神様と共に存る世界で

アオハル

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第一章 春告草

-壱-

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 この街で一番大きな祭りは冬に催される。

 元々は山にある紅梅の木に捧げる神事であり、その時の庄屋や神主だけが参加する厳粛な儀式──
 だったのだが。現代では通りに屋台が並んだり、梅の木の女神を模した行列が歩いたり、それを目当てに観光客も訪れたりするようになっている。
 まるで梅が祭りの開催日を分かっているかのように、ほころびを見せるのを面白おかしくテレビで取り上げられたりもしているようだ。

 そんな祭りを数日後にひかえた今。

 通りに植えられた梅の木を見上げながら、そわそわする子供たちの姿を見て一人の男が目を細める。
「もうそんな季節か──」
 視線を上に向けると、枝に一羽のメジロが止まっていた。ぱた、と羽ばたいたかと思うと、男の肩へと移動し、機嫌よくさえずり始める。
 上機嫌に美声を披露する様に一瞬驚きはしたが、追い払うことはせずそのま歩き始める。
「随分と気にいられてしまったね」
 歩きながら指を伸ばし、喉をくすぐってやると、メジロは心地良さげに眼を細めた。
「この近隣で一番の枝で羽根を休めるなど、早々出来る事ではありませんから」
 後ろに控えていた男が静かに口を開く。表情を変えぬままに告げられた言葉に眼を瞬かせる。
「明日は雨かも知れないね……伯が世辞を言うなんて」
 メジロの喉を擽りながら笑う男は、20代後半と言ったところか。一見黒髪だが、光に透けると僅かな赤みを帯びた長い髪を緩く束ねている。
 伯と呼ばれた男の年齢も同年代か、少し上くらい。雪のように白い髪。後ろで束ねた髪は腰のあたりまで。
 和装姿の二人組は人目を引きそうなものだが、周囲を通り過ぎる者達は誰も気に留める様子はない。

 まるで、二人の存在を認識すらしていないかのように。

「一郎様。私は世辞など申したつもりは御座いません」
 控えめではあるが、きっぱりと言い切られてメジロから指を離す。ふ、とほんの僅か肩を竦めた。
 一郎と呼ばれた青年は困ったように笑った後、視線を横へと流す。
「忠義者の従者を持てて幸せだね、私は……確かこの辺りに団子屋があったと思うのだけれど」
 母上の土産に買っていこう。
 と、記憶を頼りに足を進める。
 相変わらず、道行く者に視線を向けられることすらなく。軽やかにさえずるメジロの声だけを残し、二人が歩いていく先に見えた「おだんご」の文字。
 緋毛氈の敷かれた床几台と野点傘。古めかしい店からは特有の甘い香り。
「いらっしゃいませ!」
 明るい声が出迎える。紺の絣に赤のたすきとこれまた時代劇のような出で立ちの娘。
「お土産を買いに来たのだけれど……連れも一緒でかまわないだろうか?」
 連れ、と言いながら肩に乗せたままのメジロを見せる。マイペースに羽づくろいをしている様を見た娘は、まぁ、と声を上げた。
「可愛らしいお連れ様ですね。構いませんよ、どうぞ」
 一郎が勧められた床几台へと腰を下ろすと、店の奥から老人が顔を出した。
「お、これは若様。いつも有難うございます」
 若様と呼ばれた一郎は、メジロを肩に乗せたまま柔らかい笑みを返した。
「こちらこそ。祖父の代から、ここの団子にはお世話になっております」
「えぇ?!この方が若様なの?!」
 驚いた後、娘は慌てて頭を下げた。
「すみません!私……」
「どうぞお気遣いなく」
 驚いてわたつく娘に気にするな、と声をかけた後、視線はその後ろへと。先程、顔をのぞかせた老人へと「いつものを」と告げた後、再び娘に視線を合わせる。
「お噂はかねがね……でも、まさかご本人がいらっしゃるなんて」
 漸く落ち着いたのか、ふぅ、と息を吐き出した後、先程のように明るい笑顔を浮かべた。
「母の好物なんだ。……もちろん私も。子供の頃から、お土産と言えば、この団子だったから」
 有難うございます、と笑う娘。出来上がるまでの間に、と置かれたのはのお茶と和菓子。
「町一番の呉服店の皆様に贔屓にして頂けるなんて、光栄です」
 少々お待ちくださいね、と頭を下げて店の中へと戻る娘を視線で追った後、茶碗を手にして傍に控える伯へと視線を流す。
「伯。こういう時は頂くのが礼儀だよ」
 沈黙。
「……一郎様のご命令とあれば」
 す、と一歩後ろに下がる。すると、店の中で雑用を片付けていた娘が、あ、と顔を上げた。
「いらっしゃいませ──すみません、気付かなくて」
 若様のお迎えですか?
 と明るく笑う。屈託のない所作から、先程からずっと傍に立っていた伯の姿を見ないふりをしていた訳ではない事は明白。
 どうぞ、と差し出されたのは、一郎に出したものと同じお茶とお菓子。
 頂きます、と頭を下げてから手を伸ばす伯の姿を視界の端に収めながら、一郎は空を見上げる。
「お待たせしました──あ」
 声をかけられると同時、肩で休んでいたメジロが羽ばたいた。羽音とさえずりを残し、空へと消える姿を見送った後、用意の出来た土産を受け取る。
「ごめんなさい、私、おどろかせてしまったかも」
「充分に休めたから、飛んで行っただけでしょう。お気になさらず」
 受け取って代金を支払おうとしたところで動きが止まる。
 少し数が多い──?
「こちらは大旦那様へどうぞ、って。祖父が」
 疑問を口にする前に娘が答えた。
「有難うございます」
 一礼してから包みを受け取った。そして歩き出す。
 二人を見送った後、くるりと振り向いた娘は動きを止める。
「……あら」
 
 床几台に残るは空になった茶碗と皿。

「やだ、私ったら……片付け、忘れていたのね」
 本当にそそかっしい。
 自分の粗忽さを恥じるように目を伏せた後、後片付けを始める。先程まで会話していた「若旦那」も「従者」のこともまるで忘れてしまったかのように。
「おーい。配達、頼まれてくれるか?」
 店の奥から祖父に呼ばれると、いそいそと茶碗と皿を盆にのせる。

 店の中へ戻ろうと盆を手にした娘が振り返ると同時、ふわりと漂う梅の香り。

「──お祭り。もうすぐね」

 ほころびかけたつぼみをつけた梅の木を見上げた後、店の中へと戻って行った。
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