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事件簿

覚悟-2-A-

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 ──大事な人を守りたければ、今日の20時。指定のチャンネルを受信しろ。

 どう見ても脅迫状としか受け取れない文書がルートヴィヒのもとに届いたのは午後を少し過ぎたくらい。
 急いでアルノシトを探させたが、配達に出た後、帰宅していないと祖父に告げられて拳を握り締めた。
 まさかこんな馬鹿な真似をする連中がいると思ってもいなかった。自分の認識が甘かったのか、それとも、連中が想像をはるかに超えていたのか。
 いずれにしても、自分の慢心。油断がこの事態を招いたという事には変わりあるまい。
 その日の予定は全てスケジュールを組み直した。関係者には事情を説明し、情報は伏せておいて欲しいと念を押してから、自室に受信装置を設置して指定の時間を待った。
 気が気でない時間を取り乱さずにこえられたのは、近くに幼馴染のエトガルがいてくれたからだろう。

 ──少しでも顔が映ったら、すぐ「覚える」

 だから出来るだけ長く話して欲しい。
 エトガルの「特技」。一度認識した人の顔を絶対に忘れない。顔を覚えたら、この街全員──何なら、近隣都市まで含めてでもどこの誰かを突き止めてみせるから。
 そう説得されて、極力平静を装って連中の通信を待った。

 画面に映ったのは目だし帽で顔を隠した男が数人。エトガルは画面に映らないよう下がった場所で待機して貰ている。
 自分の役目は、少しでも長く彼らを画面に映して、エトガルが「覚える」時間を稼ぐことだ。

 ありきたりの口上から始まった彼らの要求。金銭も何もかも。アルノシトのためならすべてくれてやってもいいのだが、もし、簡単に応じてしまったら、今後ベーレンドルフの名に連なるものは危険に晒されることになる。
 適当な従業員を誘拐して身代金を要求すれば簡単に大金が手に入る。そう思われてしまっては、ベーレンドルフだけの問題ではなくなってしまうだろう。
 何なら自作自演で身代金目当ての誘拐を企てる者も出るかもしれない。
 そうならないためにも、簡単に交換条件を飲む訳にはいかないのだ。本当に彼を誘拐したのかどうか。この目で見る間で信じられない、と突っぱねたところでアルノシトが連れてこられる。

 画面に映された彼は目隠しをされて腕を拘束されている。ぱっと見、怪我はしていないようだが、誘拐された時に何かされているかも知れない。
 腰を浮かしかけたが堪える。ぎり、と奥歯が軋む。

 小突かれながら、カメラの前に引きずられてきたアルノシト。労わりの言葉もかけられず、ただ歯を食いしばっているだけの自分の前で彼は笑って見せた。
 直後、殴り倒されるのを見て耐えきれずに腰を浮かせた。

 それ以上、薄皮一枚でも傷つけた時点で交渉はしない。

 怒りの滲んだ静かな口調で告げた言葉に首謀者と思しき相手は了承すると同時、部下の短気を詫びる言葉を残して通信を切った。
 しん、と静かになった部屋。ふーと大きく息を吐き出した後、エトガルの方を見る。
「覚えられたか?」
 聞く前に。彼は取り寄せておいた前科者のリストへと眼を通し始めていた。ぱらぱらとページをめくりながら顔は向けずに頷き返す。
「……三人だけ」
 申し訳なさそうな声。あれだけの時間で三人も分かったのなら上出来すぎる。
「十分だ。頼む」
 席を立った。自分は自分でやるべきことがある。急ぎ足で廊下を歩きながら、画面の向こうのアルノシトを思い出して我知らず奥歯を噛む。ぎり、と心臓を掴まれるような気がした。

 ──泣いてお願いする方がきっとルートヴィヒさんも楽なんだと思う。

 アルノシトの言葉を思い返す。彼の言う通り。あの場で泣いて「助けて」と言われた方がどれだけ楽だったか。
 でも、彼は笑って見せた。これが最後になるかもしれないなら──と。
 ならば。自分も情けない姿は見せられない。アルノシトが最期に見る姿が「みっともない」ものにならないように。
 ぐ、と拳を握り直して足を速めた。
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