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4、奪還のベリル
301、私は預言者ではありません/ ほんとうは、空王になりたかったんだ
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アルブレヒトが帰還してから、ハルシオンは「王位をどうするか」の意向を曖昧にしてきた。
弟も今のところ、「返してください」と言ってこない。
けれど、曖昧なままではいられない――と、ハルシオンはこっそりと思い悩んでいる。
(この池、懐かしいな)
庭園には、緑の植え込みに囲まれた細長い池がある。
過去に一度、ハルシオンとアルブレヒトが追いかけっこをしていたときに二人そろって落ちたことがあって、それから植え込みで池を囲ったのだ。
弟が泣いていたから、ハルシオンは泣かなかった。
『不注意な私が悪かったのだ。兄なのだから、もっと私がしっかりしないといけなかった』
駆け付けた大人たちといっしょに弟を慰めて、アルブレヒトの母に謝って……それから、どうしたのだったか。よく覚えていない。
(私の記憶がぐちゃぐちゃで曖昧なのは、いつものことだ)
空王の肩書きを背負ったままのハルシオンは、のんびりと庭園を楽しんでいた。
……より正確にいうなら、楽しもうとしていた。
「ごらんよ、葉っぱの上に霜が降りている。寒そうだね」
外の空気は美味しい。
後ろについてくる弟アルブレヒトと預言者ネネイは、微妙な空気だが。
(休憩時間に身も心もリフレッシュできると、休憩から戻ったあとの政務もはかどるというものだよ、二人とも……といっても、これはどうにもならないだろうな)
二人は違う何かを求めている。
何を? ――ハルシオンには、思い当たることがある。
王位についての話し合いだ。
(ほんとうは、私が「そろそろ私も王位を返すよ」と言えばいいんだ。それで解決するんだ)
弟と一緒にいると、昔を思い出す。
『兄上、ぼくは一番?』
『うん。アルは天才だ。いちばん、すごいっ』
同じ年齢の弟は、自分となんだか違っていて幼かった。否――ハルシオンが早熟だったのだろうか。ハルシオンは、振り返ってみるとあまり子どもらしくない子どもだった。
自分より幼い弟は、かわいかった。だから、喜ばせたかった気がする。
『ぼくは、特別? ぼくは、天才?』
『うん、うん。特別で、天才だよ』
簡単なことだ。わかっていた。
『ネネイ、おうかん、かぶせてくれるの?』
ネネイは私にかぶせてくれるんだよ、と急いで言わないといけない気がした。
だけど、言えなかった。
そのあたりから、ハルシオンは恐ろしい可能性を思いついたのだった。
弟が王位を欲してしまう可能性。
そして、これまで「アルが一番」「アルが特別」と何事も譲ってきたハルシオンが、王位も譲らないといけない可能性を。
『ぼくは一番すごい。だから、いちばん高い地位がふさわしい』
恐ろしい予感は当たって、アルブレヒトは王位を欲した。
『……いいよ。次の王様は、アルがなるんだね』
だめだよ、それは私のだ――と、ハルシオンは言えなかった。
……言ったところで、どうせそのあと、王位を望むどころではなくなる運命だったのだけど。
(私は、言うべきなんだ。アルに『大丈夫だよ。兄様は、ちょっと遅くなったけど王位を返すからね』と)
でも、自分はそれを望んでいない。
王妃の身体的な問題を抱えるアルブレヒトにとってメリットがあるじゃないか、とか、もともと私が第一王子で猫になったせいで王位を逃していたのだ、とか、言い訳みたいなことを考えている。
(それとも、言う? 兄様はほんとうは、空王になりたかったんだと?)
なぜ? ――青国の少女の声が思い出される。
『ハルシオン様は、民を想わなくてはなりません。アルブレヒト様のためではなく、「民のためには自分が王になった方がよい」と思って王位を望むべきです』
(ふーむ。正直、アルは頑張っていたじゃないか。アルが空王でも問題ないんだよね。私は今まで通り臣下としてアルを支えればいい)
なのに、あのフェリシエン・ブラックタロン呪術伯がハルシオンを焚きつけるのだ。
自分の胸の奥にひっそり、しずかに隠している欲を思い出させるのだ。
自分でも気づかなかったような、ささやかだった不満を掘り起こしてしまったのだ。
このままではよくない。自分の考えを打ち明けて相談しよう。
ハルシオンが口を開きかけたとき、預言者ネネイが突然叫んだ。
「しゅいませんでした‼︎」
「ネネイ?」
「どうしましたか?」
ハルシオンとアルブレヒトが揃って足を止めると、預言者ネネイは勢いよく頭を下げた。
「私は、無能です。ほんとうは、私は預言者ではありません……!」
なんと、そんな衝撃的な発言をするのである。
この自国の預言者は、気が弱くて優しい気質だ。嘘をつくような娘ではない。
そんな彼女が決死の覚悟を感じさせる形相で言うので、空国の王族兄弟は驚いた。
「事情があって預言者をしていまして、ずっと青国の預言者に助けられていて、預言はほんものだったのですが、私は偽者なのです」
預言者は、国王に次いで高貴な地位で、誰もが一目置く特別な役職。神秘的な人物だ。
この告白は危険だ――ハルシオンは腹心のルーンフォークに防諜の呪術と口止めをするよう合図した。
「王様を選んだりしてもそこに正当性とかはなく……ずっと騙してて、すみません」
うっ、と呻き声をあげてよろめいたのは、アルブレヒトだ。
右手で胸をおさえてショックを受けたような顔をしている。アルブレヒトを支えながら、ハルシオンは自分も心にダメージを受けているのを自覚した。
「私は、呪術師オルーサの存在を知っていました。でも、お二人に言えませんでした……勇気がなかったのです」
二人を傷つける声が続いている。
ハルシオンは、アルブレヒトの耳を塞ぐべきか真剣に迷った。
「オルーサが犯した罪をアルブレヒト様やハルシオン様のせいにしていたのを知っていたのに言えませんでした。お二人が互いに誤解して庇い合っているのを知っていて、でも『違いますよ、庇わなくていいですよ』と言えなかったのです」
ネネイは移り気な空の青の瞳を必死な色に染めて、懺悔をしている。
懸命に伝えようとしている。
……この預言者の告白から、逃げてはいけないのだ。
ハルシオンはそう思ったし、アルブレヒトもまた、同感のようだった。
(それにしても)
ハルシオンは、アルブレヒトを支えながら思った。
(私とアルは同じ年齢なのに)
……それなのに「兄だから」とか、「王位が」とか。
兄とか弟とかいう続柄ひとつで、どうしてこんなに息苦しくなるのだろう。
弟も今のところ、「返してください」と言ってこない。
けれど、曖昧なままではいられない――と、ハルシオンはこっそりと思い悩んでいる。
(この池、懐かしいな)
庭園には、緑の植え込みに囲まれた細長い池がある。
過去に一度、ハルシオンとアルブレヒトが追いかけっこをしていたときに二人そろって落ちたことがあって、それから植え込みで池を囲ったのだ。
弟が泣いていたから、ハルシオンは泣かなかった。
『不注意な私が悪かったのだ。兄なのだから、もっと私がしっかりしないといけなかった』
駆け付けた大人たちといっしょに弟を慰めて、アルブレヒトの母に謝って……それから、どうしたのだったか。よく覚えていない。
(私の記憶がぐちゃぐちゃで曖昧なのは、いつものことだ)
空王の肩書きを背負ったままのハルシオンは、のんびりと庭園を楽しんでいた。
……より正確にいうなら、楽しもうとしていた。
「ごらんよ、葉っぱの上に霜が降りている。寒そうだね」
外の空気は美味しい。
後ろについてくる弟アルブレヒトと預言者ネネイは、微妙な空気だが。
(休憩時間に身も心もリフレッシュできると、休憩から戻ったあとの政務もはかどるというものだよ、二人とも……といっても、これはどうにもならないだろうな)
二人は違う何かを求めている。
何を? ――ハルシオンには、思い当たることがある。
王位についての話し合いだ。
(ほんとうは、私が「そろそろ私も王位を返すよ」と言えばいいんだ。それで解決するんだ)
弟と一緒にいると、昔を思い出す。
『兄上、ぼくは一番?』
『うん。アルは天才だ。いちばん、すごいっ』
同じ年齢の弟は、自分となんだか違っていて幼かった。否――ハルシオンが早熟だったのだろうか。ハルシオンは、振り返ってみるとあまり子どもらしくない子どもだった。
自分より幼い弟は、かわいかった。だから、喜ばせたかった気がする。
『ぼくは、特別? ぼくは、天才?』
『うん、うん。特別で、天才だよ』
簡単なことだ。わかっていた。
『ネネイ、おうかん、かぶせてくれるの?』
ネネイは私にかぶせてくれるんだよ、と急いで言わないといけない気がした。
だけど、言えなかった。
そのあたりから、ハルシオンは恐ろしい可能性を思いついたのだった。
弟が王位を欲してしまう可能性。
そして、これまで「アルが一番」「アルが特別」と何事も譲ってきたハルシオンが、王位も譲らないといけない可能性を。
『ぼくは一番すごい。だから、いちばん高い地位がふさわしい』
恐ろしい予感は当たって、アルブレヒトは王位を欲した。
『……いいよ。次の王様は、アルがなるんだね』
だめだよ、それは私のだ――と、ハルシオンは言えなかった。
……言ったところで、どうせそのあと、王位を望むどころではなくなる運命だったのだけど。
(私は、言うべきなんだ。アルに『大丈夫だよ。兄様は、ちょっと遅くなったけど王位を返すからね』と)
でも、自分はそれを望んでいない。
王妃の身体的な問題を抱えるアルブレヒトにとってメリットがあるじゃないか、とか、もともと私が第一王子で猫になったせいで王位を逃していたのだ、とか、言い訳みたいなことを考えている。
(それとも、言う? 兄様はほんとうは、空王になりたかったんだと?)
なぜ? ――青国の少女の声が思い出される。
『ハルシオン様は、民を想わなくてはなりません。アルブレヒト様のためではなく、「民のためには自分が王になった方がよい」と思って王位を望むべきです』
(ふーむ。正直、アルは頑張っていたじゃないか。アルが空王でも問題ないんだよね。私は今まで通り臣下としてアルを支えればいい)
なのに、あのフェリシエン・ブラックタロン呪術伯がハルシオンを焚きつけるのだ。
自分の胸の奥にひっそり、しずかに隠している欲を思い出させるのだ。
自分でも気づかなかったような、ささやかだった不満を掘り起こしてしまったのだ。
このままではよくない。自分の考えを打ち明けて相談しよう。
ハルシオンが口を開きかけたとき、預言者ネネイが突然叫んだ。
「しゅいませんでした‼︎」
「ネネイ?」
「どうしましたか?」
ハルシオンとアルブレヒトが揃って足を止めると、預言者ネネイは勢いよく頭を下げた。
「私は、無能です。ほんとうは、私は預言者ではありません……!」
なんと、そんな衝撃的な発言をするのである。
この自国の預言者は、気が弱くて優しい気質だ。嘘をつくような娘ではない。
そんな彼女が決死の覚悟を感じさせる形相で言うので、空国の王族兄弟は驚いた。
「事情があって預言者をしていまして、ずっと青国の預言者に助けられていて、預言はほんものだったのですが、私は偽者なのです」
預言者は、国王に次いで高貴な地位で、誰もが一目置く特別な役職。神秘的な人物だ。
この告白は危険だ――ハルシオンは腹心のルーンフォークに防諜の呪術と口止めをするよう合図した。
「王様を選んだりしてもそこに正当性とかはなく……ずっと騙してて、すみません」
うっ、と呻き声をあげてよろめいたのは、アルブレヒトだ。
右手で胸をおさえてショックを受けたような顔をしている。アルブレヒトを支えながら、ハルシオンは自分も心にダメージを受けているのを自覚した。
「私は、呪術師オルーサの存在を知っていました。でも、お二人に言えませんでした……勇気がなかったのです」
二人を傷つける声が続いている。
ハルシオンは、アルブレヒトの耳を塞ぐべきか真剣に迷った。
「オルーサが犯した罪をアルブレヒト様やハルシオン様のせいにしていたのを知っていたのに言えませんでした。お二人が互いに誤解して庇い合っているのを知っていて、でも『違いますよ、庇わなくていいですよ』と言えなかったのです」
ネネイは移り気な空の青の瞳を必死な色に染めて、懺悔をしている。
懸命に伝えようとしている。
……この預言者の告白から、逃げてはいけないのだ。
ハルシオンはそう思ったし、アルブレヒトもまた、同感のようだった。
(それにしても)
ハルシオンは、アルブレヒトを支えながら思った。
(私とアルは同じ年齢なのに)
……それなのに「兄だから」とか、「王位が」とか。
兄とか弟とかいう続柄ひとつで、どうしてこんなに息苦しくなるのだろう。
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