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始まり

第2話 ブラン家の人々

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「ただいまー」
 玄関の扉を元気よく開き、帰宅の挨拶をする。
 すると、私の声に反応したメイド達が大慌てで駆け寄ってきた。

「お、お嬢様授業はどうされたのですか!?」
「サボって来ちゃった」
 真っ先に声を掛けてきたのは、幼い頃からずっと私のお世話をしてくれているメイドのティナ。歳は私と同じ16で、このお屋敷のメイド長であるケイトの一人娘。
 本来この時間はまだ授業を受けている時なので、私がここにいる事自体が異例といってよい。

「サボって来ちゃったって、どうやって帰って来られたんですか?」
「どうやってって、そんなの歩いて帰って来たに決まってるじゃない」
 今の私にとって歩いて帰るのは当たり前の事、何時もは馬車で送り迎えをしてもらっているが、予定とは違う時間に帰る事になってしまったので、わざわざ連絡をしてまで迎えに来てもらうのに抵抗があったのだ。
 それにあんな事があった後なので、少しでも早く学園から離れたかったと言う思いもあり、それほど家までの距離も無かったことから歩いて帰る方法をとった。

「歩いてって、何を考えておられるのですか、次期王妃になられるお嬢様にもしもの事があれば大騒ぎになるじゃありませんか。」
 ティナに悪気はないんだろうが、今のセリフは冷静に保っていた私の心にグサリと何かが突き刺さった。
「ティナ、私はもう次期王妃ではないわ」
「えっ?」
「詳しい話は後でするから、着替えを用意してもらえるかしら。まずはお母様に報告したいの」
「分かりました、すぐにご用意致します」
 このお屋敷で働く使用人達は優秀だ、私の言葉を聞いた瞬間に表情を引き締め、それぞれの役目を果たそうと行動に移ってくれる。
 ある者は私の着替えの用意をしに部屋へと向かい、またある者はお母様の元へと連絡をしに行ってくれたのだろう。私が今学園でどのような立場に立たされているかは、ここにいる全員が知っているのだ。次期王妃ではなくなったと言えば大体の事は察してくれるだろう。

「ごめんねティナ、学園での事を色々説明してあげたいけど、まずはお父様とお母様に報告してからでないと、私がどう判断をしていいのか分からないのよ。」
 本来使用人に当主一家の醜態を晒す必要もないのだが、隠していてもいずれバレる事だし、例え話したとしても誰一人として笑ったり屋敷の外に漏らしたりする事はないだろう。それが分かっているからこそ、使用人全員に情報の共通として必要な事はあらかじめ報告している。
 先ほどはつい『もう時期王妃じゃない』と話してしまったが、本来お父様の口から使用人達に通達されなければならないし、そもそもまだ私達の婚約が本当に白紙に戻せるかどうかも分からないので、今は軽い気持ちで全てを話すわけにはいかないのだ。

「お気遣いされなくても大丈夫です。お嬢様のお気持ちは十分理解しておりますし、例えどんな事になろうとも私共全員お嬢様のお味方でございます」
 着替えを手伝ってもらいながら、後ろで制服を片付けてくれているメイド達も一旦手を止めて、全員が力強く頷いてくれる。
「ありがとうみんな」
 ここ数日、色んな事がありすぎてずっと気が張り詰めていたけど、初めて肩の力を抜いて笑顔になれる事が出来る。
 私はこんなにも周りの人たちに支えてもらっているんだと改めて感じられた。

 最終的に私の進退はお父様がご帰宅後にご相談しなければならないが、皆には出来るだけ迷惑を掛けないようにしなければならない。まずはお屋敷にいるお母様に報告をした方がいいだろう。ここ最近ずっと心配ばかり掛けていた記憶しかないから、私は平気だと言うところを見せておかなければならない。
 着替えを素早く終え、私は一人お母様の部屋へと向かった。


 コンコン
「どうぞ」
 扉の奥から入出の許可をいただき、部屋の中へと入っていく。
「ただいま戻りましたお母様」
「お帰りなさいリーゼ、こちらに来て座りなさい」
 促されるままお母様の対面の椅子へと座る。
 メイド長ケイトが私のお茶を用意してから部屋を出て行くと、早速学園での話が始まった。
「ケイトから話を聞いたのだけれど、ウィリアム様から婚約破棄を言い渡されたって本当?」
「はい、本当です。大体の事はご想像通りだと思いますが、本日ウィリアム様に呼び出され、正式に婚約破棄を言い渡されました。それと私の罪状を追って国から言い渡すとも言われております」
 私の言葉を聞いて一瞬ピクリと表情を険しくされるが、次に向けられた表情はいつも通りの笑顔に戻っていた。気のせいかもしれないが後ろに立ち上る黒いオーラに若干震えが来るけど、きっと私の思い違いだろう。

「それで貴方の方は大丈夫なの?」
 多分私が気落ちしていないか心配してくれているのだろう、婚約が決まってからウィリアム様にぞっこんだった事は家族を含め、このお屋敷で働く全員が知っている。
「お気遣いありがとうございます、私の方は既に吹っ切れております。寧ろ結婚する前に彼の方のお気持ちが分かって良かったと思っております。」
 そう思えるのは一重に前世の記憶が蘇ったからなのだが、それを言うとまた別の理由で心配されたうえ、最悪病院送りになってしまう可能性があるので、この場は誰にも話さない方がいいだろう。

「あら、思っていたより随分さっぱりしているのね。私はてっきり心配を掛けまいと平静を装っているのかと思ったのだけれど、どうもそれとは違うみたいね」
「私は恋の病という病気に掛かっていたんです。それが治った、ただそれだけの事でございます」
 チクリと心に何かが刺さる気がするが、今ここでお母様に気づかれる訳にはいかない。
 ウィリアム様の事で吹っ切れていると言う言葉に偽りはない。だけどリーゼ・ブランとして完全に立ち上がれるまでにはもう少し時間が必要なのだろう。
 両手を胸に当て想い出に耽ると、今でも心に浮かぶのは淡い恋心を秘めた懐かしい日々。だけどそれはもう二度と戻る事はないのだから。

「以前よりいい表情をするようになったわね、実はというと私はウィリアム様との婚約は反対だったのよ」
「そうなんですか?」
 二人の婚約はてっきり周りからも祝福を受けているものだとばかり思っていたので、お母様から出た言葉は私にとって意外な内容だった。

「以外かしら? 確かにブラン家としては王家との繋がりが出来る事は誇らしいわよ。でも娘が幸せになれないと分かっているのに、家の都合で結婚させるのは親として喜ばしい事ではないのよ」
 初耳だ、まさかそんな事を考えておられたとは思ってもみなかった。
「それじゃお母様は、ウィリアム様が私に振り向いていないとご存じだったのですか?」
「当然でしょ? 私はいつだって娘達の事を見守っているのよ。リーゼはウィリアム様の為に一生懸命尽くそうとしているのに、彼はリーゼの事を便利な道具としてしか見ていなかったわ。そんな人と結婚しても楽しい事なんて一つもないわよ」
 流石お母様、恋に盲目だった私と違いウィリアム様の事を良く見ていていらっしゃる。私は全然気づかなかったと言うのに。

「でも良かったわ、リーゼがちゃんと私の元に帰って来てくれて」
 ん? 私がお母様の元に帰るのは普通じゃないの?
 そう言いながら私の後ろに回ると、両腕で優しく包んでくれる。
 あぁ、そういう事か、私はこれ程までに心配を掛けてしまっていたんだ。恐らく失恋の余り自暴自棄になったり、自殺を試みたりする事を心配されていたのではないだろうか。
 もし前世の記憶が戻らず、リーゼ・ブランとしてウィリアム様の言葉を聞いていたとすれば、心配されていた通りになっていたかもしれない。

「私、お母様の娘で本当に良かったです」
 流れ出る涙を隠すようお母様の胸に顔を埋める。
 今の私は二人の記憶が存在しているが、リーゼ・ブランは間違いなくお母様から生まれた娘なのだ。
 この溢れ出る涙は決して失恋により流れ出るものではなく、私を心配してくれている人達の為の嬉し涙。
 リーゼ、私たちはこんなにも沢山の人達に愛されているのよ。だからいつまでも暗い闇に閉じこもっていないで、明るい世界へと歩き出そう。私たちは二人で一人なんだから。
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