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幕間のお話5「商業神ルートとフェリシエン」

315、僕は、この「死にそうな子ども」に、死に際に「申し訳ない」と思わせてしまったんだ

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 日が暮れて、山道はどんどん暗くなっていく。
 
 鬱蒼うっそうと茂る森林の中、船人ルートは登山者たちが通って固めた道を、山の入り口へ向かって下っていく。
 背中に、瀕死の少年を背負って。
 
「はぁ、はぁ、はぁっ……」

 空気が少しずつ冷えていく。
 夜の世界は、寒いのだ。
 
「左の方向から魔獣がこちらに向かってきます。排除します。ルート様はそのままお進みください。前方は安全です」

 雇った少年傭兵は、夜に伸びる影のようだった。
 
 ルートが気付くより早く魔獣に気付き、雇い主が驚かないように報告してからそばを離れて、数分もせずに合流する。
 
 ――外見は少年だが、中身はまるで化け物だ。
 いや、化け物なんて言ったら失礼なのだが。
 
「君、ずいぶん、なんていうか……に、人間離れしてるね!」
「ルート様も」
  
 ルートの声に返答する静かな声は、なんだか正体を見透かされている気分になる。

「ですが、ルート様」 
 
 風の音、土を踏みしめる音、石が転がる音、呼吸の音にまじり、少年傭兵の冷静すぎる声がする。
 この声は、遥かな昔に亡くなった神を思い出させる。
 死の神コルテだ。
 誤解されやすい男だった――気がする。
 
「動かさない方がいいんじゃないですか」
 
 鼻をつくのは、病人特有の匂いだ。
 
「背負って移動すると、病人は余計な苦痛を感じると思います。横たえて、苦しませないで死なせてあげた方がいいと思います」
  
 善意で言っているのが伝わる声だった。
 それだけに、ルートは胸を突かれた。

「どこに連れていくんです? 都市に戻って医師のところに連れていく前に確実に死にます。そこまで保ったとしても、これは手の施しようがなくて、救えません」
   
 お気の毒ですが、と付け足す声には、意外なやさしさがあった。
 傭兵あっせん所でも助言をしてくれた。この少年傭兵はやさしいのだ。
 
「……」
 
 死に向かう気配がある。刻一刻、弱くなっていく命の灯火がここにある。

「いや、……移動しないといけないんだ」
「そうですか」
 
 納得がいくはずもない返答だったが、少年傭兵はそれ以上余計な会話をして煩わせることがなかった。
 わきまえていて無駄なことをしない、良い傭兵だ。

 ――実は自分は神様で、この瀕死の者を治せるのだが、山の全域に友である別の神の結界がある。
 だからその外に出るのだ……とは、説明する気にならなかった。
 そんな余裕もない。
 
 今はとにかく、外に出るのだ。
 
(ナチュラ。僕を信用していないんだね。僕が石を乱用するってわかってるんだ)
 
 そして僕は石を使おうとしたので、ナチュラは正しいのだ。

(……そもそも僕は、どうしてこのクソガキを助けようとしちゃうんだ)

 失礼で、可愛げがなくて、生意気で、世話が焼けて、感謝の気持ちも何もなくて、むかつくじゃないか? このクソガキは、才能はあるが最低だぞ?

「……ト」

 耳元で空気が震えて、思考が止まる。
 ルート、と聞こえた。フェリシエンの声だった。

「あ……」
 
 名前を呼ばれたのは初めてだった。
 ルートは何かを言おうとして、胸から喉にかけて熱いなにかが詰まったように言葉に困った。
 
 だいたい、何を言いたいのかもわからない。

 とりあえず、「まだ意識があって、喋るんだな」だろうか。

「い、意識があるんだ。さすがだな」
「貴様のおかげだろう」
「んっ?」

 弱々しい、隙間風みたいな声でフェリシエンがなにかを言う。
 それがちょっとずるい、とルートは思った。なにがずるいのかは、その瞬間はまだわからなかったけれど。

「貴様が、魔法を使っていた。だから吾輩はこれまで生きていた。体調がよかった。……苦しくなかった」

 離れたから体調が悪化した。ルートが探しにきてくれたから、また意識が戻った――そんな風にぽつりぽつりと語るフェリシエンは、最後に「でも、限界みたいだな、死にそうだ」と笑う気配を感じさせた。

「……!」

 その一言で、ルートの頭にカッと血がのぼる。

「クソガキめ、自業自得だよ、やっとわかったか! ばか、ばか、おばか。感謝しろ、せっかく僕が生かしてあげていたのに大馬鹿ものめ!」

 相手は死にかけてるんだぜ。
 最期に何を言ってるんだ、もっとやさしくしてやれよ――自分の中の冷静な部分がそう思うのに、言葉が止まらない。

「子どもだからって、病気だからって、もうすぐ死にそうだからって、ずっとずっとずっと、僕は、僕は、僕は!」

 ――僕は、大人じゃないか。
 
 そう思った瞬間に、フェリシエンが小さく、嗚咽するように言うじゃないか。

「ごめん」

 たどたどしく息継ぎをして、ひとこと言うのも苦しそうに、一生懸命くりかえすじゃないか。

「ごめん、なさい」

 ――そんな風に殊勝にされたら、心がぐしゃぐしゃになっちゃうじゃないか。

 やってしまった。
 
 ルートは足を速めながら息を吐いた。
 ほわりと視界に映る息は、白い。寒気は、病人の命の残り火を残酷に削っている。

 ……それで?
 僕は苦痛に喘いで死にかけいる子どもにごめんなさいを言わせて、「そうだ、わかったか、反省して死ね」なんて言っちゃうの?
 
 それはない。
 そんなのは、だめだ。

「くそっ」

 すっと息を吸うと、鼻の奥がつんとして、冷たい空気が熱い体温を鼻腔や口腔を冷やしてくれる。脳髄が痺れたようになっている。
 
 焦燥感みたいなものが、ずっと背中にある。
 心臓がばくばくと騒いでいる。
 時間が流れていくのを強く意識しているのは、残り時間がわずかだと感じられるからだ。
 
「……大人げないことを言って悪かったね」

 ルートは「冷静になれ」と自分を叱咤した。

「こ、子どもが浅慮だったり自分勝手なのは当たり前だ。それは子どもの権利なんだ。ああ、返事はしなくていいよ」

 会話は体力を削るんだ。
 
「大人である僕の管理不行き届きだったんだ、僕が悪かったんだ――き、き、君は、謝らなくて、いい」

 耳元に弱々しい呼吸が聞こえている。
 
 ああ――僕は、この「死にそうな子ども」に、死に際に「申し訳ない」と思わせてしまったんだ。

「今はちょっと苦しいだろうけど、もう少しで山から出るよ。そうしたら、すぐ治してあげる。頑張るんだ」
「……とりだ」

 背中からは、少しだけ明るい声が聞こえる。
 僕の励まし、聞いてた?
 いや、怒ったりはしないけど。
 
 ――というか……とり?

 鳥は、夜目が利かない生き物だ。
 いるはずがない。
 
 少年が死に際に幻でも見ているのか、と空を見たルートは、息を呑んだ。

「フェニックス……?」

 赤い体毛に炎を揺らめかせる大きな鳥が、満天の星空を飛んでいた。
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