちらも日本語で書かれている。
「ねえ、これは何?」
指をさしてインティスに尋ねる。
「ああ、手伝ってくれてるのが他に二人いるんだ。コトミはそこのメモの通り、明日来るかも」
「へぇ……」
返事はしたものの、見たことあるようなないような名前でピンと来なかった。
それから個室へ連れて行かれた。旅人の宿の一室のような、木製のベッドと机、クローゼットが用意されたシンプルな部屋だ。時計は夜の九時を指していて、もうすっかり夜である。え? 九時?
「帰らなきゃ!」
明日も学校なんだって! とインティスに訴え、諸々の手続きの後、また魔法陣で戻された。
ここに来た時は強制的に吸い込まれたのに、帰りは直立の魔法陣を自分でくぐって帰った。
魔法陣を境界にして、通り抜けるとすぐに見慣れた自分の部屋。
「うわ……」
やっぱりちょっと頭の切り替えがうまくいかない。こっちが現実。いや、あっちに行ったらあっちが現実なのか。
こっちの時計も九時を指している。どうやら向こうでも同じ時間が流れているようだ。
「優貴、スニーカーは?」
玄関を見た母親が、呆れたように尋ねてきた。
「で、できてる! 後で玄関に置いとく!」
「忘れないでよ。あと、今週の土曜はおじいちゃんの遺品の整理手伝ってって、おばあちゃんが」
「……う、うん」
母親は居間に戻ったようだが、気乗りしない気持ちがつい返事に出てしまった。
けど、今日はまだ水曜日だし、明日の放課後にまた来るようインティスに言われているので、それまでがんばって乗り切ろうと思った。
明日は何をするんだろう。探索の続きかな。
明日が楽しみなんて久しぶりだ。ものすごく。
そう思って向こうに行ったのに。
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「……やっぱりあんたなの」
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