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番外編「仮面紳士と反乱組織」(SIDE アシル)
しおりを挟むSIDE アシル
『皇太子エミュールの時計塔前演説』から少し時間が経過した帝国の一角、ポテト男爵という貴族の屋敷の地下室に、仮面を着用した帝国紳士たちが集まっている。
素顔を隠した帝国紳士たちは、招待状と分厚い本を持っていた。
『超・マルクスの夫婦論』――彼らの聖書である。
実はこの集団、本の愛読者たちである。ポテト男爵は、『生身で一か所に集まって歓談しませんか、ついでにお金がないので支援してください』というちゃっかりしつつ楽しい企画を考えたのだ。
本の中で匿名で相談していた彼らは、当然現地でも偽名(ハンドルネーム)である。
仮面をつけてもなんとなく「この紳士はあの方では」とわかってしまう人物もいたりするのだが、わかってもわからないフリをするのが紳士のたしなみ――の、はず。
しかし、ランヴェール公爵アシルは、時折チラチラと寄せられる視線と自分について噂する小声に「そのルールは働いていないのでは」と思うのだった。
「嫁いできた妻の実家の土地を奪った夫……」
「私闘を結局30回もしたらしい」
「神聖ランヴェール帝国(仮)……」
「妻の実家が連座じゃなかったのに連座にして、『家族は共にいるとよい』などと仰り同じ檻に入れさせたのだと聞いたぞ」
「帝都の時間を狂わせた話を知っているか?」
名前や家名は口に出さないが、思わずといった小声が交わされてしまう――『ランヴェール公爵』は、実に有名人であった。
「え~、みなさぁん」
主催者である『ポテトな夫』ことポテト男爵が一部メンバーをとても気にしながら説明する。
「初の試みでしたが、快く集まってくださってありがとうございます。本日はお互いの日頃の素性を気にせぬ無礼講となっておりますぅ……、素性を気にしてはいけませぇん、ここで見聞きしたことも、外で『あの人がこんなことを言っていました』と言いふらしてはいけませぇん……」
視線の先には、「もちろんわかっていますとも」と頷く紳士たちがいる。
「誓約書を書かせたほうが良いのではありませんか」
自分なら書かせる――アシルが思わずつぶやくと、周囲は「やっぱり本人だ」とつぶやくのだった。ランヴェール公爵は、口約束をあまり信じないのだ。何かあればすぐ誓約書である。そして、隙あれば違約金の文言を入れる。
「こほん、こほん。みなさぁん。今日はご家庭のお話で盛り上がりましょう!」
ポテト男爵が慌てて声を挟み、お抱え楽師に楽しげな曲を奏でさせる。
そして、「ご存じのとおり、『ポテトな夫』は領地経営を三倍頑張り中なのですが、成果はそんな短期間では上がりません。よかったら募金お願いします」とちゃっかり募金箱をアピールするのだった。
参加者の仮面の紳士たちは、料理や酒を楽しみながら和やかに近況を語り合う。
「ああ、あなたが『辺境の夫』さんでしたか。あれから奥様はいかがです?」
『辺境の夫』と呼ばれた仮面の紳士は、「相手にリードさせてみては」とマルクスに助言された紳士だ。その後、どうなったのだろうか――仮面の紳士たちは興味津々で視線を集中させた。
「いやぁ~、妻に『リードをしてくれないか!』と言ってみたんですよ。すると、妻は実家から連れてきた侍女を呼びまして、首輪と引き紐を私につけてくれました」
それは、アシルにとって未知の世界であった。
「失礼。『辺境の夫』さんは、実は獣になれたりする方なのでしょうか?」
精霊獣の姿ならともかく、人間姿で? アシルは目の前の紳士が首輪と引き紐を付けられる姿を想像して首をかしげた。
「ベッドの中では獣になりたいと常々考えておりました」
『辺境の夫』が頬をポッと染めると、仮面の紳士たちが口元をゆるめて「わかるぞ」と応えたりしている。
「妻は私に知らない世界を教えてくれまして……私は飼いならされた獣になったというわけですよ」と惚気ている。
近くでは、『悔しい夫』も「アドバイスを実践した武勇伝」を語っている。
「パーティに乗り込んでいったんだ。私を百一人目にしてほしいと言ったら、妻は驚いて『それはどういう意味?』と問うのだ。それで、『マルクスさんにアドバイスされたから言ってみただけ』なんて返すのは情けないと思った私は思い切って想いを告げてみた」
おおっ、と周囲が歓声をあげている。
なかなかの盛り上がりだ。
「決めセリフは、『百一人分の愛より私の愛が勝ると証明したい』だった……」
そのセリフは格好良いではないですか、と仮面の紳士たちが拍手する。何人かは「ならば自分も」と武勇伝を語り、何人かは「皆さんを見習って次に妻に会ったら全力で口説いてみようと思います」と決意したりしている。
そんな初めての仮面紳士パーティは、全員にとって充実した時間であった。
パーティの終わる時刻になると、仮面の紳士たちはすっかり打ち解けた様子で握手を交わし、「お互いのご家庭がうまくいきますように」「武運を祈っています!」という挨拶を交わした。
「またこういった場を設けてください」
「奥様にプレゼントをしてあげてください」
ポテト男爵は会費だか資金援助だかが次々と募金箱に集まるのを見てぺこりぺこりと頭を下げた。そして、「そういえば今日はマルクスさんにも招待状を送ったのですが、お見えにならなかったのだけが残念です」と語った。
家名を伏せた帰りの馬車に乗り込もうとするアシルに、『前線のパパ(涙目)』から『帰還したパパ(大好き♡娘♡)』に名前を改めたというレイクランド卿が話しかけてくる。
「有名人はつらいですな~、『蜜柑』どの! バレちゃってましたな~、閣下!」
アシルは仮面の奥の瞳に冷ややかな色をたたえた。
「ここにも、偽名と仮面で楽しむ無礼講パーティの趣旨を理解せぬ紳士がいるようですね。またご令嬢を人質にしましょうか」
「ハハハッ! 勘弁していただきたい! 『蜜柑』どのにはパパの気持ちがまだわからぬでしょうが、その脅しは本当に臓腑がキュっといたしますぞ! 特に『蜜柑』どのの場合ほんとうにやりかねないので」
「ふむ。確かに、私は『夫』の気持ちはわかりますが『パパ』の気持ちはまだわかりません」
レイクランド卿の言葉に、アシルは素直に頷いた。
無表情と物理的な仮面の内側では、「それはどのような気持ちだろう」というワクワクした気持ちを感じている。まだ具体的にその生き物になる予定はないが、想像するだけでなにやら楽しみな感じがするのだ。
(未知の楽しみがこれから先もたくさんあるのでしょうね)
自分は、妻と一緒にひとつひとつ体験していくのだ――アシルは喜びを胸に仮面の奥の瞳をそっと伏せた。喜びがあふれてしまいそうだったからだ。
レイクランド卿は冷や汗を垂らしつつ、「ちなみにマルクス氏はナバーラ地方に本を売り込もうとお出かけなさり、行方不明になったという噂なのですな~、まだ北方の土地は帝国民への反発も強く、愛国心をこじらせた反乱組織がくすぶっていたりするので、危険なのですが」と情報を教えてくれた。機嫌を取るようにプレゼントボックスなどを渡し、「これは『人質勘弁してくだされ♡』という賄賂です」と言いながら。
「なんと。それは一大事ではありませんか……」
『人質勘弁してくだされ♡』という賄賂入りプレゼントボックスを受け取りつつ、アシルは家臣に「ナバーラで行方不明になったマルクス氏を捜索・救助するように」と指示を出した。
結果、ランヴェール派はナバーラの反乱組織に捕らえられていたマルクス氏をアッサリと見付けて救出し、ついでに反乱組織をサクッと壊滅させてしまったので、北方の反乱の気配を警戒していたレイクランド卿はニッコリしたのだった。
「思うに、ナバーラでマルクス氏の本が広まり、ナバーラで仮面紳士会をひらけば、私は誰にも素性を知られていない平凡な仮面紳士としてパーティをもっとのびのびと楽しめるのでは」
ついでにそんな可能性を思いついてしまったアシルは、後日『ナバーラ秘密紳士会』という地下組織を設立し、反乱組織と間違って入ってくる反乱希望者を見つけては「ここは反乱組織ではありませんので」とひっ捕らえていくという功績を立ててしまう。
「なんと! どう対応しようか頭が痛かった問題が勝手に解決していくではないか。これは健康によい」
皇都で山積みの問題に頭を悩ませていたエミュール皇子は報告に笑顔をみせた。
「偽モノの反乱組織をつくって敵対勢力を釣るのはいいね。それ、私もやってみよう」
エミュール皇子はアシルを真似して、自分名義で「エミュール皇子って酷いと思いませんか。同意する人は参加してくださぁい!」という呼びかけを繰り返す『反エミュール』組織をつくるのだった。
* * *
「おかえりなさいませ、アシル様」
アシルがランヴェール公爵邸に帰ると、愛しい妻ディリートがあたたかく出迎えてくれる。
「ただいま戻りました。そなたにプレゼントを買って参りましたよ」
アシルはプレゼントボックスを差し出した。
そして、仮面紳士たちを見習って妻への決めセリフを放った。
「そなたに私の愛を証明したい、と思っています」
「まあ。愛の証明だなんて……なんだか、特別な感じなのですね? ありがとうございます。実は今日は、私からもプレゼントがあるのですわ」
「そなたから?」
「私が刺繍しましたの」
妻が差し出してくれたのは、誇り高きランヴェールの家紋が丁寧に刺繍された白いハンカチだった。
とても丁寧に、時間をかけて、心をこめて刺繍した――そんな気配がハンカチから伝わり、アシルは触れた指先から心が浄化されていくような心地がして、無表情が保てなくなった。
「素晴らしい。我が家の家紋がそなたにひと針ひと針刻まれたと思うと、気高きランヴェールの家名がいっそう光輝くようで、実に誇らしい。今日は『ハンカチ記念日』と名付けましょうか。ありがとうございます、ディリート。これは、家宝にいたしましょう……」
――ゼクセン派出身の妻が、ランヴェール派の家紋を刺繍したのだ!
大切に、大切に――夫のために刺繍したのだ……!
この事実は、一生の美談になるだろう。
触れてまわりたい。帝国中に知らせたい。
もちろん、使うことなんてできない。
汚すことなんてできない。
永久に守りたい、この家宝のハンカチ――感無量で家宝を鑑賞するアシルの耳には、妻の「あら?」という不思議そうな声が届いた。
「アシル様? こちらの箱に入っていますのは……首輪? それに、紐、でしょうか……これが、愛の証明……?」
――なんと。
妻の手には、レイクランド卿が渡してきた『人質勘弁してくだされ♡』という賄賂のプレゼントボックスがあるではないか。そう、うっかり自分で帰りに買ったプレゼントボックスと間違って渡してしまったのだ。
そして、レイクランド卿のプレゼントは首輪と紐だったのだ……。
「ディリート。それはレイクランド卿が贈った箱で、私が買ってきたメインのプレゼントは、実はこちらなのですが」
アシルはひとまず普通のプレゼントを渡し直しつつ、首輪と引き紐を妻の手から回収した。
「可愛らしい首輪ですわね」
ディリートは首輪のデザインを褒めつつ、「そういえば、プリンスにリボンをつけたら可愛いでしょうね、と考えていたことがありました」と呟いた。
プリンス、というのは、精霊獣の姿をしたアシルのことだ。
あまり怖がらせないようにと仔狼の姿を取っていたときに付けてくれた呼び名なのだが。
「リボン、ですか……」
『首輪と引き紐を私につけてくれました』
『妻は私に知らない世界を教えてくれまして……私は飼いならされた獣になったというわけですよ』
アシルの脳に、「それが素晴らしく、自慢できるのだ……!」というように語った仮面紳士『辺境の夫』の声が蘇る。
「では、ぜひお願いしましょうか? 私にリボンをつけてくださいますか? ディリート?」
「つけてみても構いませんの? では、とっても可愛いリボンを選んで、つけますわね……あのう、ワンチャン用のフリルの可愛らしいお洋服なども、世の中にはあるようなのですわ……?」
後日、『ポテトな夫』ことポテト男爵が再び開催した仮面紳士たちのパーティでは、『蜜柑色の夫』ことランヴェール公爵が「私は先日、妻にリボンをつけてもらいましたよ。フリルの可愛らしいお洋服も……」と自慢したので、紳士たちは耳を疑い「ランヴェール公爵夫妻はどんな夫婦生活を営んでいるのか」と驚き、「この秘密を言いふらしたいが、ルールなので心に秘めなければならない……!」と苦しむのだった。
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