お気に入りの悪魔

富井

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魔女の谷

三、

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「ごめんロビン。」

ロビンからの返事はなく、僕を見ることもなく、魔女の谷のすべてを焼き尽くしたあとまっすぐ、上に向かって高く飛んだ。すごく早く、まっすぐ、まっすぐ上へ、上へとすごいスピードで上がった。

そして、その何倍ものスピードで、僕達のアパートの前に墜落した。

ロビンが落ちた場所には穴があき水道管が破裂して水が噴き出した。
「ロビン・・・ロビン・・・」

全身は真っ黒に焦げ、苦しそうに眉間にしわを寄せ、肩で荒く息をしているのが分かる以外、返事もなく目を開けることもなかった。

人間がこの穴に気づく前にロビンを出して部屋まで運ぼうと思ったが、大きくなったロビンは重くて僕がパタパタと体が浮き上がるくらいで、僅かしか前に進めなかった。

「何やってるの、君。」

少し離れたところに死神十八番の姿があった。

「重くて一人では、運べないんだ。手伝ってくれないか?」

「僕がマーブルに触れるとマーブルの命をもらうことになるけれど、いいか?」
顔色一つ変えずにそう言った。いつもに比べて表情も冷たく、怒ったような顔で見下ろした。死神の話には返事をせず、一人でぐったりとしたロビンを抱きかかえ、少しずつだけど前に進み、アパートのエレベーターに乗せた。ロビンの体からはまだ煙が少し出ていて、焦げた臭いもした。エレベーターはロビンと僕でいっぱいになった。
「ごめん・・・大丈夫かい?」
ロビンの焼けた顔に手を当て、髪を撫でた。
「見たらわかるだろう。全く大丈夫そうじゃない。」
エレベーターには、なぜか死神十八番が一緒に乗り込んでいた。
「君は僕にマーブルを信じていると言った。
あれは嘘だったのか?」

「嘘ではありません。今でも、信じているし一番大切で大好きな友達です。」

「その大切で大好きな友達をこんな目に合わせたのは君だろう。
信じていないから取りに行ったんじゃないのか。」

「違う。違う。喜ばせたかった・・・もっともっと喜んでほしかったから・・・」

「マーブルを喜ばせたいんじゃなくて、おまえが満足したかっただけだろう。人間は愚かだ。もっと、もっとって・・・多くのものを手に入れようとするあまりに、本当に大切なものを失うんだ。」

「大切なものを・・・」

「君にとっての今一番大切なものは、マーブルじゃないのか。違うのか・・・?」

死神の質問に答えるまえにエレベーターは13階についた。
僕はマーブルの身体を抱き上げ、エレベーターを降りる準備をした。降りるのにとても時間がかかり、エレベーターの扉が何度も何度も閉まりかけて、僕の肩や足に当たって開いた。エレベーターの扉がマーブルに当たらないようにしていたはずなのに、羽がひっかかってもたもたとしていると、エレベーターの扉が閉まりマーブルの体にあたりそうになった。その時、扉を手で押さえてくれたのは死神だった。

「ど、どうも・・・ありがとう」

やっと、本当にやっと、というほど時間をかけて、マーブルを部屋に入れ、リビングに布団を引いて寝かせた。布団から大きくはみ出した体は、あの時からは想像もできないくらいに醜く焼け焦げていた。つい昨日、手をつないで歩いたときはいっぱいの指輪をはめた細く長い指だったのに、今は大きな手には醜く長く伸びた爪。
気が付くと死神が部屋の隅に立っていた。

「こうしてあらためて見ると醜い姿だな・・・
いつものマーブルからは想像もつかない。なぜこんな哀れな姿になってまでおまえを助けに行ったのか、わかるか?」

僕は2,3回頷いた。涙がぼたぼたと床に落ちた。

「僕はバカだ。セスカになにを言われても断るべきだったんだ。彼にはとても感謝していたし大好きで大切で・・・本当に、喜ばせたかっただけなんだ・・・」
僕は首にかけた方位磁針を、あの少し汚れたクマのぬいぐるみと並べて置いた。
「おまえ、あんな苦労をして手に入れたのにと、言いたいのか?」
僕はまた2,3回頷いた。
「報われないことなど人生の中で幾度となくある。報われないことがほとんどだ。
何百、何千の感謝や愛の言葉を重ねても、それが真実でなければただ息を吐いているのと同じだ。そして君の吐く真実のない言葉がマーブルを追い詰めたんだ。失敗してその度おまえはそうやって泣いて誤魔化す。」
「ちがう・・・後悔している。やっぱり僕は行くべきではなかった。セスカが怖くてどうしても断れなくて。1度はちゃんと断れたのに僕一人になると怖くて・・・
それに、喜んでくれると思ったんだ。方位磁石を取り返したらうれしいって言っていたから・・・」
「本気でほしければ自分で行っていたさ。彼は君よりずっと強い。マーブルの考えはシンプルだ。思い出はいらない。お前と出会ったからだ。古いものにこだわるより、新しい思い出をつくろうとしていた。だから今まで取り返そうなんて思わなかっただけだ。
そんなマーブルがおまえを助けたことも報われないことにするつもりか?
だったら・・・・」
死神十八番はロビンに触れようとした。

僕はロビンに覆いかぶさって、死神に触らせないようにした。
「連れて行かないでください。僕にはまだマーブルが必要なんです。」

顔を上げると死神の姿はもうなかった。

部屋の中から本当に死神の姿が消えたのか、あたりを見渡してから洗面器に水を汲んで、タオルをぬらしてロビンのひたいに乗せた。肩や胸も拭いた。タオルは真っ暗になるけれど、ロビンの体は白くはならなかった。
「ごめん。ロビン。目を覚まして・・・」

何度も何度も拭いたが体も小さくならない。いつまでも黒くて、熱をもって、煙もたまに出て、まるで小さな火山の様だった。意識もなく、ゴムのような固い羽根もそのままだった。
カンカンと窓を叩く音が聞こえて、窓を開けてみるとバルビンバーがいた。
「マーブルはどうだい?」
僕はなにも言わずに目で寝ている彼を見た。その視線を追ってバルビンバーもロビンを見た。
「酷いな・・・生きているのか?」
「うん。死神は帰った。」
「悪魔は死神と一緒には行けないよ。ただ消えるんだ。そっと。」
「え・・・」
「マーブルは大丈夫だよね。」
「大丈夫さ。絶対。」
バルビンバーはお土産に持ってきたオムライスを枕元に置いた。

「マーブルが大好きだから・・・でも、食べられないよね・・・」
「うん・・・」
「君がいなくなって1週間マーブルは大変だったんだ。」
「1週間?僕が魔女の谷に入ったのは今日のお昼でしょ?」
「違うよ、1週間前の昼に君はいなくなったんだ。
それから、ずっと探し続けて、セスカにも何度も何度聞いて、結局、あのステッキを取られたんだよ。」
「どういうこと・・・」
「だいぶ前からセスカはあのステッキが欲しくて、僕にもマーブルにうまく言って借りてこいとか、奪ってこいとかしつこく言われて、僕も困っていたんだ。でも、マーブルは心が読めるし、明日のこともわかるから、僕の不安もそれをどうしたらなくせるのかも全部わかっていて僕を傷つけないようにアドバイスをくれて・・・君も知っているじゃないか。だから、僕はマーブルからステッキを取らずにすんだんだ。
だけど、君はセスカの罠に嵌って・・・
ちょっと違うな・・・」
バルビンバーはあれこれ考えながら、話しを何度も戻してじれったくてイライライラした。
「僕がステッキの件を断ってから、セスカは君にステッキを持って来させようと考えたんだ。」
「そのことをマーブルはわかっていたの?」
「マーブルは心を読むのが上手だからね。僕だって少しは読めるんだよ・・・」
「君の話しは今はいいよ。それで、その先を教えて。」
「ああ、セスカは僕達悪魔でもかかってしまうほど、脳を支配する魔力を持っているんだ。君はほとんど人間だし、魔力にかかって簡単にステッキを持って自分のところに来ると思っていたみたいだけど、なかなか持ってこないから、イライラしていたんだ。
それを知ったマーブルは、君の悪魔になる最後の試験にセスカの言いなりになって魔女の谷に行くか、マーブルの頼んだ仕事に行くかを賭けたんだ。
僕は何度もやめたほうがいいって言ったんだ。エーゴはまだほとんど人間だからムリだって、絶対行っちゃうからやめろって。

でも、マーブルはエーゴなら大丈夫だって、自分を信じているから行かないって・・・」
僕はマーブルの顔をタオルで拭きながら聞いていたけど、タオルで拭くのをやめて両手で頬を押さえた。
「なのに君は行っちゃうから、マーブルはとてもとても落ち込んで、仕事もしながらいろいろな悪魔にどこかで見かけていないか聞いたり、何度もセスカと言い合いになって。
みんなは探すなって、どうせ落第で人間に戻るだけなんだから、ほおっておけって言ったのに・・・だってそうだろ、君はマーブルを裏切ったんだから魔女の谷で消えたとしても文句は言えないはずじゃないか。それに人間はたくさんいるんだから、君一人がいなくなったって誰も困らないよ。なのにマーブルは最後、セスカにステッキを渡して君がどこの入り口から入ったかを聞き出したんだ。」

「あんなに大切にしていたのに・・・」

「無くしたのはそれだけじゃないよ。
指を見てごらんよ。指輪、1個もないだろ。君が帰ってきてもう一度試験を受け直せるように頼んだんだ。自分自身をかけて・・・
みんな止めたんだ、グリーンだって・・・なのにどうして裏切ったんだ。」

「ごめん・・・本当に、ごめんなさい・・・」

「おい。マーブルに涙を落とすな。人間の涙は汚れているからマーブルの傷が深くなるだろ。」

バルビンバーに突き飛ばされて僕はリビングの端まで吹っ飛んだ。

「とにかく、5日だからな。お前に残された猶予は5日。それまでに試験に受かるようにしろよ。言っちゃいけないって言われていたけれど、これ以上マーブルを悲しませたくないから言うんだからな。

なんでお前なんだよ・・・まったく・・・」

「ごめん・・・」
「もう謝るな。そして泣くな。泣くのも謝るのもダメなんだぞ。行動で示せよ。」

「どうやって・・・」
「知るか!知っていたら僕はもっと偉い悪魔になっている。
じゃあな・・・もう励まさないからな・・・」
「うん・・・ありがとう。」
「ありがとうも言うな。」
バルビンバーは窓から飛び立って行った。一人になった僕は、またロビンの体を拭いた。口元に水を持っていったけれど、口に入っただけで流れ落ち、飲んでいる様子はなかった。
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