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事件簿

覚悟-3-A-

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「起きろ」
 昨日殴られた肩を押されて痛みでアルノシトは目を覚ました。声も出せず、顔を歪めたが、目だし帽の相手は気にすることなく持ってきた食事をテーブルへと置いた。
「10分で食え。時間になったら、残っていても持って行く」
 目隠しをされていたから、昨日自分を殴った相手かどうかは分からない。が、とりあえず体を起こしてテーブルに置かれた食事へと手を合わせた。
 あの後、どういう話をしたのかは知る由もないが、食事をさせてくれるなら有難く食べるまで。
「頂きます」
 パンやスープの味に店の特徴でもあれば、と思ったが、パンもスープも量産品。アルノシトも食べた事がある物。どこにでも売っている物だから監禁場所のヒントにはならないだろう。
 流石にそんな簡単に尻尾を掴ませてはくれないか。
 食べ終えた後、手を合わせてベッドに戻る。何が刺激になるか分からないから、こちらからは極力何もしない。
 目だし帽は空になった食器をもって退出していった。

 ────食事を持って来た、ということは今は多分朝…かな。

 日の光が入らない部屋。常に明かりがついたままで、時間の感覚がつかめない。せめて昼か夜かだけでも分かれば────
「……」
 ふと、思い立ってベッドから起き上がる。
 ドアと反対側の方向の壁。多分窓があるはずだが、ただ壁があるだけの場所。掌を押し当ててみるが、冷たい壁の感触しか伝わってこない。
 もし、窓があるなら、太陽で壁が暖まったりしていないかと期待したのだが、そう簡単にはいかないようだ。

 誘拐なんて考える人達だから、自分が思いつく対策なんて全部事前に対応されているかも知れない。

 浮かんだ不安を振り払うように頭を振る。と肩が痛む。
 数日は痛むかもしれない。これ以上は身体に影響が出るような事がなければいいが。

 とりあえずベッドへと戻る。自分に何か出来ないかを考えながら横になった。

        ◇◇◇◇◇◇◇

 指定された時間。ルートヴィヒは昨日と同じように通信機器の前に陣取った。表情には若干のやつれが見えるが、眼は死んではいない。
 一晩中ファイルを見ていたエトガルには休めと言いたかった。が、彼にはここに居て貰わねばならない。こちらから頭を下げるより前に、エトガルは昨日と同じ位置で画面を見ている。
 鈍い音とともにブラウン管に映像が浮かび上がる。今日はアルノシトの姿はない。
『結論は出たか?』
 リーダーらしき男の言葉に、ルートヴィヒの口元に笑みが浮かんだ。
「……その前に。見せたいものがある」
 映像の送信が出来るなら受信も出来るだろう。
 指定のチャンネル。公共放送のニュースを見て欲しい、と告げると、画面の向こうで何やら物音がした後、アナウンサーの声が流れた。
 ルートヴィヒは両手を机の上で組む。静かだった画面の向こうがざわつくと同時、組んだ手の上に顎を乗せた。
「私からの「贈り物」は気に入って頂けただろうか」
 返事はない。

 画面の向こう。リポーターが伝えているニュースの内容。

 日頃の感謝を込めて、ベーレンドルフ財閥の保養地へ市民を無作為に招待することを決定。一週間ほどの期間の間に、順次招待が届くので、都合があえば是非楽しんで欲しい。
 番組の中でリポーターが招待された人にインタビューを行っているのだが、それが誰かは自分よりも誘拐犯の方が分かっているだろう。

 ────エトガルが特定した三人の家族────家族にあたる人物がいない場合は、恩師や親友等、関わりの深い者────を探して「招待」したのだ。

 彼らのもとにはルートヴィヒが直接赴いた。
 自身の身分を明かし、「特別な贈り物」であることを強調。送り迎えのための乗り物まで用意して招いたのだ。
 これは相手の事情を考慮しない、拒否を許さない「招待拉致監禁」ではあるが、招かれた者達は誰一人そうは思っていないだろう。
 仕事先や学校には連絡を入れて、この一週間は給料や単位に影響が出ないように手配してある。
 それでも、戻りたい──と言われたならば、食事に何か混ぜて「病気」にでもなってもらう。

 この事件が解決するまで。この場所に監禁されたのだと気づかせぬように。

 とはいえ、一晩の間に招くことが出来た人数には限界があるから全てではない。
 が、少なくとも。「無作為」に選出されたことではない、ということは伝わるだろう。
 それだけで十分だ。
「言っておくが。アルノシトに何かすれば、「不幸な事故」が起きることになる。そのことは念頭に置いておくように」
 この意味が分からぬほどに愚かでもあるまい。
 いや──そもそも。深く考えずに誘拐などする連中だ。自棄を起こす可能性は十分にある。

 だがそれでも。ベーレンドルフの関係者に手を出すことがどういうことか。

 その事を何も伝えぬまま、彼らを逃がしてしまう事だけは避けなければならない。
 エトガルは全員を判別できなかったことを詫びていたが、不和を引き起こすには、むしろこの方が都合が良かったかもしれない。
 身内を握られた者とそうでない者の温度感の差は確実に出るだろう。
「これから一週間。毎日、今と同じ時間に特別なニュースが報道されることになる」
 それまでにアルノシトの解放がなければ────
「8日目のニュースが賑やかになるだろうな。おそらく──」
 
 ──13年前の路面電車の爆発事故以上のものになるだろう。

 言い終わると通信を切った。用件があれば指定のチャンネルに連絡をしろと告げて。

「…………」
 ぐったりと椅子の背凭れに体重を預ける。天井を仰いで眼を閉じると、横でファイルをめくる音。
「多分──前とちゃう奴が混ざっとる」
 消去法で現時点で誘拐犯のグループの人数を割り出す。首謀者と思しき男を含めて9人。それ以上居るかも知れないが、現時点で顔から特定できたのは3人だけだ。
 ただ、今回の通信で新しく1人の顔を覚えた、とファイルに眼を落したままで続ける。
「そうか。……首謀者はまだ?」
 ごめん、とエトガルが目を伏せた。
「多分、やけど。覆面の下、何か詰めてるんとちゃうかな。何か定まらんのよな」
 「顔」として認識出来ない。
 変な話ではあるが、エトガルが嘘をつく理由がない。もしかしたら、何か特殊な技術があるのかもしれない。
「とりあえず今日から一般市民のファイルにも目通すようにするけど」
 犯罪者以外の市民まで含めるとなると数が一気に膨れ上がる。今日一日で全て見終わるのは物理的に不可能だ。
 早く見つけられればいいが、とファイルを捲るエトガルに頭を下げた。
「有難う。君がいなければ……どうしようもなかった」
 気にするな、と相変わらず顔は下に向けたままで笑う。
「あないなこと言われたらな。出来るだけのことせなあかんやろ」
 ぱたん、とファイルを閉じた。別のファイルを手にしながら、エトガルは漸く顔を上げる。

 あんな事──ルートヴィヒらしくいろ、と言った事だろう。

 その言葉だけ聞けば、ただの惚気に聞こえるかも知れない。だが、本質的な部分はそうではない。
 ルートヴィヒに求められていること──ベーレンドルフの大財閥の総帥としての立場。
 そのためにどう動くべきかを最優先に考えて欲しい。自分の事を考えて、選択を間違えることはしないで欲しい。 
 アルノシトは、ルートヴィヒの立場を優先して、そのために二度と逢えなくなってもいいとまで言ってくれた。そんな彼を簡単に見捨てては、それこそベーレンドルフの名前の信用度が地に落ちる。
 身代金を惜しんで恋人を見捨てた──事実と異なるとしても、そんな風に吹聴されてしまったら、アルノシトの覚悟も無駄になってしまう。
「とりあえず、ちょっと寝てこい。酷い顔しとるから」
 そんな顔で訪問したら、逃げられる。
 なんて笑うエトガルの顔にも疲労の色が濃く出ているが、彼の代わりが出来る人間はいないのだ。無理をしてもらうことへの申し訳なさが顔に出ていたのだろう。
 ぐしゃ、と髪を乱された。子供の頃、からかう時にされていた行為。
 いいから寝ろ。
 そう言われてルートヴィヒは頷き返した。椅子に上着をかけてから、ソファに寝転がる。
「わかったら起こして欲しい」
 目の前で寝るなんて酷い事をしているかも知れない。が、分かり次第動くためには、ここで寝るのが一番効率がいい。
 ルートヴィヒが目を閉じて少しの間。緩く寝息が聞こえてくるのにエトガルはほんの僅か、表情を緩めた後、ファイルに眼を通す作業に戻った。
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