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三章 それぞれの翼
第53話 予期せぬ来訪
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「えっ、プリミアンローズのオーナー?」
突如舞い込んだ予期せぬ来訪の知らせ。プリミアンローズのオーナーと言う事は、恐らくブリュッフェルという失礼な執事の弟の方だろう。だけどいまいち私を訪ねて来た意味も意図もわからない。
まさか殴り込みに来たって言うわけではないわよね?
「リリアナ、訪ねて来たのは一人だけなの?」
「いえ、付き添いとして若い男性がもう一人来られております」
「若い男性?」
男性と聞いて一瞬フレッドの事を思い浮かべるも、すぐさまその可能性を否定する。
少し前に私とフレッドが言い争いになった件は、この店のスタッフなら誰しも知ることなので、わざわざ若い男性とは言わないだろう。
「たぶん……なのですが、プリミアンローズのパティシエではないでしょうか?」
「知ってるの? リリアナ」
「はい」
リリアナが言うには、ローズマリーのお客として何度か見かけた事があるらしく、何となく印象に残っていたのだという。
「よく覚えていたわね」
「いえ、少々妙な動きをされておられましたのと、貴族にしてはテーブルマナーが全くなっていませんでしたので、それで覚えていただけなんです」
なるほど。
自慢じゃないがローズマリーの大半のお客様は、貴族か商売をされている『いわゆるお金持ち』の方々。3年前に国を襲った大飢饉から、原材料となる砂糖やミルクといったものが噴騰してしまい、今じゃすっかり高級食材となっているのは有名な話なので、この辺りの事は仕方がないだろう。
そんな中で平民が一人混じっていれば、如何に服装で誤魔化していても、見る者が見れば一目瞭然。そしてその手の観察に関して、リリアナは特に秀でた才能を持っている。
するとその男性というのは、偵察としてローズマリーに訪れていたという事になり、商品の分析をするためには当然それを詳しく知る人物という事にもなる。
「それでパティシエと判断したのね」
「はい。流石に知識が無いような人を送り込まないでしょうから」
私もプリミアンローズを偵察するため、フロアチーフであるリリアナとパティシエであるエリクを送り込んだように、やはり彼方も彼方でローズマリーに偵察を送り込んでいたのだろう。
結果としてあちら側はあまり成果は出ていないようだが、流石にニーナとかいう天才少女は、顧客に顔割れしていて送り込めなかったといったところか。
「わかったわ」
「それでどちらにご案内致しましょうか?」
「あっ、そうね……」
本来訪ねて来たというのなら来賓用のこの部屋を使うのだが、生憎と今はフローラ様達を招いたうえに、部屋中には色んなチョコレートを使ったお菓子が並んでいる。
流石に今すぐこの部屋を片付けると言うわけにはいかないず、お客様用の小さな個室は一ヶ月先まで満室の状態。おまけにリニューアルオープン以降新規の顧客が増えたのか、カフェエリアのテーブルは常に順番待ちの状態なので、現状来賓を招いて話し合える場所がないのだ。
一応来賓用の宿泊部屋が一つと、私が書類仕事に勤しむ執務室にテーブルと椅子はあるのだが、親しくもない人を招き入れるというのは、やはりどうしてもご遠慮したいという気持ちが優先されてしまう。
すると今対応できる策としては、一階のフロアで立ち話として受けるしか残されてはいない、のだけれど……。
(まぁ仕方がないわよね、アポも取らずに突然訪れてきたあちらが悪いんだし)
少々商売の礼儀には反するが、別にこちらが招いた客ではないのだし、事前の約束も取らずにやってきたのだから、まともの対応をされなかったと騒がれても、ある意味仕方がない事であろう。
それに出来ればこちらとしても早くお帰り頂きたいので、適当に話を聞いて出来るだけ早急にお帰りを願うべきだろう。エリス達ももうすぐ帰って来る事だしね。
「ですが人目に付きますが、よろしいので?」
「別にいいんじゃない? 一応最初にこちらの事情は説明するつもりだし、何も喧嘩をしようとしている訳でもないのだしね」
ただし相手の出方次第ではと、心の中で付け加えておく。
正直こちらとしては盗作疑惑を掛けられていい迷惑をしているのだ。流石に本人達が知らないとは思えないので、自分たちが不利になるような喧嘩は吹っかけては来ないだろう。
それにプリミアンローズのオーナーが訪ねて来た事は、すでにお客様方には知られている筈なので、密かに私とのやり取りを気にしている人たちも大勢いるのではないだろうか。
「そういうことなので、暫く席を外させていただきます。ランベルト、後のことはよろしくね」
「それは構いませんが、私もお側で護衛した方がいいのではございませんか?」
「大丈夫よ、一応カナリアには付いてきてもらうつもりだし、フィーもポッケに隠しておくつもりだから。それに相手も人前で迂闊な真似も出来ないでしょ?」
「そう……ですね。護衛という点ならば私よりもカナリアの方が適任でしょうし、フィー様が付いておられれば不意打ちで危険な目に合うこともないでしょう」
「そういう事、何かされたら正当防衛で氷漬けにてあげるわ」
「問答無用で氷漬けにしてやります!」
フィーの気合いは買いたいところだが、問答無用で氷漬けは流石にまずいでしょと、心の中でツッコミを入れておく。
流石に向こうも私が精霊と契約している事や、カナリアが実は戦えるメイドさんなのだとは知らない筈なので、いざ力任せに襲われる様な事態になったとしても、自身とお客様の身の安全ぐらいは守りきれる筈だ。
「アリス、何かあれば直ぐに私たちを呼びなさい」
「ありがとうございますフローラ様、それでは行ってまいります」
私は扉の前で一礼をして、リリアナとカナリアを連れてブリュッフェルが待つ店の入り口へと向かった。
うーん、この男性がファウストの弟なのね。確かに何処となく顔立ちだけは似ているわ。
「初めまして、この店のオーナーを務めておりますアリス・ローズマリーといいます」
「プリミアンローズのオーナーを任されているブリュフェルでございます」
私がこの男性に感じた第一印象、それはただ『不気味』という一言だった。
表面上の挨拶は失礼な兄をは似つかず礼儀正しいのだが、その言葉遣い一つ、その動き一つを取っても、何処か演技かかっているよう雰囲気が見え隠れしている。
私も商売の交渉などであえて営業スマイルをする事は良くあるが、彼の笑顔はにこやかに微笑んでいるものの、その瞳の奥は黒く悪意すらも感じてしまう。
もちろん今までの経緯があるから、私が勝手にそう感じているという可能性も十分にあるのだが、それでもこの男性には僅かな隙をみせてはいけないと、私の本能がそう訴えている気すらも思えてくる。
私は心の中だけで深呼吸をし、まずは座って話し合いが出来る場所が用意出来ない事だけを説明する。
「わざわざお越しいただいたところ申し訳ないのですが、只今来賓を招いての打ち合わせ途中でして。なにぶん急な来訪でしたので、今直ぐご案内出来る部屋がご用意出来ないのです」
来るなら事前にアポ取って来いや! っと、オブラートに包みながら最後に一言だけ付け加える。ついつい関西弁になってしまった事は見逃して欲しい。
「構いませんよ、こちらも急な訪問でしたので」
お互いニッコリと微笑みながら、視線だけでバチバチと火花が迸る。
この男、平然と笑顔で返してくるところをみると、中々に対話馴れしているわね。
交渉や話術といった点では、その実戦経験と相手の隙につけ込む技術が重要となってくる。そういう点では兄のファウストは露骨すぎる反応をみせていたが、交渉に関して案外弟の方が侮れない存在なのかもしれない。
「それで今日はどのようなご用件でしょうか?」
「実は妙な噂を耳に致しまして、今日はその出処を確かめるためにも伺わせていただきました」
「噂……ですか?」
噂と言えば、心当たりがあるのは私がフローラ様とレティシア様にお願いした、例の男爵家が私とフレッドとの結婚を迫った一件の話。
あれは確か一ヶ月程前の話で、お二人曰く『時間は掛かるけれど、外堀から埋めて行くわね♪』っと、それはそれはとても楽しそうに話されてた事を思い出してしまう。
私としては男爵家への嫌がらせのつもりだったのだが、もしかしてお店の方の評判まで落としてしまったのだろうか?
「では今日はその噂とやらの件でお越しになられたと?」
「えぇ、噂の内容から推察するに、こちらの店から発生したとしか考えられませんので」
それはそうだろう。あの場にいたメンバーで、男爵一家を除けば私とカナリアしかいなかったのだ。真相を知る者からすれば、真っ先に私を疑うのは当然の結果だと言い切ってもいい。
だけどそこで認めてしまえば此方に非がある事を認めてしまうし、スタッフの教育面でも不手際があった事を認めてしまう。
なので本来ならばここは是が非でも誤魔化すか、惚けるかの対応になるのだが、私はあえてこの流れに逆らうように対応する。
「私もその噂の件に関しては把握してはおりますが、一体何処から漏れ出たのか……」
あえて噂は故意に生まれたのではなく、真実が漏れ出たところをちょっぴりアピール。
「それは噂の元凶は貴女か、この店にあるとお認めになるという事でよろしいので?」
「えぇ、そうでしょうね。その件に関しましては申し訳なく思っているのですよ」
「……」
視界の端に、一瞬ブリュッフェルの眉が僅かに動いた事を見届ける。
恐らく彼方としては私が誤魔化したところを大げさに指摘し、プリミアンローズの評判まで落としに掛かっと、逆にこちらの評判でも落としてやろうと考えていたのではないだろうか?
だがお生憎様。私があっさり認めた事で逆に噂の信憑性に拍車が掛けられる。
噂はあくまでも噂。噂を耳にされた大半の人達は、全員が全員噂を信じられているわけでもないので、そこに明確な確定情報がプラスされると、その噂の信憑性は確かなものへと成長する。
もちろん彼方の思惑通り、プリミアンローズの評判を落とすために敢えて偽情報を流した、という批判的な意見も拭えないが、そこは商品の味と質で明確な勝敗が決していると考えているので、今更噂がどうこうと騒いだところで、こちらが致命的に評判を落とす事もないだろう。
「では、我が店を誹謗する噂を流されたのは、貴女だとおっしゃるのですね」
「別に貴方の店を誹謗するつもりなんてないわよ。私は噂の元凶がこの店からだと認めただけ」
「それが誹謗だと言っているのです。大体そのような『ニセの情報』を流して恥ずかしくはないのですか!」
敢えて『ニセの情報』のところだけ強調したのは、最後の悪あがきといったところか。
元々広まったという噂は男爵家への誹謗であり、プリミアンローズが扱う商品に対してでは決してない。
「お怒りなのはわかりますが、この様な場所で声を荒がえないでいただけますか? お客様にご迷惑です」
「貴女という人は……、自分の店さえよければそれでいいとおっしゃるので?」
私としては演技がかった態度に嫌気がさしただけなのだが、彼方としては何がなんでも責任を全てこちら側に押し付けたいといったころだろう。
「勘違いなさらないでください。その程度の噂で文句を言われる筋合いはないと言っているのです」
「っ!」
私からバッサリと迷惑だと切り捨てられ、鋭い眼光をこちらに向けてくる。
彼方の狙いは大方噂の払拭と、ニセの噂の元凶として私と店の評判を落とす事だろう。人前で……もしくは大声で叫べば自ずと人の目や耳に焼き付いてしまう。
今回は結果的にお客様の前での弁舌戦になってしまったが、お互いライバル店同士で熾烈をなしていたことは、大勢の人達が知る事実。それがどんな理由にせよ、直接対峙してしまったのだ。これで気にならないと言った方がおかしいのではないか。
「あまり言いたくはないのですが、正直こちらとしても無理やり結婚を迫られていい迷惑なのです。そのうえ関係もないショップのオーナーに押しかけられ、こちらとしても只々戸惑うばかり。そもそもニセの情報だとおっしゃるのなら、わざわざ文句を言いに来られる必要はないのではありませんか?」
噂はあくまでも噂。そこで騒げば噂は余計に広まってしまい、結果的に沈静化するまで更に時間が掛かってしまう。
本来こういった対処の仕方として、まずは真相を確かめ、噂が偽物ならば抗議する手紙を先方に送りつけ、自らは堂々と振舞っていればいいだけの話。
私の場合はかえって相手側を喜ばすだけになると思い、盗作疑惑の件は触れない様にしてきたが、今回は貴族としてのプライドもあるので、抗議の手紙の一つは来るかと覚悟していたのだが、まさか直接殴り込みに来られるとは思ってもみなかった。
だが逆の見方をすると、すぐさま否定しなければいけないほど、男爵家が負ったダメージが大きかったという事だろう。
フローラ様とレティシア様、一体どう言った内容の噂を流されのやら……。
「やれやれ、貴女は礼節という言葉を知らない様ですね。私が聞いた話では、男爵家に取り入ろうとした貴女が、結婚を断られた腹いせに逆の噂を流したと聞いていますよ。そもそも貴族でもある男爵家が、貴女のような下賎な輩を一族に迎え入れようとは考えないでしょう」
「あら、この店の売り上げやら資産やらを、やたらと気にされていた様子でしたが?」
「それこそ有りえない事実無根です」
「そうかしら? 貴方は知らないかもしれないけれど、私は以前フレッド様と婚約関係にあったのよ。それが急に一方的に切り捨てられ、その理由が男爵家が抱えておられる借金を、マニエラ様……ご婚約者の父上が経営されておられる、ダニエラ商会に肩代わりして頂いたからと伺っておりますが?」
「……ちっ」
この事実、恐らく男爵家にとっては隠したい内容であっただろう。
実際フローラ様が私の身辺調査をされなければ、私の耳のははいらなかったで、向こうもまさか私が真相を知っているとは思ってもいなかった事だろう。
「それにね、噂噂とおっしゃっていますが、私もこの店に盗作疑惑がかけられ、文句を言いたいのはこちらの方なのです。ですが私は貴方のようにわざわざ文句を言いに押しかけるような真似は致しません。そもそも確かな情報もないのに、いきなり店へ押し掛けて来られるのは失礼じゃないかしら?」
この時、一瞬ブリュッフェルの口の端がわずかに上がった事を見逃さなかった。
「それはまた妙な事をおっしゃいますね。まさかとは思いますが、当店がその盗作疑惑を流したとでも仰りたいので?」
売り言葉に買い言葉、ついついムキになって触れないでおこうとしていた盗作疑惑を口にし、私の中で『しまった!』という感情が沸き起こる。
例の盗作疑惑の件は未だ未解決のまま。今までは私が何一つ発していなかったせいで、噂は噂のまま有耶無耶にされ続けてきた。
それがたった今、私が明確に否定する言葉を口にしたせいで、再びこの噂は盛り返す事だろう。しかも今回は直接の対決といったオマケも付いているので、ここで僅かでも疑惑の残るような結果を残せば、こちら側にもそれ相応の代償はのし掛かってしまう。
(もしかしてブリュッフェルの本当の目的は、私に理不尽な文句で煽るだけ煽って、この盗作疑惑を口にする事が狙い!?)
私は慎重に言葉を選びながら、相手の出方を伺うように言葉を紡ぐ。
「そこまでは言っておりませんわ。私はただ当店の商品に盗作疑惑をかけられた事を言っているのです」
「つまり盗作したのは我々の方だと、そうおっしゃりたいので?」
ブリュッフェルはワザと見せつけるようにため息を一つつき。
「それこそ事実無根ですよ。第一盗作と言われましても、絵画や名器ではないのですから、真似されても仕方がないものでございましょう? それをワザワザ自ら発案したかのように公言され、剰え私どもに盗作の疑惑を掛けて来るなど、失礼極まりない行為。これは明らかに当店の評判を落とす言動とお受けしましすが?」
この男……。
一件支持を受けやすいようもっともらしい事を口にし、盗作は罪ではないと言いながら、最後はこちら側に罪をなすりつけようとして来ている。
いま一番重要なのはどちらが正しいかではなく、どちらの言葉に不信感をいだかせるかが最大の目的なので、私が自ら口走ってしまった盗作疑惑を払拭できなければ、怪しまれるのはこちらの方だろう。
仕方ないわね……。
私は店内の様子を見渡すようなフリをしながら、ブリュッフェルの付き人らしき青年に視線を移す。
「それじゃクイズをしましょう」
「クイズ? ……くだらない、そんな茶番に付き合うつもりはございません」
「あら、茶番じゃないわよ。ケーキを取り扱っているなら簡単な問題。それとも答えられないから、わざと怒ったフリをして誤魔化しているのかしら?」
盗作疑惑を掛けられたという確かなる証拠がない今、私にできる事はことば巧みに相手の嘘を見抜く事。
恐らくブリュッフェルもそれが分かっているから拒否してきたのだろうが、大勢の人の前で少しでも守りに入れば、それはそのまま不信感へと繋がってしまう。
つまりそれはケーキの事なんて本当は何もわからないと、受け止める人だっているというわけだ。
「チッ、いいでしょう。但し1問だけです」
「十分よ。なんだったらそちらからも質問してくれてもいいわよ? 私の方は好きなだけ答えてあげるわ」
私にしか見せないよう舌打ちを打ったところを見ると、やはり真実を追求した受け答えには弱いと見える。
ならばこの僅かな隙を突かない理由はないだろう。
「大した自信ですね」
「当然よ、だって私が作ったものだからね」
本当の狙いは私の潔白を知ってもらう為の言動だが、それは彼方も理解している事だろう。
ケーキの製造に関する事で私に答えられない事はないが、言葉巧みに罠に嵌める方法など幾らでもある。
いま一番重要な事は明確な答えではなく、如何に第三者へ不信感を抱かせないという一点のみ。
「いいでしょう。その自信が命取りにならぬよう、精々励むことですね」
「それじゃはじめましょうか、こちらから出す問題は……」
こうしてローズマリーとプリミアンローズの運命をかけた問答が始まるのだった。
突如舞い込んだ予期せぬ来訪の知らせ。プリミアンローズのオーナーと言う事は、恐らくブリュッフェルという失礼な執事の弟の方だろう。だけどいまいち私を訪ねて来た意味も意図もわからない。
まさか殴り込みに来たって言うわけではないわよね?
「リリアナ、訪ねて来たのは一人だけなの?」
「いえ、付き添いとして若い男性がもう一人来られております」
「若い男性?」
男性と聞いて一瞬フレッドの事を思い浮かべるも、すぐさまその可能性を否定する。
少し前に私とフレッドが言い争いになった件は、この店のスタッフなら誰しも知ることなので、わざわざ若い男性とは言わないだろう。
「たぶん……なのですが、プリミアンローズのパティシエではないでしょうか?」
「知ってるの? リリアナ」
「はい」
リリアナが言うには、ローズマリーのお客として何度か見かけた事があるらしく、何となく印象に残っていたのだという。
「よく覚えていたわね」
「いえ、少々妙な動きをされておられましたのと、貴族にしてはテーブルマナーが全くなっていませんでしたので、それで覚えていただけなんです」
なるほど。
自慢じゃないがローズマリーの大半のお客様は、貴族か商売をされている『いわゆるお金持ち』の方々。3年前に国を襲った大飢饉から、原材料となる砂糖やミルクといったものが噴騰してしまい、今じゃすっかり高級食材となっているのは有名な話なので、この辺りの事は仕方がないだろう。
そんな中で平民が一人混じっていれば、如何に服装で誤魔化していても、見る者が見れば一目瞭然。そしてその手の観察に関して、リリアナは特に秀でた才能を持っている。
するとその男性というのは、偵察としてローズマリーに訪れていたという事になり、商品の分析をするためには当然それを詳しく知る人物という事にもなる。
「それでパティシエと判断したのね」
「はい。流石に知識が無いような人を送り込まないでしょうから」
私もプリミアンローズを偵察するため、フロアチーフであるリリアナとパティシエであるエリクを送り込んだように、やはり彼方も彼方でローズマリーに偵察を送り込んでいたのだろう。
結果としてあちら側はあまり成果は出ていないようだが、流石にニーナとかいう天才少女は、顧客に顔割れしていて送り込めなかったといったところか。
「わかったわ」
「それでどちらにご案内致しましょうか?」
「あっ、そうね……」
本来訪ねて来たというのなら来賓用のこの部屋を使うのだが、生憎と今はフローラ様達を招いたうえに、部屋中には色んなチョコレートを使ったお菓子が並んでいる。
流石に今すぐこの部屋を片付けると言うわけにはいかないず、お客様用の小さな個室は一ヶ月先まで満室の状態。おまけにリニューアルオープン以降新規の顧客が増えたのか、カフェエリアのテーブルは常に順番待ちの状態なので、現状来賓を招いて話し合える場所がないのだ。
一応来賓用の宿泊部屋が一つと、私が書類仕事に勤しむ執務室にテーブルと椅子はあるのだが、親しくもない人を招き入れるというのは、やはりどうしてもご遠慮したいという気持ちが優先されてしまう。
すると今対応できる策としては、一階のフロアで立ち話として受けるしか残されてはいない、のだけれど……。
(まぁ仕方がないわよね、アポも取らずに突然訪れてきたあちらが悪いんだし)
少々商売の礼儀には反するが、別にこちらが招いた客ではないのだし、事前の約束も取らずにやってきたのだから、まともの対応をされなかったと騒がれても、ある意味仕方がない事であろう。
それに出来ればこちらとしても早くお帰り頂きたいので、適当に話を聞いて出来るだけ早急にお帰りを願うべきだろう。エリス達ももうすぐ帰って来る事だしね。
「ですが人目に付きますが、よろしいので?」
「別にいいんじゃない? 一応最初にこちらの事情は説明するつもりだし、何も喧嘩をしようとしている訳でもないのだしね」
ただし相手の出方次第ではと、心の中で付け加えておく。
正直こちらとしては盗作疑惑を掛けられていい迷惑をしているのだ。流石に本人達が知らないとは思えないので、自分たちが不利になるような喧嘩は吹っかけては来ないだろう。
それにプリミアンローズのオーナーが訪ねて来た事は、すでにお客様方には知られている筈なので、密かに私とのやり取りを気にしている人たちも大勢いるのではないだろうか。
「そういうことなので、暫く席を外させていただきます。ランベルト、後のことはよろしくね」
「それは構いませんが、私もお側で護衛した方がいいのではございませんか?」
「大丈夫よ、一応カナリアには付いてきてもらうつもりだし、フィーもポッケに隠しておくつもりだから。それに相手も人前で迂闊な真似も出来ないでしょ?」
「そう……ですね。護衛という点ならば私よりもカナリアの方が適任でしょうし、フィー様が付いておられれば不意打ちで危険な目に合うこともないでしょう」
「そういう事、何かされたら正当防衛で氷漬けにてあげるわ」
「問答無用で氷漬けにしてやります!」
フィーの気合いは買いたいところだが、問答無用で氷漬けは流石にまずいでしょと、心の中でツッコミを入れておく。
流石に向こうも私が精霊と契約している事や、カナリアが実は戦えるメイドさんなのだとは知らない筈なので、いざ力任せに襲われる様な事態になったとしても、自身とお客様の身の安全ぐらいは守りきれる筈だ。
「アリス、何かあれば直ぐに私たちを呼びなさい」
「ありがとうございますフローラ様、それでは行ってまいります」
私は扉の前で一礼をして、リリアナとカナリアを連れてブリュッフェルが待つ店の入り口へと向かった。
うーん、この男性がファウストの弟なのね。確かに何処となく顔立ちだけは似ているわ。
「初めまして、この店のオーナーを務めておりますアリス・ローズマリーといいます」
「プリミアンローズのオーナーを任されているブリュフェルでございます」
私がこの男性に感じた第一印象、それはただ『不気味』という一言だった。
表面上の挨拶は失礼な兄をは似つかず礼儀正しいのだが、その言葉遣い一つ、その動き一つを取っても、何処か演技かかっているよう雰囲気が見え隠れしている。
私も商売の交渉などであえて営業スマイルをする事は良くあるが、彼の笑顔はにこやかに微笑んでいるものの、その瞳の奥は黒く悪意すらも感じてしまう。
もちろん今までの経緯があるから、私が勝手にそう感じているという可能性も十分にあるのだが、それでもこの男性には僅かな隙をみせてはいけないと、私の本能がそう訴えている気すらも思えてくる。
私は心の中だけで深呼吸をし、まずは座って話し合いが出来る場所が用意出来ない事だけを説明する。
「わざわざお越しいただいたところ申し訳ないのですが、只今来賓を招いての打ち合わせ途中でして。なにぶん急な来訪でしたので、今直ぐご案内出来る部屋がご用意出来ないのです」
来るなら事前にアポ取って来いや! っと、オブラートに包みながら最後に一言だけ付け加える。ついつい関西弁になってしまった事は見逃して欲しい。
「構いませんよ、こちらも急な訪問でしたので」
お互いニッコリと微笑みながら、視線だけでバチバチと火花が迸る。
この男、平然と笑顔で返してくるところをみると、中々に対話馴れしているわね。
交渉や話術といった点では、その実戦経験と相手の隙につけ込む技術が重要となってくる。そういう点では兄のファウストは露骨すぎる反応をみせていたが、交渉に関して案外弟の方が侮れない存在なのかもしれない。
「それで今日はどのようなご用件でしょうか?」
「実は妙な噂を耳に致しまして、今日はその出処を確かめるためにも伺わせていただきました」
「噂……ですか?」
噂と言えば、心当たりがあるのは私がフローラ様とレティシア様にお願いした、例の男爵家が私とフレッドとの結婚を迫った一件の話。
あれは確か一ヶ月程前の話で、お二人曰く『時間は掛かるけれど、外堀から埋めて行くわね♪』っと、それはそれはとても楽しそうに話されてた事を思い出してしまう。
私としては男爵家への嫌がらせのつもりだったのだが、もしかしてお店の方の評判まで落としてしまったのだろうか?
「では今日はその噂とやらの件でお越しになられたと?」
「えぇ、噂の内容から推察するに、こちらの店から発生したとしか考えられませんので」
それはそうだろう。あの場にいたメンバーで、男爵一家を除けば私とカナリアしかいなかったのだ。真相を知る者からすれば、真っ先に私を疑うのは当然の結果だと言い切ってもいい。
だけどそこで認めてしまえば此方に非がある事を認めてしまうし、スタッフの教育面でも不手際があった事を認めてしまう。
なので本来ならばここは是が非でも誤魔化すか、惚けるかの対応になるのだが、私はあえてこの流れに逆らうように対応する。
「私もその噂の件に関しては把握してはおりますが、一体何処から漏れ出たのか……」
あえて噂は故意に生まれたのではなく、真実が漏れ出たところをちょっぴりアピール。
「それは噂の元凶は貴女か、この店にあるとお認めになるという事でよろしいので?」
「えぇ、そうでしょうね。その件に関しましては申し訳なく思っているのですよ」
「……」
視界の端に、一瞬ブリュッフェルの眉が僅かに動いた事を見届ける。
恐らく彼方としては私が誤魔化したところを大げさに指摘し、プリミアンローズの評判まで落としに掛かっと、逆にこちらの評判でも落としてやろうと考えていたのではないだろうか?
だがお生憎様。私があっさり認めた事で逆に噂の信憑性に拍車が掛けられる。
噂はあくまでも噂。噂を耳にされた大半の人達は、全員が全員噂を信じられているわけでもないので、そこに明確な確定情報がプラスされると、その噂の信憑性は確かなものへと成長する。
もちろん彼方の思惑通り、プリミアンローズの評判を落とすために敢えて偽情報を流した、という批判的な意見も拭えないが、そこは商品の味と質で明確な勝敗が決していると考えているので、今更噂がどうこうと騒いだところで、こちらが致命的に評判を落とす事もないだろう。
「では、我が店を誹謗する噂を流されたのは、貴女だとおっしゃるのですね」
「別に貴方の店を誹謗するつもりなんてないわよ。私は噂の元凶がこの店からだと認めただけ」
「それが誹謗だと言っているのです。大体そのような『ニセの情報』を流して恥ずかしくはないのですか!」
敢えて『ニセの情報』のところだけ強調したのは、最後の悪あがきといったところか。
元々広まったという噂は男爵家への誹謗であり、プリミアンローズが扱う商品に対してでは決してない。
「お怒りなのはわかりますが、この様な場所で声を荒がえないでいただけますか? お客様にご迷惑です」
「貴女という人は……、自分の店さえよければそれでいいとおっしゃるので?」
私としては演技がかった態度に嫌気がさしただけなのだが、彼方としては何がなんでも責任を全てこちら側に押し付けたいといったころだろう。
「勘違いなさらないでください。その程度の噂で文句を言われる筋合いはないと言っているのです」
「っ!」
私からバッサリと迷惑だと切り捨てられ、鋭い眼光をこちらに向けてくる。
彼方の狙いは大方噂の払拭と、ニセの噂の元凶として私と店の評判を落とす事だろう。人前で……もしくは大声で叫べば自ずと人の目や耳に焼き付いてしまう。
今回は結果的にお客様の前での弁舌戦になってしまったが、お互いライバル店同士で熾烈をなしていたことは、大勢の人達が知る事実。それがどんな理由にせよ、直接対峙してしまったのだ。これで気にならないと言った方がおかしいのではないか。
「あまり言いたくはないのですが、正直こちらとしても無理やり結婚を迫られていい迷惑なのです。そのうえ関係もないショップのオーナーに押しかけられ、こちらとしても只々戸惑うばかり。そもそもニセの情報だとおっしゃるのなら、わざわざ文句を言いに来られる必要はないのではありませんか?」
噂はあくまでも噂。そこで騒げば噂は余計に広まってしまい、結果的に沈静化するまで更に時間が掛かってしまう。
本来こういった対処の仕方として、まずは真相を確かめ、噂が偽物ならば抗議する手紙を先方に送りつけ、自らは堂々と振舞っていればいいだけの話。
私の場合はかえって相手側を喜ばすだけになると思い、盗作疑惑の件は触れない様にしてきたが、今回は貴族としてのプライドもあるので、抗議の手紙の一つは来るかと覚悟していたのだが、まさか直接殴り込みに来られるとは思ってもみなかった。
だが逆の見方をすると、すぐさま否定しなければいけないほど、男爵家が負ったダメージが大きかったという事だろう。
フローラ様とレティシア様、一体どう言った内容の噂を流されのやら……。
「やれやれ、貴女は礼節という言葉を知らない様ですね。私が聞いた話では、男爵家に取り入ろうとした貴女が、結婚を断られた腹いせに逆の噂を流したと聞いていますよ。そもそも貴族でもある男爵家が、貴女のような下賎な輩を一族に迎え入れようとは考えないでしょう」
「あら、この店の売り上げやら資産やらを、やたらと気にされていた様子でしたが?」
「それこそ有りえない事実無根です」
「そうかしら? 貴方は知らないかもしれないけれど、私は以前フレッド様と婚約関係にあったのよ。それが急に一方的に切り捨てられ、その理由が男爵家が抱えておられる借金を、マニエラ様……ご婚約者の父上が経営されておられる、ダニエラ商会に肩代わりして頂いたからと伺っておりますが?」
「……ちっ」
この事実、恐らく男爵家にとっては隠したい内容であっただろう。
実際フローラ様が私の身辺調査をされなければ、私の耳のははいらなかったで、向こうもまさか私が真相を知っているとは思ってもいなかった事だろう。
「それにね、噂噂とおっしゃっていますが、私もこの店に盗作疑惑がかけられ、文句を言いたいのはこちらの方なのです。ですが私は貴方のようにわざわざ文句を言いに押しかけるような真似は致しません。そもそも確かな情報もないのに、いきなり店へ押し掛けて来られるのは失礼じゃないかしら?」
この時、一瞬ブリュッフェルの口の端がわずかに上がった事を見逃さなかった。
「それはまた妙な事をおっしゃいますね。まさかとは思いますが、当店がその盗作疑惑を流したとでも仰りたいので?」
売り言葉に買い言葉、ついついムキになって触れないでおこうとしていた盗作疑惑を口にし、私の中で『しまった!』という感情が沸き起こる。
例の盗作疑惑の件は未だ未解決のまま。今までは私が何一つ発していなかったせいで、噂は噂のまま有耶無耶にされ続けてきた。
それがたった今、私が明確に否定する言葉を口にしたせいで、再びこの噂は盛り返す事だろう。しかも今回は直接の対決といったオマケも付いているので、ここで僅かでも疑惑の残るような結果を残せば、こちら側にもそれ相応の代償はのし掛かってしまう。
(もしかしてブリュッフェルの本当の目的は、私に理不尽な文句で煽るだけ煽って、この盗作疑惑を口にする事が狙い!?)
私は慎重に言葉を選びながら、相手の出方を伺うように言葉を紡ぐ。
「そこまでは言っておりませんわ。私はただ当店の商品に盗作疑惑をかけられた事を言っているのです」
「つまり盗作したのは我々の方だと、そうおっしゃりたいので?」
ブリュッフェルはワザと見せつけるようにため息を一つつき。
「それこそ事実無根ですよ。第一盗作と言われましても、絵画や名器ではないのですから、真似されても仕方がないものでございましょう? それをワザワザ自ら発案したかのように公言され、剰え私どもに盗作の疑惑を掛けて来るなど、失礼極まりない行為。これは明らかに当店の評判を落とす言動とお受けしましすが?」
この男……。
一件支持を受けやすいようもっともらしい事を口にし、盗作は罪ではないと言いながら、最後はこちら側に罪をなすりつけようとして来ている。
いま一番重要なのはどちらが正しいかではなく、どちらの言葉に不信感をいだかせるかが最大の目的なので、私が自ら口走ってしまった盗作疑惑を払拭できなければ、怪しまれるのはこちらの方だろう。
仕方ないわね……。
私は店内の様子を見渡すようなフリをしながら、ブリュッフェルの付き人らしき青年に視線を移す。
「それじゃクイズをしましょう」
「クイズ? ……くだらない、そんな茶番に付き合うつもりはございません」
「あら、茶番じゃないわよ。ケーキを取り扱っているなら簡単な問題。それとも答えられないから、わざと怒ったフリをして誤魔化しているのかしら?」
盗作疑惑を掛けられたという確かなる証拠がない今、私にできる事はことば巧みに相手の嘘を見抜く事。
恐らくブリュッフェルもそれが分かっているから拒否してきたのだろうが、大勢の人の前で少しでも守りに入れば、それはそのまま不信感へと繋がってしまう。
つまりそれはケーキの事なんて本当は何もわからないと、受け止める人だっているというわけだ。
「チッ、いいでしょう。但し1問だけです」
「十分よ。なんだったらそちらからも質問してくれてもいいわよ? 私の方は好きなだけ答えてあげるわ」
私にしか見せないよう舌打ちを打ったところを見ると、やはり真実を追求した受け答えには弱いと見える。
ならばこの僅かな隙を突かない理由はないだろう。
「大した自信ですね」
「当然よ、だって私が作ったものだからね」
本当の狙いは私の潔白を知ってもらう為の言動だが、それは彼方も理解している事だろう。
ケーキの製造に関する事で私に答えられない事はないが、言葉巧みに罠に嵌める方法など幾らでもある。
いま一番重要な事は明確な答えではなく、如何に第三者へ不信感を抱かせないという一点のみ。
「いいでしょう。その自信が命取りにならぬよう、精々励むことですね」
「それじゃはじめましょうか、こちらから出す問題は……」
こうしてローズマリーとプリミアンローズの運命をかけた問答が始まるのだった。
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