上 下
261 / 384
4、奪還のベリル

258、エドワード・ウィンスロー男爵は意外と腰抜けなのかもしれません

しおりを挟む
『来週、会議をします。知識人として知られるヘンリー・グレイ男爵は、ぜひご参加ください』

 青国の王城『サファイアキープ』に戻ったフィロシュネーは、ヘンリー・グレイ男爵への招待状をしたためた。そして、窓を開けて「よいしょ」と執務室に入ってきた『自称・紅国の預言者』少年魔法使いを無視して書類の束に目を通した。

「お姫様はお仕事熱心ですね」
 
 執務室の主、青王の机は、部屋の扉を正面に見る角度で置かれている。
 少年魔法使いは青王の机の前――扉に背を向ける角度で置かれたソファに座り、瞑想めいそうでもするように目を閉じた。
 
(寝るのかしら。まあ、いいでしょう)
 ソファに向かう角度で机に座るフィロシュネーは真剣に書類の情報を読み込んだ。

 農村では耕作する農地に税金が課され、穀物での徴収の他、金銭や労役でも支払われている。領主の直営地で耕作や機織り、運搬などを行う賦役ふえきもある。もちろん、兵役も。

賦役ふえきや兵役は、金銭納税で免除を受けやすくしてほしかったですね」
 
 読んでいるところを理解しているように、少年魔法使いがぼやいている。

「地方の領主が自らの領地で税金を徴収するでしょう? 一定の標準がなく、領主の判断で税率が異なるでしょう? 民は、生まれた土地と時代を選べません。世の中は不公平ですね。徴税官による横領もありました。財政管理官が帳簿を誤魔化してつけていたこともありました」

(……う、恨み節)

 フィロシュネーは反応に困った。
 サイラスだ。青国を恨むサイラスが、少年の姿でぼやいている……。

「独り言です」
「あ、はい……公平を目指しましょう。横領や不正も取り締まりましょう」

 フィロシュネーは書類をめくった。

 天候や作物の収穫量によって農民の収入は不安定だが、納める税は一定である領地が多い。

「とても困りますよね。収入が少ないときは、税も減らしていただきませんと」
「あ、はい……」

 わたくしの手元の書類が、見えているみたい。
 フィロシュネーは何とも言えないやりにくさを感じながら、書類をめくった。
 
 都市民には住民税が課せられており、都市に出入りする際には通行税が取られる。
 商人は領内での安全を保証してもらうため、領主への保護税を払っている。

「その割に、安全ではないのですよ。だから商人は護衛を自前で雇うんです」
「そ、そう」
「領主の中には、戦争などの非常時に必要な武器を鍛冶屋から徴収する者もいたようですよ。『お前、領地が攻められたら店もやっていけないんだぞ。わかるだろ』と脅すようにして、無償で提供させ……」
「む、むう。それ、いつの時代のお話よ」
「クラストス王の時代ですが」
「わたくしの国が、しゅいませんでした……」

 しおしおと謝ってから、フィロシュネーは試しに聞いてみた。

「あのう。石は、使っていないわよね?」

 少年魔法使いは、微妙な気配になった。

「石を使わないと、俺は姫のそばにいられません」

 なるほど。
 フィロシュネーは書類を置いてソファに近付いた。

 置物みたいに大人しく座っている少年魔法使いの手に触れ、頬に触れると、体温は氷のように冷たい。
 手首や首のあたりは、脈動がなかった。
 
 まるで、お人形のよう。
 
「夢をみているようです」

 お人形がぽつりと言った。

「あなたは石に願って、なんだか不思議なことをしているのね」
「俺にもよくわからないのです」

 無感情な声は、海を思い出させた。
 足がつかなくて、広くて、どこまでも続く――ちょっと怖い、海。

「わたくし、もう一度申しますわね」

 フィロシュネーは、人形のような頬を撫でた。
 
「ちょっと、怖い感じがしますの。石に祈りを捧げるのをやめてくださる? ……今すぐよ」

 手を放して瞳を閉じて、独り言のように意思を伝える。
 
「わたくし、数を数えますわね。三つ数えます」

 いち、に、さん。

 ゆっくりと数えて目を開けると、ソファは無人になっていた。

 夢を見ていたよう。
 相手もきっと、そう思っているかしら。

 フィロシュネーは石の不思議な力に困惑しながら、青王の執務机に戻った。

 税関連の書類を閲覧し終えて『外来魔法動植物による旧来の生態系への悪影響」という資料を眺めていると、侍女のジーナがお茶を運んでくる。

「フィロシュネー様。こちらはヘンリー・グレイ男爵が好むという紅茶で、ブレンド名は『ブックライブ・フレンド』です」

 ヘンリー・グレイ男爵は、本読み友達を求めていたりするのだろうか。
 紅茶はかなり渋い味がして、ミルクを入れると飲みやすくなった。
 
「こちらがヘンリー・グレイ男爵の好む本です」
 
 シフォン補佐官がやってきて、本をテーブルに置いてくれる。
 紅茶をいただきながら、フィロシュネーは順番に本を手に取り、その内容を頭に入れた。

 魔法書、地学書、数学書、歴史書、医術書、芸術論……恋愛物語?

「お待ちになって。ヘンリー・グレイ男爵は恋愛物語も嗜まれるの?」
「活字中毒、というらしいですよ。文字が書かれていたら、日記帳でも喜んで読みふけるのだとか」
「では、今頃わたくしが書いたお手紙を喜んで読んでいらっしゃるのかしら」

 『あたらしい文字だ、やったぞ嬉しいな! なにが書いてあるんだ?』とはしゃぐヘンリー・グレイ男爵を想像して、フィロシュネーは親しみを覚えた。

「ああ、そうそう。『新王を案ずる会』の中心人物――エドワード・ウィンスロー男爵は、お元気かしら。そちらにも、招待状を送りましょうね」

 フィロシュネーが言えば、シフォン補佐官は「そちらの方々ですが」と微笑んだ。

「『よしよし、しめしめ、慰め隊』が功を奏したのか、アーサー王が帰還予定だという預言が効いたのか、はたまたフィロシュネー陛下の政治ぶりが好評なためか……『新王を案ずる会』は自然消滅しそうな雰囲気なのです――」
「まあ。そうなの」
 誰かが新王の不満を言おうとすれば、エドワード・ウィンスロー男爵は「やめよ」と言って止めるようにすらなったのだという。

「まあ、それは……エドワード・ウィンスロー男爵のお心はよくわからないですけど、よかったですわね」

「まことに……エドワード・ウィンスロー男爵は意外と腰抜けなのかもしれません」

 フィロシュネーはニコニコとしてエドワード・ウィンスロー男爵への手紙を書いた。

『わたくしを心配してくださっていたエドワード・ウィンスロー男爵へ。会議をするので、ぜひご参加ください』
 ……と。

 
しおりを挟む
感想 60

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら

みおな
恋愛
 子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。 公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。  クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。  クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。 「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」 「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」 「ファンティーヌが」 「ファンティーヌが」  だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。 「私のことはお気になさらず」

処理中です...