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事件簿

覚悟-8.5-A-【ルートヴィヒ視点】

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 アルノシトが診察を受けている頃。
 エトガルとルートヴィヒは「今日の予定」の目的地へ。
 流石にこの車と格好のままで向かう事は出来ないので、奪った車は気心の知れた者へと預けていつもの車と服装に着替える。
 向かった先はとあるレストラン。店構えからしてふらりと立ち寄れるような雰囲気ではない。特に今日は「貸し切り」の看板が出ていることもあって、店の中を覗く人もいない。

 ただ一人──苛々した様子で席に座る中年男性を覗いては。

「失礼……遅くなりました」
 足早に入ってきたルートヴィヒに対しても苛々した態度を崩さない。
「……お待たせして申し訳御座いません。久し振りに伯父様に逢うので、楽しみで眠れませんでした」
 穏やかな口調と態度にも苦虫をかみつぶしたような中年男性の表情は緩まない。
 ルートヴィヒが席に着いたのを確認した後、料理が運ばれてくる。丁寧な仕事が見て取れる一皿だが、「伯父様」と呼ばれた中年男性はフォークを手にする事もなく立ち上がろうとする。
「……どうかされましたか?」
 問いかけに視線を合わせる事はない。そのまま席を立とうと椅子を後ろに下げようとしたが、下がらない。
「そない焦らんでもええんちゃいます?折角、ルーが一緒に飯食お、言うてますのに」
 椅子をがっちりと抑えているのはエトガルだ。か、と男の顔に血が上る。
「貴様!たかだが運転手の分際で──」
「座ってください。伯父様」
 驚くほど冷たい声。かけたのはルートヴィヒだ。真っすぐに向けられた視線に気圧されたよう、中年男性は腰を落とした。
 エトガルは後ろに立ったまま。妙な動きをすれば、すぐに動ける位置を保つ。
「……私に言う事はありませんか。伯父様」
 ゆっくりと。出来るだけ穏やかにしたつもりだが、抑えきれない感情が滲む。何も言わずに視線を逸らすだけの伯父──正確には、従弟伯父にあたるのだが──を見る眼が更に冷えた。
「…………貴方は甥のことも分からなかったのですか?」
 これで伝わらなければそれ以上何も言う気はない。というか、口を開きたくなかった。何の意味もない下らない罵詈雑言しか吐き出せそうになかったから。
 無言を貫く目の前の男には、先程エトガルを怒鳴りつけた感情の昂りはない。ただ目を伏せ、唇を震わせているだけの小心者の姿がそこにあった。
「…………何故、と聞いても無駄なのでしょうね」
「何故……分かった?」
 漸く絞り出された言葉。視線を合わせぬままの呟きにルートヴィヒは眼を閉じて息を吐いた。
「……考えてみれば単純な話でした。映像と音声の送受信の装置なんて、簡単に用意できるものではない。まして──金欲しさに脅迫をしよう、なんて単純な思考能力を持つ者がわざわざ準備するものではない、と」
 自分も相当混乱していたのだろう。こんな初歩的なところで躓いてしまっていた。アルノシトの残してくれた伝言が何かの手掛かりになると思い込む程、視野が狭くなっていたのだ。
 一度休憩を挟み、エトガルと話すうちに思い至るまで。名の知れぬ誘拐犯だと決めつけてしまっていたのだから。
 気づけば後は早い。送受信の出来る施設──を探せばすぐに見つかった。
 見つけたくはない場所ではあったのだが。
「──幾度目かの通信の時。妙に上の空だった理由も調査済です。……馬鹿なことを」 
 なるべく冷静でいようとは思うのだが。どうしても語気が荒くなってしまう。
 目の前の男は──ただ、ルートヴィヒに「嫌がらせ」をしたい、とそんな馬鹿げた理由でアルノシトを誘拐。
 脅迫の真似事をしたのはフェイク。最初からとある富豪──黒い水こと石油の取引権と引き換えに、売り渡そうとしていたのだ。
 上の空になっていたのは、その見返りが予想以上に高いものだったから。
 恐らくは先方はアルノシトを「買った」後、「ベーレンドルフ」──つまり自分に無理難題を吹っ掛けてくるつもりだったのだと思う。
 石油の取引権等吹き飛ぶ程の事態を引き起こすところだった──なんて、説明しても、目の前の男は「ルートヴィヒ憎し」で聞く耳など持たないか、自分に都合よく受け取るか。
 調べれば調べる程、簡単に出てくる情報にルートヴィヒは自己嫌悪に似た感情からくる気持ちの昂りに、どす黒い言葉を吐き出しそうになるのを懸命に飲み込む。
「……ともかく。私個人に対してならまだしも。「ベーレンドルフ」に喧嘩を売った以上、覚悟はおありでしょう?」
 深呼吸。閉じていた眼をゆっくりと開くと、ただ震えているだけの哀れな男に選択肢を突きつけた。
「このまま、遠くへ行くか、それとも──ここに残るか」

 事実を隠ぺいしたまま、姿を消すか。
 事実を公表して、裁きを受けるか。

 突きつけた時点で答えは分かっている事。静かに立ち上がろうとする動きにエトガルが椅子を引いた。
「──安心して下さい。夫人やご子息、ご息女に不自由はさせません。使用人達も全て」
 最後まで。謝罪の言葉もないままに歩いていく背中を見送りながら、ルートヴィヒは眼を閉じた。

 快く思われていないことは分かっていた。幼いころからずっと。
 父親とは違い、財閥の一員であることを盾にしての横暴も聞いていた。それでも──
「……ルー」
 エトガルの声に我に返る。
「……嫌な役をさせてすまなかった」
「ええよ。気にしてない」
 いつもと同じ口調と態度。彼も何も思わない訳ではないだろうに。もう一度息を吐き出し、漸く微かな笑みを浮かべた。
「エトガル」
「うん?」
 不思議そうな顔をする幼馴染。自分の前に置かれた皿へと視線を落とす。
「……これ以上この店に迷惑はかけられない。すまないが、付き合ってくれないだろうか」
 僅かに見開かれた眼が笑みの形に変わる。
「分かった」
 短い返事とともに、先程まで伯父が座っていた席へと腰を下ろす。有難う、と告げる言葉にいつもの照れ隠しの仕草が返って来るのに、ほんの少しルートヴィヒの心も和らぐ。
 手を上げて従業員を呼ぶ。非礼を詫びた後、予定していた昼食の準備をしてもらうように頼んだ後、目の前の食事へと意識を集中させた。
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