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4、奪還のベリル

249、注文の多い治療院で、俺は服を剥ぎ取られて鍋に入れられ

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 ルーンフォーク・ブラックタロンの主君は、精神が不安定な青年だった。
 
 突然、思考や情緒が乱れてしまう。カントループという前世に翻弄されて、自分を見失ってしまう。陽気すぎるほどに明るくなったと思えば、幼い子どもみたいに感情のまま涙したり。
 初恋におおはしゃぎしたり。かと思えば酸いも甘いも知り尽くして疲弊した老人のようになったり。
 
 人間の精神って、よくわからないな。
 どのようにして変化するのだろう。どんな状態が正常なのだろう。
 
 ところで、ルーンフォークは今、青国のモンテローザ派が営む治療院にいる。兄フェリシエンが「そんな状態で主君に会わせるわけにもいかない。治療を受けさせるから頭を治せ」と言ったのだ。

 治療院では最初、年配の医者が対応しようとしていたのだが、これがなぜか交代した。
 まだなにも問診していないのに、緑髪の若々しい医者がやってきて「自分が担当する」と言い出したのだ。
 青国の大貴族モンテローザ公爵に似ている。モンテローザ派の治療院なのだし、血縁関係なのかもしれない。

 年配の医者の方が経験豊富そうなのに。この新しい医者は、なんだか嫌だな。
 遊び甲斐のあるオモチャを見つけたみたいな顔をしてる。
 
「ルーンフォークくんは、遺跡でなにがあったのかわかるかなぁ?」

 物分かりの悪い子どもを相手にするような喋り方だ。
 ルーンフォークはむっとしながら、医者に返事をした。
 
「兄さんに激似げきにのカピバラがいたんです。頭突きをしてきました。術まで使いましたよ、ルーンフォーク。生意気ですね。ええ、ハルシオン様。それで、目が覚めたらここにいて、兄さんがカピバラじゃなくなっていました」

「なるほど。これは重症だ!」

 医者はなぜか楽しそうに言った。
 俺は重傷らしい。自分でもそうじゃないかと思った! だが、そんなに楽しそうに言われることだろうか。もっと残念そうに言ってほしい。
 
 少なくともカピバラの兄さんは、残念そうに悲しそうに接してくれていたのだ。
 ――もともと、いつもそうだったけど。

「では治療を始めよう。三日もあれば治るだろう。モンテローザ流の特別な治療だよ。これを受けることができる君は、幸運だ。君は見たところ、なかなか才能がある。腕がなるね。いいかい、まずは脱衣所で服を脱いでほしい」

 よくわからないが、医者が指示する通りにルーンフォークは服を脱いだ。
 呪術で浄化して清潔に保ってきたが、着ていた服はボロボロだ。聞いた話によると、自分は数か月間ひとりで遺跡にいたらしい……。

 早くまともになって、ハルシオン様に「留守にしてすみませんでした」「成果は……ありません!」と謝罪しなければ。

「成果があればよかったのに。悲しい」
 
 しょんぼりとしていたルーンフォークに「こちらの部屋へ」と指示が出される。
 全裸で部屋を移動すると、上下左右から粉のようなものがまぶされる。

「こほっ、こほっ、っくしゅん!」

 魔法植物の匂いがする。
 呪術に使う媒体だ。魔法植物をすりつぶして乾燥させて粉々にした粉末だ。
 結界などに、よく使う――

「では次の部屋へ」

 ぐいぐいと数人がかりで引っ張られて、さらに部屋を移動する。
 すると、そこには巨大な鍋があった。おそらく、浴槽だ。鍋の形をした巨大浴槽だ。
 人が三十人は入れると思われる。

「入浴してください。この湯は大地の深部にある魔力を濃厚に含んだ温泉で、かつモンテローザ派の編み出した特殊な加工技術により体にまとった粉と特殊な作用を起こして体内へ魔力が吸収されやすくなっています」

 説明は、「呪術師」であるルーンフォークにとっては魅力的だった。
 けれど、「重症らしき精神の治療を受ける」ルーンフォークにとっては疑問しかない。

「待ってください。それで精神がよくなるのですか? 俺にはわからない――わっ、ぷ」

 湯に突き落とされるようにして、ルーンフォークは全身を浴槽にダイブさせられた。
 
「わ、わ、……ふ、深いっ」

 浴槽は、深かった。足がつかなくて、本能的な恐怖を覚える。

「お、俺は泳げませんっ、たすけて」

 ばしゃばしゃと藻掻いていると、浴槽に何人もの人が入ってくる。老若男女、さまざまな人びとは皆、裸で、互いが裸であることをぜんぜん気にしていないようだった。

「兄ちゃん、こっちに来な。浅いから」

 親切な爺さんがそう言って手を引いてくれる。

「この兄さん、泳げないんだってさあ」
「あら、あら」

 おそらくモンテローザ派に違いない人々は、全員が顔なじみの様子で、とてもフレンドリーだった。
 みんなして親切に笑顔を向け、手を差し伸べて、浅い場所へとルーンフォークを引っ張っていってくれる。

「うちの息子を思い出すわ。ねえ、聞いてくれる? うちの息子はね、去年の夏に人魚に恋をしたとかで、水中呼吸を練習しているのよ」
「兄ちゃん、温泉オレンジ食うか? 温泉に漬けてふやけたオレンジだぜ」

 話しかけてくる見知らぬ人々。全員、全裸。
 離れたところでは、マイペースに手足をのばして寛ぐ人々や、洗い場でタオルを手に体を洗うおっさんもいる。

「お先に」と言って湯から上がる人もいれば、無言でのそのそと上がっていく人もいる。
 無言で入ってくる人もいれば、声をかけて会話にまざってくる人もいる。

 共通点は――全員、全裸!
 
 モンテローザ派の治療とは、謎である。
 
 ルーンフォークはその日から謎の温泉療養をするようになり――気付けば、脳内主君と会話する癖はおさまっていた。

「お健やかになったようでよかったですよ。では、本物のご主君にお元気な姿を見せにいきましょうねえ」

 緑髪の医者はそう言って、ルーンフォークに空国の騎士服を着せた。
 
 治療院の外に用意された馬車に乗ると、なんと兄フェリシエンが待っていた。
 カピバラではない。人間の兄だ。

「兄さん、人間だ」
「貴様、ほんとうに治っているのか?」

 兄は得体の知れない生物の生態を観察するような眼差しでルーンフォークを見て、馬車を出発させた。

 到着した先は青国の王城で、案内された部屋には懐かしの主君ハルシオンが待っていた。

「ルーンフォーク、心配したのですよ」

 本物のハルシオンが心から安堵した様子でルーンフォークを迎えて、「帰ってくるなと言った私が悪いのです」と悔いるように言ってくれる。
 
 ルーンフォークは優しい主君の心を感じながら、遺跡で見つけた情報と、謎のカピバラに出会った体験とふしぎな治療院で鍋の中に入れられて温泉療養した話を語った。

「注文の多い治療院で、俺は服を剥ぎ取られて鍋に入れられ……」

「それは事実とは異なりますね。認知のゆがみがあるようです。もうすこし治療しましょうか」

 青国の大貴族が、言葉を挟んだ。

 兄と親しい仲らしき、ソラベル・モンテローザ公爵だ。
 公爵は、あの緑髪の若医者にそっくりだった。
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