神様と共に存る世界で

アオハル

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第一章 春告草

-四-

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 今日は祭りの初日。
 いつもなら車が通る大通りも通行止めに。屋台が並び、呼び込みの声が響く中、観光客の姿も普段よりも多い。
  昼と言うには遅く、夕方と言うには少し早い時間。兄に頼まれた見回りのため、人の流れに従って歩く三郎と与一の姿があった。
 三郎の身なりはいつも通り。ただ、今日は草履ではなくブーツを履いている。人込みで刀を持ち歩いても誰も気に止めぬのは、神としての力というより、祭りに合わせた装束とでも思われているのだろう。
『良いですか、若。このような祭りの日にはよからぬ事を考える輩が沸きます故、お手回りにはお気を付けください』
「分かっておる。そのために俺が見回りを頼まれたのだろう」
 神妙な顔で「助言」をする与一に対し、三郎はいつも通り。並ぶ屋台を物珍し気にふらふらと。興味のあるところで足を止めては、買ったり食べたり。
 その度に与一の厳しいチェックが入る。
『若!そのようなものは──』
『その商品は、もう少し先の屋台の方がお口に合うかと』
 有難いものもあれば、小言のようなものもある。いずれにしても、素直に聞き入れて歩く様だけを見ていれば、見回りそのものかも知れない。

 ──指示を出しているのが、懐におさまった子犬でなければ。

 与一は結界の外ではいまだに人型がとれない。短い時間であれば可能ではあるのだが、数分も経てば尻尾や耳が飛び出してしまう。
 故に本性──で供をしているのだが、小さな子犬の姿では人ごみの中を歩き回るのは危なかろう、と三郎の懐に収まる形で「供」をしているのだ。

 本人は大真面目に周囲に気を配り、あれやこれやと忠言をくれるのだが、第三者の目からみれば、子犬がきゅんきゅんと鼻を鳴らして甘えているようにしか見えない。
 通行人を始めとした人々の眼が柔らかく見守っているのを、与一本人は気づいていないのか、きりりとした態度をとり続けている──のだが。

「親父。すまぬが、味のない肉を焼いては貰えぬか」
 屋台の一つ。焼き鳥の屋台でタレも塩もかけぬものを一串求める。怪訝そうな親父に懐の子犬──ドヤ顔で胸を張っている──を見せると、あぁ、と笑顔が向けられた。
「そりゃぁ大役ですね。ちょっと待ってくださいよ」
 ぱたぱたと火を仰ぐうちわの音を聞きながら、三郎は通りを眺める。
 先程までは明るかった周囲が、薄暗くなってきている。ちらほらと提灯が灯り始め、独特の柔らかい光がぽつぽつと周囲を照らし始める中、思い思いに通りを歩く人の姿。
 親子連れ、友達、恋人──それ以外の誰もが祭りを楽しむためにこの場所を訪れている。
 我が兄ながら、一郎が一切を取り仕切るようになってから、年々人が増えているように思う。
「はい、おまちどう。熱いから、冷ましてからあげてやんな」
 屋台の主の声に顔をあげる。串から外した肉を外して白いトレイに乗せてくれた。礼を言って受け取った後、通りの裏に置かれた簡易的なベンチへと腰を下ろした。
「ほら。おぬしの分だ」
 先に与一を下ろしてから、皿を椅子の座面へ。箸で適当に肉をほぐしてから、地面に置いた。
 本来ならば、吹き冷ます等した方がいいのだろうが、見た目は子犬でも与一の中身は犬ではない。自分で適当に食べるだろう。
『このような過分なものを……与一は幸せ者でございます』
 きゅんきゅんと感謝の言葉を述べながら、肉にかじりついている。小さな肉片を頬張っては嬉しそうに尻尾をぶんぶん振っている様は、通行人からの微笑ましい視線を集めている。
「……少し休んだらもう一回りしてから帰ろうか」
 自分用に焼いてもらった焼き鳥を頬張った。足元できりっとお座りをしている与一を視界の端におさめながら小さく笑う。
 そうして食べ終えた与一を懐に戻し、増えて来た人の流れに従って暫く。
「こんなところで珍しいもんを見つけたなぁ」
 不意にかけられた声に足を止める。先程までののんびりとした表情は消えて、眉間に僅かな皺。
 懐の与一も鼻に皺を寄せてぐるぐると唸っている。
 下卑た笑みを浮かべてこちらを見ているのは、近隣に住み着いている乱破ならずものの一人。名を何と言ったか──思い出せぬ程度の付き合いでしかないが、無作法で不快な相手であることは間違いない。
「…………」
 ふぅ、と息を吐いた後、無言のまま向きを変えて歩き出そうとした。折角の祭りの日を不快な気持ちで過ごす理由はない。
 そう思ったのだが──
「こんな横着者の身内など、たかが知れる。爺様もおんじも、何をびびっているのやら」
 三郎の動きが止まった。懐で唸っていた与一が飛び出すと、三郎の後ろに周り、裾を噛んで後ろへと引っ張るような動き。
「……心配いらぬよ、与一。「無茶」はしない」
 足を一歩進めると、裾に噛みついていた与一は後ろへと転げてしまった。通行人の一人が助けてくれるのにも構わず、与一の視線は三郎へと向けられたままだ。
「待て」
 言い捨てて歩き去ろうとしていた背中に声をかける。怪訝そうに振り返った相手の正面に立ち、自分よりも背の高い相手を見上げる。
 薄い灰色の眼が、じわりと赤く光るのを見て、通行人の手から与一が飛び出した。わん、と吠えながら主の裾へと再び噛り付く。
『若様!どうぞお控えください──!祭りの日ですぞ』
 必死で訴えながら裾を引っ張るが、三郎の眼は向けられない。きぃん、と周囲に張り詰めた気が満ちるのに、見学していた周囲の者達もざわつき始める。
「今、お主が何と言ったか──もう一度、言ってくれぬか」
 はぁ?と分かりやすく顔を歪めた後、にやにやと笑みを浮かべて見下ろしてくる。
「昼行灯の身内など、所詮なまくら、駑馬どばの類──」
 調子に乗った大声が途切れる。「昼行灯」と蔑んだ相手の眼の色が文字通り変わっていたからだ。
 屋台の灯りではない。瞳そのものが赤く輝いている。

 ──祭りの余興?何かの出し物?

 そんなひそひそ話の中、三郎はふ、と笑った。
「仰る通りの昼行灯。いかように言われても「それその通り」と頷きましょうが──」
 きぃん、と澄んだ音が響く。白く輝く抜き身の刀。その切っ先は、先程嘲笑した乱破の顔へと向けられている。
「身内の者を悪し様に言われて、はいそうですか、と流す度量はありませぬ」
 静かな怒りに刀を握る指に力が籠る。きゅんきゅんと必死で裾を噛む与一の訴えも空しく、一触即発の空気に見物人のざわつきも大きくなっていく。
 これはもう一郎を呼ぶ他ないか、と腹をくくった時、ぱぁん、と手を打つ大きな音が響いた。
「何の騒ぎかと来てみれば。花の香を楽しむ祭りに、鉄の匂いなど無粋にもほどがあろう」
 良く響く声。ぱん、ともう一度手を鳴らした後、人垣の合間から出て来たのは、一人の女性。
 灯りに照らされて輝く髪は刀身の白さにも似て。華やかだが耳障りではない声。艶やかな振袖の裾は長く、そのままでは地面に擦れてしまう。が、長い髪や着物の裾は狐面を被った供連れが支え、地面にはつかぬよう、彼女の歩みに合わせて邪魔にならぬように動く。 
 まるでその場に月が下りたように。ぱっと明るく目立つ彼女の歩みに従って、自然と人垣が割れ、対峙していた二人の男の傍まで道が出来た。
 渦中の乱破も、三郎も。乱入者の存在に肩の力を抜く。三郎の眼からは赤が消え、静かな動きで刀をしまう。
「───これは姫様。お見苦しいところをお見せしました」
 一礼した後、足元にいた与一を拾い上げて懐へ。きゃんきゃんと怒る与一にすまぬ、だとか、小言をいうな、などと言いながら、「姫」と呼んだ娘の方へ。

 周囲を取り囲む人の中からも「姫様だ」なんて呟きが零れてくる。

 彼女の正体は、隣の山一帯をおさめている狐の一族。三郎の父親と昔は火花を散らしていたらしいが、今はお互い不可侵の条約を結び、仲良く治めている──はずの一族の末娘。
 末娘といっても、三郎よりも遥かに年上であり、妖としての能力も高い。
 何より彼女の一族の長である者の力はいまだに強大である。故に近隣の荒くれ者も半端な実力では黙って引き下がるしかないのだ。

 一郎が「若旦那」として知られているように、彼女はここら一帯では、大地主の「姫様」として知られている。

 一方の乱破は何やらごにょごにょと言いながら場を離れていくが、既にそちらへの関心は誰も持っていない。
「ほんに。不器用なのは誰に似たのだか……」
 くすくすと悪戯げに笑う。いまだざわめいている周囲へと視線を向けると、にこりと笑った。
「騒がせた詫びはこの者がする故に、何でも好きなものを頼むと良い。こやつの奢りじゃ」
 わ、と歓声が上がる。やれやれ、と息を吐き出した後、改めて「姫様」と呼んだ相手に頭を下げる。

 ──若旦那の奢りだ、遠慮なく頼め!

 なんて声の響く中。「姫様」と三郎は並んで歩き出す。

 と、先程まで注目の的であったというのに。もはや二人の姿は周囲の人に認識されていないかの如く、誰に声をかけられるでもなく、少し離れた茶店へと辿り着いた。

 先日、一郎が団子を求めた店とはまた別の店構え。祭りのために拵えた屋台ではなく、元々この場所にあった店は、行き帰りに少し休憩できるような、そんな空間。
「主。茶と団子を」
 竹で編まれたベンチへと腰を下ろしたのは姫様。三郎はその傍で立ったままの姿勢を保つ。
「はー……美味い」
 言葉通りの満足げな表情で団子を頬張り、茶を飲む姿もどこか品がある。彼女の動きに合わせて流れる銀の髪が光を映すのを見ながら、三郎は改めて口を開く。
「助かりました、本当に」
 きゅん、と鳴く与一を撫でる。その言葉に眼を瞬かせた後、姫様はもう一つの団子の串を手にして笑う。
「祭りを台無しにされては、我が困るからな。美味い団子も茶も飲めぬ」

 後は、綿菓子、金平糖。

 歌うように告げられる言葉に三郎は頷き返した。
「存分にご堪能下さい。の奢りですので」
 私、に微妙なアクセントをつけると、ふふんと鼻で笑われた。
「一郎殿のおごりであろう?全く。すぐに調子に乗るな、ぬしの主は」
 視線を与一へと向けた。びくぅ、と見てわかる程に身を竦め、ぶるぶると震える子犬を見る眼は愛し気──なのだが。
 向けられた子犬は、蛇に睨まれた蛙。きゅんきゅんと助けを求めて主を見上げると、姫様はむぅ、と不満げに頬を膨らませた。
「……ほんに。忠義者よの、与一は」
 まぁよい、とあっさりと話題と思考を切り替えた。
「見世物としては下の下ではあったが、良い気分転換にはなった。こたびの借りは後日返してもらうぞ」
 ではな、と団子と茶の代金を置いて歩き去っていく。その背を見送った後、三郎は大きく息を吐き出した。
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