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3章、メイドは死にました

65、プライドを気にできるなんて、贅沢ですわね

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 王都マギア・ウィンブルムの城周街にある避難所に、聖女マリンベリーの声がする。
 彼女の保護者と一緒に魔法を使って避難民を助けていた彼女が、たった今の騒ぎを聞きつけている。

「騒がしいみたいですね? トラブルでもありましたか……? それに、パーニス殿下のお声が聞こえたような……」
「わんわんっ、わんっ」
「あら、セバスチャン」

 黒狼姿のセバスチャンがマリンベリーの気を引いてくれたので、パーニスは慌てて近くにあった木箱の山の影に隠れた。
 絶縁を言い渡したのに、クロヴィスも一緒になって隠れている。
  
「こら、わんちゃんをいじめちゃダメよ。毛をむしったら痛いわ。可哀想でしょ」
「はい、聖女様」
 
 マリーという幼女は、素直だった。どこか嬉しそうでもある。
 周囲の大人は、「もしかしてマリーは怒られたかったのだろうか」と呟いた。

「セバスチャン……、大人しくされるがままになっていて驚きました。優しいんですね」
「わんっ」

 セバスチャンは尻尾を振り、マリンベリーの頬をぺろっと舐めた。
 な、なんだと。

「……!? クロヴィス! 見たか? 俺の幻覚か? セバスチャンがやりやがったぞ」
「見ました殿下! なんて大胆な……主君の婚約者だというのに、気にしないとは。獣人は常人と感性が違うと聞いたことがありますが、許しがたい――羨ましい」
「お前、今羨ましいと言ったか?」

 これはどういうことだ。俺の中でどんどん友人たちがライバル化していく。
 周りは敵だらけか? 味方はいないのか?
 
 パーニスがショックを受けていると、危険な声が放たれた。
 
「そこの犬っころ――うちの子に軽々しく触れるなよ」

 魔女家当主のキルケだ。
 子どもの声なのに、抜き身の刃のように鋭く、氷柱のように冷え切っている。
 しかも、爆発する直前の火山のような危うさがあって、濃紺の眼差しは剣呑だ。

 魔法を使った気配はないが、その怒りの圧に避難所の気温が数度下がったような錯覚がする。親バカの地雷、おそるべし。しかし、セバスチャンをたしなめてくれたのは正直、胸が空く思いがした。
 
「く、くぅん」
「おい、獣人。しゃべれるだろ。獣めいた振る舞いで許されようとするな。お前には人間の知能があるだろうが。ボクが人間社会における人間紳士の振る舞いを教えてやるから表に出ろ……あっ、こら。逃げるな!」
 
 セバスチャンが逃げていく。元暗殺者の逃げ足は速い。
 
 パーニスはクロヴィスと顔を合わせた。
 目と目で通じ合う想いがあった。
 口を開くのは、同時だった。

「セバスチャンが悪い」
「セバスチャンが悪いですよ」

 ――友よ。

 両手を肩の高さに上げると、クロヴィスは少し嬉しそうに両手を打ち合わせた。
 ランチ会で流行りつつあるハイタッチだ。

「殿下。マリンベリー嬢に見つかる前に避難所を出ましょう」
「ああ。そうだな」

 さらばセバスチャン。
 お前をランチ会から追放する――

 心の中でセバスチャンに別れを告げて、パーニスとクロヴィスはコソコソと裏口に向かった。
  
 そして、裏口の近くでなにやら放っておけない様子の老爺を見つけてしまった。
 
「ほらね、お前。前々から言ってたじゃない。わたしは働けないのだし、我が家はお金に余裕がないし、家も古くていつ住めなくなるかわからないからお前は人の何倍も働かないといえないよ。可哀想にね」

 視線をやると、腰の曲がった老爺がぶつくさと壁に向かって文句を言っている。

「こんなときに蓄えもない……ああ、ろくに金にもならない紙クズを増やして。それは裕福な家の子がする遊びだよ。そんな遊びをする余裕はないからもうやめろと言ったではないかね。お前がそんなんじゃ、心配だよ」

 目があまり見えていない様子だ。
 それに、痴呆もあるのかもしれない。

「すみません、そこに息子さんはいらっしゃいませんが、探して参りましょうか? お名前や特徴を教えてくださいますか?」
 
 クロヴィスが老爺に話しかける。
 弱者が苦難を抱えていれば率先して助ける――騎士道精神だ。
 パーニスは、「この男はいいやつだ」という感想を抱いた。

 そうだ。さっきはカッとなってしまったが、こいつはいいやつなんだ。
 ただ、俺の好きな女をこいつも好きなのが問題なんだ。

 ところで姿絵というのは、どんな絵だろう。とても興味がある。
 俺も画家に頼んでみようか。
 ちょうど先日、王室主催の秀彩展という美術公募で未知の才能が発掘されたばかりだというし。

「殿下、私はこの方の息子さんを探してまいります。殿下はこの方とお待ちくださいますか?」 
「マリンベリーが来るかもしれんぞ」
「隠れてやり過ごしてください」

 クロヴィスはそう言って足早に去って行った。
 

   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

 
 同じ頃、広中街に荷馬車が停まり、降りてきた2人の令嬢が注目を集めていた。
 薔薇色の巻き髪と華やかなドレス姿の商人貴族の娘アルティナ。
 そして、アルティナとお揃いのドレスを着たエリナだ。

 アルティナの使用人たちが荷台から積荷を卸ろし、荷を解く。
 飲料水や食料、衣料品――無償で支援物資を配布するとわかり、あっという間に人が集まって行列ができあがる。
 
「贅沢なドレスに宝飾品にリボンも付けて、お嬢様は恵まれてるな。困窮した奴がいるってのに余裕があって羨ましいぜ」
 
 行列に並ぶ男から聞えよがしに飛んできたやっかみの声に、アルティナは高笑いしてみせた。

「おーっほっほっほ! わたくしたちの衣装は美しいでしょう! これもお父様が日々お金稼ぎをしてくださるおかげなのですわ。わたくしはお父様に感謝しておりますの」

 エリナは友人の勢いに気圧されつつ、パン屋で鍛えたスマイル維持力で行列の先頭に物資を渡した。
 
「お買い上げありがとうございます……あっ、お店の癖が出ました。お金は不要ですのでご安心ください」
  
 パン屋は決して富豪ではない。
 エリナは小さなときから、欲しいものがあっても「欲しい」と言いにくかった。
 服もリボンもぬいぐるみも姉ルミナのおさがりで、自分だけの新品なんて本当に贅沢な宝物だった。
 父も母も年がら年中、朝から夜まで堅実に働いていたから、お店の手伝いながらエリナは「生きていくのに必要なお金を稼ぐだけでも大変なんだ」と思ったものだ。
 
 自分が恵まれていると言われると、違和感がある。
 でも、魔法学校に通うことができていて、高貴な方々の集まる『ランチ会』の仲間として認められていて。
 友人のおかげでこんなに綺麗なドレスを着ている。
 自分の過去を知らない人から見れば、それはもう贅沢三昧して苦労知らずのお嬢様に見えるだろう。
 
 アルティナは、大声で言葉を続けている。
 
「わたくしに質素な装いをしてほしいようですが、わたくしの部屋の衣装棚には豪華なドレスしかありませんの。本日、あなたを満足させるためだけに服を新しく買うのは無駄な贅沢ではありませんこと?」

 エリナはどきどきした。
 アルティナを止めなくていいのだろうか。
 
「だいたいねえ。ただでさえ気鬱になりそうなときに、貴族令嬢がボロボロの姿になったらいよいよこの国は危険なのかと思われるでしょうに。沈痛ムードに拍車をかけてどうしますのよ。見栄えのいい姿で余裕を見せて民を励ます方がいいでしょう!」

 行列の人たちが怒りだして、暴動が起きたりしないだろうか。
 エリナは笑顔をキープしながら乳飲み子を抱えた女性に物資を渡した。
  
「この物資はねえ。わたくしの商会が自主的に善意で無償で振る舞う物資ですの。当然、赤字ですのよ。感謝を押し付けるつもりはありませんけれど、文句は仰らないでいただきたいわ。気分が悪いだけですもの!」

 剛毅に言い放ったアルティナは、最後に扇を男に投げた。
 放物線を描いて飛んだ扇は、男の足元にポトリと落ちる。アルティナは顎をあげ、高飛車に言いのけた。

「差し上げますわ! それを売って生活費の足しになさいな!」

 男は顔を赤くした。

「見下しやがって。扇なんていらねーよ! 覚えておけ、お嬢様。下々にもプライドってモンがあるんだ」
「まあ。あなた――余裕がありますのね。困窮してプライドどころではなく、藁にも縋りたい人が大勢いますのに。プライドを気にできるなんて……贅沢ですわね!」
  
 アルティナが「オホホホ」と笑うと、男は「もういい!」と怒って行列から離れて行った。
 
 あの人、行列に並んでたってことは物資が欲しかったんでしょうに――エリナは去っていく男の背を見送りつつ、「あいがとー」と手を振る幼児に笑顔で「どういたしまして」と手を振り返した。
 行列の人々が、同じように呆れた顔で男の背を見ている。

 その耳に、清涼感のある青年の声が聞こえた。
 
「いらないなら僕がいただきます。家が倒壊して、避難所で老いた父が待っていまして……お金に困っているので」
 
 画板を抱えた茶髪の青年は、抵抗感もなく扇を拾い、アルティナに頭を下げた。

「お恵みをありがとうございます、貴族様」
「あら。あなた――知っていますわ。絵のコンクールで受賞した画家見習いよね?」

 青年を見て、アルティナは目の色を変えた。
 
「お家が壊れてしまいましたの? 我が国の未来の芸術を担う人材が生活に喘いでいるなんて、あってはなりませんわ。我が商会がパトロンとなって生活を支援いたしましょう」
  
 エリナは青年が困窮の底から明るい未来へと引き上げられるのを見て、処世というものを強く意識した。
 
 悪態をつき、何も得られずに時間を無駄にして去って行った男。
 礼儀正しく施しに感謝し、窮状を訴えて救いの手を獲得した青年。

 ……私は、後者の生き方をして幸せになる。
 
 エリナは自分と親しくしてくれる貴族の子弟たちを想った。
 皆、エリナが礼儀正しく敬意をもって接すると、優しく暖かに、友人として微笑んでくれる。

 身分の差を意識することはあるけれど……嫉妬したりプライドを気にしても、味方を失い、不幸になるだけ。
 エリナは、そう思った。
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