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事件簿

覚悟-7A-

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 機嫌よく──ではないかも知れないが、少なくともここに連れてこられてから初めて、心地良い眠りに落ちていたアルノシト。
 やや乱暴に起こされた後、これまたここにきて初めての二回目の食事を無理矢理腹に押し込んで再びベッドに潜り込んだ。
 残念ながら着替えは与えられなかったが、明日の朝には干した衣服も乾いているだろう。
 一つ気になるとすれば。自分がルートヴィヒと首謀者らしい人の会話を聞いたのは今日で二回目。
 初日の記憶は肩を殴られた衝撃が大きすぎて、ろくに覚えてはいないのだが、彼らは鐘の音はここ数日で何度も聞いていただろう。ルートヴィヒの通信に応じれば、その音が聞かれることも分からない訳はない。
 もしかしたら、鐘の音が聞こえたところで時間がわかる程度だろう、と高を括っていたのだろうか。だとしたら──
「んー……分からない」
 そもそも自分は雑貨屋の店員で配達が主な仕事なのだ。訓練を受けたスパイでも軍人でもない。
 小説や歌劇の出来事でしか知らない非日常に対して、こうであろう、なんて想像で決めつけて動くのは危険ではないだろうか。
 とにかく。
 ルートヴィヒが自分のために何かしてくれていること。それは間違いない。
 なら、何か起きた時に動けるだけの体力を残しておくことだけを考えよう。鐘の音に期待し過ぎないように。
 自分に言い聞かせながら、ベッドの上で寝返りを打った。

        ◇◇◇◇◇◇◇

 次の日。
 昨日の疑問が拭えないまま、ルートヴィヒは執務机の前で思案に耽っていた。
 保養所の責任者曰く「何も問題は起きていない」とのこと。不審な人物が施設の周囲を徘徊していたこともなければ、面会と称して訪問者が来てもいない。
 同時に、アルノシトが示した場所。辺りを探って貰ったのだが、取り立てて目立つ何か──無線用のアンテナや不自然な部屋等──は見つけられなかったと報告があった。
 巧妙に隠されているのかも知れないから、念入りに探るよう頼みはしたが、どうにも引っかかっている。
 自分の考えすぎであればいいのだが。
 緩く首を振ると同時に漂う紅茶の香りに顔を上げる。よ、とトレイを片手に笑みを浮かべているのは幼馴染のエトガルだ。
「おはよう。少し顔色がよくなったか」
 トレイの上には朝食のサンドイッチと紅茶のポット。持ってきたそれをテーブルに置くと、エトガルは軽く肩を竦めた。
「おかげさんで昨日はゆっくり寝たからな。お前は相変わらず酷い顔しとるけど」
 眠れないのは仕方ないが、食事はきちんと摂っておけ。
 言いながら注がれる紅茶の温かい香り。促されるままにカップを持ち上げ一口飲む。
「……大丈夫。いざという時に動けなくては意味がないから」
 温かいものを腹に入れると眠気を覚える程度には心に余裕は出来ている。
「そういえば、場所……わかったんか?」
 ソファへと腰を下ろしたエトガルの言葉にゆっくりと首を左右に振った。
「いや……それらしいものは何も。周辺をもう一度探ってくれるように頼みはしたが──」
 何か考え違いをしているのかもしれない。
 その言葉に、エトガルはテーブルに広げたままの地図へと視線を落とす。ピンを刺した位置を順番に辿りながら、眉を寄せた。
「……俺らが何か勘違いしとるんか、それとも、アルが勘違いしたか。もっかい考えなおしてみよか」
 一度カップをトレイに戻した。トレイごと持ってソファへと移動する。エトガルにも食べるよう勧めてから、自分も地図へと視線を落とす。
 彼の言っていた言葉。

 ローストポーク、白ワイン、ナッツときのこのサラダ、ガトーショコラ、濃いめのコーヒー

 考えられる可能性をエトガルと話し合いながら一つ一つ潰していく。それほど広くはないと思っていたこの街も、いざ、人探しをするとなると相当に広い事を改めて認識する。
 と同時に。この街に住んでいる人間の半数以上が自分と関わりのあることも。
 常日頃意識していない訳ではない。だが、改めて突きつけられると、複雑な感情に眉間に皺を寄せた。
「……また小難しいこと考えとるな」
 見透かされて肩が跳ねる。のんびりと紅茶を啜っているエトガルが表情だけで笑った。
「お前の言動で色んな人間が動くんは確かやけど。せやからて自分を全部抑え込むことはないんやで」
 今までにも何度か言われた事。幼いころは寄り道をしたくても出来なかった自分の手をとって、いわゆる「買い食い」に連れ出してくれた。
 それ以外にも。数えきれない程、迷った時の自分の手を引っ張ってくれた人の言葉にルートヴィヒは小さく笑った。
「……君のその言葉で。私はどれだけ救われたか分からないな」
 有難う。
 と、改めて告げると、決まって「やめろ」と困ったような笑みが返ってくる。
「お前はいちいち大袈裟やねんて。ほら……続きやるで」
 頷いて地図に視線を落とした。

        ◇◇◇◇◇◇◇

 一方アルノシトの方は動きがあった。
 目出し帽に監視されながらの食事になど慣れたいものではないのだが。食べ終えた後、手を合わせる。ベッドへ戻ろうとしたのだが、腕を掴まれて動きを止めた。
「……何?」
 以前の不快な男かと思い視線を向けるが、背格好が微妙に違う気がする。
「来い」
 引っ張られた。目隠しもなく、腕も拘束はされていない。逆に驚いて足を踏ん張ってしまう。
「……い、きなり何?どこへ──」
 強い力で引っ張られて部屋の外へ。自分が鐘の音から割り出した場所の建物──ではない。
 自分の中では、廃屋まではいかなくとも、空き室の多い雑居ビルの一角のはずだった。そういう場所であれば細工も簡単だろう、と思って納得していたのだが──
 少なくとも。この廊下だけを見ても、雑居ビルとは程遠い建物であることは明白だ。手入れの行き届いた内装はどこかルートヴィヒの屋敷を思い出させる程に豪奢だ。
 ここは一体どこだ、と思案を巡らせる前に横から声がかかる。
「その様子だと、こちらの思惑通りに聞こえてくれたようだな」
 聞き覚えのある声。思わず顔を向けた先にいたのは、首謀者らしき人物。覆面をかぶったままの彼──もしかしたら女性かも知れないのだが──が眼を細めた。
「君の能力なら──鐘の音から居場所を割り出すことは簡単だろう?」
 ばれていた。
 とすれば、あの時聞こえた音は──録音されたものだったのだろうか。答え合わせをさせてくれる気はないらしく、首謀者が合図すると、後ろ手に拘束された。
「そう怖い顔をしなくていい。少なくとも、君にはまだ生きていてもらわないと困る」
 促されるままに歩き出す。
 仮に殺すと言われても、同じようにするしかない。抵抗したところで、今撃たれるか、場所を変えて撃たれるかの違いくらいしかないだろうから。
 ふぅ、と小さく息を吐き出す。やっぱり自分にスパイの真似事なんて出来る訳がなかった。
 次──がもしあるなら。今度は余計な事を言わないようにしよう。

 ささやかな決意をしながら足を進めた。
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