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2章、第二王子は魔王ではありません

46、魔法使いマギライト、嘘を吐き

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 誰もいない空間に揺蕩たゆたっていたことがある。
 
 左側と右側に世界が広がっていて、別々の世界の歴史が大河のように流れていく。
 左から右へ、右から左へ、転生の魂が行き来する空間だった。
 転生することもなく、パーニスはそこで長い時間、揺蕩っていた。
 
 ……そんな奇妙な記憶を思い出した。
 
【他人に認知される自分なんてものは、薄っぺらな上っ面だ】
 
 今日の自分はおかしい。
 どんどんおかしくなっていく。
 
 そんな自覚と共に、パーニスはヴァラン伯爵家に乗り込んだ。

 黒薔薇邸と呼ばれたヴァラン伯爵邸は、見るも無残に倒壊していた。
 
 魔王は、恐怖の集合体めいた異形になっている。
 真っ黒な霧や液体状のベースから野菜が生えていたり誰かの頭が生えていたりする姿は、滑稽にも思えた。
 
 このマギア・ウィンブルムの国土には、大規模な仕掛けがある。
 建国当初、賢者アルワースが「民が生きるため」に造った、限りなく自然に近い陸地を造り、維持する仕掛け。
 魔法とカラクリの仕掛け――その上で暮らす人々の生き生きとした感情を動力源とする仕掛けだ。
 
 魔王はそれを悪用し、「人々が恐れるイメージ」を具現化した魔物を出現させている。
 
「パーニス殿下。魔王が形態を変えてしまい……」
「ん」

 パーニスは、配下の報告に頷きを返した。

「あれは、俺が倒す。お前たちは周辺の被害を抑えることと人命救助を第一にしてくれ」
「承知しました!」
 
 複雑に絡み合い、魂の奥底に仕舞いこまれていたものが、刻一刻とほどかれていく。
 
 『魔王』がどういう存在なのかが、わかる。
 
【あれは、マギライトというよりは、かつてマギライトが放った呪いだ】

 『アークライトの子孫として生まれ変わり、この王国マギア・ウィンブルムを滅ぼしてやる』
 ――怨念と共に放った呪いが、機能した結果が、あの『魔王』だ。

「あれは――恨みだ。呪いだ。反抗だ」
  
 もはや疑いもなく、自分の中には『パーニス』以外の心が芽吹いていた。

 18年間を生きてきた青年ではなく、前世の記憶を持つ、もう一人。
 『水没期』と呼ばれた時代に生きていた人物――魔法使いマギライトの心が。
 
【俺はマギライトだったんだ】

 かつての彼に、賢者アルワースは幾度も自論を押し付けてきたものだった。
 
『マギライト、君主は必要なんだ』

『マギライト、大衆には、心の支えが必要なんだ』

『マギライト、人々には希望がないといけない。自分たちは滅びず、生きていける、と期待させないといけない』 

 マギライトは身をもって知っていた。
 ――大衆は「あれは悪である」と言われれば罵り、「あれは英雄である」と言われればたたえる性質を持っている、ということを。
 
 そんな大衆の性質は「愚か」と評価される声もあるが、転生した今現在のマギライトにとっては、蔑んだり恨む対象にはならない。
 
 言われるがまま情報を鵜呑みにし、他者の価値観を自分の価値観として抱く彼らは、目の前で誰かが倒れていれば心配して手を差し伸べるし、誰かと喧嘩をすることはあっても、同じくらいの熱量で誰かを愛することもできた。
 そんなところが、好ましい。

 自分で調べたり考えたりせず言われたことを鵜呑みにしてしまうのは、愛すべき幼さ、未熟さとも思える。
 
 なにより、誰とも触れ合えず、語り合えない世界は、寂しくて、つまらない。
 それを、身をもって知っていたから、今現在のマギライトは自分以外の存在を愛している。

 生まれ変わった聖女の言葉が、脳にリフレインする。

 『頑張っていらしたのでしょう。お仕事お疲れ様です』
 『私、知ってます。パーニス殿下は魔王じゃありません。安心してください』
 『パーニス殿下のお仕事です』
 『私の言う通りにしてくださったら、もっとたくさんの人を救えます』
 『民のためです』
 『あなただけなのです』
 『あなた様は、民想いで、人に隠れて堅実な努力ができる方』
 『一緒に王国を救いましょう』

 彼女が求めるなら、マギライトはそのような人物になろう。

 パーニスは民想いで、王国を救う英雄王子になるのだ。
   
 一途な気炎が、王族の覚悟が、責任感が、恋焦がれる想いの丈が、力となる。

「呪いの闇を祓い、世界を救うために、俺はこの地に戻ったのだ」

 王子の足が、地面を蹴る。

「――だから、お前は消えるがいい」

 『魔王』はその姿をかつてのマギライトの姿に変え、パーニスが持っている死神の鎌と似た死神の鎌を携えて、迎撃してくる。

 理性を殺戮衝動と憎悪に全て溶かしてしまったような歪んだ『魔王』の存在は、本体の放った呪いの残滓。
 残り香のように染みた、情念だ。

 パーニスは死神の鎌を淡々と振った。
 
 魔王討伐をしよう。
 魔王の生まれ変わりではなく、民を救う王子として。

 
   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
 

 王都マギア・マキナで、魔王と王子が戦っている。
 
 その光景を、皆がまっすぐに見つめていた。

 ある者は神聖な気持ちで、ある者は恐怖に震えて、またある者は胸を熱くして。
 
 戦場から避難した使用人たちはただ茫然として、命が助かった奇跡を噛みしめて。
 その敷地を囲んでいた『千の勇者たち』は、外に被害が出ないようにと周囲を守るだけになり。
 魔法使いは結界を張り、騎士団は盾を並べて。
 
 危険だと言われているのに、ひとり、またひとりと民が寄って来て――【マギライトの見世物ショーを観ている】。
 
「我らの王子殿下を見よ」
「戦っておられる……」
 
 その王子は、魔王の生まれ変わりではないかと囁かれていた。
 その王子は、無能と呼ばれていた。
 その王子は、不誠実で怠惰なダメ王子だと思われていた。

 無数の視線が集まる戦場で、千の火花が散る。

 風が渦巻き、金属が高い音を響かせる。

 まるで古の英雄王の物語の1ページのように、魔王と英雄王が、世界の命運を賭けて、互いの死力を尽くして、しのぎを削る。

 『古代、世界が滅びに瀕したとき』

 『光の英雄王アークライトは、世界を救った』
 
 そんな、皆が愛する物語のような戦いが、眼前に展開する。

「だから言ったじゃないか。狩猟大会でも強かったし、みんなを引っ張ってくれたんだよ」
 同じ学校に通う少年が勝ち誇ったように叫び。

「ぼくとマリーが正しいってわかったでしょ、おとうさん、おかあさん!」
 子どもは両親の袖を引く。
 
 パーニス王子はそんな人物ではないだろう、ダメ王子だろう、と言っていた者たちを見返すことができたから、少年も子どもも喜んでいる。
 自分たちの応援するヒーローが思った通りだったから。
 「ほら見て、あんなに格好良い。言った通りでしょう」と誇っているのだ。

 彼らの視線の先にあるのは、黒薔薇邸の広い敷地内にある全てを破壊し、見晴らしのよくなった戦場で大鎌を打ち据える魔王と、迎え討つ王子。
 
 均衡した膂力と魔力。否――王子が上だ。
 恐ろしい存在である『魔王』を相手に一歩も譲らず、余裕すら感じさせて、凄まじい攻防を繰り広げる王子の姿は、頼もしかった。

「すごい……」
 
 誰かが零した声に、共感の吐息が続く。
 
 そんな些細な音をかき消し、聴覚を塗りつぶすのは、魔王と王子の奏でる戦いの音の群れ。

 苛烈に刃を戦わせる音。
 建物を容易に破砕する暴力の怪音。
 空気を切り裂く鋭い音。
 悲鳴に似た金属同士の衝突音。

 白銀の刃が魔法の光を纏い、閃き、瞬き、火花を散らし、円弧を描く。

 一際甲高い音に、幼い子の声援が重なる。

「マリー。ほら、マリーが大好きなそーちょーさまだ。パーニスでんかだよ」
「パーニスでんか、がんばえ!」
「君たち、危険だからおうちに帰りなさい……!」
  
 『魔王』が死神の鎌を横凪ぎにして、爆炎を咲かせる。
 王子は身を屈めて鎌の刃をやり過ごし、爆炎を風の魔法で流した。

 爆風が土煙を濛々とさせる中、王子は土片を魔力で研いで『魔王』に向けた。
 驟雨しゅううとなって降りそそぐ土片に、歓声が上がる。

 子どもの兄妹が頬を林檎のようにして「すごぉい」と手を叩いているので、マギライトはくすっと笑った。

【見た目が派手な土片の驟雨は、見ごたえがあるだろう? 喜ばれるだろうと思った】

「ほんとうのでんかを、みんな知らなかったんだ」
「あれが真実のパーニス殿下なんだ」

 民は彼らの英雄を夢中で応援している。

 陽射しと魔法光に煌めく白銀の髪は清廉で。
 刃を奮う姿は勇ましく。
 背に踊る純白のマントは華麗で。
 ――強い。圧倒的に。凄まじく。
 
 王子が繰り出す一撃一撃が、確実に余裕を持って魔王を追い詰めていく。
 王子が息ひとつ乱さず、顔色を変えず、作業でもするかのように魔王の力を削ぎ、傷を深めていく。

 それは勝利の結果が予想できて安心できる、楽しくて興奮する見世物ショーだった。
 
 正義の王子が悪の魔王を討つ。
 そんなわかりやすい構図が、そこにあった。
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