俺が想うよりも溺愛されているようです。

アオハル

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日常

選択-3-A-

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 屋敷につくと、執務室ではなく、ルートヴィヒの私室に通された。
 部屋に入るまで先導してくれていたメイドを見送ってから、アルノシトは深呼吸。改めてルートヴィヒを見る。
 先程まで作業をしていたのが分かる書類の置かれた机。置いたペンの先のインクはまだ乾いていない。
「……すまない。もう少しだけ待ってもらえるだろうか」
 一度椅子から立ち上がったルートヴィヒが軽く頭を下げてくる。アルノシトは慌てて手を振った。
「大丈夫です!俺、待ってますから」
 礼とともに執務机に座り直すルートヴィヒを見送った後、自分はソファへと。
 かりかりとペンを走らせる音を聞きながら、ぼんやりと室内を眺める。壁にかかった絵や、綺麗な花を活けた花瓶。華やかではあるが、うるさくはない調度品の一つ一つ。
 自分が今座っているソファや、置かれたテーブルだってそうだ。
 改めて自分と世界の違うことを認識してしまい、ゆっくりと頭を振った。
「──アルノシト?」
 名を呼ばれて勢いよく顔を上げた。いつの間にか、ルートヴィヒが隣に立っている。
「あ、お仕事は──」
「終わった。夕食は食べて来たのだろうか?まだなら一緒に──」
 問いかけの途中で鳴る腹の音。いつだったかもこんなことがあった。
 恥かしさに顔を伏せるが、ルートヴィヒは機嫌良さそうに笑う。
「ここに運んで貰うから少し待ってくれ」
 呼び鈴を鳴らして、言葉通りの指示を出すのをソファに座って眺める。用件を済ませたルートヴィヒは、アルノシトの対面へと腰を下ろした。
「君の話は……食事の後の方がいいかな?」
 優しい声だが、眼は真剣な色。アルノシトは少し考えた後、首を左右に振った。
「大丈夫です。えっと……」
 結局、上手くまとめることは出来なかったが。

 祖父が引退しようとしていること。
 後を継ぐか、別の道を選ぶか──を決めなければいけないこと。

 その二点は伝えられた──と思う。
「そうか……お爺様が」
 目を伏せて静かに呟く。祖父と彼の関係は複雑なものだ。祖父の息子─アルノシトの父は、ベーレンドルフの関連会社で働いていた。
 そしてベーレンドルフの運営する路面電車の事故で母と共に亡くなった。直接的にルートヴィヒが何かした訳ではないが、ベーレンドルフの名に対して複雑な感情を抱いているのは事実。
 初めて彼に出会った時も、祖父は良い顔をしていなかった。今は──少なくとも、負の印象は抱いていないとは思っているが、内心どう考えているのかは分からない。
 唯一の肉親とはいえ、別の人間。その心や感情を完全に理解出来た、なんて言えるほど、アルノシトは自信家ではなかった。
「俺も……まだ気持ちの整理できていなくて。爺ちゃんは、ルートヴィヒさんと一緒に考えなさい、って言ってくれたけど」
 どれだけ時間を貰って選択したとしても、後悔は残りそうな気がする。
 今の自分の心情を正直に話した。もっと恰好つけた事を言えればいいのかも知れないが、下手に取り繕って要らぬ誤解を招く方が嫌だ。
 だから正直に話す。拙い自分の言葉にも、ルートヴィヒは静かに耳を傾けてくれた。
 そうして話し終えた頃、夕食が届いた。
 漂う紅茶の香り。運んできてくれたメイドが淹れてくれるのに軽く会釈。テーブルに置かれたのは、ティーカップとポット、小さめに焼いたパンに野菜やサラミなどを挟んだサンドイッチ。
「あ、このパン……」
 以前。数日屋敷に滞在した時。美味しいと気にいって、家に帰る時にも祖父に持って帰りたい、と焼いてもらったパンだ。
「君が気に入っていたから、と。張り切って焼いていたよ」
 ルートヴィヒの言葉に、え、と小さく呟いてしまう。
「……嬉しいです。凄く。それに、美味しい」
 なら良かった、と笑うルートヴィヒにつられて、表情を緩める。
 食事の間は他愛のない話をした。自分だけでなく、ルートヴィヒも。仕事漬けの日々なのかと心配していたが、気を緩める時間はあるようで。
 出先で遭遇した小さな出来事などを聞いているうちに、食べ終わってしまった。
 少し冷めかけた紅茶を飲む間の僅かな沈黙。
「──アルノシト」
 顔を上げた。相変わらず穏やかなルートヴィヒと視線が重なる。
「私は……生まれた時から、将来の選択肢などなかった身だ。だから参考になるようなことは言えないと思う」
 ベーレンドルフ財閥の跡継ぎ。もし、仮に──とんでもない暗愚な人間だったとしたら、養子などを検討されたかも知れないが。
 幸か不幸か、ルートヴィヒは十分すぎる程に有能だった。父親の不祥事──と、世間では言われている諸々を払拭し、輝かしい功績を残したとして後世に名を遺す、なんて近所の噂話でも話題になる程。
 他の人がどうかは分からないが、ベーレンドルフの跡を継いでくれたのがルートヴィヒで良かったと。恋人であるかどうかを抜きにして、アルノシトはそう思っている。
「……はい」
 静かに頷く。正直なところ、ルートヴィヒがこう言ったから、ああ言ったから、で道を決めることが出来れば、とても楽だとは思う。
 でも。それでは祖父が「相談しなさい」と言ってくれた意味がなくなってしまうとも思う。
「多分……ですけど。爺ちゃんは、俺が、将来の事をちゃんと考えているかを聞いてくれたんだと思います」
 いつまでも祖父が一緒にいる訳ではない。祖父がいなくなり、一人になった時──本当にアルノシトだけで生きて行けるのか。
 もしかしたら、そんな「親心」だったのかも知れない。
「考えてみれば、俺……そんなに真剣に考えていなかったかも知れないな、って」
 言葉は発しないが、ルートヴィヒが驚いたように表情を変える。
「ここに来るときにエトガルさんにも聞いたんです。エトガルさんも、お爺さんの代からずっとルートヴィヒさんの家の運転手だったから……それ以外、考えたことがなかった、って言ってました」
 言葉だけなら、ルートヴィヒと自分、エトガルは同じように「それだけを考えて来た」と受け取られるかも知れない。
 だが、自分は二人とは違う。
「俺もそう思っていたけど。実際、爺ちゃんに聞かれた時に……すぐに選べなかったから」
 祖父に言われるまで気づけなかったこと。自分だけでなく、ルートヴィヒの将来にも関わるかもしれない事柄なのに。
「だから──俺。ちゃんと考えたいです。ルートヴィヒさんのこと、お店のこと。遅すぎるかも知れないけれど」
 ルートヴィヒの顔に笑みが浮かぶ。ゆっくりと頷いた。
「分かった。納得いくまで考えて欲しい……そうだ。明日とは言わないが。近いうちに改めて予定を空けてもらえないだろうか?」
 不意の質問に今度はアルノシトが目を見開く。
「一度、私の普段の生活を見て欲しい。とはいえ、数日程度では見せられるものも限られるが──」
 君の選択の参考になるかもしれない。
 ルートヴィヒの言葉に、眼を瞬かせる。普段の生活──初めて手を繋いだあの日のことを思い出す。あんな風にただただ驚いて右往左往するようなことにならなければいいのだが。
 若干の不安もあるが、今はどんなことでも知りたい。カップに残っていた紅茶を飲み干してから、そっとソーサーに戻した。深呼吸をした後、改めてルートヴィヒを見つめる。
「明日、戻って爺ちゃんと相談してからになりますけど……出来るだけルートヴィヒさんに合わせます」
 嬉しそうに笑うルートヴィヒ。促されて立ち上がると、そっと手を取られた。そのまま静かに抱き寄せられて動きが止まる。
「アルノシト」
 真剣な声音。己の身体を抱きしめる腕が僅かに震えるのに、小さく息を飲む。
「私は……君がどの道を選ぶことになっても、変わらず君を愛し続ける」
「──」
 咄嗟に返事が出来なかった。静かに腕が緩められ、頬へと指が触れた。自然と顔を彼の方へ向けると、困ったように笑うルートヴィヒと目が合う。
「この言い方では押し付けになってしまうか……だが、他に言い換える言葉は思いつかない」
 頬に触れている掌が熱い。自分の心臓が煩いが、ルートヴィヒも緊張しているのかも知れない。
「偽りのない私の本心だ。仮に君が……私と違う場所で生きることを選んだとしても。その道が幸福に満ちているように、と。それだけを願う」
 違う場所。それは雑貨店を引き継ぐだけの話ではないのだろう。姿勢をただすと、ゆっくりと頷き返す。
「それこそ気が早い話かも知れないが。──私は、いついかなる時でも君の「味方」になると。覚えておいて欲しい」
 強調された言葉に眼を瞬かせた。ルートヴィヒが自分にとって「敵」になる状況など想像もつかない──彼の言葉を借りる訳ではないが、もし、ルートヴィヒが自分と違う人を選んだとしても、祝福こそすれ、不幸を願う様なことはないだろう。
 悲しいとか辛いとか。そういった感情は沸くだろうが。
 だが、彼の生きている場所では、そうではないのだろう。改めて自分は「味方」だ、なんて念を押したくなるような世界。そこで自分は生きて行けるのだろうか。
 本当に。どちらを選んだとしても、大変な道になることは間違いなさそうだ。
「有難う……御座います。俺も──何があっても。ルートヴィヒさんの味方です」
 穏やかな笑みが返って来る。頬から指へと滑る動き。絡め取られた指を一度強く握られた後、指を絡めたまま歩き出した。
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