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4、奪還のベリル

278、私は妻に「ソーちゃん」と呼ばせることに成功したのですよ

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 休憩を挟みつつ、一行はレクシオ山を登っていく。

「今は、中腹の『ゆるゆるみち』のあたりね……」
 
 フィロシュネーは馬車の中で地図を広げ、車窓から見える景色と見比べた。『ゆるゆるみち』というのは、地図に書いてある地点名だ。
 この山に登った人々の体験談と今回の登山行に先駆けて調査した先行隊の報告をもとに作られたレクシオ山の地図には、あれこれと注意書きが書かれている。それが、実際の風景と見比べているだけでなかなか楽しい。

 同じ馬車に乗っているハルシオンは、学者のような声で知識を披露してくれる。
 
「山というのは、大地の内部で魔力が濃厚に集まって衝突したり噴き出したりした結果、地面が盛り上がっていって出来上がるのだそうです。高い山はそれだけ魔力が地面の下に集まっている場所なのですね」

 動植物も平地で見かけない珍しい種類のものが多くみられる。
 大地の魔力濃度が高ければ、そこで生まれて育まれる生物もまた、魔力を高く有するようになっていく。
 暑い南方の土地の人の肌が北方人と比べて日に焼けた色をしているのと似た理屈で、それはフィロシュネーにとっては「当たり前ね」と思える事象だった。
 
「あの青緑の花が群れ咲く場所は、魔獣の巣らしいですわ。甘い香りがする青緑の花は獲物を釣るために魔獣が育てていて、魔獣は地面に隠れて獲物が花畑に来るのを待っているのですって」

 窓からだと遠くてよくわからない。
 そーっと窓から顔を出そうとすると、ハルシオンが肩を押さえて引き留めた。

「シュネーさん、顔を出すのは危険です。魔獣がびゅーんっと飛んでくるかもしれませんし、上を飛んでいる竜騎士がうっかり槍を落としてくるかもしれません。こわいこわい」
「はい、ハルシオン様」
 
 これがサイラスだと子ども扱いが気になるところだが、相手がハルシオンだと気にならない。フィロシュネーは素直に窓から頭を離した。
 
「やはり、情報というのはとっても価値があるものですわね。なにも知らなければお花畑で魔獣のごはんになってしまうかもしれないのですもの」 
「っふふ。山はあぶないですねえ! 以前は、魔獣だけではなく魔物も住んでいたのです。こわいですねえ!」
 
 真っ白なクラウドムートンたちは「ふぇー」と鳴きながら馬車をスイスイと引いてくれる。地上を先行する登山隊は馬を止め、休憩用の広場を整えているようだ。

「もう少し進むと、ちょうど夕暮れごろに休憩地点に着きますね。シュネーさん、お疲れではありませんか?」
 
 ハルシオンはそう言って、指先で空中になにかの文字をつづるような仕草をした。
 以前の彼であれば呪術を使ったのだろうけれど、今はなにも起きない。
 そんな現実を確かめるようにして、ハルシオンは柔らかに微笑んだ。
 
「賢者ダイロスどのは神々の舟というお話をしていましたが、神様って実在するのでしょうか。実は……私は、紅国に滞在していたときに神様の声を聞いた気がしたのですよ」

 内容は非現実的だが、声はしっかりしている。フィロシュネーは興味をそそられた。

「わたくしは神様の声を聞いたことがありませんわ。でも、亡くなったお父様とお母様にはお会いしたことがありますの」

 父クラストスが偽者だったように、預言者が詐欺師だったように、フィロシュネーが「絶対にこうだわ」と思っていた現実はひっくり返ってしまった。

「この山は、山頂付近が神鳥の住む神域しんいきと信じられています。神鳥はオルーサに作られた偽のフェニックスでしたが、神域というのは真実なのでしょうかね」
 
 神域とは、神聖な場所、神様の領域、といった意味合いの場所だ。
 ハルシオンは地図の山頂付近に書かれた『神域』を指さして、遠くを見つめるような眼をした。
 
「カントループの時代には、レクシオ山は単なる魔力の濃い山にすぎませんでした。オルーサは神聖な場所や神聖な存在をつくるのが好きですね。同じ精神不安定でもカントループとは違っていて――面白いな」
 
 その言い方は、カントループという存在を自分と切り離して分析するようだった。
 フィロシュネーはハルシオンの自我が安定しているのを感じながら、父親の顔をしていたオルーサを思い出した。
 
 と、そのとき――馬車の外から楽しげな音楽が聞こえてくる。

「あら?」

 音楽は、青国の国歌だった。 
 ミストドラゴンに騎乗した竜騎士の一隊が遅れてやってきたのだ。掲げる旗は、青国の旗だった。
 
「我々は騎士道教育を受け直し、適正試験に合格した竜騎士だけで再編成した小隊です」
  
 馬車の周囲を護衛していた飛翔魔法生物に騎乗した騎士たちが「竜騎士は同行しないと聞いていたのに」と微妙な反応をみせている。

「こちらはフィロシュネー陛下に」
 と、竜騎士隊から献上された手紙を見てみると、差出人は療養中のモンテローザ公爵だった。手紙は、二枚ある。
 
『両陛下の熱狂的な信奉者たちが、いたずらな狼に誘われてダンスを踊るかもしれません。ミストドラゴンを駆る竜騎士は、なんだかんだ言って能力に優れていますので、抑止力として一定の効果が期待できるかと思います』
 
 と、書いてある。

(両陛下の熱狂的な信奉者たちというのは、アーサーお兄様とアルブレヒト様のこと?)
 そして、いたずらな狼とは?
 
 首をかしげつつ二枚めを見てみると。

『ところで、私と妻の歳の差は二百歳以上あるので、妻は私が捧げる純愛をなかなか信じません。
 そこで私は先日、フィロシュネー陛下が真実の魔力をこめたという触れ込みでゴブレットをつくりました。
 空国のハルシオン様がたまに活用なさっているゴブレットを真似たのです。
 あれを掲げて「愛している」と言い、ぴかぴかと光らせてから「このゴブレットは真実を言ったときにだけ光るのだよ」と教えたら、妻は喜んでいました。
 もし妻と陛下がお話する機会があり、ゴブレットの話になりましたら、口裏を合わせてください。
 ご参考までに、ゴブレットを利用した私は妻に「ソーちゃん」と呼ばせることに成功したのですよ』

「あなたの純愛とやらは、わたくしも信じられませんわ……」
 
 そして後半は、惚気のろけだ。
 フィロシュネーは「ソーちゃん」の部分を二度見してから目をこすり、見てはいけないものを見てしまった気分で手紙を仕舞った。

(わたくし、腹黒モンテローザ公爵からの惚気手紙よりも、サイラスからのお返事がほしいのですけど?)

 空国へ向かう馬車で書いたサイラスへの手紙に対する返事は、届いていない。
 紅国の情勢は落ち着きつつあるようだが。

(お返事がこないけどお元気? と、もう一通お手紙を書いてみようかしら?)

 空国の王都の様子や、登山景色などを書いて送ってみようか――フィロシュネーがそわそわと考えているうちに、一行は『神域』の入り口へと近づいて行った。
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