Loves、Loved

富井

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あずみの悪戯

すれ違う

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緑山に手を引かれて研究室に行くと、ひょろっと背の高い若者が山波の前で項垂れていた。

それを見ろと言わんばかりに緑山は雅にしか見えないように隠して指を指した。

そのひょろっと背の高い男は、2年生の鶴屋という地方出身の若者だった。

なぜか山波に憧れ、研究室の助手に志願して来たのだが、いかんせん成績が山波の望むところに達していなかった。

「君は、私の話を覚えていないのか。」

「いえ、覚えています。」

「何といった。」

「二十番以内に入れと。」

「それで、君は何番だ。」

「二十四番です。」

「どういうことだ。」

「・・・・・」

「残念だ。」

山波は成績通知書を封筒に入れ直し、鶴屋に突き返し、自分の仕事にもどった。

「山波さん・・・でも、あの・・・今日、明日はバイト休みで、もしよかったらお手伝い・・・」

「そうか、二日間も休みか。それは良かった。しっかり勉強しろ。」

山波はまた山のような書類の部屋へと戻り機械のように仕事を再開した。

深いため息のあと振り返った鶴屋は、緑山と雅の姿に自分が見られていた事を気づくと照れ隠しにぺこっと頭を下げ出て行った。


「先生、せっかくやりたいって言ってるんだから、コピーとか、お茶くみとかその他もろもろの細かいことやってもらえば。」

「それに24番ってかなりすごいと思いますけどね。」

「ああ、上に200がついてなければな。鶴屋はいい奴だがここでは使えない。
そんなことをさせて進級できなければ、本末転倒だ。あいつには生きて行くのにちょうどいい食堂のバイトを紹介した。給料も出るしまかないもある。土日は休みだ。勉強に支障は出ない。」

「優しい。」

緑山は静かに足音を消して忍び寄り、いつの間にか山波のすぐ隣で話しを聞いていた。

その近さは、瞬きの音が聞こえるほどの距離で、そのことに気づくとみるみると赤くなっていった。
緑山が山波にむける悪戯な目に、雅はすこし嫉妬した。

「手伝ってやってもいいよ。」

「サンキュー。じゃあコレ。まとめと入力お願い。」

雅がしまったと想うほどのファイルを積まれて、両手で顔を覆った。

わかってはいたが、緑山の少し焼かせて気を引かせる手口にまんまと乗せられてしまった。

一つ一つ片付けて積み上がったファイルを全部片付けられたのは、外が真っ暗になってからだった。

「毎日こんななのか。」

「まあね。もうすぐ夏休みだから仕方ないよ。夏休みになればお休みもとれるし。」

「大変だろ。」

「うん。でも、山波先生とずっと一緒にいられるから楽しいよ。」

「よかったな。仲良さそうじゃないか。」

「うん。明日も空いてたら頼めるかな。」

「明日は隼人と映画なんだ。だから、ごめん。」

「いいよ。また時間が空いてる日があったら手伝って。」

緑山に見送られて雅が帰ろうとしているのと反対に鶴屋が小走りにやって来た。
「緑山さん、御用ですか。」

「鶴屋君、買い出しお願い。山波先生と僕の晩御飯。雅はどうする?」

「俺は家で食うよ。隼人が帰ってくるかもしれないし。」

「そう、じゃあ鶴屋君も晩御飯買って一緒に食べようよ。」

最初は「買い出しか・・・」というがっかりした感じが露骨に見えたが、緑山のニコッと笑って「一緒に」と言われた瞬間の鶴屋のとろけるような顔に少し同情した。

雅はコンビニに向かって駆けて行く鶴屋の後姿を見ながら、

「こいつは今晩徹夜でコピーだな」と考えながら駐車場へと向かった。

-----------------------------------------
そのころ隼人は、激しく苦しみ出したあずみの介抱をしていた。

今日も突然、ひどく苦しみだし、兄の用意した、たった一錠の薬で見違えるように容態はよくなる。
昨日と全く同じだった。

そのあずみの姿を見ていると自分の心も引き割かれそうなほど苦しかった。

金曜になれば如月が迎えに来る。それまでの辛抱だ・・・必死でそう言い聞かせてはみたものの、自分の犯した罪の重さに耐えるのに限界だった。


けれど、明日は雅と映画を見に行く約束をしていた。このままだったら行けなくなるかもしれない。
隼人は恐る恐る兄に言ってみた。

「明日、出かけたいんですけどいいですか・・・」

「構わないよ。行っておいで。雅とかいう男と映画に行くんだろ。」

「どうして知っているんですか。」

「あずみ君が、君のメールを見たんだって。全部私に報告してくれるんだ。いいよ。

行きなさい。あずみ君と私は温泉に行く約束をしているんだ。明日の夕方ここを立つつもりなんだ。」

「週末じゃなかったのですか・」

「お前が如月に電話をしなければ週末の予定だったけれどね。

如月がここへ来るんだろ。
私はここでは会いたくないんだ。
あの人には必ず福井に来てもらわないと困るんだ。
だから出発を速めたんだよ。」

「どうしてそれも・・・」

「お前が何をするかくらい、だいたいの予想はついているよ。

だから話を聞くことができるようにしただけさ。
明日、お前が付いてこなくても私は別に構わないよ。
けれど、あずみ君が途中でわがままを言い出したら、私はあの子に何をするかは・・・わからなけどね。しかも、お前がこの筋書きを考えたのだと雅にお知らせでもするかな。いっそ、大学の掲示板にお知らせするのもいいかな。」

「そんな・・・」
「苦しいか・・・?」

山内和人は声を殺して笑った。

まるでそう笑う人形のように、表情を変えずに薄気味悪く笑って、隼人の胸を掴んだ。


「どうする?私たちについて来るならこの子の看病をお前に任せるけど・・・」

「わかりました。けれど、お別れだけは行かせてください。必ずお昼には帰ってきます。

お兄さんの事もあずみ君のことも、何も言いません。

本当です。これで最後にしますから。」


「そうだね。あずみ君を私のところに連れて来たご褒美に明日の朝、日が昇ってから午後2時までは自由にしてあげよう。

けれど、1分でも遅れたらどうなるか、わかっているな。」

「はい・・・」

「じゃあ、私は明日の用意があるからもう帰るよ。

私も朝早くここへ来るから、あずみ君が起きていても構わないから出かけなさい。」

「はい・・・・」

隼人は真っ暗な駐車場の真ん中に正座して動けなくなった。

今までもずいぶん虐げられては来たが、ここまで恐ろしいと思ったことは初めてだった。

あずみを連れて今すぐ逃げなければ・・・
そうは思ったが、逃げても行くところなんてどこにもない。

如月は金曜まで留守だ。大学へ連れて行けば何とかなるかも・・・病室へ駆け戻りあずみの荷物をまとめだした。

「あずみ君。ちょっとだけ出かけないか。」

「どこへ?」

「緑山さんのところ。」

「いかない。」

「行こうよ。」

「こんな遅い時間に行ってどうするの。僕ここがいい。

明日は温泉だし。ゆっくりお湯につかれば夜苦しむのも治るかもって。

ねえ、どこか行きたいところがあったらどこでも連れて行ってあげるって言われたんだけど。」

あずみの枕元には観光の雑誌が山のように積まれていた。

悪魔の巣の中に少しずつ近づいているとも知らずに、一つ一つ付箋を貼って、喜んでいるあずみを見ているのが苦しくてたまらなかった。

「温泉は教授と行けば。早く家に帰らないと帰りずらくなるよ。」
「お兄様も来るんだよ。山内先生が言ってた。

山内先生とお兄様は福井時代のお知り合いで、お兄様には世話になったから、僕に恩返しでこんなに良くしてくれたんだ。

お兄様とも連絡がついて温泉に合流するから、僕たちは早めに行って病気を治しましょうねって。
隼人のお兄さんは本当にいい人だね。

僕のお兄様に世話になったって・・・あの人が人の世話なんて絶対しない。たぶん財布を拾ったとか、その程度の事だと思うよ。
なのにこんなにしてくれて・・・見てこのネイル。
かわいいでしょ。」

「もう、何度も見たよ。かわいい。もう帰ろうよ。今帰ったほうがいいよ。」

「ヤダ。お兄様が迎えに来るまで帰らない。温泉に行きたい。
僕も初めて温泉に行くんだ。
隼人だって映画楽しみにしているんだろ。映画館、初めてだから。

僕も一緒だよ。どこへも連れて行ってもらったことがないんだ。」

「わかった・・・・大丈夫だよ。
僕も一緒について行くから。何かあったら僕が守るよ。
明日の朝、雅のところへお別れに行ってくるけど、すぐ帰るから、朝僕がいなくても心配しないでね。」
「何言ってるの?守ってもらわなくても僕は平気だよ。第一、隼人のほうが僕より二十センチも背が低いし、細いし、どうやって守るの。」

「そうだね・・・・」

隼人は鼻歌交じりに雑誌を見ながら喜んでいるあずみを背に、病室から夜の空を見上げた。

月も星も出ているいつもと同じ空なのに、やけに暗く感じた。

その空の一番光る星にそっと手を伸ばした。

もう、悲しすぎて涙すら出なかった。

やっとつかみかけた幸せだったのに、自分の手で全部壊してしまった。

自分の愚かさと逃れられない運命につくづく嫌になった。離れたいと思っていてもばねのように引き戻される。

結局、それに歯向かうことができない自分の弱さにも飽き飽きしていた。

朝まで眠れなかった。

朝の赤い光がちらりと見えたころ、病室を出た。

雅のマンションの入り口の植え込み。

知り合ってすぐ位に、雅を待っていた場所。

そこに腰を下ろし、日が昇るのを待った。
そこで大学に入学してから今日までのことをずっと思い出していた。
この大学に行けと指示したのは兄だった。

当然、如月と接触し、自分のところまで連れてこいという指示だったが、都会で兄の束縛から離れ、雅と知り合い、緑山たちと知り合い、小さくてもキラキラした数か月は、自分が生きてきた中で最高の時で、この時を過ごすためにきっと自分は生まれて来たんだと思うほどだった。

-----------------------------------
朝、六時半。雅が目覚める時間だった。

隼人は電話をかけた。これが雅にかける最後の電話。

「ごめん雅・・・今晩、兄がくるんだ。映画、楽しみにしてたけど、本当に、ごめん・・・。」


「いいよ。仕方ない。また、今度行こうよ。」

「ごめん・・・」

「いいって、お兄さんと会うの、久しぶりでしょ。ゆっくり楽しんでおいでよ。」

その優しい言葉に、我慢していたものが一気にこみあげてきた。

笑って終わりにしようと思ったのに、楽しいことを思い出せば思い出すほど涙はあふれ、心の奥で凍っていたもう一人の自分が溶け出したようにとめどなく流れ落ちた。

「隼人・・・どうした、泣いてるの?」

「雅・・・今から行っちゃダメ?」

「いいよ。おいで。」

隼人はエントランスまで走ってチャイムを鳴らした。

「早いな。」

「マンションの前にいた」

「どうして」

「会いたかった。どうしても。」

「そう。」

隼人は雅の胸に顔を埋め強く抱きしめた。

雅もまだ靴を履いたままの隼人を一度抱きしめたあと、軽々と抱き上げ寝室へ運んだ。

「どうして泣いている。」

「映画に行きたかった・・・」

「また行けるよ。」

雅は隼人の髪を優しく撫でると唇を重ねた。

はじめは優しく、何度も泣いている隼人の顔を見ながら、そして強く。

隼人の呼吸が止まるほどに。隼人もこのベッドの上で呼吸が止まればいいのにと何度も、何度も思った。

「ねえ、雅・・・生まれ変わってもまた僕をこうしてくれる。」

「何言っているの・・・」

「ねえ・・・」

「するよ。何度生まれ変わっても隼人にキスしに行くよ。」

「僕も・・・僕も雅を見つけるよ。絶対。」

隼人は雅の上に跨ると、ブラウスを脱ぎ自分の姿を雅に見せた。

自分が確かにここにいたと、忘れてほしくなかったからだ。

そして雅の体に口づけし、舐めてその感触を自分の中に焼き付けた。

熱い胸、引き締まったウエスト、いつも強く抱いてくれる太くたくましい腕、少し太くて長い指、太ももから足の先まで全部、全部、全部忘れたくない初めて愛おしいと思った人だった。


「どうしたの隼人。なんか、いつもと違う。」

「なんでもないよ。いつもと同じ。雅の事が大好きなだけ。」

「そうか・・・・」

雅も隼人を強く抱きしめ、唇を吸い、体の傷を舐めた。いつもと同じように。


隼人には、いつもより強く、激しく感じた。もっと、もっと一緒に居たい。

毎日、同じように時は流れるが、この時だけは、時間が過ぎてゆくのを恨めしく思った。

「雅は今日学校?」

「うん。十一時には出ようかな・・・」

「じゃあ、そろそろ帰るよ。ごめんね。」

「隼人も学校に行くだろ。一緒に行こうよ。」
「ごめん・・・あずみ君につきっきりで、学校の用意何もしてないんだ。一度帰って教科書持ってこないと・・・」

「そうか。じゃあ、学校で待っている。」

雅のこの言葉に返事ができなかった。

壊れそうなほど苦しくて泣き出しそうなのを堪えていつものように笑った。

最後に玄関でもう一度口づけをし、目を閉じて雅を抱きしめ、鼓動を耳で感じると、溺れそうに幸せだった日々をもう一度思い出した。

「雅はあったかいね。」その隼人を大きな手で優しく包み、

「隼人もあったかいよ。」そう言い返した。

小さく手を振り、マンションを出ると、もう二度と夢を見ることもない、幸せのかけらを感じることもない地獄へと向かった。
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