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出会い編
切欠は些細な事から-2-A-
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洋佑が思っていたよりあっさりと結城佑は退職していった。
自分も含めて引き留める人間がいなかったのは「次の職場が決まっています」と断言されたから。クレーマーのクライアントをどうするかで揉めていたが、洋佑は「自分はやめろとずっと言っていた」と関わることを一切拒否した。
おかげで回りは忙しそうだが、自分は割とのんびりと仕事が出来ている。
「洋佑ー、今日の夜、一杯どうだ?」
同僚の言葉に顔を上げると、両手を合わせて頭を下げた。
「悪い。今日は先約があるんだ」
またな。言い終えた後、デスクを片付けて席を立つ。
「それじゃお先ー」
急ぎ足で出ていく背中を見送りながら、先程声をかけた社員が首を傾げる。
「あいつ、最近付き合い悪いよな」
「彼女でも出来たんじゃない?」
「まさかー。ないない」
好き勝手な憶測。そんな話で盛り上がられているとは知らず、洋佑は待ち合わせの場所へと急いだ。
「悪い!遅くなった」
手持無沙汰に立っていた相手に手を振った。つまらなそうに通行人を見ていた横顔がこちらを向くと、ぱっと明るくなる。
「朝野さん」
お仕事お疲れ様です、なんて丁寧に頭を下げてくるこいつをみれば、職場の連中はどう思うかな。
なんて考えてしまう程、会社の中と今の佑の印象が違い過ぎる。
退職した翌日に佑からメールが来ていた。それから、メールでやり取りをしながら時折、こうして夕飯なり昼飯なりを一緒に食べている。
メールの文章もだが、会社の外で会う佑は思っていたよりも親しみやすく、今では部下と上司ではなく、気の合う友人の間柄───だと、洋佑は思っている。
佑がどう思っているかはわからないが、こうして付き合ってくれていることから少なくとも嫌な相手だとは思われていないだろう。
「今日は焼き肉、予約しときました」
「お、いいな。どこの店?」
ここ、とスマホで予約した店を教えてくれる。ここから電車で数駅程。自分の家からは徒歩でも行けそうな距離。
こんな風に飲んだ後の帰宅のことまで考えて予約をしてくれる。それも、大体自分が知らない、自分が好きそうな店を。
これだけの気配りが出来るのに、「人と話すのが苦手」というのも妙だとは思うが、人見知りする性質で初対面の人を相手にした時には、何も言えなくなってしまう、と困った顔で話していた。
「写真見てたら腹減ってきた。早く行こうぜ」
「はい」
スマホをしまって歩き出す。改札を抜け、電車へと乗り込みながら話を続ける。
「お前の方は最近どうだ?」
退職した後は、フリーのデザイナーとして色々とやっているらしい。守秘義務や何だとあるだろうから、あまり深くは聞いていないが、彼ならば大丈夫だろう。
「僕は相変わらず。朝野さんは、ちょっと痩せた?」
やせたという程ではないが、ここ最近少し忙しかったかもしれない。
「……ちゃんとご飯食べてくださいね」
大袈裟なくらい心配してくる。どうしても引き留めたかった、なんて理由でいきなり抱き着いてくるくらいだから、人との距離感の取り方に慣れていないのかもしれない。
「大丈夫だって……本当に心配性だな、結城は」
腕を伸ばして肩を軽く叩いた。自分よりも背が高い分、自然と見上げる格好になる。やっぱり背が高いなあ……と僅かに羨望の色が滲む。
「だって……」
「俺からしてみれば、お前の方が心配なんだぞ?……と、ほら、着いた」
先程、スマホで見せてもらった店が目の前にある。扉をくぐれば、「いらっしゃいませ」と威勢のいい声。
「予約していた結城ですが────」
などとやり取りを済ませた後、お二階へ、と促されて二階へ上がると、衝立で区切られた席の一つに座る。
取り合えず食うか。
頷き返す佑へとメニューを開いて見せた。
◇◇◇◇◇◇◇
「…………あれ……?」
目が覚めて目に入るのは、見慣れた自分の部屋の天井。
確か昨日は佑と焼肉に行ったはず────
「おはようございます、朝野さん」
声がして慌てて飛び起きる。
「結城……?お前、なんで」
「……覚えてないです?」
問いかけられて考え込む。
「…………」
「朝野さん、酔い潰れちゃったんですよ。頭痛い、とか気持ち悪い、とかはないです?」
全く思い出せない。そんなに飲んだっけ、と思案を続ける。
「……あ、すまん。大丈夫、しんどいとかはない」
再度同じことを問いかけられて、慌てて顔を上げた。ほっとした表情の佑と視線が合う。
「良かった。……お水飲めそうです?」
飲めそう、というか飲みたい。
意識がはっきりしてくると、喉の渇きを覚えた。失礼します、と佑は立ち上がって冷蔵庫へと向かう。
「勝手に使ってすみません」
「いいよ。大したものも入ってないし。そもそも、俺が酔い潰れたのが悪いんだし」
差し出されたペットボトルのひんやり感が心地良い。一息に半分程飲み干した後、シャワーを浴びようと立ち上がる。
「悪かったな、こんなことさせて。……この埋め合わせは、今度させてくれ」
昨日の晩からずっといてくれたのだろう。疲れているだろうし、今日は帰って休んで欲しい。
そう伝えたのだが、佑は首を左右に振った。
「だめです。心配だから」
珍しく強い口調と表情。言った後で、慌てて手を振る。
「いや…その、ご迷惑でなければ、ですけど。早く帰れって言うなら帰ります」
「迷惑とかは全然ないよ。むしろ俺の方が迷惑かけてるんだし……冷蔵庫の中にお茶くらいはあると思うから。適当に飲んで寛いどいてくれ」
男の一人暮らし。お洒落な、とは程遠いが、そこまで散らかり放題の汚部屋でもない────と思いたい。
「じゃぁ……何か作ってもいいですか?」
予想外過ぎて思わず振り向いた。
「え?お前、料理出来るの?」
「難しいのは無理ですけど……簡単なものなら。僕もお腹空いたので。ごはん、食べたいです」
「それなら近くで何か買ってきてくれてもいいし。好きに使ってくれ」
調味料とかはあまり置いていなかった気もするが、その辺は任せていればいいだろう。近くのスーパーやコンビニの場所を説明してから、バスルームへと入る。
もしかしたら、自分で思うより疲れが溜まっていたのかもしれない。そのせいで普段なら酔わない量の酒で酔ってしまった……そんなところだろうか。
仮に昨日の焼肉屋で食べた肉にあたっていたら、こんなゆっくりはしていられないだろう。
それとも、自覚はないが、急に寝てしまう病気……名前が思い出せないが、そういう症状が出るものもあると聞いたことがある。今度病院で調べてもらった方がいいのかも知れない。
なんにしても、迷惑をかけてしまった詫びはしないと。
考えながらバスルームから出る。
普段ならめんどくさいからと下着一枚で過ごすのだが、佑がいることを思い出してTシャツとスウェットを引っ張り出した。
「……なんかめっちゃいい匂いする」
バスルームから出た時から感じていたが、キッチンに入ると出汁の香りが強くなる。
「すぐできるので。座って待っていてください」
座って、と言われても立派な食卓がある訳ではない。自分一人座るだけの椅子しかないから、代わりに座れそうなものを探していると、背後から声がかかった。
「……何しているんですか?」
怪訝そうな声に振り返ると、みそ汁とおにぎりと卵焼きの乗った盆を手にした佑が立っていた。
「椅子…になりそうなものないかなって」
「朝野さんが先に食べてください。僕、片づけしときますから」
盆をテーブルに置いた後、キッチンへと戻ってしまった。水音を聞きながら、両手を合わせる。いただきます、と言ってから箸を手にした。
みそ汁の中身は豆腐とわかめ、おにぎりも塩で握ったシンプルな代物。
「あ、しょうゆ味」
卵焼きを一口食べて呟いた。個人的には砂糖の甘いものより、こちらの方が好みだ。みそ汁もおにぎりも、濃すぎず、薄すぎず。出汁がしっかりときいていて、ほっとする味。
「結城ー、これめっちゃ美味しい!お前、料理美味いんだな」
水音に負けないようにと少し大きめに声をかけた。
「お口に合って良かったです」
水音が止まる。キッチンから出てきた佑の顔は笑顔だ。
「具合、良さそうですね」
飯が美味い、と言われたことより、洋佑の身を案じてくれていたようだ。あ、と気づいて頭を下げた。
「本当すまん。こんな風になったのは初めてで……迷惑かけといて、美味いはないよなぁ」
全然、と首を左右に振る。
「迷惑だとか思ってないですよ。ただ……本当にびっくりしたので。ちゃんと医者に行ってくださいね」
ところで、と話を変えられて首を傾げる。
「冷蔵庫見た時、何もなかったんですけど……食事、ちゃんとしてます?」
言葉に詰まる。自炊はほとんどしていない。
「……自炊はしてないけど。食べるのはちゃんと食べて──」
「昨日のお昼は?」
昨日の昼────
「……夜、お前と逢うから……軽いものにしとこうと思って」
エナジードリンク一缶。
佑の眉が上がる。う、と言葉に詰まって視線を逸らした。
「じゃぁ朝は?」
昨日の朝────
「……確か……寝坊したから」
自販機で缶コーヒー買った。
多分、漫画やアニメだったら、ピシ、とか、バキ、とか効果音が入るんじゃないかな。
そんな風に思うくらい空気が冷えていく。
「その前の晩御飯」
「お昼」
・
・
・
立て続けの質問に答える声がどんどん小さくなっていく。やがて盛大な溜息とともに、冷え切った空気がほどけた。
「全然食べてないじゃないですか!」
「…………ごめんなさい」
自分で意識はしていなかったが、思い返せばここ数日、まともに食事をとっていなかった。そんな状態で腹にアルコールを入れたせいでぶっ倒れるのは当然と言えば当然。
「謝らなくてもいいです……でも、もっと自分を大事にしてください」
本当に心配したんですから。
溜め息交じりの呟き。呆れたような物言いだが、その分本気で心配してくれていたのだということも伝わってくる。
言い訳のしようもなく、ただ、はい、と頷いて返す。
これではどちらが先輩なんだか。
「あ、そうだ。お前も飯食うだろ」
座ったままだった椅子から慌てて立ち上がる。それほど広い部屋ではないが、床に座るくらいの広さはある。
自分の使った食器を重ねてキッチンへと持って行こうとしたが、佑に奪われた。
「僕がやっておきますから。朝野さんは寝ていて下さい」
これくらい……と思ったが、現実問題、自分の不摂生が佑に迷惑をかけているのだから、従うべきだろう。
「わかった。もし、俺が寝ていたら……そのまま帰ってくれていいから」
了承の返事を聞きながらベッドへと戻る。時計を見ると、昼を少しまわったくらい。
昨日の夜から考えると、本当に長い時間傍にいてくれたのだな、と改めて申し訳なく思う。
次の食事は自分が奢ろう。どこかいい店を探さないと────
そんな風に考えている間にいつの間にか眠りに落ちていた。
◇◇◇◇◇◇◇
佑は一通りキッチンを片付けた後、夕食──もしかしたら、明日の朝食になるかも知れないが──を作った後、ベッドの方へと足を向けた。
帰る前に一言挨拶を、と思ったのだが、眠っている洋佑を見て音を立てないようそっと近づく。
耳を寄せて寝息を確かめる。特に呼吸が乱れていることもなく、本当に日々の不摂生が出ただけのようだ。
安堵の息を大きく吐き出した。
「……洋佑さん」
そっと名前を呼んでみる。起きる気配はない。
「……よかった。本当に心配したんだよ……」
静かに髪を撫でる。少し痩せたかと思っていたが、あんな食生活をしていたら痩せて当然だ。もう少し自分を大事にしてくれないと、心配で眠れなくなる。
「…………僕、もう行くけど。ちゃんとご飯食べてね」
起きる気配はない。おやすみなさい、と呟いてから離れようとするが一瞬動きを止めた。布団から足が飛び出している。
寝相が悪いのかベッドが小さいのか。起こさないように注意しながら、そっと布団をかけ直した。
布団をかける前に、触れるか触れないかの口づけを足先へと落としてから。
「…………またね。洋佑さん」
静かに扉を閉めてから部屋を後にした。
自分も含めて引き留める人間がいなかったのは「次の職場が決まっています」と断言されたから。クレーマーのクライアントをどうするかで揉めていたが、洋佑は「自分はやめろとずっと言っていた」と関わることを一切拒否した。
おかげで回りは忙しそうだが、自分は割とのんびりと仕事が出来ている。
「洋佑ー、今日の夜、一杯どうだ?」
同僚の言葉に顔を上げると、両手を合わせて頭を下げた。
「悪い。今日は先約があるんだ」
またな。言い終えた後、デスクを片付けて席を立つ。
「それじゃお先ー」
急ぎ足で出ていく背中を見送りながら、先程声をかけた社員が首を傾げる。
「あいつ、最近付き合い悪いよな」
「彼女でも出来たんじゃない?」
「まさかー。ないない」
好き勝手な憶測。そんな話で盛り上がられているとは知らず、洋佑は待ち合わせの場所へと急いだ。
「悪い!遅くなった」
手持無沙汰に立っていた相手に手を振った。つまらなそうに通行人を見ていた横顔がこちらを向くと、ぱっと明るくなる。
「朝野さん」
お仕事お疲れ様です、なんて丁寧に頭を下げてくるこいつをみれば、職場の連中はどう思うかな。
なんて考えてしまう程、会社の中と今の佑の印象が違い過ぎる。
退職した翌日に佑からメールが来ていた。それから、メールでやり取りをしながら時折、こうして夕飯なり昼飯なりを一緒に食べている。
メールの文章もだが、会社の外で会う佑は思っていたよりも親しみやすく、今では部下と上司ではなく、気の合う友人の間柄───だと、洋佑は思っている。
佑がどう思っているかはわからないが、こうして付き合ってくれていることから少なくとも嫌な相手だとは思われていないだろう。
「今日は焼き肉、予約しときました」
「お、いいな。どこの店?」
ここ、とスマホで予約した店を教えてくれる。ここから電車で数駅程。自分の家からは徒歩でも行けそうな距離。
こんな風に飲んだ後の帰宅のことまで考えて予約をしてくれる。それも、大体自分が知らない、自分が好きそうな店を。
これだけの気配りが出来るのに、「人と話すのが苦手」というのも妙だとは思うが、人見知りする性質で初対面の人を相手にした時には、何も言えなくなってしまう、と困った顔で話していた。
「写真見てたら腹減ってきた。早く行こうぜ」
「はい」
スマホをしまって歩き出す。改札を抜け、電車へと乗り込みながら話を続ける。
「お前の方は最近どうだ?」
退職した後は、フリーのデザイナーとして色々とやっているらしい。守秘義務や何だとあるだろうから、あまり深くは聞いていないが、彼ならば大丈夫だろう。
「僕は相変わらず。朝野さんは、ちょっと痩せた?」
やせたという程ではないが、ここ最近少し忙しかったかもしれない。
「……ちゃんとご飯食べてくださいね」
大袈裟なくらい心配してくる。どうしても引き留めたかった、なんて理由でいきなり抱き着いてくるくらいだから、人との距離感の取り方に慣れていないのかもしれない。
「大丈夫だって……本当に心配性だな、結城は」
腕を伸ばして肩を軽く叩いた。自分よりも背が高い分、自然と見上げる格好になる。やっぱり背が高いなあ……と僅かに羨望の色が滲む。
「だって……」
「俺からしてみれば、お前の方が心配なんだぞ?……と、ほら、着いた」
先程、スマホで見せてもらった店が目の前にある。扉をくぐれば、「いらっしゃいませ」と威勢のいい声。
「予約していた結城ですが────」
などとやり取りを済ませた後、お二階へ、と促されて二階へ上がると、衝立で区切られた席の一つに座る。
取り合えず食うか。
頷き返す佑へとメニューを開いて見せた。
◇◇◇◇◇◇◇
「…………あれ……?」
目が覚めて目に入るのは、見慣れた自分の部屋の天井。
確か昨日は佑と焼肉に行ったはず────
「おはようございます、朝野さん」
声がして慌てて飛び起きる。
「結城……?お前、なんで」
「……覚えてないです?」
問いかけられて考え込む。
「…………」
「朝野さん、酔い潰れちゃったんですよ。頭痛い、とか気持ち悪い、とかはないです?」
全く思い出せない。そんなに飲んだっけ、と思案を続ける。
「……あ、すまん。大丈夫、しんどいとかはない」
再度同じことを問いかけられて、慌てて顔を上げた。ほっとした表情の佑と視線が合う。
「良かった。……お水飲めそうです?」
飲めそう、というか飲みたい。
意識がはっきりしてくると、喉の渇きを覚えた。失礼します、と佑は立ち上がって冷蔵庫へと向かう。
「勝手に使ってすみません」
「いいよ。大したものも入ってないし。そもそも、俺が酔い潰れたのが悪いんだし」
差し出されたペットボトルのひんやり感が心地良い。一息に半分程飲み干した後、シャワーを浴びようと立ち上がる。
「悪かったな、こんなことさせて。……この埋め合わせは、今度させてくれ」
昨日の晩からずっといてくれたのだろう。疲れているだろうし、今日は帰って休んで欲しい。
そう伝えたのだが、佑は首を左右に振った。
「だめです。心配だから」
珍しく強い口調と表情。言った後で、慌てて手を振る。
「いや…その、ご迷惑でなければ、ですけど。早く帰れって言うなら帰ります」
「迷惑とかは全然ないよ。むしろ俺の方が迷惑かけてるんだし……冷蔵庫の中にお茶くらいはあると思うから。適当に飲んで寛いどいてくれ」
男の一人暮らし。お洒落な、とは程遠いが、そこまで散らかり放題の汚部屋でもない────と思いたい。
「じゃぁ……何か作ってもいいですか?」
予想外過ぎて思わず振り向いた。
「え?お前、料理出来るの?」
「難しいのは無理ですけど……簡単なものなら。僕もお腹空いたので。ごはん、食べたいです」
「それなら近くで何か買ってきてくれてもいいし。好きに使ってくれ」
調味料とかはあまり置いていなかった気もするが、その辺は任せていればいいだろう。近くのスーパーやコンビニの場所を説明してから、バスルームへと入る。
もしかしたら、自分で思うより疲れが溜まっていたのかもしれない。そのせいで普段なら酔わない量の酒で酔ってしまった……そんなところだろうか。
仮に昨日の焼肉屋で食べた肉にあたっていたら、こんなゆっくりはしていられないだろう。
それとも、自覚はないが、急に寝てしまう病気……名前が思い出せないが、そういう症状が出るものもあると聞いたことがある。今度病院で調べてもらった方がいいのかも知れない。
なんにしても、迷惑をかけてしまった詫びはしないと。
考えながらバスルームから出る。
普段ならめんどくさいからと下着一枚で過ごすのだが、佑がいることを思い出してTシャツとスウェットを引っ張り出した。
「……なんかめっちゃいい匂いする」
バスルームから出た時から感じていたが、キッチンに入ると出汁の香りが強くなる。
「すぐできるので。座って待っていてください」
座って、と言われても立派な食卓がある訳ではない。自分一人座るだけの椅子しかないから、代わりに座れそうなものを探していると、背後から声がかかった。
「……何しているんですか?」
怪訝そうな声に振り返ると、みそ汁とおにぎりと卵焼きの乗った盆を手にした佑が立っていた。
「椅子…になりそうなものないかなって」
「朝野さんが先に食べてください。僕、片づけしときますから」
盆をテーブルに置いた後、キッチンへと戻ってしまった。水音を聞きながら、両手を合わせる。いただきます、と言ってから箸を手にした。
みそ汁の中身は豆腐とわかめ、おにぎりも塩で握ったシンプルな代物。
「あ、しょうゆ味」
卵焼きを一口食べて呟いた。個人的には砂糖の甘いものより、こちらの方が好みだ。みそ汁もおにぎりも、濃すぎず、薄すぎず。出汁がしっかりときいていて、ほっとする味。
「結城ー、これめっちゃ美味しい!お前、料理美味いんだな」
水音に負けないようにと少し大きめに声をかけた。
「お口に合って良かったです」
水音が止まる。キッチンから出てきた佑の顔は笑顔だ。
「具合、良さそうですね」
飯が美味い、と言われたことより、洋佑の身を案じてくれていたようだ。あ、と気づいて頭を下げた。
「本当すまん。こんな風になったのは初めてで……迷惑かけといて、美味いはないよなぁ」
全然、と首を左右に振る。
「迷惑だとか思ってないですよ。ただ……本当にびっくりしたので。ちゃんと医者に行ってくださいね」
ところで、と話を変えられて首を傾げる。
「冷蔵庫見た時、何もなかったんですけど……食事、ちゃんとしてます?」
言葉に詰まる。自炊はほとんどしていない。
「……自炊はしてないけど。食べるのはちゃんと食べて──」
「昨日のお昼は?」
昨日の昼────
「……夜、お前と逢うから……軽いものにしとこうと思って」
エナジードリンク一缶。
佑の眉が上がる。う、と言葉に詰まって視線を逸らした。
「じゃぁ朝は?」
昨日の朝────
「……確か……寝坊したから」
自販機で缶コーヒー買った。
多分、漫画やアニメだったら、ピシ、とか、バキ、とか効果音が入るんじゃないかな。
そんな風に思うくらい空気が冷えていく。
「その前の晩御飯」
「お昼」
・
・
・
立て続けの質問に答える声がどんどん小さくなっていく。やがて盛大な溜息とともに、冷え切った空気がほどけた。
「全然食べてないじゃないですか!」
「…………ごめんなさい」
自分で意識はしていなかったが、思い返せばここ数日、まともに食事をとっていなかった。そんな状態で腹にアルコールを入れたせいでぶっ倒れるのは当然と言えば当然。
「謝らなくてもいいです……でも、もっと自分を大事にしてください」
本当に心配したんですから。
溜め息交じりの呟き。呆れたような物言いだが、その分本気で心配してくれていたのだということも伝わってくる。
言い訳のしようもなく、ただ、はい、と頷いて返す。
これではどちらが先輩なんだか。
「あ、そうだ。お前も飯食うだろ」
座ったままだった椅子から慌てて立ち上がる。それほど広い部屋ではないが、床に座るくらいの広さはある。
自分の使った食器を重ねてキッチンへと持って行こうとしたが、佑に奪われた。
「僕がやっておきますから。朝野さんは寝ていて下さい」
これくらい……と思ったが、現実問題、自分の不摂生が佑に迷惑をかけているのだから、従うべきだろう。
「わかった。もし、俺が寝ていたら……そのまま帰ってくれていいから」
了承の返事を聞きながらベッドへと戻る。時計を見ると、昼を少しまわったくらい。
昨日の夜から考えると、本当に長い時間傍にいてくれたのだな、と改めて申し訳なく思う。
次の食事は自分が奢ろう。どこかいい店を探さないと────
そんな風に考えている間にいつの間にか眠りに落ちていた。
◇◇◇◇◇◇◇
佑は一通りキッチンを片付けた後、夕食──もしかしたら、明日の朝食になるかも知れないが──を作った後、ベッドの方へと足を向けた。
帰る前に一言挨拶を、と思ったのだが、眠っている洋佑を見て音を立てないようそっと近づく。
耳を寄せて寝息を確かめる。特に呼吸が乱れていることもなく、本当に日々の不摂生が出ただけのようだ。
安堵の息を大きく吐き出した。
「……洋佑さん」
そっと名前を呼んでみる。起きる気配はない。
「……よかった。本当に心配したんだよ……」
静かに髪を撫でる。少し痩せたかと思っていたが、あんな食生活をしていたら痩せて当然だ。もう少し自分を大事にしてくれないと、心配で眠れなくなる。
「…………僕、もう行くけど。ちゃんとご飯食べてね」
起きる気配はない。おやすみなさい、と呟いてから離れようとするが一瞬動きを止めた。布団から足が飛び出している。
寝相が悪いのかベッドが小さいのか。起こさないように注意しながら、そっと布団をかけ直した。
布団をかける前に、触れるか触れないかの口づけを足先へと落としてから。
「…………またね。洋佑さん」
静かに扉を閉めてから部屋を後にした。
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