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1章、王太子は悪です

19、出してー。(4回目)

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 場所は、魔塔の高層階、幾重もの結界に守られた区域。
 私たちが通された部屋は、生活感のしない真っ白な部屋だった。
 片側の壁は、無地のカーテンに覆われている。
 
 質素なテーブルと椅子が置かれていて、座るよう促される。
 案内係がコーヒーを配ってくれたタイミングで、部屋にパンダのぬいぐるみが運ばれてきた。

 人間くらいの大きさのパンダのぬいぐるみは、喋った。
 おっとり、雅やかな青年の声だ。 

「待たせたのう、ガキども。わしが賢者家の当主カリストである。わしの貴重すぎる時間は貴様らには正直1秒も割きたくないので、5分で話を終わらせようぞ」

 上品でゆっくりした喋り方は耳ざわりがいいけど、内容はぜんぜん友好的じゃない。
 
 それに――パンダのカリスト様が両手を動かすと、壁を覆っていた無地のカーテンがシャッと音を立てて左右に開いた。
 カーテンに隠されていたのは、魔法結界で防護された透明なガラス窓と隣の部屋につながる扉だった。大きな窓からは、隣の部屋が見えた。

「ミディールは救えない。力尽きて自然に死ぬのを待つだけじゃ。以上」
 
 隣の部屋は、燃えていた。煙を発生させることなく、真っ赤な炎が燃えている。
 火属性の魔法使いであるミディー先生が炎の中心だ。
 全身が炎に包まれた先生は、何もない部屋の中央で座っていた。
 炎の塊みたいになっていて、表情は見えない。

「正気を失って魔力を暴走させている。そのうち燃え尽きる」

 カリスト様は教えてくれた。

 心を病み、引き篭もっていたミディー先生は、ある日、暴走した。
 
「後継ぎでもなし。とびぬけた才能がある人材でもなし。無理して救う必要……なし。隔離しておけば力尽きると思って放置しているが、意外としぶとくてのう」

 カリスト様の声は冷たかった。

「そんな……そんな言い方、あまりにも冷たくないですか?」

 エリナが声をあげている。いい子だ。
 私はそれを聞きながら、ミディー先生を見た。

「何日くらいあの状態なんですか?」
 気になったことは、聞いてみよう。だってカリスト様は答えを持っているわけだから。
 
「ふむ。報告書だと、不登校宣言の翌日からじゃったかのう。魔女家が手伝いを求めてきた日じゃったかのう。まあ、見舞いに来てくれたから見せたが、トラウマを負ったなどとクレームするなよ。では、わしは忙しいので。茶くらいは出させるので、飲んだら帰れ。以上」

 案内係がパンダのぬいぐるみを抱きかかえて退室する。
 冷たいパンダ~~! 
 取り付く島もない様子のカリスト様に、パーニス殿下とエリナが「待ってください」と追いかけていく。
 
「『五果の三枝』5月3日くらいから? ずっと飲まず食わずで暴走してるの?」

 普通の人間だったら、とっくに力尽きている。
 変じゃない?

 私は試しに隣の部屋につながる扉の取っ手をまわしてみた。
 カチャリ。
 扉はあっけなく開いた。

「あ、開くんだ」

 鍵、かかってないんだ?
 
 そのまま部屋の中に入ると、魔法の炎が発する熱がむんむんと肌に感じられる。
 乾燥していて、暑い。熱い。そんな部屋だ。

 私は風魔法で自分の周囲に風を起こしてみた。
 うん、熱風だ。あちあち。熱いことに変わりはない……。
 ちょっとつらいかも、この部屋。長居すると暑気当たりしちゃいそう。

「先生、先生……」

 勇気を振り絞ってミディー先生に近寄る私の背後でパタンと扉が閉まった。
 そして、炎の塊みたいになっているミディー先生からは、拒絶するように炎が飛んできた。
 ゲームでは『ファイアーボール』とか呼ばれるような、攻撃のための魔法だ。
 
 ファンタジーだなー、と心のどこかが無感動に感想を覚えながら、風魔法か火魔法で防ごうとした瞬間。

「ひゃっ?」
「マリンベリーお嬢様!」

 私は後ろから誰かに押し倒されて床に倒れ込んだ。炎の玉は、一瞬前まで私の上半身があった空間を走り抜けていった。

「――え?」

 自分を押し倒した相手を見上げて、私は固まった。

 漆黒の髪に、褐色の肌。がっちりとした筋肉質な体付き。
 伏せる形の狼耳。心配そうな深紅の瞳……。あっ、犬歯だ。
 
「セバスチャン?」
「マリンベリーお嬢様。先ほど確認しましたが、この部屋、内側からは外に出られないようです」

 前世を思い出してから、どうも私はよく閉じ込められる。
 出してー。
 
「……殿下やエリナが戻ってきたら、あっちの部屋から開けてくれるよね。とりあえず、近づくと攻撃してくるみたいだから距離を取ろうか――あっ、ルビィ! 危ないよ」

 ルビィが「きゅい!」と鳴いてミディー先生に近付いていく。
 すると、炎が弱まった。おや?

「きゅい」
「ぴぃぃ」

 ピンク色の耳長猫ルビィが向かい合っているのは、水色の耳長猫だった。ミディー先生の近くには、水色の耳長猫がいたのだ。おそらく、……ずっと?
 水色の耳長猫は、ミディー先生に生命力を注いでいるように見えた。『死にそうな先生を、生かしている』――私は、そう思った。

「……耳長猫が、もう一匹?」
「…………うぅっ……」
 
 疑問を口にして一歩近づくと、炎が消えて、ミディー先生が倒れ込んだ。苦しそうな声が、弱々しい。でも、まだ生きている。
  
「ぴい」

 水色の耳長猫は愛らしく鳴いて、ちらりとミディー先生に視線をやってから、空気に溶けるように消えた。
 
「今のは……?」
「なんだったのでしょうね」

 セバスチャンが支えてくれるので、私はミディー先生に近付いた。
 手を伸ばして触れかけると、再び炎が湧く。拒絶の気配。
 
 ……まだ暴走している。またさっきみたいに燃え上がってしまう?

「先生。力尽きて、死ぬまでずっと燃えているつもりですか?」
「……」 
 
『闇属性自体は、希少であるものの、邪悪ではありません。使い方によっては心に安らぎをもたらしたりできるのですよ』 
 私はイージス殿下が教えてくれた言葉を思い出した。
 
 同時に、元暗殺者セバスチャンの隠し属性も。
 
 点と点がつながって、私の中で解法を導いた。

「セバスチャン、闇魔法を使える?」

 暗殺者だった頃に、セバスチャンは標的がいる現場に暗闇の帳を下ろしたり、標的の護衛者たちの意識を闇魔法で落としたりしていたんだ。
 
 セバスチャンの顔を見上げると、深紅の瞳が驚愕していた。
 闇属性は希少で、しかも不吉とか邪悪とか言われているから、「自分は闇属性の魔法が使えます」って他人に教える人はめったにいないんだよね。
 闇属性の魔法使いは、希少な才能を汚点だと思って隠して生きているんだ。
 
「……! オレは、魔法が苦手で……」
「闇属性の魔法は、邪悪ではない。ある人がそう教えてくれたの。使い方によっては心に安らぎをもたらしたりできるって。あなたができる魔法で、暴走は止められる。暴走が止まれば、先生が救えるかも……」
  
 私は手作りの短杖ワンドを取り出した。
 火竜の杖だ。

「この杖、私が作ったの。火属性の杖だけど、魔法が使いやすいと思う」
「オ、オレの魔法で人が救える、など……」
 
 セバスチャンの大きな手を取り、火竜の杖を握らせると、セバスチャンの喉ぼとけがゴクリと上下する。
 数秒、迷う気配がして。

「かしこまりました、マリンベリーお嬢様」

 セバスチャンは、魔法を使ってくれた。

 火竜の杖から暗闇が噴き出して、部屋中が真っ黒に塗りつぶされていく。

 暗闇は、熱気も何もかもを包み込んで冷やしていくようだった。
 
 炎が燃え盛る部屋が暑くて、熱かったからだろうか。
 
 ひんやりとした暗闇は私に安らぎを感じさせてくれて、ぜんぜん怖くなかった。
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